Papery 2003 by 前田恭二

2003.01.05. 廃墟

年明け最初に見たのは、大阪から巡回してきた椹木野衣キューレーションの「Expose 2002」展 (1月5-19日、桜木町/横浜赤レンガ倉庫1号館) 。ここのところ大阪万博への関心が高まっているようだが、ここでは万博を作り上げる側にあった磯崎新と、そこを遊び場にして育ったヤノベケンジを取り上げている。磯崎の出品作「エレクトリック・ラビリンス」は1968年のミラノ・トリエンナーレのために制作されたものの、現地の学生運動のあおりで、ほとんど公開されずに終わった作品だという。地獄図やナガサキの写真をあしらった鏡面上の回転パネルを配し、壁面には廃墟と都市計画をめぐる映像を投影している。ちなみにナガサキの写真は東松照明が提供した。ヤノベ作品「ビバ・リバ・プロジェクト」は、まえに資生堂ギャラリーで展示していた巨大な人形風の作品「スタンダ」と、かつて磯崎がデザインした万博お祭り広場のロボットをアレンジした新作「デメ」を向き合わせている。前者が立ち上がると、後者は足元の水に顔を突っ込む。都市に廃墟を重ね見る磯崎がかかわった万博は、閉幕後、その思想をなぞるかのように廃墟に等しい場となり、その廃墟を原風景として、ヤノベの創造が立ち上がる――そんな見取り図をさしあたり描くことができそうだが、文字通り都市と廃墟がそのまま重なり合う磯崎作品は、こうした神話的な領域に回収されかねないような創造と破壊という図式を超えるまがまがしさを感じさせた。

2003.01.06. 左右2

江戸開府400年だそうである。江戸がらみの展覧会が相次ぐらしい。その一つ「大江戸八百八町」展 (1月5日-2月23日、両国/江戸東京博物館) のオープニングへ。出品作の幾つかについては興味をそそられたのだが、しかし、かなり驚かされたのは、カタログの造本。基本的には横書きであるにもかかわらず、右開きで編集されている。つまりページ単位では左から、本全体では右から読ませる造りになっている。カタログという以前に、本としても、めったにない珍品というべきか。あるいは鈴木一誌の近著「ページと力」をもじって、「ページと暴力」とでもつぶやくべきか。こうなった事情の一つとして思い浮かべたのは、ベルリンから里帰りした目玉作品「熈代勝覧」が画巻であること。こればかりは右から見せるしかない。このため、横書きでありながら右開きというイレギュラーな形式になったのではないだろうか・・・。そんな風に想像しつつ会場を歩いていくと、その「熈代勝覧」は、今度は左から――つまり巻末から眺めさせる動線で展示されていた。つまりは気にしたところでむなしい種類の話に属するのだろう。

2003.01.08. 相撲

両国を訪ねて、なんとなく相撲のことを考えていたら、先に記した「Expose 2002」展におけるヤノベ作品が、ふと違った印象を結びはじめた。というわけで追記。今回の新作「デメ」は磯崎デザインのロボットや太陽の塔からの引用を交えて作られているわけだが、素朴に眺めるとき、さしあたり最も近いのは、力士の姿ではないだろうか。対面する旧作「スタンダ」ともども、土俵入りしているようにも見える。ところが「スタンダ」が立ち上がると、「デメ」は突っ伏し、前者は再びへたり込む。両者の取り組みはついに実現することなく、不発に終わり続ける。相撲には死者の霊を鎮める、悪しき地霊を払う、といった意味合いがあったようだが、ヤノベ作品においては、永遠に何も始まらないまま、いかにも対戦しそうな所作だけがむなしく繰り返される。こう考えてみると、ヤノベ作品は、万博はもとより、椹木が言う「悪い場所」の性格をなぞるような性格を帯び、磯崎作品と拮抗するまがまがしさを秘めているように思えてくる。

2003.01.10. 本

年末年始に何冊かの本を読むことができた。もっとも充実した読後感があったのは、ヴィクトル・I・ストイキツァ著「絵画の自意識」 (2001年7月、ありな書房、岡田温司ほか訳) 。すでに美術史方面では高く評価され、白水社の出版ニュースによれば、近く同じ著者によるゴヤ論も邦訳が出るようだが、やはり評判になるだけのことはある画期的な一書と納得。初期近代のヨーロッパ――1522年から1675年までの、主に北方およびスペイン絵画を題材としながら、絵画イメージがどのように自立を遂げていったのかを論じる内容。本書第一部「驚いた眼」は、イメージ内に斜間、壁龕、窓、扉といったフレームと同等の役割を果たす要素が持ち込まれ、それと並行する形で、従来はそれ自体が絵画の周縁に位置していた静物画や室内画といったジャンルが成立していった経過をたどり直す。イメージがイメージの外部と境界づけられていくことで、初めてイメージとして成立する、その起源の風景を目の当たりにするよう。ついで宗教画が鑑賞用のタブローと見なされるに至るまでの経過を示し、“驚異の部屋”などのコレクション論を展開する第二部「好奇の眼」、さらにデカルト論、鏡、自画像といったテーマを扱う第三部「方法の眼」という構成。途方もない問題領域をカバーし、学際的な印象も強いのだが、基本的には美術史の底力を見せ付けられる思いがした。読み通すには骨の折れる大著で、値段も7200円。とはいえ、必要な挿図は入っているし、粘り強く挿図と見比べながら論旨をたどっていけば、例えば写真論にも示唆を与える指摘を見出し得るのではないだろうか。

2003.01.14. フレーム

東北芸術工科大学の小林のりおゼミによる「8の巣」展 (1月14-19日、渋谷/ル・デコ) 。3回生の発表だというのだが、意欲的な写真がけっこうあって、ちょっと感心させられる。すべてデジタル。前項の本を読んだこともあって、展示形式を注意して眺める。たとえば指導教官である小林はロール紙に出力し、床に広げている。かりそめにプリントアウトしてみた――そんな風情。学生の中には、画像が宙に浮かんでいるかのように工夫し、紙の物質性を意識させない試みも見受けられた。そんなふうにフォーマットはまちまちだが、デジタルによって展示形式がどう変化していくのか、しばらく気に留めてみようかなという気にさせた。

2003.01.17. 三松ふたたび

発売中の「BT」誌2月号に、三松正夫を中心にした、椹木野衣による論考が載っているよ、と教えられる。三松については、かつてこの欄でも紹介したことがある (2001年「0208噴火」の項) 。北海道の一郵便局長だったのだが、昭和新山の隆起に出くわし、観測記録を残し、その一環として、南画風ながら異様な火山の絵を描いた。椹木論考はその経緯をたどりつつ、アウトサイダー・アートとリンクさせ、アートの根にあるべきものを「BT」の読者に語りかけている。三松作品の図版もけっこう載っている。絵のインパクトに驚かされた一人としては、こうした三松論が登場するのは、とてもうれしい。

2003.01.21. LV

表参道に立ち寄った際、そうだ、と思い立ち、青木淳設計の「ルイ・ヴィトン表参道」に入ってみる。昨年、世評の高かった建築作品の一つ。このブランドの原点というべきトランクのイメージを生かした建築と聞いていたが、じつは見た目の意匠にとどまっていない。トランクとはつまりは開閉する箱であって、ここでは虚実さまざまな、場合によってはトリッキーな手法を駆使して、建築という箱に穴をあけ、開放的な空間を生み出している。とくに鏡の使い方はめざましい。さらにはすだれ風の半透明の幕や映像モニターなどを交錯させている。こうした映像性は、以前のルイ・ヴィトン名古屋および銀座でのモアレによる壁面処理を思い起こさせる。それがただし映像そのものではなく、あくまでもガラスという物質の特殊な扱い方によって生じる映像的な効果であるのと似て、建築家は建築が根ざすべき物質性と映像性との間に身を置き、その距離をじゅうぶんに意識した上で、それを攪乱することに独特な興味を覚えているように思われる。最終的にはブランド・ショップにふさわしい空間に仕上げているわけだが、昨年の東京国立近代美術館「領域と侵犯」展での意想外に出るインスタレーションもまた、コンセプトという以上に、個人的な志向に根ざしていたのかな、という気もする。

2003.01.23. 建築中

初台ではしご。リヒター展 (昨年12月12日-1月31日、ワコウ・ワークス・オブ・アート) 、リベスキンド展 (12月20日-2月23日、ICC) という評判の展覧会を経て、「アンダー・コンストラクション」展 (12月7日-3月2日、東京オペラシティアートギャラリー) へ。日本をふくむアジアのキュレイターの共同作業を経て、構成されたグループ展だという。映像系の作品もけっこうある。野口里佳「北京へ」は、真冬の北京で寒中水泳をする人々を撮っている。目を引くのは、添えられているテキスト。<写真は少しずるいところがある。写真を撮ることで自分の手柄にするだけではなく、写真をとおして人と出会い、何か与えられること。交換できること>。ここでは以前、別の文脈ながら、島袋道浩のテイストを思わせると書いたことがあるけれど (2002年「0718動詞」) 、プロダクトよりもプロセスに関心が移行し、リレーショナル・アート的な方向に接近しているように見える。展示全体のなかで、印象的だったのは王功新 (ワン・ゴンシン、中国) の「赤い扉」。仮設された部屋の内側四面のスクリーンに、それぞれ分厚い扉のある壁が投影されている。ときおりギギギギ・・・と音を立てて扉が開く。さまざまな中国社会の諸相が、かいま見えたかと思うと、ふたたびギギギギ・・・バタン! と閉じてしまう。読み方はいろいろありそうだが、言いようのない重苦しい気分に陥れ、アジアという枠組みにかかわって、みずからの立ち位置について考えさせるところがある。

2003.01.28. 汽車の窓

昨年1年間、自宅の机の前に高梨豊の写真によるカレンダーを掛けていた。pgでの高梨豊展 (前期1月10-20日、後期21-31日) のうち、後期に展示されていたのは、そのシリーズ。列車の窓からのスナップである。まえに少し触れたことがあり (2002年「0522 車窓」) かなり重複してしまうのだが、補足の意味も込めて・・・。そのカレンダーには、写真の起源への旅、といった写真家の言葉が載せられている。写真家は、列車という移動する箱をカメラに見立てているわけだが、それと関連して思い出すのは、柳田国男の風景論。たとえば「豆の葉と太陽」 (昭和16年) では、次のように言う。<汽車では今まで予想しなかった景色の見ようがあることを、もう心づかぬ人もなくなった。白いリボンに譬えらるる山路の風情、村を次から次へ見比べて行く面白み、または見らるる村の自ら装わんとする身嗜なみ、また時代によって心ならずも動かされて行く有様、こんなものを静かに眺めていることは、「汽車の窓」にして始めて可能である。あるいはまた要望なき交渉とも名づけてよいのであろう>。ここで言う<今まで予想しなかった景色の見よう>とは、ほかでもない「風景」であり、柳田は汽車の窓という装置がこの新たな物の見方をもたらした、と考えていたらしい。その意味で、列車の窓からのスナップは、写真家の言うように写真の起源への旅であるとともに、風景の起源への旅という意味合いを持つと言ってみたい気がする。最近の著書「ライカな眼」で、ファインダーの四隅まで見ないと気が済まないタイプだと自ら語っていたはずだが、そのような意識的な写真家が、受動的な態度を強いられるシリーズをどう展開させていくのか、興味をそそられる。今回の展示について言えば、ある眺めが眼を擦過していく、その擦過の感覚のみがそれ自体として見る側に伝わってくるようで、風景という枠組みの内側で何らかの意味合いをはらませようとするさまざまな変奏には求め得ないリアリティーを感じさせた。

2003.01.29. 客

屋代敏博「回転-無言の客-」展 (1月17日-2月12日、京橋/ツァイト・フォト・サロン) 。1970年生まれだという写真家の作品を見るのは初めて。面白かった。一昨年、仏・ロワール地方の城を使ったプロジェクト「建築と風景」に参加し、バランセイ城という古城での制作を依頼された由。いかにも絶対王政期ふうの人工的な城や庭園で、おそらく作者は黒い装束をまとって回転台のようなものに乗り、くるくる回転し、そのパフォーマンスをしている自身の姿を入れ込んで撮影している。回転によって、作者の姿は何かコマのようなもの、あるいはすりつぶされた黒い粉のような姿となって写っている。しかも、その写真は微妙に視点をずらしたカットを組み合わせる形で展示される。その合わせ鏡を見るような写真と、作者自身の回転とがあいまって、見ているほうの内側にも、不意に奇怪な回転が巻き起こる。めまいのような感覚のうちに、バロック的なトポスに立たされる。そこでは無意味な回転を演じる作者のごとく、すべからく来訪者はつかのまの痕跡を残すの影のようなものに過ぎず、結局のところ、その空間自体が絶対的な存在感とともに立ち現れる――というような作品。

2003.01.31. 風景

横浜美術館「明るい窓 風景表現の近代」展 (2月1日-3月30日) のオープニングへ。どのような展覧会なのかというと、当然ながらタイトルがよく示している。日本語表記は上記のとおり。英語表記は「Transparent Windows : Politics of Landscape」。言うまでもなく「風景表現の近代」と「Politics of Landscape」とは、対応していない。日本語を読む人には近代の風景画展ですよ、英語にも目を配るような人たちには、ホントはね、という風に何か使い分けをしたかったのだろうか。あまり好感を抱かせるタイトルではないが、それはさておき、展覧会もまた、東西の風景表現の展開を紹介する啓蒙的な側面と、風景表現のはらむ政治性を問題にする先鋭な側面とを持っている。それらは時に重なり合うものの、しっくり溶け合っているとは言いにくい。まさしく名は体をあらわすということか。しかしながら、内容がつまらなかったというわけではない。英語表記に示される企画意図をもっともよく示す第四部「西洋列強のアジア進出と写真家の移動-19世紀後半のオリエント」は、サイードを読み直してみたい気にさせたし、第五部「幕藩体制の崩壊と開国-幕末・明治の日本」もまた、高橋由一らの油画と近代国家建設の関連を取り上げ、西欧の側から見られる対象でしかなかった日本が、今度はアジアに同様の視線を向けることを示唆している。こうしたパートは、風景画をめぐる美術史的な語り口をなぞることも多い本展において、何か落ち着かない気分にもさせるのだが、あるいは、それでも構わないという展覧会の作り方なのかもしれない。見る側としても、その落ち着かなさを抱えたまま、ほかのパートを眺めるのは、必ずしも悪い気分ではなかった。

2003.01.31. 真景

その落ち着かなさの効用というべきか、上記の展覧会について、もうすこし書き続けてみたい気がする。あらかじめ断っておけば、素人の、まったく私的な関心に基づく話である。展覧会は、横浜美術館NEWSに<風景表現 (絵画、写真) の近代化の過程を、ヨーロッパと日本を対照しながら検証します>とあるとおり、ここで採用されているのは、西欧各国と日本という枠組みである。さすがに西洋vs日本というくくり方にはなっていなが、西欧各国と日本とはほぼ交互に扱われる。そうであればこそ、日本における風景表現の端緒として、江戸の洋風画が掲げられ、西欧文化の受容と応用という側面が強調されることになる。ただし、西洋文化が移植される以前において、何ら景観表象がなかったというわけではなく、東アジアの支配的な景観表象としては、山水画が存在した。山水画については、もとよりカタログを兼ねて、刊行された同名の本 (大修館書店刊、2400円) に言及はなされているけれども、今回の枠組みでは当然ながら、正面からは扱い得ないことに属する。ただし、さしあたり展覧会でも扱われている一つのジャンル――「真景」に着目することで、山水画、風景画をめぐる「politics」について考えてみることはできるかもしれない。上記の本での真景論は、注によると、辻惟雄氏の論考に依拠したとのことだが、それ以降、とくに重要なのは、佐藤康宏氏の仕事ではないだろうか。いま手元にある論考から、その冒頭の一節を引いてみる。<18世紀なかば以降の日本では、「真景図」と呼ばれる、文人画家による実景描写が盛んに行われるようになった。その作例のうちには、特に後期に谷文晁ら関東の画家によって制作されたもののように、西洋画法を取り入れて実景の地勢を正確に再現したと見える作品もある。しかし、前期に池大雅ら関西の画家が描いた真景図は、わずかな例外を除けばそういう再現を達成しておらず、現代の基準によればあまり写実的には見えない。それゆえそれらは、中世的な山水画ないし名所絵から近代的な風景画へと移行する風景画史発展の中間段階と評価されたり、中国の南宗画法と日本の自然景の折衷ととらえられたり、風景に対する画家個人の印象表現と解釈されたりした。これらの見方はどれも18世紀の真景図に固有の意味をじゅうぶんに明らかにはしない。本稿では、前期の真景図の眼目は、むしろ積極的に日本の風景を中国の名勝に、あるいは中国の名画に見立てることであったと主張したい>。論考は中国/文化、日本/自然という和漢、雅俗の二重構造を指し示し、<日本の自然は中国の文化と結びつけられることで初めて意味を持つ>という前期真景図の本質を取り出している。そこから西洋的な描法による再現へ、という展開を仮に説得的に跡付けることが可能であるならば、真景とは、中国から西洋への乗り換えが演じられた焦点のトポスだということになる。言うまでもなく今回の展覧会というよりは、またひとつ別個の展覧会を必要としそうである。ともあれ長々と書き連ねた末に、立ち戻らざるをえないのは、「風景表現の近代」と名づけられた展覧会が西欧と日本という枠組みに基づいているという簡明な事実であり、それが自明のものとしか見えない近代という時代のpoliticsである。


2003.02.07 現在

エスクァイア日本版3月号が「写真の現在」という特集を組んでいる。ベッヒャー・シューレの面々へのインタビューをはじめ、ドイツ写真に焦点を当てる一方、森山大道と中平卓馬の対談などを載せる。勉強になるなあ。ところで、青山ブックセンターに並ぶ同誌を見つけたとき、一瞬「写真の散在」と誤読してしまった。目が弱ってきたのもさることながら、いろいろな雑誌で、ときおり写真特集が組まれるという印象があったせいか。

