Papery 2005 by 前田恭二

2005.07.01. 中国展

東京・六本木の森美術館「中国 美の十字路展」「フォロー・ミー:新しい世紀の中国現代美術展」 (ともに7月2日-9月4日) のオープニング。前者は米・メトロポリタン美術館で開催された文物の展覧会。立派な出品物がずらり。絵画資料に類するものが少なからず含まれているのも実は得難い。後者は現代作家16組・19人による2000年以降の作品を紹介している。このところ市場を席巻する中国現代絵画ではなく、写真、映像作品が多く選ばれている。ただ率直に言えば、淡々と眺めてしまった。理由は幾つかありそうな気がする。カタログのテキストは<今日の中国では社会全体の振動や大きな流れと現代美術が、作品の主題としても市場としても緊密な影響関係にある>と述べている。また、<1960~1970年代生まれのアーティストによる本展の出品作は、現代美術を取り巻く中国の複雑かつ奥深い環境を多面的に見せてくれるのであるが、彼らの主題やスタイルがこの10年で極めて劇的に変化していることも、特筆すべきであろう。その変遷は必ずしもリニアなものではなく、しばしば多様なメディアを使い、複数のシリーズが断続的・同時並行的に展開される。それは、多くが絵画を学んでいながら、写真やビデオといった技術面での革新が個人にも深く浸透してきたことと同時に、まさに激変する社会の変化への柔軟な姿勢の顕れでもあるだろう>。つまり指摘される通り、社会との関係を強くうかがわせる作品が多い。その集積によって、中国社会の変化と現代美術、という文脈が強く際だち、結果的にフラットに見えてしまうところがあるのかもしれない。それとともに、ある種の当惑を感じさせたのがその写真・映像ベースの作品群。邵逸農/慕辰 (シャオ・イーノン/ムゥ・チェン) は、文革時代に集会場であったらしい建物の内部のうらさびれた、時には廃屋化している中国の現在を、スタティックな、例えて言えばドイツ現代写真ふうの流儀で提示する。写真としての質は別にして、その語法そのものに、借りられてきた、という印象をふと抱かされる。他方で劉錚 (リゥ・ジェン) の「生存者」シリーズは、がれきから抜け出してきたかのごとく負傷し、灰にまみれた、多くは西洋人らしき男女のポートレートである。素朴に9・11の生存者を思わせるが、たぶんスタジオワークであって、より普遍的な「生存者」のイメージを提出しようということのように思われる。ただ普遍性の志向は逆に、これをなぜ中国人作家が手がけているのか、いまひとつしっくり来ないような気持ちにさせる。これは多分に見る側の感覚にかかわることなのだが、どのような地域でも一般的に美術作品に使用されている写真・映像というメディアは実際のところ、ニュートラルなのだろうか。“肌の色”、端的に欧米のそれが伴っているのかどうか、あまり考えたこともないような事柄だが、それをなぜ今回の中国美術展で感じたのか、それも含めて考えてみるべきことかもしれない。

2005.07.02. バーニー

金沢市の金沢21世紀美術館の「マシュー・バーニー:拘束のドローイング展」 (7月2日-8月25日) へ。「拘束のドローイング」 (DR) シリーズは、かつて「DR7」を面白く思っただけで、あとは片々たる図版を見たことがあるのみ。この間の「クレマスター」5部作は正直、よく分からなかった。ちなみに試写会の記憶だと、あちこちで静かな寝息が聞こえていたわけで、いちおう最後まで目を開けていた当方などは、まだマシだったのかもしれない。そんなわけで、不安交じりで出かけたのだが、しかし、DRシリーズとは何なのか、「クレマスター」とどう関係しているのかなど、得るところが多かったし、何より新作「DR9」の妄想のすさまじさには、有無を言わさぬ説得力があった。ちなみにエビ臭もしていたけど。バーニーの想像力にはもともと錬金術的な傾向があり、そこにまさに推進力を得て、近年はますますブローアップしてきたわけだが、それが多くのスタッフを巻き込み、アート界での作品価値を高めていくという意味でも、アートという錬金術が本来持つスケール感を実感できる、この夏必見の展覧会か。

2005.07.03. アジア

名古屋市の愛知県美術館「アジアの潜在力」 (5月24日―7月10日) 。日本を含めたアジア美術の向かうべき方向を指し示す展覧会、というふうに称賛されているのを読んで、ぜひとも見なくては、と行ってみた。日本から東南アジアに至る、とりわけ海に面した地域の、民族的な造形と近現代のいわゆる美術、工芸作品を並列している。おおまかに言えば、かつては中国、近代以降は欧米という文化的中心に対して、一貫して周縁的であった地域の手仕事的な造形に、むしろ言語化・体系化されていない身体的な知恵が残存しているのではないかという見通しに立ち、肯定的に評価しようという展覧会である。その当否は別にして、ともあれ縄文土器から今日の作物に至る多様な展示物の中には、そもそも手仕事である実用的な道具と、意識的に手仕事性を選び取った近代以降の作品とが、あるいはアジアの祖霊像と橋本平八の彫刻が例えば等しく台座に並べられる。その並置を可能にしているのは、ほかでもない「展示」というシステムだが、欧米的な美術概念に何かを対置しようと試みる際、展示、展覧会、美術館といった枠組みを同時に問い直そうという意図がさして感じられなかったことは不思議にも思われた。そういえば、名古屋発の批評誌「REAR」が以前、展示批判の特集を組んでいた記憶もあるのだが。

