時評 33 “2006年、2007年、2011年。” by 上野修

†あなたは真実を知らない。私は知っている。これが陰謀説の構えである。陰謀説を信じるとバカになる。幸運にしてバカにならなくても、間違いなくルサンチマンの虜になる。

†電気用品安全法によって、PSEマークがない製品が、2006年4月以降販売できなくなることが問題になっている。中古の楽器やAV機器を扱う店が困っているらしい。写真関係で該当する機器はあるだろうか。特定電気用品以外の電気用品(338品目)一覧を見てみると、スライド映写機、ビューワー、エレクトロニックフラッシュ、写真引伸機、写真引伸機用ランプハウスなどが、同じく4月以降販売できなくなるようだ。
と、ここまで書いたのが3月上旬。その後、ビンテージものは例外になることになり(いわゆるビンテージものに関する特別承認制度について)、さらに所有権が購入者に移行しないレンタルの容認が確認され、玉虫色の結果になった。法という観点から考えると、まったく意味不明な最悪の結果だが、当事者なら実をとって受け入れるに違いない結果でもある。法もまた玉虫色の実を与えられ、生きのびる。

†PSE問題でマスメディアが騒いだのは、ほんの一瞬だった。これから間違いなく起きるであろう問題としては、2011年の地上デジタル完全移行がある。現在でも普通に地上デジタル非対応の機器が売られているのに、スムーズな移行ができるはずがない。機器の問題から、移行に便乗した詐欺まで、さまざまな出来事が起こるだろうが、さて、そうした出来事をマスメディアはどう報道していくのだろうか。とりわけテレビ局などは、直接関係しているだけに、興味深い。

†もっとも、2011年まで、マスメディアに活力があるかどうか。現在すでに、マスメディアという言葉自体が死語に等しい。マスメディアという言葉を使うのは、マスメディアくらいのものだろう。

†2011年の前には、2007年問題というのもある。ある世代が大量退職する問題で、IT関連のシステム運用から、最近ではさまざまな分野で使われている言葉のようだ。なかには、継続雇用を解決策とする意見もある。この世代らしい、自作自演ぶりだと思う。これまでに数十年も時間があったのに、技術やノウハウを継承することができず、継承していない問題を見通すこともできなかった人たちが継続して働いたところで、問題は深まるばかりだろう。それも、そもそもほんとうに、2007年が問題であるとするならの話だが。

†少年犯罪が増えていると言う。増えているのかどうかは知らないが、そう言われるのは当然だと思う。かつて、大人はおかしい、信じられない、と言っていた世代が、いまは、子供はおかしい、信じられない、と言っているのだから。何かがおかしい、誰かがおかしい、だから自分は正しい。そんな子供じみた理屈を垂れ流すのも自由なのかも知れないが、だからといって、子供までおかしくしてしまうのはいかがなものか。子供がおかしいと言うような発想自体が、どう考えてもそうとういかれている。

†今年は自分にしてはかなりの数の本を読んでいる。子供のころ星新一を読んだとき以来だと思う。読んでいるのはある作者の時代小説。だんだん読むものもなくなってきたので、その作者のエッセイを読むようになった。

何にせよ、男が他の男へ、金銭と女性に関わる悪罵や弥次を飛ばすことは、もっとも、
「卑劣なこと……」
だと、私どもは先輩に教えられてきた。
デマにせよ、真実にせよ、男にとって、もっとも痛いところを衆目の前でつく。

これはあるエッセイの一節。世界がおかしい、社会がおかしい、子供がおかしい、と言うような人は、たいてい金や色事の噂も大好きだ。かねがね不思議に思っていたが、こういうわけだったのか。

†あなたは真実を知らない。私は知っている。真実はこうである。だから、こうしないと大変なことになる。これが陰謀説に基づく脅迫のディスクールである。脅迫のディスクールと言っても、じっさいにはそんなにたいそうなものではなく、寒天ダイエット程度のものが多いわけだが。しかし、それゆえに隠微で陰湿で、日常的にはびこり、鬱陶しいことこのうえない。そこで、こうした脅迫的ディスクールにはかかわらないようにしてみたら、見聞きしたり、読むものがなくなるくらいすっきりした。日常的にはびこっているということそれ自体が、脅迫的ディスクールの終わりが間近な徴候だろう。それはおそらく、20世紀的とは言わないまでも、90年代的なものだったのだろう。

†メディアリテラシーという言葉の意味がわかるくらいなら、メディアリテラシーを云々する必要がないだろう。

†「現代の都市の話題の建築を舞台に交わされる、永遠、生と死、愛、芸術を巡る会話。新たな可能性を発見する長編」。これは、ある文学賞の受賞第一作のコピー。「の」の連続、とインプットメソッドに怒らなかったのだろうか。これほどデコンストラクティブな美しい悪文を見たことがない。感動的。

†YouTubeも熱いが、inaも熱い。と、ここまで書いて、また放っておいたら、YouTubeをgoogleが買収というニュースが。こうしたWeb2.0ネタは今後しばらく続くだろう。メディア論関係では、ひさびさのかきいれどきだろうが、自分には残念ながら関係ない。また、こうしたテクノロジーと管理を結びつける、眠たい制度論(あなたは知らないうちに監視されている)にも、まったく関心がない。関心があるのは、ちょっと堅苦しく言うなら、ポストgoogle的な時代における近代的個人の位置が、どのようなものになるかということである。