2003.02.13 黒白

横澤典展 (2月10日-3月8日、京橋/Base Gallery) 。街の灯が点在する夜景と、白く雪が降り積もった日中の光景。いずれも高密度の都市景観を俯瞰する。都市景観の俯瞰という点では、松江泰治が昨年発表した都市のシリーズを思い出す。しかし、両者は著しく異なっている。風景を皮膜状のイメージに移し替え、いわばコレクションしつづける松江の仕事は、あくまでも視覚的な対象としての風景に固執し、欲望を駆動させている。ある状態にある都市を撮り、今回の場合は2つのシリーズを対照させた横澤の仕事は、その対照を通じて、見えない何かを感知させようとしているようなところがある。会場で眺めながら、個人的には都市が黒ないし白のうちに消えうせていくかのような終末論ふうの感慨をふと抱いたのだが、それも作品のもつ性格によるところがあるのかもしれない。

2003.02.13 宛先不明

根本智雅子展 (2月10-22日、銀座1-5-2/ギャラリー21+葉) 。はじめて作品を見る。もともと日本画の団体展に出品していた方らしい。複雑な作り方のようだが、要は自分が撮影したわけではない写真イメージを印刷し、その上にダンスしているような少女の群像を簡潔かつ優雅な線描で描き加えている。どうも親戚が持っていた写真をたまたま見つけたことが制作の契機となっているらしい。現実の指示対象が分からなくなり、何のつもりで撮ったのか、誰に見せるつもりだったのか、つまりは宙に浮いてしまった写真特有の不思議な存在感に感応しているようす。しかも、面白いのは、作品はファクス用紙やはがきのサイズに合わせて制作され、大きさは「ファクス10回分」などと表記されている。作品そのものも、宛先不明のメッセージに対する感受性を空転させることのない繊細な表情を見せており、けっこういい感じだった。

2003.02.14 哄笑

以前に記したとおり「絵画の自意識」を読んだ余勢で、ヴィクトル・I・ストイキツァ、アンナ・マリア・コデルク「ゴヤ 最後のカーニヴァル」 (2003年2月、白水社刊) を読了。コデルクはストイキツァの伴侶とのこと。バフチンを引継ぎ、さらにバフチンが書かなかったカーニヴァルの終焉という歴史的な転機に、ストイキツァらは目を向ける。つまりシステムの転覆を来たさないための文化的装置としてのカーニヴァルは、フランス革命という真正のシステム転覆によって形骸化したというのだが、その転回点における想像力のありようを、本書はゴヤの作品を通じて探る。図像解釈の切れ味は相変わらずの凄みを見せ付ける。版画集「戦争の惨禍」におけるベルヴェデーレのトルソの引用だとか。同時代人たるサドについても紙幅が割かれているが、「絵画の自意識」に比べると、当然ながら、理論的というよりもゴヤ論の色彩が濃い。とはいえ、この枠組みを幕末・近代の美術史に応用できないか、と考える人も出てくることだろう。それは大いにやってみたらいいことだが、一読者としては、泣き笑いの主題を扱う結語に至って、哄笑というものが機能し得る時代に生きているのかどうか、という感慨にしばしとらわれた。ストイキツァには「A Short History of the Shadow」という本もあるそうだが、どこかで邦訳してくれないものか。

2003.02.20. 些事1

「ひとつぼ展」20回を記念した「going」展 (写真部門は3月3-20日、銀座/ガーディアン・ガーデン) のリーフレットを眺める。グランプリ既受賞者、審査員推薦出品者の一覧と小さな写真が載っているのだが、面白いのは、出品者の方々の肩書。「写真家」というのが一番多い。それに次ぐ数の人が「フォトグラファー」と名乗っている。自己申告なのかな。どう名乗ってももとより自由というものだが、ちいさな活字で写真家、写真家、フォトグラファー、写真家、フォトグラファー・・・といった具合に並んでいるのは、なんだか面白い。ほかの肩書の方もいるけれど、ちなみに「カメラマン」という人はさすがにゼロ。

2003.02.24. 些事2

「ヤングマガジン」 (講談社) に安達哲が連載している「バカ姉弟」は、かつての「お天気お姉さん」で燃え尽きたというわけでもないのだろうが、不思議に淡々とした漫画。13号に載った回は、写真館「トキワスタジオ」のおやじがバカ姉弟の笑顔を撮るべく、苦労するという話だが、それがアラーキーそのまんまの風貌をしている。いま写真家のパブリック・イメージって、やはりアラーキーなんだろうな。しかも、とってもいい人に描かれている・・・ま、そんだけのことなのだが。

2003.02.25. contact

pgの元田敬三展「ストリートスナップ」 (2月18日-3月3日) に立ち寄り、その新しい写真集「WE GOT THE GUN」が出たのを知る。発行所はFOTO FILE PRESSというところで、「CONTACT」というシリーズの第1弾だという。かつてのモール・ユニットのような出版を目指しているそうで、確かに版型や体裁もそれを思わせる。モール・ユニット的な機動力のある形で、面白い写真が紹介されるのだとしたら、とても楽しみ。展覧会については、前回にひきつづき、スナップ一直線というノリが前面に出ていた。ちなみにカラー作品も少しあった。


2003.03.04. ひとつぼ

上記ひとつぼ展の20回記念展に立ち寄る。いろいろな評価があるようだが、たとえばの話、今年度分が発表されたばかりの木村伊兵衛賞は、この3年、計7人の受賞者のうち、松江泰治をのぞく6人がひとつぼ展ないし写真新世紀展で何らかの賞をとった人たちで占められる。過去10年についていえば、新人賞としてよく機能してきた面は否めない。ただ、この20回記念展を眺めて、重い気分になったのが正直なところ。初代グランプリの今義典が一対の風景を組み合わせたモノクロ作品を出していて意外だった、といったことは幾つかあったにせよ、総じてグラフィックなまとめ方に傾いている。念のためにいえば、グラフィックというのは必ずしも展示形式に限らない印象であり、このあたりは賞の性格、あるいはそれを規定している受賞者の進路とかかわるのだとすれば、必然的な傾向なのかもしれない。

2003.03.05. 部屋

pgの高橋万里子展「くびったけ」と、イカヅチの「ヘンリー・ダーガーの部屋」展 (いずれも3月5―18日) 。まず高橋展について。はじめて見るその作品は、このギャラリーには珍しく、メイキング系。人形や菓子などを使って、キッチュな極彩色の世界を作り上げている。当惑させるような過剰さが目を引く。ただ、かわいさとグロテスクさが近接するような世界というのは、わりにありがちな気もする。そのさきに何か仕掛けがあるのかどうか、今回はまだ分からなかった。「ダーガーの部屋」は、北島敬三の撮影。部屋の内部/interiorは、しばしば主の内面/interiorの投影として読まれ得るものだが、ここでの極度の密室性は、主たるダーガーの不在のゆえに、なおさらくっきりと、その精神風景を映し出すかのよう。ある程度、情報として知ってはいても、聖母子像をはじめ、キリスト教関係のもろもろの品が配されたカットは戦慄的な印象を残す。

2003.03.07. Air

佐藤淳一展「Driving Air」 (3月7-15日、新川/ギャラリーMAKI) 。デジタルカメラによるノー・ファインダーのスナップ。小林のりおらとのウェブ展で作品を見たことがあるけれど、ギャラリーで見るのははじめて。それもそのはず、ウェブ以外では5年ぶりの個展だという。すべての作品が天地逆。これは事後の操作によるものではなく、ノー・ファインダーで撮影したままに展示しているに過ぎない。ともあれ、プリントアウトされた画像は、いちどきに全体が目に飛び込んでくる感じがある。作品ごとに強弱はあるけれど、とくにパースペクティブがはっきりしている画像だと、天地逆ということへの違和感に先だって、目に飛び込んでくる。ウェブ上だと、じりじりと画像が現れはじめるので、この面白さは分からなかった。ちなみに展覧会タイトルは、driving rain (どしゃぶりの雨) のもじり、とのこと。

2003.03.07. CG幻想

櫃田珠実展 (2月28日-3月22日、新川/小山登美夫ギャラリー) 。以前にいちど見たのと同じく、おそらくCG処理による、いわゆる幻想的な作品。オレンジ色のカーテンと雲、宙に浮かぶ観覧車といった形で絵柄が刈り込まれて、イメージは前回よりも明確で、エレガントさも加わった。それを魅力的だと思う人もいるはずだとは思うのだが・・・。つい幻想的と言ってしまったけれど、どうもCGやデジタル加工を施した写真とは、その段階で、幻想が拠って立つべきリアリティーの地平を失っており、それゆえ幻想的ということが成り立ちにくいのではないだろうか。たとえばCG技術の進化とスター・ウォーズの質的な変化・・・みたいなことも、ふと思い浮かべた。

2003.03.11. sight

美術評論家・鷹見明彦の企画によるグループ展「Resolution/解像度」展 (3月11-22日、表参道/MUSEE F+表参道画廊) 。松江泰治、柴田健治、秋廣誠が出品している。企画の趣旨は「写真、絵画、映像にわたる表現のアポリア (限界) を前提に、メディアの本質への批判的な解析から世界像を反証しようとする試みが交錯する場を構想した」とのこと。もっとも面白かったのは、初めて見る秋廣誠の「IAMAS (=I am a sight)」。くだくだしい説明になるけれど、いちおう概略を記述してみる。まず置かれているのは、直方体のコンクリート塊。手前側から見ると、三つの面が見えるわけだが、この三面には、何かが点々とグリッド状に埋め込まれている。この点はじつは光ファイバーの一端。もう一方の端は、コンクリート塊のなかを通って、別の面のごく狭い範囲に集積する形で露出している。しかも、それぞれの面に対応する形で配されているらしく、つまり、いま見えている直方体のパースの、ミニチュア版を形成している。この展示では、光ファイバーの他端が形成する、この小さな直方体のパースを、ビデオで撮影し、コンクリート塊の向こう側に設置したモニターに映し出している。以上が設置されているブツの概要。さて、光ファイバーというのは、一端の側から入る光の状態を、そのまま他端にスルーする。そのためコンクリート塊の周囲をうろうろ動くと、その光の変化が、三面に配された光ファイバーの一端から他端に集積され、さらにビデオを介してモニター上に映し出される。論理的な物の考え方が苦手な当方の手にはあまるのだが、いろいろな角度から考えてみる甲斐のある作品ではないだろうか。このコンクリート塊は、周囲の光の状態を平面にうつしかえているわけだから、一種のカメラのようなものだと言えるかもしれない。いや、むしろリフレクターが光を感受し、ニューロンを介して、最終的にはひとつの画像を形成する<視覚>とやらの模式図と見なすべきか。科学的な知識がないので、よく分からないけれど。あるいは美学ふうの観点から、たとえば立体物の視覚的認識をくるりと裏返して見せる、彫刻の反転装置としてとらえてみるのはどうだろう・・・。ともあれ、いま見ているコンクリート塊に、じつは見られているという特異な感覚が生起するのはまぎれもない。ちなみに、ほぼ同じ仕組みによるやかんの作品も。なんとなく気持ちが落ち込みがちな毎日のなかで、これは! と思わせた。

2003.03.18. 日本

マイケル・ケンナ写真集「JAPAN」 (1月31日刊、エディシオン・トレヴィル発行、河出書房新社発売) 。とても日本人には撮れないような、あまりにも美しい日本。多く作品を見たことはないけれど、ケンナというと、水辺に桟橋が伸びていくカットを思い出す。桟橋の先、茫漠たる広がりに見る者を誘うという意味で、見えざる世界への架橋という意図を体現しているのだろう。それと同じ構図が今回も繰り返し採用されている。お好みの世界観を日本に適用したというにとどまらず、ここでの日本とは、見えざる異界と極めて近しい場所として表象されている感がある。いまでもそうなんだな、と改めて教えてくれる写真集。

2003.03.19. おだやか

そろそろ終わってしまうなと思って、MOTアニュアル2003「days おだやかな日々」展 (木場・東京都現代美術館/1月11日-3月23日) へ。こういう時代に「おだやかな日々」とは何事ぞ、などと難じるような高みに立つ気もせず、さりとて、こういう時代だからこそ「おだやかな日々」ですよ! と開き直るのも気が進まないまま出掛けたわけだが、みずから「だからこそ」と表明している作家も見受けられた。入り口で配られた高木正勝の一文には<複雑すぎる今の世の中だからこそ、ストレートに、ただ素直に「world is so beautiful!」と世界を祝福したいのです>とある。その映像作品の部屋に入ると、画像処理を加えた映像が流れている。ストレートに見せるのでなく、いわば世界が美しく見える眼鏡をかけて、「world is so beautiful!」だよね、と言っているみたいだった。展覧会そのものについて言えば、おおむね見たことのある作家、作品が並ぶ。諸般の事情によるのだろうか、あるいは新作中心主義への意図的な批判なのかとさえ思いたくなるほどの既視感が漂う。それともう一つ、判断がつかなかったのは、展示の最終コーナーにあった小林孝亘の一点。小さな角砂糖の上で、独り占めしようとするかのように足を踏ん張るアリを描いた小品は<ant on the sugar cube>と名づけられている。その<ant>を<art>に読み替えよ、という意図的な地口なのだとすれば、すぐれて自己言及的なたくらみを潜ませた展覧会ということになるのかもしれないのだが、さて。

2003.03.26. 仮面

クー・ボンチャン写真集「hysteric Nine」 (2月25日刊、ヒステリックグラマー刊) は、このところ見たなかで、出色と感じた写真集。韓国民族舞踊の仮面をつけた人々を撮っている。さりげなく撮っているようだが、写真の周縁、とくに人々の足元あたりは微妙にぼやけている。プリントの段階で印画紙をゆがませたのだろうか、詳細は分からないが、その効果は大きい。仮面とは何か、と改めて考えてみたい気にさせられた。実際、学生時代に読んだ坂部恵の「仮面の解釈学」 (東京大学出版会) を買い直すはめになった。その優れた仮面論から、抜き書きしてみよう。

<おもて>とは、自我と世界、自己と他者との一切の意味づけの失われるわたしたちの存在の場の根源的な不安のただなかから、はじめて同一性と差異性とが、意味と方向づけとが、<かたどり>を得、<かたり>出されてくる、まさにそのはざまの別名にほかならない。<おも-て>の「て」は (中略) 、<おもつへ>=面つ方、<うしろつへ>=後つ方の語尾のちぢまった形であり、こうしてみればあきらかなように、方向を示す。<おも-て>は、原初の混沌と不安のカオスの中からはじめて意味づけをえたコスモスがたちあらわれてくる始源の方向づけ (orientation, sens) をかたどり出す・・・

<うつつ>と<ゆめ>のあいわたるこのようなはざま、現実の世のうすい皮膜を破ってそのかげにおおわれていたいわば超現実 (surrealité) の世界がおもてに立ちあらわれてくるはざま、このような境位こそ、本来の仮面 (おもて) の成立する場面にほかならない。/仮面とは、<うつつ>の世界に、<うつつ>の世界とは別種の構成原理 (コード) をもった下層の深みの世界が映じ、たちあらわれてくるところに成立する、いわば一種の<反―うつつ>、超現実の世界において立ちあらわれてくるものにほかならない・・・

こう読み進めていくと、写真集の序文で、クーがみずから語る以下の関心のありようについての、注釈となってくる気がする。

いつも私は超現実的なものに関心があった。ベールに包まれたもの、なにかカーテンの向こうにあって、隠れているようなもの。そんなものに魅せられ、もっとよく見たいという好奇心がわきあがってきた。/仮面舞踏家たちの場合もそうだった。彼らの存在に引きつけられていくにつれ、わたしは、どうしてもその仮面の下に秘められた力をつかみたい、という気持ちになっていった・・・

語られているとおり、クーは仮面そのものを撮ろうとしているわけではない。あるいは自注に反して、<仮面の下に秘められた力>という、見えざるものを表しているのではないかもしれない。むしろ写真を、坂部のいう<はざま>、仮面のたちあらわれる境位そのものと化すことに成功しているように思える。坂部の議論は日本語を杖としている。にもかかわらず、クーの写真の印象と重なり合ってくるのは、坂部の議論とクーの写真とがともに、ある普遍的な次元に降り立っていることを示すのではないだろうか。以前に韓国現代写真展「サラム/パラム」で見たクーの作品は、写真と蝶の採集行為を重ね合わせてみせる作為があざとくも感じられたのだが、言われるように、力のある写真家であることを実感した。


2003.04.11. 偏在

アベル・バロッソ展「第三世界のインターネットカフェ」 (4月10-22日、表参道/プロモ・アルテ) 。バロッソはキューバの現代美術作家。キューバといえばカチョーの名前が挙がるけれど、同国通がやはり強く入れ込んでいた人らしい。版木で作られた民芸品ふうのパソコンが並ぶ。むろんインターネットに接続できるはずもなく、わきに取り付けられた小さなハンドルを回すと、紙芝居みたいに画面が変わる仕組み。パソコンが普及していない、あるいは政治的に妨げられているのかもしれない現状を苦いユーモアのうちに提示しながら、他方でパソコンがないからと言ってどうなの? というようなしたたかな生活感覚をともながらに感じさせる。そればかりでなく、版木という最も基本的な複製・伝達メディアを用いているのが興味をひく。ネット時代といわれるなかに厳然としてあるメディアの地理的な偏在を示唆する点で、決してローカルではない広がりを秘めた作品と感じた。

2003.04.11. 限界

笹岡啓子展「限界」 (4月4-17日、pg) 。さきごろ欧州に足跡を残したらしい作者は、しかし、今回もまたタイトルといい、展示フォーマットといい、従来どおりを貫く。だんだん何がしか確信めいたものに支えられているのではないか、と探りを入れてみたい気にさせられつつある。撮影地は海岸、雪山に加えて、新たに遺跡の発掘現場が加わった。海岸と雪山については、以前に“サーフ&スノー”などとひやかしたことがあるけれど、それを例えば“海やまのあいだ”と言い換えてみれば、人々の生活領域を画する境界ということになる。してみれば遺跡の発掘というのも、時間軸の上で、生活が営まれた領域を定めようとする試みと見えなくもない・・・というのは試みに深読みしてみたに過ぎないけれど、そういう気にさせるのは、やはり持続ということの功徳には違いない。