2005.07.05. 雪舟

東京・表参道の根津美術館「明代絵画と雪舟」展 (7月2日―8月14日) へ。雪舟が明に渡り、大いに学び、それをウリにして描き、生きたことは周知の通り。今回の展覧会は画院のビッグネームをはじめ、明代絵画のかなり包括的なパースペクティブのなかに雪舟の画業を置いている。個人的には多くの絵がそれぞれ、なぜ出品されているのか、メッセージがしっかり伝わってくるような気がした。つまりは楽しんだわけだが、その私的なメモをごく簡単に。まず否応なく印象づけられるのは、明代絵画の優品と雪舟の絵の間に横たわる画力、描写レベルの差。端的にバロック的と評しても差し支えないのかもしれない、岩盤や樹木を大画面に錯綜させ、暗鬱にも見える雰囲気のなか、最終的には強烈な上昇感を演出する明代絵画の好尚を、雪舟はかなりの程度、驚くほどにとも言えるほど、ある種の作品では学び、実現している。ただ、すべての絵でそうしたわけではないし、おそらくそうできたわけでもない。単純素朴に、いつもマジに気合を入れて描き続けたら注文に応えられないと思ったのかもしれないが、雪舟は結局、別種のソリューションを見いだしたのではなかったか。ある種の文人画などが媒介項であったのかどうか、ともあれ錯綜した空間性とモチーフを、雪舟は日本にもたらされた、括弧付きの“夏珪様”、つまりはポキポキとして肥痩の乏しい線描を主体に描いてのける。もとより明代絵画にあった空間のイリュージョンは大半失われている。だが、もしこのやり方でなく、あるペースである量の絵画を描き続けようとしたら、彼の寿命ははるかに短くなったか、緊張感を失って絵画の体裁をなさなくなったのではないかとも想像される。いかに空間性を欠き、極端な言い方をすれば粉本ふうにさえ見えるほど単純化されているにせよ、ある明代絵画のモードを移入し、なおかつ一定の勢いとまとまりを備えた絵を雪舟が描き続けることができた、ということは評価されてよい。彼は彼のスペースを作り得たのだとも言える。ちなみにこの中国絵画に接した際のソリューションは、おそらく賛同も得られまいが、若冲のそれに通じるところがあると感じた。さらに余談の余談で言えば、今回出品される明代絵画のなかには、応挙らの付け立て技法の実は源泉の一つではあるまいかという想像を促す絵が含まれている。雪舟の時代、日中関係は極めて濃密だったわけだが、そのころもたらされた中国絵画は江戸期の絵画を想像される以上に強く拘束している可能性がある。以上をむろん遠い昔の話として書いてみているわけだが、雪舟にはさして関心もない、しかし、絵をストレートに見るタイプの方には、足を運んでみてほしい展覧会。

2005.07.06. 回転扉

「不思議な回転扉のように-写真と絵画の交流-」展 (7月4日-23日、東京・神保町/文房堂ギャラリー) 。小山穂太郎、河口彩、城戸保、田口和奈という4人のグループ展。監修は美術評論家の西村智弘氏。そのテキストを心覚えに以下、引用。<写真表現を「関係性のゲーム」として捉えることができるのではないか。この場合の「関係」とは、カメラを向けた現実の対象と写しだされた画像との関わりのことである。「関係性のゲーム」とは、両者のあいだになんらかの遊技性をもちこむことを意味する>。この「関係性のゲーム」については、<現実の対象と写真との関係を差異的なものとしてとらえ、対象や画像になんらかの操作を加えることによって、両者の関係を従来とは別の仕方に組み替えることである>とも記される。この視点から4人の作家が選ばれている。彼らは<少なくとも写真を単なる現実の再現として捉えていない点で共通しているだろう。むしろ作家たちは、画像が世界を安易に断定してしまうことに懐疑をさしはさんでいる。そうした表現においては、写真が世界の表象であるという素朴な信憑はいったん括弧に入れられている><対象と画像との関係に新たな目が向けられている。そして、この関係性をときにはずらし、ときには逆転させ、従来とは別の形へと移行させている>・・・。ちなみに、回転扉、という比喩は瀧口修造のテキストから取られているよし。