2003.04.21. オチ

新宿・武蔵野館でA・ソクーロフの映画「エルミタージュ幻想」を見る。原題は「ロシアン・アーク」というらしい。箱船というのはさしあたり、時空の錯綜した劇の舞台であるエルミタージュ美術館のことか。しかし帝政ロシア期ふうの舞踏会に突如としてゲルギエフが登場し、喝采を浴びるシーン、そしてエンディングの場面を見ると、美術館のみならず、サンクトペテルブルク建都から現代に至るロシア300年の文化そのものを、さまよえる箱船内の出来事と見なしているようでもある。ちなみにサンクトペテルブルクはプーチンの故郷ということもあって、盛大に建都300年を祝う準備が進められていたはずだが、そのタイミングを狙って、本作品をぶつけたのだろうか。ところで、いましがたエンディングの内容を明かすことを避けたのは、それがいわゆるオチに近いという見方による。個人的にはそのノリをなんとなく面白く感じた。たまたま手元にあった前田英樹氏の「ソクーロフとの対話」 (河出書房新社) を読み直していたのだが、そのなかで、映画においては最後のシーンが重要なのだとソクーロフが言い、その例として挙げるのが、単なるオチなのである。どんな深遠な映画哲学が語られるのかと身を乗り出した読者としてはかなり当惑させられるくだりだが、あれはマジに言っていたのかも・・・と思った次第。

2003.04.24. クロ

ローマ、パリを巡回した現代日本写真展「Black Out」 (4月24日-5月14日、赤坂/国際交流基金フォーラム) 。企画者は横浜美術館の天野太郎氏。企画タイトル・趣旨をリーフレットから引用すると、<ここでいうブラック・アウトとは、作品を提示する作家も、あるいはそれを鑑賞する観者も、それまでの混沌とした記憶を一時的記憶喪失状態にし、自らの眼差しだけを頼りに、現にそこにある風景に対峙することを意図している>。ここでいう一時的な記憶喪失状態というのは正直に言えば、うまく想像しにくいところがある。虚心に撮る、みたいな感じなのだろうか。ともあれ出品作家の招き方には、この企画趣旨が反映しているとも受け取れる。むろん傾向は一様ではない。しかし少なくとも、多様な映像があふれ返る渦中にあって、引用等の手法で介入を試みるタイプ、ことさらに映像的なインパクトを強調するビッグ・ピクチュア系の写真家は含まれていない。こうした傾向の写真家は日本には多くない気もするので、それゆえの顔ぶれなのかもしれないけれど、そういう手法でウケを狙う写真ばかりを並べるよりは、よかったのかもしれない。出品作については、すでに国内で見たことのあるシリーズが多い。そうでない作品として目を引いたのは、川鍋はるな「犬目 ゲノム3」。デジタル出力されたまっくろな帯状の画面にときおり、見えるか見えないかの物影が浮かぶ。犬という動物は極端に目が悪いと聞いたことがあるけれど、その見ているイメージということか。だとすれば、ここで作品を駆動している一因はじつは言葉だということになる。そうした言葉と視覚イメージが混然となった着想に独特さを見るべきか。

2003.04.28. 複製

戸田ツトム、鈴木一誌責任編集による「d/sign」誌4号を眺める。特集「複製」は読みごたえあり。北田暁大氏らが企画・編集した「複製 (概念) を複製するための断章集」は、複製をめぐる諸家のテキストを大量に引用する。役立つという以上に、複製をめぐる議論が錯綜し、ほとんど迷宮化している様相を提示する。大澤真幸氏のベンヤミン論「二人の天使」も目を引いた。この特集とは別に、深川雅文氏によるノルベルト・ボルツ「世界コミュニケーション」 (東京大学出版会) の書評もある。一読者としては、視覚文化に関してもっとも刺激的な雑誌だと感じていたが、今号は手元に置いておきたい感がとくに強かった。なお、今号から発行元が太田出版となっている。

2003.04.30. R

金沢市立美術館建設準備室の研究紀要「アール」 (表記はRを反転した字) の第1号を読む。2002年3月刊。読まずに置いておいたのが、ほんとに面目ない内容。新時代の美術館像をめぐる海外からの寄稿が軸だが、むしろ興味を惹かれたのは、鷲田めるろ<トーマス・シュトルート「パラダイス」>、越前俊也<美術史の中の小谷元彦>の2本。前者は森林シリーズをめぐり、街路シリーズとの連続性、幅のあるルールの設定の仕方などに着目した論考。後者はベネチア・ビエンナーレ日本代表でもある小谷の作品について、知られるとおりの橋本平八のみならず、ベルニーニに作者が関心を寄せているのではないかと推測し、痛みと恍惚、死といったテーマに関する線を引いてみせる。いずれも現代の表現を精緻に読み解こうとする態度が明確で、すでに2号が出たのだとしたら、読んでみたい気にさせられる。以下は横滑りするけれど、小谷「エア・ガスト」にインスピレーションを与えた橋本作品「花園に遊ぶ天女」に関して、もともとは背後に樹木を配する彫像であり、一部からブールデルの模倣だとの指摘が出されたことから、橋本自ら樹木部分を壊してしまった――というエピソードを今回知り、なんとなく写真方面を思い返したりもした。


2003.05.01. 組成

リヒター展 (4月5日-5月18日、本郷/トーキョーワンダーサイト) 。ドイツの文化機関が巡回させている展覧会らしく、さまざまなタイプの作品をコンパクトに見せる内容。興味をそそられたのは「128 photographs from a picture」なる作品。自分で描いた絵画の表面をさまざまな角度から撮ったモノクロ写真をグリッド状に配列している。かろうじて筆触が見える程度の撮り方であって、128点あれど、もとの絵画が作り出されるわけではむろんない。しかし並べ方のせいで、遠目には何だか抽象絵画のようにも見える。絵画/写真みたいな難しい話はもとより苦手だが、眺めていると、単一のイメージとしてあろうとする絵画の力と、断片としてあろうとする写真の力が拮抗しつつ、ウロボロスの蛇みたいに相克しているような絵柄が脳裏に浮かんでくる。もうひとつ思い出したのは、県立美術館の準備をすすめている青森県の発行物「A-ism」7号に北島敬三が寄せていた文章の一節。「写真は手で破ることができる。無論、絵画も破くことはできる。だが、そうではない。破かれて物質に帰る絵画とは違い、写真の断片は、そこでまた新たな<イメージ>を生成してしまう。それはまさに、一枚の写真にほかならない」。話の向きは異なる気もするけれど、絵画と写真のイメージ組成の違いに関する一つの心覚えとして書きとめてみた次第。

2003.05.08. クロニクル1

川田喜久治展「世界劇場」 (3月29日-5月25日、東京都写真美術館) に関して、年譜を眺めていて思ったことを幾つか。写真家は「地図」刊行の翌1966年、欧州取材に出掛けている。このころのバロック・マニエリスム論との関係を調べてみると、ルートウィヒ二世論を含む「異端の肖像」の連載を澁澤龍彦が開始し、ホッケのマニエリスム美術論「迷宮としての世界」を種村季弘・矢川澄子が邦訳したのは、まったく同じ年のこと。つまり澁澤、種村の関心とほぼ同時的に写真家は欧州に向かったことになる。もうひとつ、本展第三部のタイトルでもある「世界劇場」だが、F・イエイツ「世界劇場」が邦訳されたのは78年のこと。そのころの写真家の関心からすれば、この幻視的文化史家の著作を手に取ってみたのではないだろうか。その天体写真を中心とするシリーズ「ラスト・コスモロジー」は80年に開始されている。してみればイエイツが論じた、人間的なミクロコスモスと天上的なマクロコスモスの照応する世界劇場というイメージは、一連の仕事を読み解く鍵となるはずであって、たとえば今回のカタログ番号I-10「地球儀をはさむ男」は、やはり「世界劇場」シリーズの要となるような意味合いを帯びてくる。ともあれ時代の気分を見抜くとともに、文献的な踏査をも怠らないタイプの写真家であることを印象づけられる。

2003.05.08. クロニクル2

その川田喜久治が週刊新潮在籍時に撮ったグラビア「ヒロシマの土門拳」を見に、図書館に行く。当該号は1958年8月分に見いだされるのだが、ついでに何となく同年3-5月の週刊新潮を眺めてみる。面白かったのは、この短期間のバックナンバーに、大阪砲兵廠跡地、軍艦島、あるいは長崎・浦上天主堂といった場所のグラビアないし記事が出てくること。先の二つについては、これをさかのぼる時期に奈良原一高が撮り、三つ目はこの後、東松照明が取り組んでいるのは知られるとおり。週刊新潮写真部が意欲的に題材を探していた当時の熱気とともに、VIVOの写真家たちがグラフジャーナリズムと共通するモチーフに取り組みながら、飛躍を遂げていく経緯を改めて思わせた。

2003.05.08. 道

王子直紀「風来節」 (5月7-20日、pg) 。これまでと同じく、すれちがいざまの路上人物スナップ。大きなプリントを掲げたため点数は少ないが、そこに共通する何物かが宿り、これまでにない説得力を感じさせた。うまく言えないのだけれど、「道を行く人はともかくどこかに行こうとしている」という、無意味な同語反復にしか過ぎない命題が強くせりだしてくる。その無意味さは、例えばスナップの即物感に由来していよう。だが、わずかばかりでも緩くなれば、道にある人というテーマである以上、たちまち人生論的な感慨に滑り落ちかねないものでもあって、じつは得がたいものだという気がする。なお雑談のおり、「みんなどこに行くんだかね」と口にしたところ、作者は「ねえ、どこにも行くとこないのに」と言っていた。この種のカットが量的な厚みを備えた形で差し出されたとしたら、かなりいい感じになりそうな気がする。

2003.05.09. スピ

はじめて名前を聞いた画家だが、面白そうなので出掛けてみたレオン・スピリアールト展 (4月9日-6月6日、東京・京橋1/ブリヂストン美術館) 。さきの世紀転換期に青春期を過ごし、20世紀のはじめごろ、かなり暗くて寂しい、独特の絵を描いたベルギーの画家。見はじめて、目を引いたのは写真的な感覚。たとえばモノク写真ふうの色調とその質感、広角レンズでのぞいたようなパースペクティブの強調がそう感じさせるのだが、カタログを立ち読みしてみると、すでに米国での回顧展の際、そのような指摘があり、今後の研究課題としたいとの由。実際の使用等もさることながら、この画家が抱える、いわゆる実存的な不安と写真とがどうかかわりあっているのかは、たしかに興味をそそる。

2003.05.10. 里帰り展

以下は写真とは関係なく、個人的な興味に基づく余談。閉幕まぢかの韓国国立中央博物館所蔵「日本近代美術展」 (4月3日-5月11日、上野/東京芸大大学美術館) をのぞく。終戦までに朝鮮王朝のコレクションに入り、韓国に継承された日本画・工芸品の、いわゆる里帰り展。まず目を引いたのは、川端玉 章「郭子儀」。カタログに指摘がないのは、展覧会としてかなりヤバイ気がするが、東京・三井文庫蔵の円山応挙「郭子儀図」と同一図様である。応挙画はもともと三井家のために描かれたことがほぼ確実で、郭子儀の面 相については当主の人相に似せているのではないかとさえ指摘されている。つまり三井家伝来の応挙画の模本である確率が高い。コレクションされるに至った経緯について、興味をそそられる。次のケースは特異な見方かもしれないが、八木岡春山「夏冬山水」対幅のうち冬景の柳は、近代的な筆法を交えるものの、東京国立博物館蔵の元・孫君沢「雪景山水図」の柳とよく似る。孫君沢画がいつごろ日本にもたらされたのか知らないが、この画家は孫君沢画を模写 したことがあるのではないかとさえ感じる。だとすると、ここには多少考えられてもいい事柄が含まれているかもしれない。というのも玉 章の「郭子儀」がやはりそうであるように、この展覧会には漢画モチーフの作例が相当数、含まれている。つまりは中国絵画に淵源を持ち、具体的に参照しさえしたのかもしれない日本人の絵画を、朝鮮王朝がコレクションした、という構図になる。このあたり、当時の東アジアにおける政治的・文化的地図を考える上で、跡付けられてもいい点かもしれないという気がする。

2003.05.12. オート

奈良原一高展「天」 (5月8-30日、芝浦/PGI、なお6月10日-22日、京都造形芸術大学に巡回) 。すでに同名の写真集がクレオから刊行されたシリーズ。画像処理を施し、日本の水門などのカットを放射状に組み合わせたり、パリ風景を反転させたり、上下にずらして重ねたり。メイキング系の写真に対する抵抗感がある向きからは批判的な意見がありそうだが、とくにモノクロのパリ風景については擁護というか、肯定したい気がする。メイキング系といいながら、このシリーズは、作者の想念を視角化してみせる意図に根ざし、それゆえに矮小な想像力の域を出ることがない写真のつまらなさとは、明らかに異なる感覚を示している。なにか画像がオートマティックにずれ、反転し、あるいは重層しつづける仮想的な平面がすでにあり、作者は現実からある瞬間を切り取るスナップショットさながらに、その仮想的な平面における画像の運動をときおり止めてみせた、といった風情なのである。画像処理を行ってはいるものの、その行為に対するなにかindifferentな突き放し方が一方で担保されていると言ってもいい。そうした印象は、このシリーズがもともと作者の身にふりかかった失調、現実の複視体験に発していることとかかわっていよう。その統一的な視覚のもろさに打ち興じ、おそらくは本シリーズで使用されているインクジェットプリンターのごとく、オートマティックに画像が生成されつづける今日の映像環境に対しても感応しつつ、どこか外部にあるのかもしれない視覚世界をかいま見せるようなシリーズ。おなじくメイキング系にくくられうる「空」のシリーズとも異なっているし、そうしたくくり方によって見過ごされるのだとしたら、惜しい気がする。

2003.05.15. にわ

山本糾展「Jardin」 (5月12-31日、京橋/日野ギャラリー) 。皇居を外側から、つまりお堀越しに撮ったシリーズ。画面下部に水があり、そこから樹木の点在する斜面が立ち上がり、上部は空となる。ポラロイドギャラリーや東京都現代美術館「傾く小屋」展でも目にしたことがあるけれど、今回気になったのは、個展のタイトル。なぜフランス語なのだろう。ロラン・バルトあたりを参照せよ、という指示なのだろうか。そうした線の引き方がプラスになるとも思えないし、うーん、正直に言えば、むしろ強く忌避すべきことのような気がする。へそまがりのため、そこからあえて遠く離れて、「ニワ」という語義の広がりを思い浮かべる仕儀になった。なにかの庭園史の本で読んだと思うのだが、古代における「ニワ」は海の意であったという。ニワにシマがあるというのが庭園の原型であるらしい。それはおそらく古代いらい、日本人の心性に伏流する空間認識でもあったのではないだろうか。皇居を撮った本シリーズは、それをなぞり、もどくようなところがあり、その反復の不気味さが画面の静謐さのうちに身を潜めている・・・なんていう戯れ言も、「Jardin」では封じられるほかはない。

2003.05.15. ヴァニタス

西洋絵画におけるヴァニタス画を、ビデオ作品の形で再提示してきた小瀬村真実の新作展「薇 The Sweet Scent」 (5月12-18日、銀座1/フタバ画廊) 。これまでと同様、卓上の果物を長い時間、撮りつづける。黴が果物の表皮を覆っていく。ヴァニタス画の翻案としての面白さがあり、しかし、そう言ってしまえばそれまでかもしれないとも思わせるわけだが、このたびは終幕近くに新しい趣向があった。画像に重なるようにして、白っぽいスクラッチ痕が現れ、次第に広がっていく。画面はついに覆われ、さらにはだれかの人影が横切る。つまり果物が朽ちていく映像そのものが、現実でなく、虚構であったという仕掛け。トロンプ・ルイユ的な印象を与えるわけだが、実際の話、虚栄を主題とするヴァニタス画と、絵画の虚構性に自己言及するトロンプ・ルイユとがつながっている消息を思えば、極めてまっとうな作品展開だと言える。トロンプ・ルイユについては、谷川渥のハンディな好著「図説 だまし絵」 (河出書房新社) があり、前にも触れたストイキツァ著「絵画の自意識」 (ありな書房) が以上のすべてに説き及んでおり、そうした読書体験のほうが個人的にはスリリングだったりもするけれど。

2003.05.26. R2

まことに申し訳なくも、第1号を読んだばかりの金沢21世紀美術館建設事務局の研究紀要「R」 (正しくは反転した文字) の第2号が出た。巻頭はボリス・グロイス「新しさについて」。このコーナーをはじめたころ、その著書「全体芸術様式スターリン」について触れたことがあるけれど (01年、0308の項) 、それがあまりに面白かったせいか、今回の論考は期待したほど刺激的ではなかったかも。とはいえ、その語り口を貫くアイロニカルな思考はここでもまた顕著である。<美術において新しさが不可能であるという言説が、この数十年間に広く流布し、影響力を持つようになってきた>。それゆえ美術史を形成し、それゆえ新しさに根拠を与える美術館を飛び出して、美術を現実ないし生の側に位置づけようという欲求が生まれる。ところが<アーティストが現実の中へ、生の中へ向かうことを強制し、美術を生き生きとしているように見せることが、美術館コレクション自体が持つ内的な論理である>。現実とミュージアムは相互補完的な関係にあって、<「現実」はミュージアムの収集品との比較によってのみ定義される>。こうした視点は、いわゆるart into life的な傾向に対するとうぜんの批判として踏まえられてよいのだろう。グロイスはさらに、美術史を形成し、新しさを定義づけると思われている美術館のシステムそのものが、じつは固定的なものではないことをさまざまな角度から説く。それゆえに美術館は<常に、革新が可能な唯一な場所>でありつづける、と結ぶ。この後段の論旨を正しく理解し得たかどうか、じつは心もとないのだが、しかし、こう書いてきて、そこまでの美術館が日本にあったためしがあるのだろうかということもちょっと思う。

2003.05.28. スナップ

新宿・DUGの中平穂積の撮影による「JAZZ GIANTS 1961-2002」展 (5月20-30日、新宿/コニカプラザ) でなごんだあと、山内道雄写真展「CALCUTTA -prologue-」展 (5月23日-6月1日、新宿/ガレリアQ) 。いきなりヘビーな世界に引きずり込まれる。はがきにはエレファントマン的な人物の横顔がアップで写っていたりして、総じてインドの生々しい部分に躊躇することなく目を向けたスナップショットだと言えるわけだが、しかし、いわゆるリアルな被写体を探してみたといったアームチェアふうの気楽さとは遠く、その深淵にいやおうなく魅入られ、のみこまれていく感がある。まさに邪眼としか言いようがない目をした少年の笑顔がこわい。撮るというより、いっさいの判断以前に撮らされてしまったかのようであって、そこにはスナップショットほんらいのどす黒い力が発現している。スナップ好きは必見か。


2003.06.05. 流体と結晶

平井正義「写真展」 (6月2-14日、銀座2-8-17/ギャラリー覚) に立ち寄る。何が写っているのかよく分からない。テクニカルなことも見当が付かない。けれども気になる写真。あえて記述を試みれば、例えば氷結しかけた水面が複雑に織りなすようなテクスチャーを持った何らかの結晶体に光が差し込み、そのプリズムの効果によって、極めて鮮やかな虹色の光が帯状にうねりながら画面を覆う・・・といった感じだろうか。モニュメンタルな印画紙の大きさもあって、目を引き付けてやまないその色面の編成を、抽象絵画に対するのと同じ評価軸で持ち上げることは、もとより不可能ではあるまい。それはしかし、あえて「写真展」と強調している作者の意図を外し、じつはバルトルシャイティスらによる「絵のある石」論を抽象絵画に置き換えて語ることに近づくことになりかねない。とくに今回の展示には、近似した絵柄を示す写真を組み合わせた作品が2セットある。しかもフィルムの縁を見せており、そこにフィルムの番号も見いだされる。近似した絵柄の間にある差異を、時間軸の上での変容と見なせば、組み写真の形で時間性を導入しようとした新作として、受け取ることができるのだろう・・・さて、以上の話のうち、時間性というくだりは、じつは会場でお目にかかった作者との会話を踏まえて書いているのだが、そのあと、思い巡らせてみたのは、モチーフの意味合いについて。こうした写真に対して、いわゆる主題を考えてみるというのはイケナイことに属するのかもしれないけれど、結晶体というところに興味をそそられる。ここでの被写体に類する透明な結晶体のひとつとして、たとえば水晶を挙げることができそうだが、その名が示すとおり、水のような流動する物質が凝固の相にあるといった印象を与える。そうした流動と凝固という二つの相に、本シリーズはかかわっているようなところがある。凝固の相にある結晶体に光の偏差を持ち込むことによって、流動の印象を呼び込む。それを写真に撮ることによって、まったき凝固の相にとどめる。ところが今回の展示では、組み写真とすることで、時間性を導入しようとしている。結晶体というモチーフはじつは、その流動/凝固の相において、見ること/撮ることのありようを先取りしながら、作者の欲望を駆動させているのではないか・・・いかにもトリッキーな考え方であるのは承知しつつも、そんな夢想に誘われたというわけ。ともあれ本シリーズについては、またいつか考えを巡らせてみたい気にさせられた。

2003.06.06. 雑誌より1

西洋美術史の研究誌「西洋美術研究」 (三元社) 9号が特集「パレルゴン:美術における付随的なもの」を組んでいる。パレルゴンは知られるとおりデリダがクローズアップした用語だが、この特集をひろい読みしてみると、たび重なる言及で恐縮ながらストイキツァ「絵画の自意識」 (邦訳・ありな書房) の波紋が広がるなかで、彼が参照したデリダにまで遡って、この問題系をより広範な形で探求しようという機運が美術史方面で高まっている感がある。パレルゴンの語をめぐるプリニウスからデリダに至るコメントの小アンソロジーもある。数本の書評もこの問題系に関連させる形でピックアップされており、ストイキキツァ「陰影小史」やディディ=ユベルマン「アナクロニズム」 (これはすごく面白そう、どこかで邦訳してくれないものか) などが取り上げられている。

2003.06.06. 雑誌より2

さて、上記「西洋美術研究」9号のなかで、素人なりにとても楽しく読んだのは、三浦篤の論考「絵画の脱構築 マネの<草上の昼食>とパレルゴン」。タイトルに掲げられた名作について、アカデミックな手続きを外すことなく、刺激的な見解にたどり着く。まずイントロダクションとしては、当時の批評家たちが投げつけた手厳しい発言の底に、いま絵の前に立つときに感じるのと同種の困惑がわだかまっていることを確かめる。その困惑はなぜ生じるのか。マネ作品のイメージ源をめぐる従来の探索結果をたどり直すと、もともとの絵では周縁的な位置にある図像、つまりパレルゴン的な断片にしばしば執着していることが浮かび上がる。「草上の昼食」はそうした傾向の強い絵であって、前景の三人の男女については、ラファエロの失われたデッサンに基づくライモンディの版画「パリスの審判」の右下隅に添えられている三人の姿態を取り出し、まさに作品の中心に据えている。もとの版画にあった意味論的な階層は覆され、さらに原画にあった持物も変更されている。背景に見られる小鳥や蛙は、17世紀オランダのパウルス・ポッテル「若い雄牛」からの引用で、こちらはパレルゴン的な断片をパレルゴンとしてはめこんだケース。さらに三浦の指摘によれば、「草上の昼食」を「落選者のサロン」に出品した際、マネはスペイン風の人物像を描いた二点の作品を両脇に配し、三幅対の形で見せたというのだが、これらの作品もまたおそらくライモンディの版画に見られるポーズを知人にとらせ、スペイン風の服装で描いている。かくてイメージ源はイタリア、オランダ、スペインに及び、しかも一筋縄ではいかない操作によって、本来の文脈は失われている。こうした性格が物語るのは<過去の規範的なモデルを無批判に習得するのではなく、あるいは逆に卑俗な現実をありのままに提示しようと意図するのでもなく、既存のイメージを引用し合成して、「現実」の模造 (シュミラークル) を新しく創出する>、要するに絵画の脱構築をはかった画家の姿である。なかなか刺激的なマネ像ではないだろうか。なお、マネが依拠したイメージのアーカイブは以上のとおり、<複雑で混沌とした様相を呈していた>わけで、その背景には<美術館と絵画のみならず、版画や写真を含め、絵画全集から万博展示までを包括する、アナーキーなイメージ環境が成立しつつあったと見ることができる>。1860年代という、写真とも関連するイメージ環境を、マネは身をもって生きたということになるのだろう。

2003.06.11. きおく・・・

すでに展覧会評も出ている米田知子展 (6月3日-7月20日、銀座/資生堂ギャラリー) へ。中心をなすのは、かつて戦争があった場所を撮影した風景写真のシリーズ。地雷によって穿たれた穴がいまは睡蓮の美しい池になっていたりする。多くはヨーロッパで、わずかに沖縄の写真も含まれる。戦争の記憶が・・・とか、痕跡とその不在が・・・とか、見えるものと見えないものが・・・とかいったようなクリシェが足りないアタマに浮かんできそうになる。むろん見る側に難があるというまでのことには違いないのだが、それを拒ませるほどの仕掛け、当惑させるような剰余ないし欠如はさしあたり見つからない。すでに何度か目にした眼鏡のシリーズ、あるいは熱によって黒ずんだ壁を撮ったシリーズも、そうしたベクトルを強めているかのよう。いや、じつはそもそも拒む必要がないのかもしれず、その意味では100点満点とさえ言えそうな収まりのよさに、当惑させられる。むろん「解釈を拒否して動じないものこそ美しい」などと骨董的な物言いを振りかざすつもりはないし、言葉をコロス、などというのも、これまた一つのクリシェには違いないけれど・・・。なかでは、ストレートな壁のシリーズがむしろ好きだった。

2003.06.12. 都市

六本木ヒルズに立ち寄り、スタジオ・アッズーロ展「地中海を巡る想い」 (5月18日-6月15日、森アーツセンター53階) とヒルズのオープニング展覧会「世界都市展」 (4月25日-9月21日、同52・53階) へ。アッズーロ展はけっこう大規模で、係りの人たちに言われるがまま、あれこれのインタラクティブな仕掛けに打ち興じてみたりしたわけだが、つまりは六本木の地上53階で、地中海の美しい映像を眺めているという、いわゆるひとつの地に足の付かなさ加減に身を任せるしかないかも、みたいな展示。その一方、とてつもなく巨大かつ細密な都市ジオラマをこれでもかと並べ立てる「世界都市展」は、この巨大再開発にふさわしいムキダシ感があって、くらくらさせられる。ジオラマの出来の良さもあって、ほとんど抗し難く都市に対するゲーム的な視線を共有するように強いられる。その意味でも、押井守が携わっているという映像作品「東京スキャナー」に感心させられた。おそらくヘリコプターによる東京上空の空撮映像。ただし極めて高精彩なカメラを使用し、さらにデジタル処理をかけたのか、フラットでブレのない映像に加工している。ただの空撮映像であるはずなのに、メカニックなパンやズームアップに引きずり回されているうちに、次第に動悸は高まり、いつしか頭の奥にキリを差し込まれているような感覚にとらわれる。まぎれもなく特異な魅力を備えた映像であり、この作品も含めて、六本木ヒルズが体現する都市の現在について考えさせる展示ではある。

2003.06.13. 石内

石内都展「Mother’s」 (6月6日-7月5日、横浜/ヨコハマポートサイドギャラリー) 。すでに写真集として刊行されたシリーズの個展。東京方面では初めてだと思う。総じて点数を絞り込んだうえで、青、赤のリップスティックのカットで会場を引き締める。効果的な展示構成。ところで母の遺品を撮った本シリーズに、その遺影がふくまれていることが如実にさししめすとおり、ここでの母の遺品とは、すでに写真的な性格を有している。たとえば肌着。それが包み込んでいた形をなぞり、うつすかのように変形している。すでにして写真的というゆえんだが、写真的な被写体というあいまいな言い方を端的にパラフレーズすれば、対象と物理的なむすびつきをもつインデックス的な被写体と言えるかもしれない。ふと思うのだが、肌のシリーズなど他の作品を想起してみても、そのような被写体を写真家はしばしば選んできたのではなかったか。このあたりに注意を払いながら、その作品の理路を考えてみるのも、あながち意味がないわけではないような気がする。

2003.06.20. 無常

谷口昌良写真コレクション展「無常光下の人像」 (6月12日-21日、東京・青山/ギャラリーアメリア) 。僧侶にして写真コレクターという人の、ヒューマン・イメージを中心とする写真コレクション展。そのテキストには「写真は実体ではなく、虚界の霊像である。それは、未来のノスタルジーであり、三世に渡る人間のはかなき発露であり・・・」とお坊さんらしい文言が見受けられる。それはともかく、写真そのものはアダム・フスのダゲレオタイプによるセルフポートレートにはじまり、見ごたえのある写真ばかり。初めてプリントを見る作品も恥ずかしながら多かった。たとえばスーザン・ダージェスの「The Observer and the Observed」など。ちなみにピーター・ガブリエルの新譜ジャケ写はこのシリーズの撮り下ろし。もうひとつ、しばらく前になるけれど、NHKの番組がらみでうけていたという流行歌のプロモを見ながら、ダージェスみたいだな・・・と思ったことがあった。どうでもいい話だが。


2003.07.04. P/P覚書

二期にわたる北島敬三展。「Portraits」 (6月6-25日、pg) につづき、「Places」 (6月26日-7月14日、同) を見る。両シリーズを関係させた展示は、たぶん初めてだと思う。むろん近作をつづけて見せただけのことと受け止めることもできなくはないわけだが、ここでは関係があるものと考えてみたい気がする。その関係とは、いわば相補的な関係である。「Portraits」は知られるとおり、無背景の人物像。対する「Places」とは、無人の風景である。逐語的に転倒させるならば、無人物の背景ということになる。むろん無人物の背景という言い回しは、いかにも奇異に響くわけで、すぐさま無人の風景と言い直したくなる。なぜかと言えば、風景という主題はあっても、背景という主題は原理的にあり得ないからである。背景とは、いわば図に対する地であって、主題ならざるものの謂いである。だが、ある対象を主題化することなく表象することを、ほんらい写真とは可能にするメディアではなかったか。いま絵画表象の非主題的なパーツに過ぎなかった自然景観が主題化されることによって、風景というジャンルが成立した経緯をあらためて振り返るつもりもないけれど、背景を風景として見るまなざしに抗して、背景を背景のまま表象し得る写真というメディアの特異にして畏怖すべき力が、北島の「Places」には宿っているように思う。そこからひるがえって「Portraits」についても、そのうち別様に考えてみたい気がする。

2003.07.31. いいわけ

さて、しばらく更新しなかったけれど、この2か月ほど事情があり、ほとんど展覧会を見ることができなかった。必要最小限どころか、見るべきものも見逃した。「When music is over, it’s gone in the air. You can never capture it again」と言った人がいるけれど、展示空間というのもまったく同じ。無為に時を過ごしていたわけではないけれど、苦い思いはやはりある。幸いにしてというべきか、ようやく忙しさも一段落しつつあるので、外に出てみる・・・。

2003.07.31. 要リハビリ

たとえば小野博展「Another Bus」 (7月22―31日、銀座/ガーディアン・ガーデン) 。横浜美術館「反記憶」展などで見た、地平線のシリーズとはまったく違う新作。作者のテキストによれば、一番リラックスしている瞬間の<真っ白く、とても美しく、充実感と呼ぶべき空白>の気分に注目し、<世界中で撮影したその空白の状態の人々の気持ちの繋がりを提示しています>。山間部の小学校の運動会とか、外国の海岸とか、そうしたなごみ系の場所で、人がほっかりしているような写真が多く並ぶ。それを見ながら<世界の色んな人々の空白とあなたの空白と繋がっていると感じてもらえればこの作品はあなたの中で完成します>とのこと。だが展覧会からしばらく遠ざかっていたせいか、今回は不幸にして、写真と自分の中の空白、そのつながりというのは正直よく分からなかった。それ以前に、テキストのなかにも見受けられる<気持ち>と<写真>との関係がうまくのみこめず、あろうことか、このところ頭を占めていた古美術方面の話に、考えが引き戻されてしまった。どうやらリハビリが必要なようだが、それもまた偽らざることなので、書きとめてみる・・・。

2003.07.31. 意と形

18世紀の公家に近衛家熙という人がいる。書や茶道にも通じた当時を代表する知識人であって、おりおりに披瀝する言葉をそのまま聞き流すのはもったいないと考えた医師、山科道安がその語録を「槐記」という一書に残した。いま岩波の古典文学大系に抄本を収める。それを拾い読みしたさい、おもしろいなと思ったくだりがある。当時の習字法についての対話である。版本や拓本が多く出回るようになった時代であり、道安はあるとき、それらを通じて、書を学ぶのは形だけをまねることになりはしないでしょうか、と尋ねている。そのとおりだと家熙は肯定して、筆意を合点することなく、版本や拓本で書を学ぶと、形をまねるだけのことになると応じている。筆意とは筆づかい、運筆の骨法のことだが、ここでは意と形という対概念となっており、精神性という側面が強調されている。つまり二人の問答は、版本や拓本という複製技術時代が到来していたこと、それらが精神性を欠いたものとして受け止められ、その普及によって、ほんらい一つに結ばれているはずの意と形、精神と視覚表象とが分裂し得るものと見なされるようになった消息を物語っている。この認識はさらに複製品のみならず、オーセンティックな書にも遡及的に差し向けられている。家熙は真筆であれ、筆意を度外視して臨書すると、やはり形骸化すると言い添えている。かくて意は形とは別個のものとなり、あるときは結びつき、あるときはあてどなく浮遊する。今日でも変わらない精神と視覚表象の恣意的な関係の、日本におけるはじまりを見るような気がして、なんだか気になる・・・という話だが、われながら早く現代日本に復帰せねば、と思うや切。マジで。


2003.08.03. うちゅう的

「宇宙芸術展-ヒロ・ヤマガタとNASAの世界」 (4月5日-9月28日、横浜/第1会場=大さん橋国際客船ターミナル、第2会場=M m2 1地区) に行ってみる。ポスターで知られるヒロ・ヤマガタだが、海外のアートフェアではいわゆる現代美術っぽい作品を見せたりもしており、しばらく前に「じつはそういう意欲のある人なんだよ」と耳にしたことがあった。最近はレーザーものの巨大作品によって売り出しちゅうで、それが今回、横浜にお目見えしたというわけ。まずは巨大なパネルで作られたキューブがふたつ野外に並んでいる第2会場へ。光をプリズムふうに分散させるパネルであり、太陽光がビカビカした虹色の閃光となって映る。第1会場のほうは、それを反転させたようなインスタレーション。やはり光を分散させるパネルで囲った部屋を作り、小さなキューブを幾つもぶら下げ、光をビカビカ点滅させる。しかも偏光めがねをかけさせて見せる。当然ながら光がビカビカして見えます。いやービカビカしているなー、という以上の感想はとくになく、身もふたもない、その底抜けの無の感じが宇宙的かな、と思ったりした。

2003.08.04. 本山

やつぎばやに展示をひらいている本山周平「列島キッド」展 (7月31日-8月13日、pg) 。前回展と同じく、小さなプリントサイズ。おのずと注視を誘うサイズであって、それゆえに前回は作品間のばらつき、プリントの精度が気になりもしたのだが、今回はあまり不満を感じさせなかった。うまさにはやはり舌を巻く。しかも愚直に、ただ丁寧にプリントしているというわけではない。一人の子供、二人の子供・・・とはじまり、公園を去っていくような親子の小さな後ろ姿で終わるという、いかにもなシークエンスの作り方は、子供という題材を選ぶような意外にも純なところと、そう言われかねないことも承知のうえでこのシークエンスを設定してしまう図太さとをともながらに感じさせた。最後の1点も牛腸茂雄のよく知られたカットをどことなく思い出させるであろうことを、当人は知りつつ、あえて出しているのではないだろうか。それが悪いというつもりはまったくなく、さしあたり頼もしいなと感じた。

2003.08.07. 闇

ひどい暑さのなか、川崎駅前の「リバーク川崎」内、アートガーデンかわさき「闇をめぐる三つの出来事」 (7月30日-8月17日) へ。河口龍夫、山中信夫、横尾忠則という3人の、闇ということにかかわりのある作品を見せている。必ずしも世代的に離れているわけではないものの、交差する歩みを思い出すのが難しい3人の取り合わせは、山本秀夫という方の企画であるよし。河口のパートは闇を封印したという「DARK BOX」シリーズを展示するとともに、闇のなかで描いたという「闇のフロッタージュ」を闇のなかで、小さなライトをたよりに見せるコーナーを作る。山中は「9階上のピンホール」をはじめとするピンホール作品。横尾はこのところ集中的に描いている「Y字路」シリーズなど。それぞれに闇をめぐる問題を受け取ることはできるわけだが、必ずしも一点に収束するわけではなさそう。3人についてのテキストをカタログに記すのが大澤真幸、山本和弘、松岡正剛という、これまた多彩な顔ぶれであることが示すとおりで、見る側としては、それぞれに何か考えてみればいいということか。もとより一定の質を備えた作品群であり、展示としてのボリュームもあり、けっこう楽しんだ。なお、この種の展示をふだん続けているスペースではないせいか、見ている間、ほかに入ってくる人はひとりとしていなかった。当番の人たちはいるものの、自分が去ってしまったあと、ギャラリーそのものが視線の差し込むことのない「DARK BOX」状態になっちゃうわけ? と思うと、さびしさを通り越して、すこしこわかったりした。休廊になるギャラリーも多い時期でもあり、足を運んでみてもいい展示。

2003.08.07. 掌

高橋明洋展「On a Palm」 (8月5-11日、新宿ニコンサロン) 。デジタル/ウェブ系の写真家。展示を見るのは初めてだと思う。5つの系列の画像を出力した帯状のプリントを5段に貼る。それが展示の基本フォーマット。ちなみに壁面ごとに、帯状のプリントの上方に、それぞれの系列に属する5点の大きなプリントを掲げている。さて、その5系列の画像とは、上から新聞折り込みの広告チラシの複写、路上の人物スナップ、散歩ちゅうの犬、庭先のガーデニングや植木のポット、そして路上に落ちている白いレジ袋。すべてを消費財として包摂しながら、時を経ずして廃棄されるチラシがもっとも上位にあり、人間、動物、植物という3つのカテゴリーを、やはり消費財を包み込んでは捨てられるレジ袋で挟み込んでいる。独自にして明確な世界観をうかがわせる。遠目には画像のサムネイル表示ふうにも見える展示を、それゆえ一種の曼陀羅と思いなすことも許されよう。展示タイトルについても、孫悟空が釈迦の掌を出ることができなかったというエピソードを踏まえているというのだが、作品を下支えしているのは、しかしながら仏教的な観念というよりも、すべてを交換可能な位相に置く商品と写真イメージの並行関係であり、それらによって世界が覆い尽くされていく閉塞感にほかなるまい。出口や救いを見いだすのは、じつのところ難しい。どこまでも明るいデジタルプリントが、まったく同じだけの息苦しさに転じる。さきに独自の世界観と言ったけれど、そこには本質的な思考がふくまれているように見える。

2003.08.07. ほん

この間の忙しさで、最近出た本もかなりの冊数、ほったらかしになっている。まず読みはじめたのは長谷正人、中村秀之編訳「アンチ・スペクタクル」 (2003年6月、東京大学出版会刊、5000円) 。千葉大学大学院のゼミで輪読した論文から、19世紀後半から20世紀初めあたりの映像文化を対象とするJ・クレーリーらの8編を選び、訳したのだという。編者らの関心はむしろ映画にあったようだが、そのころの映像文化論である以上、写真に関する内容も多い。いま5番目にあたる、かねて興味のあった心霊写真についてのトム・ガニング「幽霊のイメージと近代的顕現現象-心霊写真、マジック劇場、トリック映画、そして写真における無気味なもの」のところまで来たところ。そうか、「medium」って降霊術でいう霊媒の意味もあるんだ・・・などと思ったりするような低レベルな読者にとっては、かなり背伸びをさせられるハードな本には違いないけれど、それぞれに解題が付されており、なんとか放り出さずに読み進められそう。

2003.08.21. 山1

夏と言えば山。なのかどうかは知らないけれど、なにか競い合うかのように山岳写真家の展覧会が開かれている。ひとつは「白籏史朗-日本と世界の名峰を讃う」展 (8月2日-9月15日、山梨県立美術館) 、もうひとつは「白川義員写真展-アルプスから世界百名山へ」 (7月29日-9月3日、東京都写真美術館) 。このうち後者に立ち寄る。メーンは「世界百名山」シリーズ。あらためて言うまでもないことかもしれないが、この写真家の作品は、必ずしも登山という行為を伴っていない。つまり空撮とおぼしきカットがかなり含まれている。そのことに対する非難を耳にしたこともあるのだが、他方では空撮も危険や労苦を伴うものらしく、さしあたり当否は分からない。そこを抜きにして言えば、登山と山岳写真を不可分とする考え方から離陸し、より直裁に映像美を優先するスタンスを選択した人ということになるのだろう。そのことはあれこれの色に染め上げられた山が明滅するかのようなシリーズの質にもかかわっているように見える。

2003.08.21. 山2

というようなことをボンヤリ考えながら、すこし前に見た別の展示をふと思い出す。山田幸則展 (8月1-9日、京橋/INAXギャラリー) 。ロンドンのゴールドスミス・カレッジで学んだという人の作品は、展示室に小麦粉で山を作るというもの。想像を交えて設置プロセスをたどると、まず床にビニールか何かを敷く。さらに床から少し浮かせた形で、大きくて雲形みたいに不定形な鉄板を設置する。その上に大量の小麦粉をふるい落としていく。小麦粉はどんどん降り積もり、ときには崩落しながら、やがて切り立った稜線を持った山脈をなす。最後に床に敷いたビニールごと、こぼれた小麦粉を取り去ってしまえば、宙に浮いた形で立派な雪山がギャラリーに出現する・・・という次第。この雪山がじつにリアルに見えるのがおもしろみ。もともと雪山の景観とはかなりの程度、雪の崩落現象によって形作られているのかもしれず、だとすれば小麦粉の山が本物の雪山に似ていても不思議ではないことになる。で、ちょっと思ったのは、赤や紫その他の劇的なライティングを施し、スケール感を演出する巧妙なフレーミングで写真を撮ったら、ひょっとして、そうとうリアルな雪山写真ができ上げるのかもしれないな、ということ。雪山写真に対しては「壮大なスケール」という賛辞がしばしば贈られるわけだが、イメージとはほんらい大きさを固定しえないものであって、そこには微妙なアヤが存するというべきかもしれない。

2003.08.21. そういえば

さらに脱線すると、さいきん惜しいなと感じたものに、「芸術新潮」7月号の特集「盆栽 みどりの小宇宙」がある。暮らしのなかの美という路線をもつこの雑誌にしても、盆栽特集とはなかなか目新しく、興味をもって眺めはじめたのだが、すぐに難しいテーマなんだなと思い直した。撮影者の苦心はそれとして、どうも写真では盆栽のおもしろさが伝わってこない。もはや説明するまでもないはずだが、盆栽とは自然のミニアチュールなのであって、その妙味であるトリッキーなスケール感の操作は、もっとも写真によって伝えにくいことに属する。これはちょっとした一例だけれど、山の雄大さも、盆栽のミニアチュール感も、撮影に伴う肉体的なハードさを別にすれば、等しく写しにくいということか。

2003.08.21. 絶対美術館

現代美術界のスターだったと言われる高松次郎の没後5年、その文集「世界拡大計画」「不在への問い」 (2003年7月、水声社刊、世界-4000円、不在-4500円) が出た。遠くに残る声の響きを聞くような気持ちで読む。たとえば平面といった絵画の理念、あるいは不在といった抽象的な観念をめぐって、不思議なほどストレートに、その都度その都度の考えを繰り広げる文章は「生まれたばかりの人の、初々しい好奇心と生真面目さで」という中西夏之の献辞のとおりで、どこか甘やかで、懐かしいような感覚を呼び起こす。2冊のうち前者に『「絶対美術館」趣意書』という、ほかにも随所に見られるひらめきを記した一文がある。1973年、建築雑誌に発表されたものらしい。「この宇宙は、そのいかなる部分をも含めて、絶対的な一つの美術館である」という命題を掲げ、七つの註を付している。もとより反芸術なり芸術概念の拡張なりといった動向に連なるテクストのようだが、こうしたアイデアが挑発性を持つと思うことができた、つまりは「反」と言いうるような芸術の公的領域があると信じることができた時代を懐かしむような気分にもさせられる。Aを美術館ないし展覧会と呼ぶならば、とてもそうとは言えないように思えるBもまた、やはり美術館とか展覧会となだらかに言いなされる今日このごろであってみれば。

2003.08.22. 根南志具佐

pgの活動もあれよあれよという間に広がって、このたびは韓国からの2作家の連続展である。Young Heouk Jung「WOMAN」 (8月22-31日) 、Lim Young Kyun「FACE」 (9月2-11日) のうち前者について。撮影されているのは室内の女性たち。見る/見られるという関係をめぐる仕掛けや美術史的な言及があれこれ巡らされている。そのひとつに、寝ころんでモディリアーニの画集を眺める女性という写真がある。もとより生前、そのヌードの扇情性を指弾された画家であり、その引用によって、盗み見を思わせる視線や女性像の扇情性を宙づりにしたまま、写真に導入しようとしているように見える。ただし、それとは別の感慨も抱かせないではない。この写真家は同時にエドワード・ホッパーへの親愛の念を隠していない。モディリアーニといい、ホッパーといい、活躍期間も場所も異なれど、同じ1880年代に生まれ、いわば近代における根無し草の憂愁をキャンバスに塗り込めた人たちと言ってよい。この韓国人写真家がなぜ彼らの仕事を引用・参照しているのか、いま日本で眺めていて、ほとんど見当が付かないような気がする。そこは作家の国籍を知らされ、作品にもそれらしさをつい求めてしまうがためのことでもある。しかし逆に、それらしさがうかがえないとすれば、その根拠のなさはやはり根無し草的な印象を呼び寄せざるを得ず、その一点において奇妙な共振を起こしはじめる感がある。断るまでもなく、韓国人作家だからというのではなく、まったく他人事ではない話として、そう感じたと記してみるわけなのだが。


2003.09.05. 周到さ

曳野若菜展「古墳のつくりかた」 (9月1-11日、銀座/ガーディアン・ガーデン) 。前回の第20回ひとつぼ展でのグランプリ受賞者による個展。ひとつぼ展のときは分からなかったのだが、じつはなかなか周到に考えをめぐらせた作品。会場には日付も場所もさまざまであるらしい身辺の写真によって、どことなく意味ありげなシークエンスが設定されている。会場の矢印を見間違えていなければ、それが行き着くのは、郷里における古墳の復元、つまり古代という過去をあらたにこしらえるという営為。作者みずから示唆しているとおり、関心の一端は、イメージ内部においては日付や場所を特定しえない写真の特性にあるらしく、そのような写真が過去や記憶の代替物となっていく過程を、ずれや揺らぎをはらんだシークエンスとして擬似的に提示しているようにも受け取れる。なにげない身近なエピソードを通じて、かなり手の込んだ写真批判を試みているあたりが見どころか。ただし、率直に言えば、軸になる写真の日付・場所という話そのものには、それほど驚きがあるわけではない。それをめぐって周到な仕掛けがめぐらされることによって、原理的な問題に向き合わされるときの衝撃からは遠ざかり、むしろ写真に対する作者の感情の揺らぎや微妙な心情といったものが漂い出す印象がある。そこが作者の意図するところであるのならば、それで構わないとも言えるわけだが、さて。

2003.09.08. 引用1

東京都写真美術館「幸福論」展 (9月9日-10月5日) 。昨年始まった日本の新進作家展の2回目となる。この日は内覧会。展示室には「幸福論」とピンクで書かれたダンボール箱が積み上げられている。この箱を使った会場構成が象徴するごとく、蜷川実花、小松敏宏、三田村光土里の3作家はそれぞれ部屋、家、家族写真といった私的な領域に目を向けている。前回は「風景論」というタイトルだった。風景とはよく窓の比喩で語られるとおりで、それとは対照的なベクトルをもった展示と言って差し支えまい。展覧会のカタログもやはり箱による凝った仕様で、なかに展示室のマケットを自分で組み立てられる工作キットと、学芸員のテキストや作家の展示プランを収めたファイルふうの冊子が入っている。で、なんとなく目を引いたのは、・・・蜷川がみずからの展示プランに付したメモ的なひとこと。<写真作品 (プリント) もピンバッチもインテリアも、カラーコピーも作品集もなにもかもがすべて等価なのです>とある。その展示室は花の写真で埋め尽くされ、しかもインテリア等にも花の写真があしらわれている。撮影時に対象との幸福な一体感を味わう、そのすべてが融合する空間においてはなんら差異も階梯も存在しないし、それゆえすべて自分の写真で等しく埋め尽くした、ということかな、と思うのだが、そこで「等価」という独特の文脈をまとった語が持ち出されている。いま巡回中の森山大道展 (川崎市市民ミュージアムでの会期は9月13日-11月3日) のカタログにも、深川雅文氏の論考<森山大道-「等価」の詩学>が収められているわけだが、それを思ってみれば、おうい等価よ、どこまでゆくんだ、ずっと磐城平の方までゆくんか・・・みたいな。

2003.09.09. 引用2

写真の世界とは関係ないけれど、もうひとつ目にとまった文章を引用。洋画壇を代表する画廊、日動画廊の副社長にして、日本洋画商協同組合理事長である長谷川智恵子氏の本「C夫人肖像画」 (講談社) が出版された。29人の画家が描いた自身の肖像画と、その制作の経緯や思い出話が披露されている。ほほう・・・と思わせる話がところどころにある。ウォーホルに描いてもらったら、いきなり請求書付きで3点の絵が送られてきた、高すぎると思って、2点は買わずに送り返したのだが、のちに向こうの画商から10倍くらいの値を言われてまた買い損ね、いまでは後悔している・・・という話だとか。さらに、なにげない調子で書かれているものの、ちょっと動揺させられたのは、田村孝之介氏という二紀会の画家についての思い出話。所属団体からの要請により、この方はしぶしぶ芸術院会員に立候補なさったのだという。<有権者である四十八名の芸術院会員のお宅に挨拶回りに伺うことになった。有権者である芸術家のお宅に伺うのには、一般には地味な装いで平身低頭で行くらしい。ところがご一緒した奥様は一番上等な着物を着て「うちの先生はとても素晴らしい絵を描きますのでよろしく」と、胸をはって言ってしまう。奥様としては一生懸命なのだが、これでは有権者の共感が得られない。私たちから見れば微笑ましかった。一九七九年奥様が急逝された。数年後、代わってご長男の奥様が地味な服装で有権者回りをされて一九八四年に無事、日本芸術院会員に選出された>。この種の話を耳にしたことがないではないが、かくもはっきり立場のある方が文章にした例は珍しいのかもしれない。それにしても、亡くなった「奥様」という方に対して、なにか哀切の念を禁じ得ないエピソードでもある・・・。

2003.09.11. BASE

いかん、話が磐城平の向こうへ行ってしまいそうなので、ふたたび写真のほうへ。評判のよい寺田真由美展 (9月1-26日、京橋/BASE GALLERY) について。人気のない室内をモチーフにした写真作品。この室内とは、じつはドールハウスであるらしい。なにかを思い出しかけるような感じのまま眺めたあと、会場に置いてあった作品集の案内を見て、ああ、そうか、と家に帰って確かめてみる仕儀となった。個展にあわせて、求龍堂から刊行された寺田真由美作品集のタイトルは「明るい部屋の中で」。だれしもバルトの著書を思い出すことになるわけだが、手元にあるみすず書房版の「明るい部屋」を開くと、口絵に<ダニエル・ブーディネ:ポラロイド写真、1979年>というクレジットのある写真が掲げられている。原著にこの口絵があるのかどうか知らないが、青色の薄いカーテンがかすかに揺れるほの暗い室内、そこに枕とベッドが写っているという写真。寺田もまたドールハウスのなかに、風によって翻るカーテン、誰もいないベッドと枕というシチュエーションを設定している。ごくふつうに考えれば、かの口絵写真も含めて、バルト著の問題圏で展開された作品ということになる。もとより誰もいない室内の写真は、すぐに不在の現前といった議論を思い出させるわけだし、しかもドールハウスで撮影することによって、このテーマそのものを、現実との関係が喪なわれた形で仮構してみせた作品ということにもなろう。ただし、以上はありがちな読み解きを試みてみたまでのことであって、実際には現実から遠ざかることで純粋さへ向かおうとする心情的な側面をうかがわせて、その点では今日的な作品のひとつと言えるのかな、という気もした。

2003.09.11. 抜け殻

レイチェル・ホワイトリード展 (9月11日-10月11日、銀座1/ギャラリー小柳) 。英国・ターナー賞を獲っている美術家だという。作品を見るのははじめて。本棚をそのままかたどりした作品が目を引く。あるいは湯たんぽ内の空間をかたどりして、「トルソ」と名付けた作品だとか。共通しているのは、ふつう物質が存在することで形作られる空虚のほうを、物質に反転して顕在化させる作法で、それとの並行関係によって、現実と記憶の関係に目を向けさせもする。展示室には、使い手が去ってしまった室内を撮影した作品も掲げられている。この場合は立体作品とも意味のある関係を結んでいる写真作品という印象があった。

2003.09.19. 密度

尾仲浩二展「slow boat」 (9月14-27日、pg) へ。タイトルから受ける印象のせいか、くつろいだ感じの写真が目を引いた。沖縄の路上に猫が3匹いるカットだとか。写真家本人にそう言ったら、じつは4匹いるのだとか。そうだったのか。細部の効き方はいつもながら特徴的だが、そこはさして大きくないプリントサイズともかかわっている。つい熟視させられるし、やっぱり写真を見るのはおもしろいなと説得されてしまう。ずるいよ、尾仲さんという気もちょっぴりするのだが、しかし、高い描写密度はその写真と本質的なかかわりあいを持っているのかもな、という気もする。あるスナップを作品として選択する際の力学のようなものがそこに働いているような・・・といった漠然とした考えがよぎる。自分でもだからなんなの、みたいなことなのだが。

2003.09.25. 藤幡

藤幡正樹展「pseudo-selfreflectiveness―偽りの内省性」 (9月1-27日・京橋3/ASK?) 。目の前のスクリーンに、観者をふくむギャラリー空間の映像が、筒状に変換された形で映し出され、スキャニングが続けられている。会場にあった説明文によると、<パノラマカメラから取り込んだドーナッツ状の画像を、シリンダー状の筒の側面にリアルタイムでテクスチャーマッピングをしています>とのこと。そこに重なるようにして、ビオイ・カサーレス「モレルの発明」を朗読する声が流れている。メディア・アートの先駆者である山口勝弘にも「モレルの発明」と題する作品があったのを思い出す。この分野の人にとっては、よほど喚起力の強い小説であるらしい。それはさておき、個人的にすこし面白いなと思ったのは、映像が筒状であること。日本で言えば筒絵、あちらでは円筒アナモルフォーズと呼ばれる変則の投射図法を連想させる。それらアナモルフォーズは線遠近法それじたいをトリックの対象として、いわゆる見る主体の安定した視座を疑問に付す、というふうに説明されたりもするわけだが、ひるがえって、ここでの藤幡作品はギャラリー空間のみならず、見る主体さえも映像としてとらえて、かえって落ち着かない気分にさせる。かつての円筒アナモルフォーズと藤幡作品はつまり、線遠近法的な認識方法を挟んで対照的な位置にあり、それを相対化している・・・なんて、おおげさな話をしてみたわけだが、電脳紙芝居的なメディア・アートが少なくないなかで、ちょっと興味をそそられたのはじじつ。

2003.09.25. 白

白岡順展「秋の色」 (9月16-27日・銀座ニコンサロン) 。photo-eyesにおける紹介で、見たいなと思っていた白いプリントの展示。つまり初めて見るわけだが、なるほど白い。残念ながら、照明の具合で、近づくと必ず自分の影ができてしまい、微妙な調子を確かめられなかったのだが。そんなわけでまるで当てにならない話をつづければ、像が消失していこうとするかのようなプリントは、対象との疎隔感を印象づける。長期にわたる海外生活ののち、日本に帰ってきてからの写真であるらしい。ふいに日本の風景では絵にならないと愚痴った、かつての滞欧洋画家たちのような心のうごきだったりして・・・といったよからぬ想像が頭をかすめたりもする。もっといい展示環境で見れば、まったく違う印象になるのかもしれない。そう思うと、やっぱり残念。

2003.09.29. まる

pgでの中村綾緒展 (9月29日―10月12日) 。サービス判くらいのプリントをたくさん壁に張っている。そのグリッド状の配列は、いま書いているとおり、グリッド状の色面の分布へと写真を還元しかねない。そこに美的な解決への危うい傾斜がきざしているような気もする。逆に言えば、それを破却する何かがさしあたり見えなかった。ただ、セルフポートレートとスナップというありがちなフォーマットを崩さない写真を眺めながら、前者のうちの眼に宿る円形と、スナップのうちに現れる雨粒などの円形とが、奇妙な相似を作り出していて、そこはおもしろいなと思ったりした。


2003.10.02. 地図

松江泰治の新しい写真集「TAIJI MATSUE」が出版された。収録点数は343点。あの「Hysteric松江泰治」よりもはるかに多い。それもそのはずで、初期のスナップや最近の都市シリーズを除く、ほぼ全作品を収録しているという。版元は「Ugeyan Co, Ltd.」。出版を引き受けた人物とはかねて多少の縁があり、「松江作品を買っちゃいましたよ」と聞かされて、意外に思ったことがある。それがまさか本まで出してしまうとは。版元名はちなみに、「雨華庵」、つまり江戸琳派の画家にして風流人であった酒井抱一の号に由来している。もうひとつだけ、心覚えとして書き添えると、松江作品における大型カメラによる描写力と地図へのこだわりを、写真という文脈を超えて、考えてみることはできないかなと思ったりもした。たまたま別の用事があり、スヴェトラーナ・アルパース「描写の芸術」 (ありな書房刊) を再読、第四章「オランダ絵画における地図制作の影響」のあたりで、しきりに松江作品のことが脳裏をよぎった、というだけの話なのだが。

2003.10.03. 触手

中平卓馬展 (10月4日-12月7日、横浜美術館) のオープニング。あれこれの議論を呼び込むであろう、今年もっとも問題提起的な展覧会。往時を知らない、つまり事後的に中平のテキストを読み、いま展覧会を眺めようとしているひとりとしては、まずは事故以前の言説と以後の写真を短絡させないことを、こころがけるべきなのかなと思ってみる。その一方で、以前の言説がなければ、以後の写真が世に出ていたのかどうか、ということもあるわけで、そうした世に起こる事象の連鎖のひとつとして、本展覧会も開かれていると言うこともできるのだろう。そうだとしたら、展覧会に足を運ぼうとしている者もまた、一連の事象の連鎖と無関係だと言える立場にはない。そんなふうに気分を整理したうえで、Hystericのシリーズなどで公表されてきた最近の写真を、展示冒頭から眺めてみる。それはやはり興味深い写真だという気がした。もとより「植物図鑑」の具現化などと言うつもりはない。写真には明確な「関心」があらわになっている。だが、その関心の動き方には、なにか独特さがあるのかな、という気がする。「森山神社」と記された案内標識の場合はやっぱり「森山」なのかな、と思ったりもする。中平卓馬という人がいて、ああ「森山」に関心をもったのだ、とさしあたり想像してみることができる。だが、それ以外の動植物やホームレスに対する関心の動き方については、そうした図式を思い描きにくい。たしかに関心は動いている。関心の向かう先もまた、きわめて限定されている。にもかかわらず、その関心が前提としているはずの、いわば確たる主体を、うまく思い描くことができない。むしろ、それら限定された被写体のどこかから伸びてくる、いわば触手のようなものに絡め取られ、引き寄せられているような・・・とでも言うほかない感じがある。その印象は、カタログに担当学芸員の倉石信乃氏が記しているような展覧会という制度の前提、そして自分自身の職能にふりかかることでいえば、記者会見やインタビューという形式を適用できる範囲についての再考へとつながっていく。踏みとどまるとすれば、結局のところ、ふたたび自分は事象の連鎖につらなっているのだろう、という形で自分を説得する以外にない、という気がした。端的な事実として、あまり質疑応答が成り立たなかったこの日の記者会見ののち、知人に感想を聞かれて、展覧会もアクシデント、この会見もまたアクシデントということかなあ、と口にしたけれど、いま説明すれば、そういう意味。とはいいながら、それらの感慨もまたこの企画が実現しなければもとより持ち得なかったわけで、多くの写真、資料をはじめて見ることができたということを含めて、やはり足を運ぶべき展覧会だと言ってみたい。

2003.10.03. 泡

横浜から遠路はるばる、新川地区へ。ボリス・ミハイロフ展「Salk Lake」 (9月2日-10月4日、Shugo Arts) と木村友紀展 (10月3日-11月1日、タカ・イシイ・ギャラリー) を見たかったので。このうち前者は相変わらずの絶望的な人間観を差し出して、ぎょっとさせる。おおむね太った白人の男女が水浴している。その水はかなり濁っている。なにか人体そのものが汚水からゴボゴボと浮かび上がった泡のように見えてくる。この水とは、じつは旧ソ連時代の工場から出る廃水であるらしく、それをあろうことか、健康にいいと信じさせられて、水浴を楽しんでいた人々の姿なのだという。だとすれば、十分な情報を与えられないまま、健康を願っていた人々に対する同情なり共感があってもよさそうなものだが、写真家は、彼らをふくめて世界を愚かさ、醜悪さの相のもとにとらえているように見える。それゆえに普遍的で、しかも絶望的なアイロニーに塗りこめられた寓話とでも評すべき写真となっている。ちなみに、木村展のほうも同じく水がモチーフとなっていたりもするわけだが、こちらは水鏡に着目した、多分にスタイリスティックな作品。

2003.10.12. ウィーン便り1

さて、ずいぶん間のあいた更新となってしまったのは、ひさしぶりに海外に行く用があったのがひとつの理由。なにしろ2年前のベネチア・ビエンナーレの開幕時も京橋界隈をぶらぶらしていたくらいなので、けっこうおのぼりさん的な高揚感があったりもする。そんな話をいくつか。最初の行き先はウィーンで、初めての訪問。いくつか美術館を歩いてみて思ったことは、意外にも日本の美術館事情に似ているな、ということ。まず名高いウィーン美術史美術館があり、そして2001年にグランドオープンしたというミュージアム・スクエア内に、クリムトやシーレを主要なコレクションとするレオポルド・ミュージアムがあり、さらに同時代の美術を扱うMUMOKおよびクンストハーレがある。この古美術、近代、現代というセットによる美術館事情が日本のそれを思わせる。このうちウィーン美術史美術館については、日本の国立博物館とそれなりの関係を確かめることもできる。前者の開館は1891年。日本における帝国博物館の成立は1889年と、ほぼ同時期に当たる。じつは日本のほうが結果的に2年先んじているわけだが、もとはと言えば、日本が初めて公式参加した万国博覧会は、ほかでもない1873年のウィーン万博。それを契機として内国勧業博覧会だとかヨーロッパの博物館事情の調査が実施されることになる。このとき、すでにウィーン美術史美術館の計画案は決まり、建設も始まっている。そうした経緯をもとに想像すれば、ウィーンの試みを、明治政府はある程度、よく知っていたのではないかという気がする。もとよりハプスブルク家ゆかりのコレクションは質、量ともに相当なもので、日本の国立博物館と比較するのはおかしいよという見方もあるかもしれないが、近代化の過程において、それ以前の宝物、古器物を収集していくという点では、似たような役割を担わされていたのではないだろうか。その他の近代・現代の棲み分けについては、なぜそうなっているのか、くわしく確かめる余裕はなかったけれど。

2003.10.12. ウィーン便り2

とはいえ、やはりいろいろな違いがあるのもじじつ。ひとつの例を挙げれば、MUMOKにおけるオーストリアン・アクショニズムの位置づけ方。館内に入ると、まず一階がポップで、そこから一階下がるとフルクサスを中心とする動向に、それぞれひとつのフロアを与えている。さらにもう一階下がると、オーストリアン・アクショニズムのフロアがある。かつて東京都現代美術館に巡回した「アクション」展を見たひとであれば、そこできわめて過激な表現を試みていた一群のアーティストがいたのを思い出されるかもしれないが、身体を媒体とする表現の極点ともいうべき動向で、たとえば泥水のなかをのたうちまわり、皮膚はすりきれ、血がにじんでいる、あちゃー・・・みたいな運動がこれでもかと紹介されている。物質的な作品として残されているもののほかに、四つのビデオ・ブースがあり、それぞれ数本の映像を流し続けている。同じく身体表現という考え方がもたらされても、日本などとはまるで傾向を異にし、中欧的な風土性を色濃く漂わせるわけだが、MUMOKにおけるフロア配置は、それをコンテンポラリー・アートの文脈にきちんと位置づけようとしている。ポップに始まる日常性への下降のなかで、あるいはフルクサスによるハプニングと関連する動向として、受け止めることができる。フロアの解説では、オーストリアにおいて、コンテンポラリー・アートに最大の貢献をした運動だ、という位置づけがなされていた。ちなみに抽象表現主義その他や彫刻のコレクションは最上階のフロアで、ひとまとめにされている。ひるがえって日本でモノ派なりについて、それなりのボリュームがある形で、なおかつきちんとした文脈を与える形で常時見せている美術館というのがあるのだろうか。いまふたたび注目されつつあるらしいフルクサスにしても、小野洋子をはじめとして日本人が関与し、どうあれ日本的な物の考え方を導入しようとしたはずなのだが。こういう言い方をすると、そういう国威発揚型の発想はよくないよとたしなめられそうだが、とりあえず“日本のMOMA” (!) ということで設立された国立の近代美術館に限って言えば、あられもない歴史的正当化というミッションに邁進しても構わないはずで、そこから実のある批判もはじまろうというものではないか、という気もする。

2003.10.16. グラーツ便り

ウィーンからグラーツへ。直接には「POSITIONEN : JAPANISCHE FOTOGRAFIE」展を見に行ったわけだが、この際ということで、カメラ・オーストリアの活動について話をうかがう。その概要についてここでは触れないけれど、そうなんだと初めて知ったエピソードを。「カメラ・オーストリア」誌が創刊された1980年当時、オーストリアに写真雑誌は存在していなかった。じつは古屋誠一氏が「カメラ毎日」誌を周囲に見せ、写真雑誌というものを作ってみようよ、と持ちかける形で始まったのだという。最初は雑誌を担いで、ドイツ語圏のカメラ店などに置いてくれるよう、頼んで回ったのだとも。しかも、聞いて不思議な気にさせられるのは、79年、第一回目のシンポジウムに、フリードランダー、シャーカフスキー、コスースといった顔ぶれが参加していること (不幸にして実現しなかったものの、山岸章二氏も出席するはずだったという) 。ほとんど手作りのようにして雑誌を出そうと準備していたオーストリアの一団体が、なぜフリードランダーだのシャーカフスキーだのをシンポジウムに呼ぶことができたのだろう? 古屋氏によれば、とにかく一流の人に会いたい、だったら呼んでしまうのが早い、という発想で、じかにアプローチしたのだという。それに彼らが呼応したというわけで、時代もよかったということかもしれないが、ともあれレートを切り下げることなく行動に出る、そうした積み重ねがカメラ・オーストリアの今日を作ったようだ、という感慨があった。

2003.10.18. ベネチア便り1

で、季節外れのベネチア・ビエンナーレへ。以下、走り書きの印象記。フランチェスコ・ボナミの掲げたテーマ「Dream & Conflict」は時節柄、やはり9・11以後の世界および美術、という見方を呼び寄せるところがある。とはいえ、それもふくめて、何かの回答があらかじめ用意されているわけではなく、さまざまな展示をあえて並列し、観客の側で、どうぞご自由に見たり考えたりしてください、ということらしい。キュレイターたちによるテーマ展を並列したアーセナルがそうした姿勢をあらわしている。ただし、それらの展示はテーマ性のみならず、文明圏的な区分を伴っているふしもあり、その並列性が競合関係に横滑りしかねない印象があった。とりわけホウ・ハンルウの「ZONE OF URGENCY」は、日本をふくむ東アジア圏の作家を多く起用し、あざといまでに「アジアの混沌」を演出している。結果として、このパートはほかよりも多くの観客を集めていたし、キュレイターの名声も高まったはずだが、東アジア圏からやってきたひとりとしては、そうした勝負みたいなノリ、そして勝ち方について、やや複雑な気持ちにさせられた。

2003.10.18. ベネチア便り2

そうしたなかで見るとき、あまりいい評判を聞いていなかった日本館だが、「ヘテロトピアス」 (他なる場所) というテーマそのものはよく考えられているのではないか、という気がした。9・11以後浮上しているとされる文明圏間の競合ないし軋轢が、仮に回避しようと試みたところでビエンナーレに持ち込まれるであろうことを予想しつつ、違った位相にずらし、同一平面でなぞることを免れているように思えたから。長谷川祐子氏みずから説明していたとおり、この概念はフーコーに由来している。かねて同じ概念を重視している上村忠男「超越と横断」 (未来社) によれば、1967年、チュニスでのフーコーの講演原稿「異他なる空間について」に出てくるものらしい。非在の場所であるユートピアとは異なり、<実在の場所でありながら、ひとつの文化の内部に見いだすことのできる他のすべての場所を表象すると同時にそれらに異議申し立てをおこない、ときには転倒もしてしまうような異他なる反場所>であって、具体的な例としては共同墓所、公園、市場、図書館、監獄などが挙げられるという。フーコーのよい読者ではなく、どこまでが本来の規定なのか確かめていないけれど、長谷川氏のステイトメントには、加えて<日本は複数の意味でヘテロトピックである>ともある。地理的な周縁性、そして多様な文化を受容し、脱構築してしまう特質によって、<モダニズムのトポスから見れば奇妙な外部であり、他なる場所でありつづけている>と。このたび個展でなく、2人展の形式を採ったのは、ひとつには外部性や混交性を旨とする<他なる場所>それ自体がいわば単一の家郷のごとく受け取られるのを避けるという意図に基づくのかもしれない。「ヘテロトピアス」というふうに、複数形が選ばれてもいる。ただし、<日本=ヘテロトピック>という図式については、すこし気になることがないわけでもない。いま手元にある「言葉と物」 (原著1966年刊) を見ると、その序文のなかにも「混在郷」=ヘテロトピアという言い方を見出すことができる。それによると、西洋の知の変遷を分析した「言葉と物」の着想を与えたのは、ボルヘスの文章に出てくる「シナのある百科事典」の動物分類法だという。その奇妙なカテゴライズをつうじて、意外なものを並列する統辞法や、並列を可能とする共通の場所を崩してしまうヘテロトピアという概念が導き出される。そこから話は、ボルヘスがファンタジーのたねとした<シナ>に向かい、<してみれば、われわれの住む地球の裏側には、延長による秩序づけに完全に捧げられた、しかも、われわれにとって名づけ話し思考することが可能になるようないかなる空間にも諸存在の増殖を配分しない、そのようなひとつの文化があるのにちがいない>とつづく。ともあれ「言葉と物」の段階では、西洋にとっての<他なる場所>とは、どうやら中国と結びついているようなのである。まあ、彼らにとっては、どのみち地球の裏側だということに変わりはないかもしれないが、「言葉と物」の序文を覚えている人であれば、なぜ中国ならぬ日本館が? という気にさせられたかもしれない。今回、中国館はSARS騒動で実現しなかったとのことだが、ホウ・ハンルウの活躍ぶりを思うにつけても、日本が西洋にとってのヘテロトピアとして振る舞うことで認知を得る、そのような形でさえも今後どのくらい続くのかな、とふと思ったりもした。

2003.10.24. ポルトレ

東京都写真美術館で「士-日本のダンディズム」展 (10月12日-11月24日) と、上田義彦「PHOTOGRAPHS」展 (9月20日-10月26日) 。前者は歴史ファンを満足させるという意味でポピュラリティーのありそうな企画だが、初期に肖像写真の被写体となった日本人の多くは武士階級であったわけで、当然ながら写真史的な意義のある写真を見ることもできる。ただし写真史の実情をよく知らないせいか、実際に一巡してみると、美術史的というか、美術史チックな手つきだなと感じるところが少なくなかった。たとえば近代美術史研究で、ひとつのトピックでありつづけている絵画と写真の関係について、歌川国芳「誠忠義士肖像」 (1852年) における瞳の白点を、写真にあらわれるキャッチライトと見なし、その背景に写真師・鵜川玉川との交流を想定する、という指摘がなされていたりもする。時期的には微妙なものがあり、浮世絵研究者たちはどう考えるのか、知りたく思った。ただし美術史チックと言うのは、美術史における関心や手法のすべての幅を想定しているわけではなく、その独特のありようは、あるいはどこかで11月11日付outside the frameにおける三島靖さんのいらだちにも通じているのかもしれない。後者は最近、写真集「PORTRAIT ポルトレ」 (リトルモア) を刊行した写真家の個展。シンプルに「PHOTOGRAPHS」と言い切っているのは、建築、花、風景、肖像といったジャンルを超えて、すべては等しく写真ですよ、ということか。しかも光の状態へのこだわりが行き渡り、作者の高度な美意識がどの写真にも刻印されている。その美意識は、たとえば「PORTRAIT」と書いて「ポルトレ」と読ませる、みたいなところにまで貫かれていたりする。

2003.10.27. 旅

蔵屋美香キュレイションというので、期待していた「旅」展 (10月28日-12月21日、竹橋/東京国立近代美術館) のオープニング。見た目の印象を言えば、瀧口修造「リバティ・パスポート」やジョセフ・コーネルのようなインティメイトな世界があり、はたまたフィッシュリ&ヴァイスだとか、さきのベネチア・ビエンナーレのオランダ館で見かけたエリック・ファン・リースハウトのような国際展モードの一角があり、さらには小野博や渡辺剛といった日本の新進作家がピックアップされていたりして、それらが「旅」というキーワードのもとに集められている。作品が前提とする旅なり移動のありようもまたさまざまで、それに対するスタンスもそれぞれ、という印象を受けるわけで、そこを広がりとして楽しめるかどうか、ということにもなる。ふと気づかれるのは、和文サブタイトルは<「ここではないどこか」を生きるための10のレッスン>、英文サブタイトルは<Toward the Border>というふうに異なっていること。「境界へ向かう」ということと「ここではないどこかを生きる」というのを、ちょっと違ったことかと見なすのか、“みんなちがって、みんないい”と思いなすのかということも、そのあたりの判断と必ずしも無縁ではなさそう。

2003.10.28. 下

宮本隆司展 (10月28日-11月10日、pg) 。段ボールの家のシリーズを、壁の低い位置に展示している。宮本も契約作家のひとりであるTaro Nasu Galleryでは、ちなみに松江泰治展 (9月9日-10月4日) がやはり同様の展示方法を採っていた。それぞれに被写体に対する視線の角度を、展示室にも反復的に導入しようとしている、ということだろうか。ともあれ、今回のpg展にもうかがわれる下方へのベクトルは、この人の仕事を考える上で、ひとつの要所なんだろうな、という印象を確かめる。もうひとつ目を引いたのは、段ボールの家とはべつに、人でごったがえす原宿の街頭を撮影し、天地さかさまに見せているビデオ作品。撮影日時は9・11の数日後のように記憶するのだが、どの程度意図されたことなのか、数日後という微妙さもあって、いまひとつ判然としなかった。

2003.10.29. 青空

丸山直文「時の温度-大きな水」展 (10月11日-11月8日、新川/Shugoarts) 。もう10年くらい前になるような気がするのだが、ニューペインティング以後、日本では抽象表現主義やその展開を理念とする形での絵画の再評価が行われた。その文脈で一群の画家が脚光を浴びたわけだが、彼らの仕事をときおり眺めているなかで、幾人かはいわば内側から緊張感を失いつつあるような印象を受けていた。率直に言えば丸山直文についても、最近ちょっとよく分からないな、と感じたりもしていたのだが、このたびの個展は、そうした印象に対しても説得的な応答となるような感じがあった。大型のペインティングが数点。その大半は水鏡の現象を多用して、水辺の風景を描いている。モチーフのそれぞれに水に映る反転像が付随し、天地さかさまにかけてもいいんじゃないかなと思わせるほど。ほかに水鏡ではないけれど、ほぼ同じふたつの絵を描き、一方はふつうに掛け、その下に他方を天地さかさまにして掲げた作品もある。描かれたモチーフは水鏡によって、いずれが実像で、いずれがイメージなのか定めがたい。それと同様に、画面内においてもフィギュラティブなイメージなのか、単なる色面なのかを定めがたい描き方がなされている。そこは迷いの結果でなく、たぶん意図されたことなのだろう。実像かイメージか、具象か抽象かといった二項を宙づりにすることで、ただの「絵画」という位相を押し広げようとしているように見える。それは息苦しくもある絵画論をくぐりぬけてきた人ならではの希求なのかもしれず、フィギュラティブなモチーフのなかに、まさに駆け出している子供たちの姿が描かれていることとあいまって、なにか開放的な作品展開が開けつつある印象を受けた。出品作の質そのものについては、ステイニングによる色調の操作について、もっと描けるんじゃないかな、という不満が多少あったのもじじつだけれど、いま写真とは関係のない展覧会の話を書いてみるのは、そうしたスペースの作り出し方に、すこし感じるところがあったから。

2003.10.29. 顔

新川ではもうひとつ、田口和奈「ロスト ブロマイド」展 (10月24日-11月14日、Gallery Maki) に興味をそそられた。企画は西村智弘氏。1979年生まれの作家は、ハイパーリアルに女性の顔を描き、それをわざわざ写真に撮って発表している。写真イメージを描き直すのはありがちなことだが、ここではその逆の手順になっている。ともあれ架空のものであるらしい女性の顔は、写真を介することで、かえって生々しさを強める。しかも複数性を帯びて、増殖する。全体としては何か斑点みたいなものを投影して撮っていたりもして、かなり暗く、不気味な感じに方向づけられている。演出過剰という意見もありそうだが、しかし、その斑点を増えていく病斑に見立てるならば、ここでは顔そのものが人に憑依し、増殖していくようなものとして表現されている、と言うこともできそう。

2003.10.30. 反復

「中村政人 メタユニット」展 (9月30日-10月5日公開制作、10月7日-11月1日、谷中/Scai the Bathhouse)。海外旅行にかまけて、会期末にのこのこ出かけるというテイタラクとなったが、前回のベネチア出品作家のひとりは、今年見た現代美術の展覧会のなかでも、かなり意義があると思わせる展示を作り上げていた。会場にはプレハブ住宅のはしりであるセキスイハイムの躯体「M1」が置かれている。さらに床には、街路灯の上半分を増殖させるように複数組み合わせた彫刻がにょっきりと立っていたり、壁には信号機のライトをやはり増殖させるようにして多数組み合わせた作品が点滅していたり。プレハブ住宅とそれら作品群の関係は、要するに「反復」ということに尽きていよう。プレハブ住宅はユニットの組み合わせによって、さまざまな空間を作り出すことができる。その先には合理的な都市空間の生成が予想されていたのかもしれない。こうしたユニットの反復という考え方は、プレハブ住宅のみならず、時期的にも近いカプセルホテルの誕生、その源流であるメタボリズムの思想とも通い合う。このたびの中村の展示がおもしろいのは、そうした「反復」が、じつは美術においても重要な手法となっていることに改めて気づかせるところにある。ポップもしかり、ミニマルもしかり、中村自身もマクドナルドのサインを反復させる作品で、高い評価を得た美術家であるのは周知のとおり。中村はつまり、実社会とアートの両方に通底する形で「反復」という問題を見出しているように思える。それは特定の時代が生み出した考え方であって、1963年生まれの美術家にとっては、所与の現実を組み替えていくうえで直面せざるを得ない鍵概念のようなものであるのかもしれない。中村はこのシリーズを継続し、大量に生産されたM1の有効活用を本気で考え、提案しようとしているらしい。ただし念のために言い添えれば、美術家が社会のお役に立ちますといった体の「art into life」の一事例とは異なるものとして受け止められるべき試みではないだろうか。何度か口にしたことがあるけれど、art固有の領域などほとんど信じられておらず、すでにlifeの内の片隅に、いつ取り替えても構わない飾り物という程度に置かれているに過ぎない日本において、art into lifeという掛け声はかなりむなしく響くわけだが、そのような現実のなかで、中村の試行はリアリティーを持つ可能性を秘めているように思える。


2003.11.05. マニエリスム

合田佐和子展 (10月14日―11月24日、渋谷区立松涛美術館) 。やや懐かしいような気持ちにさせられる名前だが、1階にあったカラーの写真作品を見ると、いまもなおみずみずしい美意識を備えた作家であることがよく分かる。2階は映画俳優を油彩で描いた旧作など。その滑らかで、青みがかった肌の描写は、本家本元のマニエリスムのそれに驚くほど近い。むろん写真を描き直すというあたりにも、すでに死物と生の倒錯的な入れ子関係を好むマニエリスムの精神が現れている。日本では60年代から70年代にかけてマニエリスムの再評価が進行したようで、そこから技術なり知識なりを吸収していったということがあるのかもしれないのだが、いわゆる学習というよりも、そうした再評価の背景にあった時代の気分を、作家が深々と呼吸していたということか。

2003.11.05. mignon

詩誌「mignon bis」5号 (林浩平編集、ミニヨンクラブ発行) を読む。市村弘正氏の寄稿が載ると聞き、心待ちにしていたのだが、巻頭の座談会もまた、美術、写真の批評で、それぞれ個人的にもっとも関心のある書き手たちである林道郎、倉石信乃氏を迎えている。写真方面では、すでに著書のある倉石氏に比べて、林氏の知名度は低いかもしれないけれど、たとえば「SAPジャーナル」7号に載ったマイケル・フリード論で、彼らの議論をいわば輸入するという水準を越えて、真正面からフリードの乗り越えを図る議論を繰り広げていたことは忘れがたい。座談会の主たる話題は副題のとおり「カルチュラル・スタディーズの時代を超えて」。さほど緊迫したやりとりが交わされているとはじつは言いにくいのだけれど、発想の仕方のようなものがうかがわれるのは、やはり興味深い。林氏がしばしば口にする「厭な感じ」は、理論的な面にとどまらず、現実の事象がつねに重層的であり、しばしば逆説的な形で矛盾や欺瞞がはらまれることに対する鋭い感性の持ち主であることを物語っている感がある。あと、なんだかすごいな、と思った、さりげない一言を引用。<林 (浩) ・・・小林秀雄の初期の文章を今読み返したら、これは丸谷才一も指摘してますが、観念過剰の美文的悪文で、かなり読みづらい。加藤周一に言わせると、その頃の小林の文章は英訳できない、と (笑) /林 (道) そんなことは別に問題ではないんじゃないですか>。このあと、レトリック過剰で論理が濁るのがよくないんですよ、ああそうか、というふうにつづいていくわけだが、英語と日本語のそれぞれで徹底的に思考したことのある人ならではの弁か。

2003.11.06. ART it

美術雑誌「ART it」の創刊号を買ってみる。発行人兼編集長は「REAL TOKYO」の小崎哲哉氏。リアルシティーズ発行、紀伊國屋書店発売で、定価1000円。今後1、4、7、10月に刊行していくという。特徴のひとつは日英バイリンガルだということ。創刊の弁によれば、<東京のカルチャーシーン、あるいは日本のアートシーンは閉じている。孤立している。しかも二重に悲惨なのは、その事実に気づいている日本人がほとんどいないことだ><英語を無批判的に世界共通語と認めていいかどうかという議論はさておき、現実問題として日本語だけのメディアでは、海外へ情報を伝えることは量的にも時間的にもむずかしい><閉じていることは国内的にも問題を生む・・・内輪受け、仲間ぼめ、楽屋落ちがはびこり、往々にして自己陶酔に陥るだけ>。それと、日本のアートシーンにはジャーナリズムが欠けているので、それら欠落部分を埋める雑誌を目指すのだという。もっともな話だ。ただ、特集記事のその1が「YES! YOKO ONO オノ・ヨーコの復権」だというのは、どうかなあ。まったくバイリンガルな環境でものを考えたことのない一読者としての感想だが、このところフルクサスの再評価は着実に進んでいるようで、ウィーンの話は記したとおり、リニューアル後のポンピドゥー・センターでも、フルクサスには一定のスペースが与えられていた。小野洋子は当然、主要作家として遇されている。フルクサスの枠内にとどまらず、米・ホイットニー美術館の20世紀総括企画として話題を呼んだ「アメリカン・センチュリー」展でも、2人だけ日本生まれの作家を見つけることができたのだが、それは草間弥生と小野洋子にほかならない。こうした機運のなかで、アレクサンドラ・モンローのキュレイションによる決定版的な「YES・・・」展が2000年の秋、ニューヨークのジャパン・ソサエティでスタートした。そのとき記事を書いたのも懐かしいような話だが、あれから3年を経て、その日本開催がいま実現した (10月25日-1月12日/水戸芸術館、広島などに巡回) という次第である。それにあわせた企画記事を、日本国内はともかくとして、向こうで読みたいという人がどのくらいいるのだろう、という気がちょっとした。しかしまあ、おもしろい美術雑誌を読みたいというのは当然ながらそう思うことであって、今後に期待。

2003.11.06. 時間

杉本博司「歴史の歴史」展 (10月20日-12月28日、銀座/メゾンエルメス8階フォーラム) 。古美術に深くかかわったことのある杉本が、自らの写真作品と仏教・神道美術などの古美術を組み合わせた、インスタレーション的な性格の強い展覧会。その写真が「時間」という、写真表現のみならず、美学的にも重要な問題をつねにはらんでいることは知られるとおりだが、その発想に、ひとつは古美術と近くに接してきた経験が寄り添っていることをうかがわせる。展示では、限られた個人の生の時間を超える芸術作品ないし被造物、さらにはより長い時間をもつ文明史、人類史、そして地球という自然の歴史というさまざまな時間のスパンを重層的に掛け合わせる形で提示している。それら大きな時間が、ふたたび限られた生の時間に対する意識を喚起していくところに、この写真家の切実さを受け取っていいような気もするのだが、ただ、個人的な印象では、見る側を安手の感慨にふけらせる前に、そうしたけれんや仕掛けをあえてするような明敏さが棘のごとくせりだしてくる感がある。そこは決してウェットにならない、この人の独特さというべきか。

2003.11.07. 名古屋

名古屋へ。まずメナード美術館「高村光太郎と智恵子の世界」展 (11月7日-12月14日) 。偏頗な関心ながら、興味をそそられたひとつは、高村光太郎の初期作品「猪」 (1905年ごろ、ブロンズ) 。表層の仕上げは別にして、猪のポーズそのものは、ここで偶々、以前に触れたことのある石川光明「野猪」と基本的に合致している。その先はくわしく詮索してみたわけではないけれど。次いで徳川美術館「輝ける慶長時代の美術」展 (10月4日-11月9日) 。今年見た古美術展では屈指のおもしろさ。欲を言えば、慶長の華やかさだけでなく、“喪”の感覚をもうすこし強調してもよかったかも。それからphotographers’ gallery展 (10月20日-11月21日、名古屋/中京大学Cスクエア) 。pgメンバーが勢揃いする展示は最初のオープニング展、そして沖縄につづいて、3回目ということになるだろうか。沖縄展は見なかったので、個人的にはじつにひさしぶりの機会。しかも今回の名古屋展は、たんにプリントを掛けるのではない展示形式で、というシバリが掛かっていたらしい。そのせいかどうか、総じて見応えがあった。北島敬三はグラーツと同じDVDショー。楢橋朝子もDVD。「Half awake-」のシリーズは、画像が変わる瞬間の溶融感と相性がいい。尾仲浩二は2台のモニターを使い、それぞれカラー作品がぱたり、ぱたりと変わっていく展示形式。若い世代の作品のなかで、つい見入ってしまったのは設楽葉子のビデオ。いつもの母シリーズの、いわば舞台裏にあたるのだが、キビシイやりとりが交わされる。「いつまで撮ってんのよ! 消しなさい」「はい・・・」「消しなさいって言ってんじゃないのよ!」「はい・・・」「消しなさい!」「・・・消します!」。これまでの発表作を含めて、作品を見ている側は、作者と同じ視線を共有しており、見られている側からの指弾を真正面から浴びることになる。写真を撮る行為にしばしば生じるものの、多くは語られることにない軋轢をさらけ出して、一連の写真がたんなる母子相愛の記録ではなく、見ること、撮ることの介入を経験しつつある家族の、多分に不可解な部分をはらんだ記録であることを示す注釈となっている。もうひとりだけ、笹岡啓子の作品については別項で。

2003.11.07. 光

笹岡啓子の出品作は、横に細長いライトボックスで、故郷・広島を撮った6×6のネガフィルムをそのまま見せている。そこには広島の日常風景があり、なかには原爆ドームも写っている。98年だったか、東京都写真美術館で開かれた「エレクトロニカリー・ユアーズ」展で、フランスだったかの作家が展示室で閃光を使い、スクリーンに観者のシルエットをしばらく焼き付ける仕掛けの作品を見せていたことがある。笹岡作品も同様に、光がたんに視覚的な作用にとどまらず、物質的な作用を及ぼすものであり、ある時にはフィルム面における化学反応と、またある時にはまがまがしい惨禍と結びつくこともあることを告げているわけだが、さきの展覧会における機械仕掛けとは違って、寡黙なたたずまいをしている。あるいはさまざまな人々が際限なく広島から視覚表象を引き出してきたことへの、寡黙さによる異議申し立てでもあるのだろうか。今後、このシリーズを継続していくのかどうかは分からないわけだが、少なくとも作者が「限界」というタイトルのもと、生活圏の端にあたる海辺を撮ってきたことに、遡及的に意味を付与することになるのだろう。ともあれ、こうして写真の物質性に着目する仕事が出てきたことは、あえて「プリント以外」というシバリをかけた名古屋展の収穫のひとつと言ってよさそうだ。

2003.11.12. 消滅

「写真新世紀展2003」 (10月31日-11月28日、東京都写真美術館) 。前回グランプリの吉岡佐和子「NUDY BRANCH」は一転、ウミウシものに。しかもメインは、ウミウシの画像をコラージュした大画面の作品。見た目はけっこうインパクトあり。それにしても、なぜウミウシなのか。作者の弁によれば、「巻貝が身を守る為の殻を捨て進化した生物。敢えて生命の枝を剥き出しにして生きるその様は、小さな生命の一つとして地上に誕生した本質的な輝きに満ちていると感じ、混迷する現代社会に生きる人類が、いずれ定め辿る方向であるように思います。私は、nudibranchia (裸の枝を揺らしながら跡形もなう消滅する、溶け込む) という美しい未来のかたちを提唱したいと思います」とのこと。ウミウシに学ぼう、人類の未来、ということらしい。それはさておき、「消滅する、溶け込む」ことへの愛着は、今回の公募優秀賞のひとつである藤田裕美子「Underwater umbrella」とも呼応しているようだった。デジカメで撮った雨の情景を見せるDVDショー。それぞれのカットは雨中に溶けるかのように消えていく。会場のテキストにも、デジカメ画像のはかなさへの関心がうかがわれた。作品そのものについてはなおイメージの質を絞り込めそうに思ったけれど、ちょっと興味をそそられた。

2003.11.13. 薄さ

吉増剛造写真展 (11月13―26日、pg) 。高梨豊、四方田犬彦との座談会のあと、片づけのさなかに見たプリントは、独特の美しさを感じさせた。印象としては、水鏡に映る映像のよう。天地左右を定めない多重露光であること、また多重露光による不分明さがもたらす映像の希薄さが、そう思わせる。映像は重ねれば重ねるほど、薄くなっていくものか。映像に薄さ、厚さがあろうはずもないのに、と思うと、なんだか不思議だった。

2003.11.21. コマール

けっこう世評も高いようなので、出かけてみた「コマール&メラミッドの傑作を探して」展 (10月4日―12月14日、佐倉/川村記念美術館) 。ソッツ・アートにもかかわったロシア出身の二人組による展覧会。二つのシリーズで構成されている。ひとつは「みんなで選んだ好きな絵、嫌いな絵」。アンケート調査を行い、それにもとづいて各国の人々が最も好きな絵、最も嫌いな絵を描いてみました、というシリーズ。日本バージョンは新作で、好きな絵はモネといわさきちひろを重ねた作品、嫌いな絵は曼陀羅とキュビスムを混ぜ合わせた作品、といった具合。西側の民主主義的な多数決、あるいは東側の計画経済といったものをおバカな形で茶化したシリーズということか。むろん読み解きはさまざまにできそうだが、本展だけで十数か国分を見せている。まじめに人類学的調査をやるわけでもないのだとすれば、こういうのって、一発やれば済みそうなものだが・・・。もうひとつのシリーズは象に絵を描かせて、それをオークションに掛けることで、危機に瀕している象を保護する資金を作る、というもの。もとより動物愛護の精神には敬意を表するわけだが、いまひとつ乗り切れないまま、カタログ中、亀井わか奈さんという方の解説を読んでみると、まったくそうだなあ、その通りだなあ、という以上の感想が出てこない。それは解説が見事だというのもさることながら、それだけでもなさそうな・・・。そのカタログのカバー裏は、2人のアーティストがデュシャンの画集を象に見せているところだったりもする。

2003.11.21. 余禄

その余禄というべきか、佐倉までのJRの車中で、読みかけのままにしていた桑野隆著『バフチンと全体主義』 (2003年6月、東大出版会刊) を読み進める。いつだったか、ボリス・グロイスについて、彼のことをロシア文化研究者たちはどうとらえているのか知りたい、と書いたことがあったけれど、この一冊を通じて、たびたびやり玉に上げられているのがグロイスにほかならない。第3章「<アヴァンギャルド・パラダイム>は存在するのか」では、ただし書きとして「あらかじめ断っておくならば、グロイスは、『総合芸術スターリン』から察するに、ロシア・アヴァンギャルドにたいする知識が不十分であり、そのため、ロシア・アヴァンギャルド研究者の多くからは無視されがちである」とある。とうぜん本文中でも、手厳しい批判の対象になっている。なるほどなあ。ちなみに第11章「<余白の哲学>のミクロポリティクス」に、ミハイル・エプシュテインという人による「1950年代から1980年代にかけてのロシア思想の七つの基本潮流」が紹介されている。マルクス主義に始まる7分類のうち、最後が「ポスト構造主義」で、さらにそのなかの「広義のコンセプチュアリズム」について、「シニャフスキイ、カバコフ、コマール、メラミード、グロイス」の名前が挙げられている。彼ら5人のうち、4人までが日本ではある程度知られるに至ったわけで、ほかの潮流に属する人々に比して、やや重点的な紹介の仕方になっているのかもしれない。

2003.11.21. 蒸気

畠山直哉展「Atmos」 (11月21日-12月20日、新川/タカ・イシイギャラリー) 。フランスの地中海側、カマルグと呼ばれる河口地帯で撮影された12点。その平原は良質な自然環境に恵まれると同時に、東端には鉄工所がある。そこから上がる蒸気と雲、河、海といった水のサイクルを意識した写真は、<空と大地に人間の兆しを見、工場の蒸気の雲に大自然を感じることに、もう何もおかしなところはないと思えた。そして、自然と人為との境界に分かり易い線を引くということが、もはや不可能なことだと、僕には思えてくるのだった>という写真家の感慨を、すなおに納得させる。おそらく読解の補助線として導入されていると思われるのは、蒸気に包まれた鉄工所内で貨物車を撮ったカット。直接的にはモネ「サン・ラザール駅」、さらに蒸気と鉄道という問題系の先駆者であるターナーを思い出させる。この話を論じていたのは誰だったかとしばらく考えて、ミシェル・セールかな、と思い至った。とは言うものの、じつはちゃんと読んだことがなく、読まなきゃ、と思ったりした。むろんセールとは別に、写真家がかねて、水ではなく鉱物を通じて、自然と人工のサイクルを追いかけてきたことは周知のことに属しよう。

2003.11.22. 見え方

片山博文展 (11月22日-12月13日、多摩川/art & river bank) 。いろいろな展覧会を開いてきたこのスペースも、このところ2巡目に入る作家が増えてきた。なかでも注目を集めている片山による2回目の個展。すでに深川さんがphoto-eyesで言及しておられる通りで、そちらを参照していただければ十分なのだが、ごく素朴な体験として、そのイメージを見たあと、例えばオフィスの階段などを歩いている際に1、2度、ふと眼前の光景が、脳裏で片山的イメージに変容していくような錯覚にとらわれることがあった。やはり強さをもった作品だと認めざるを得ない。基本的には初回の延長線上に位置するわけだが、前回見られた自然の葉のイメージ (そこはベクトル処理と相性がよくないようで、イメージの虚構性を示唆するフックとなっていた) が排除され、そのぶん、より徹底した展示となっていた。それともうひとつ、カウンター奥に掛けられていた作品は、たね明かしを聞くまで意味が分からなかったけれど、なお見せていない手がありそうだな、と思わせた。


2003.12.02. 近所

大西みつぐ展「近所論」 (11月18日-12月26日、虎ノ門/ポラロイドギャラリー) 。ポラロイド+ピンホールカメラによる新作展。ピンホールというと、原点回帰ふうの予断を与えかねないわけだが、そこは本意ではないようだ。会場に掲示されていた一文にいわく、<ここには世界の「蠢き」と果てしない時間の不思議がある。写真の原点に向かうつもりはない。今どきピンホールがめずらしいとは思わない。ただここにいるのが好きなのだ。そこではなくここにいるからこそ私は写真が撮れる。そして写真に関わる身体がつくりだす景色そのものが面白い (後略) >。いくつかの事柄が含意されているようだが、中心的なメッセージは「ここ」という場にとどまるのだという表明と読んでよさそう。その「ここ」を現実の場所に当てはめれば、やはり関心を寄せてきた「近所」になるのだろう。思えば「近所」というのは、なかなか微妙な場ではある。私の圏域に入るような、入らないような、風景として切断し得るかと言えば、そうでもなさそうな・・・そうした私と風景の近さ、それに由来する両者の交錯ないし溶融、そして身体性の回復を、新作では主としてピンホールの長い露光時間を生かし、自身の姿を画面に入れながら、差し出している。年来の「近所」に対する関心について、おそまきながら腑に落ちる気がした。さらに「ここ」への関心という点で、ほぼ同世代にあたる小林のりおの「キッチン」と、この写真家の「近所」の、あい通じるようで、じつは隔たっていそうな互いのありようについても、興味をそそられた。

2003.12.08. コピー

今年は森山&中平でおおいに盛り上がったのだったが、なおも話題は尽きず、4巻本の森山大道全集の刊行がはじまった。それにあわせて企画されたのが、森山展「コピラージュ」 (11月28日-12月25日、神宮前/ナディッフ) 。全集のゲラが壁に張り巡らされており、その上に幾つかのプリントが掛けられている。案内のはがきには<写真は、アートでもクリエイトでもなく、ただひたすらコピーでありつづけるから素晴らしい>という森山の発言が記されている。はじめに「おおいに盛り上がった」と書いた、その中心には、美術館における森山展、中平展があったわけだが、そのさなか、「コピラージュ」といったタイトルのもとで写真を見せようとするあたり、意識的なことか本能的なことなのかはともかく、バランス感覚のようなものが働いているのだろうか、と思ったりした。

2003.12.16. 絵画論

林道郎氏による絵画論のシリーズ『絵画は二度死ぬ、あるいは死なない』の第1弾「Cy Twombly」が出た。ART TRACEという非営利団体の発行で、税込み1000円。この団体が昨年から今年にかけて企画した連続ゼミを活字に起こしたもので、そのテーマ設定について林氏は<ジャンルとかミディアムという以前に、絵画は、もっと原理的な次元で人間の感覚や想像力や思考のモデルとしての可能性を包み込んでいるように見える。ことに、「絵画は死んだ」というセリフが何度となく繰返された前世紀以降の「絵画」の歴史の中で、ますます、そのような原理的な可能性が「死なない絵画」を通じて剥き出しにされているように感じられる>と、あらかじめ書き付けている。もとよりモダニズム理論に通じた著者であってみれば、素朴な絵画礼賛であるはずもなく、ハイ・モダニズム以降の絵画の意味について、どのような線が引かれていくのか、興味をそそられる。それとともに、目を引くのは、ささやかな体裁であれ、この著者の初めての本がこのような形で世に出たということ。ART TRACEによるあとがきを引くと、<私達が通常入手可能な情報は、市場原理に従った少数のメディアから提供されるものがほとんどであると感じていました。アート・トレイスは、そういった環境から提供される情報とは、別の側面から提供し得る情報、またそういった情報を提供する形式の新たな創造をめざして、現在までいくつかの活動を行ってきました>。その第1弾が今回の連続ゼミなのだという。この論考がたとえばある美術雑誌に載ったとして、むろん載らないわけでもないのだろうが、その感じを想像してみると、彼らのめざす「形式の新たな創造」という話も、むべなるかな、という気もする。ほかにBrice Marden、Robert Ryman、Andy Warhol、中西夏之、 Sigmar Polke、 Ross Bleckner論がひとり一冊の形式で予定されている。

2003.12.17. 年暮るる

photographers’ galleryのことし最後の展示は本山周平展「Knockin’ on the heaven’s door」 (12月13-26日) 。今回もプリントサイズは小さく、主にちょっとした土産物だとか仏像だとか、いかにも日本的なガジェットのある室内を撮っている。それらはしばしば長寿その他を願う吉祥意匠であり、もはやそれと意識されることもほとんどないまま、日常に溶け込んでしまったモノなのだが、暗めの画面から、そんな日本的な室内にたたずみ、ありふれたモノのひそやかなたたずまいを、折に触れて目にとめてきた心の動きが浮かび上がってくるよう。ところでpgという場もこれで3年を閲しようとしているわけだが、本山に関して言えば、クラブの喧騒から今回の展示に至る間に、都市と鄙、ハレとケの場を遍歴してみせるバイタリティー、そして一貫して流れる意外な心優しさを印象づけてきた。逆に言えば、それを説得的な形で見せるためには、これだけの期間がやはり必要だったわけで、pgのような場が営まれる意味をよく体現した一人だと言ってよいのだろう。

2003.12.22. 公園

photographers’ galleryの新たな出版物として、「File」シリーズが刊行されはじめた。先月、一冊目の王子直紀『KAWASAKI 576』と二冊目である高梨豊+吉増剛造『我らの獲物は一滴の光』が同時に出た。版型も手に取りやすく、いい感じ。あとは流通経路、なのかな。それに続き、「03」として刊行されたのは、笹岡啓子『PARK CITY』。名古屋展でお目見えした広島もので、主たる撮影地は平和記念公園。たまたま手元にあった資料を見ると、平和記念公園の完成は1954年4月1日とある。で、本の奥付は実際よりも少し先の2004年1月にしてある。つまりちょうど半世紀後の出版ということになる。そんな半世紀後の広島をざっくり「PARK CITY」と呼んでみせたところに、作者の腹の据え方もある、ということなのだろう。名古屋ではネガフィルムそのものの展示だったが、今回も大半はネガイメージで、わずかにポジのイメージを交えている。それが必ずしもトリッキーに見えないのは、従来試みてきた展示方法ともかかわっていよう。ご覧になってきた方はご承知のとおり、一貫して、カラーの連続するなかにモノクロを滑り込ませる見せ方をこの作者は続けてきた。ずいぶんこだわるなと思っていたが、その瞬間、醒めるというか、褪せるというのか、微妙な不穏さを招来していたのも事実で、今回の場合もまた、ネガの連続のなかにポジが滑り込み、ポジなのにネガのように見えてしまう瞬間がある。そうしたイメージ間の落差がもたらす異化作用のようなものによって、特に今回の場合は目に見えていること、視覚イメージがあるということ、あるいはさらに「記念」しているということの安心立命を脅かす感がある。

2003.12.24. LOVE

「スタジオボイス」1月号を買ってみる。特集は「I (ハート型、LOVEと読ませるのだろう) PHOTOGRAPHY/写真を変えた宿命のフォト・マスター69」。写真にLOVE・・・みたいな感覚は個人的にはぴんとこないのだけれど、内容はなかなか濃密。なるほどなあと思ったのは、倉石信乃氏による「タイポロジー」の解説で、<見誤ってはならないのは、ベッヒャー夫妻の撮影する、たとえば廃墟になった「給水塔」が、ドイツの第三帝国の記憶を再生させる指標性を備えていることである。それは単に近代産業の遺跡への審美的なノスタルジーを冷徹な客観描写を介して呼び覚ます営為ではない。それらは、近代に内在し今日も根絶されてはいない「過去」の負の遺産を平静に指し示そうとする政治性を有しており、観者を歴史や記憶と直面させるものでもある>とある。ちなみに、この一文は2004年2月に美術出版社から刊行される予定の『カラー版世界の写真史』用の原稿からの抜粋とのこと。注記によれば、この本は、飯沢耕太郎氏の監修で、ほかに大日方欣一、深川雅文、井口壽乃、増田玲、森山朋絵氏といった充実した顔ぶれが執筆しているよし。いま手元にある写真史の本といえば、伊藤俊治『20世紀写真史』、同じ著者による『NHK市民大学 写真表現の150年』だとか、飯沢耕太郎『写真美術館へようこそ』といった感じになるのだが、それらからかなり歳月も経た出版に期待させられる。

2003.12.25. 山

「名取洋之介と日本工房作品展-報道写真の夢」 (12月2-25日、半蔵門/JCIIフォトサロン) 。最終日になんとか駆けつけた展示は、三島靖さんがすでにお書きのとおり、じっくり見るに値する内容だなという印象を与える。むろん通りいっぺんの知識すらない者にとっては、あやふやな印象にとどまらざるを得ないけれど。そんな文脈を外れた興味を以下、いくつか。ひとつは山という場。たまたまのことかもな、とは思いながら、土門拳「防共富士登山隊」 (1938年) と藤本四八「上高地」 (同) をつづけて見ると、山という場が持っていた当時の意味合いについて考えてみたくなる。もうひとつは折帖形式の写真帖「日本」。現物はケースの内ながら、それを模したものが置かれていて、手にとってめくることができた。折帖という東洋的な形式が選ばれたのは、やはり意図のあることであるはずだが、モンタージュによるイメージそのものの空間性のなさ、それが余白もなく、しかも折帖の表裏両方に張り付けられていることによる異様な感じが強く印象に残った。