2005.07.06. 久しぶりに・・・

しばらく更新せずにいて、久しぶりに書いてみたのだが、この間、半年分をすっとばした格好に。言い訳するとしたら、忙しかった、とかいうようなことになるのだけれど、それなりの時間も経過し、心機一転すべきタイミングだったのかも。これまで余裕があったら書いておくということでやってきて、ずるずる遅れがちになったので、今度は月2回ほど締め切りを作って、やってみるつもりです。半年分のブランクも追い追い、埋められたらよいのだけど。

2005.07.09. pg1

photographers’ gallery横浜展 (6月25日-7月10日、横浜/BankART Studio NYK) 。会期序盤のトークショーで司会をしたのだが、当日はそれで頭がいっぱいだったので、改めて展示を見に出かけてみた。メモ風に少しだけ。pgのメンバー10人が出品している。まず西村康「DO THE RIGHT THING」について。沖縄の路上で撮影した若者のポートレートを大きくプリントして並べている。大型の顔はいまやありふれているとも言える。沖縄の若者という被写体に対して、まことに率直に向き合っただけとも言えそうだが、ともかく見入ってしまった。うまく説明できないのだが、ここでの顔は内面の表象でなく、はたまた即物的な存在感を主張するというわけでもなく、そこに去来する外的な諸力のようなものが写っている――つまり顔それ自体が政治的であるような次元を見るような感じがある、と言えばよいだろうか。ただし、その感じといま生きている彼らの顔として現にあるということとがせめぎ合うところにテンションが生じているようでもあって、例えば顔を通じて政治的なものを撮るということになると、言うまでもなく最悪なことにもなりかねない。その奥にあった大友真志「Go up, to the North」は、展示空間を面白いと感じた。風景や室内とセルフポートレートといった組み合わせは今日、最もありがちな組み合わせの一つと言ってよい。ただし、それらを巡らせた一角は写真インスタレーションといった方がよい空間にもなっていて、その中央に各カットを撮ったカメラ=機械の目が存在しているような錯覚にふと見舞われた。素朴にレリーズを使って操作している様子が写っているということにもよるのだが、自身を風景などと同列の、写される側に置こうとする意識をそのセルフポートレートは示していよう。そのようなカメラを“向こうに回す”感じは、タイトルや被写体の選択が示唆する私的なものへの傾斜を裏切ってもいて、結果として何か不思議な感じのする空間ができあがっていた。このあたりで以下、次項に。

2005.07.09. pg2

笹岡啓子は「PARK CITY」「観光」の2シリーズを出品。前者には今回、広島平和祈念館の内部を撮影した写真が加わった。建築空間内のカットは薄暗く、奇妙な光の回り方をしていて、行き先不明、出口不明の写真内空間を作り出している。これらだけで固有の面白さを備えているようにも感じた。後者はこれまで何度も見てきた結果、いまもって謎のシリーズ。今回はプリントに「青森県むつ市田名部字宇曽利山観光」といった大きな文字を配したタイプの作品が登場した。写真と地名などの文字の組み合わせは、観光ポスターのフォーマットとも等しいわけだが、さりとてパロディーを試みているとも思われず、意図するところはまたしても謎というほかない。高橋万里子は従来の“食べ物ぐちゃぐちゃ写真”でなく、ピントを外して母と人形を撮影した新しいシリーズを出品していた。一見、心霊写真ふう。例えば母と人形、心霊写真風といった要素が招き寄せるかもしれない心理学的な解釈を拒む強度をこのシリーズが秘めているのかどうかは、まだよく分からない。このほか王子直紀の川崎写真がまさに身をもって抱え込んでいる、写真を選ぶことをめぐる自問に、1日の撮影カットをすべて見せる本山周平の新作もまた関わっており、興味をそそられたのだが、いま考えをまとめられる気もしないので、最後に北島敬三「PORTRAITS」についてだけ。展示室に入ると、継時的に撮影した写真群が横方向に並んでいる。それをたどっていくと、複数の人物のカットをグリッド状に配したパートが現れる。その先は再び継時的な写真群が続く。継時的なシークエンスに対して、中央のパートはそれらが複数的に存在することを、正面性の強いグリッドによって強く印象づけている。展示として効果的であり、シリーズをこれまでとはまた違った構造として見せることに成功していたと思う。ただし、展示として効果的であるということ、それが複数存在し得るということが本シリーズの性格とどう関わっているのか、また、それをどう考えるべきかという局面にも、見る側としては差し掛かっている気もする。

2005.07.23. 縮

「In-between 5 本山周平」 (EU・ジャパンフェスト日本委員会発行) 。先日の横浜展で買ったのを、眺めてみる。うーん、これはいいなと思い、さほど多くない写真をゆっくり楽しんだ。日本の写真家13人がEU25か国を撮り下ろすという日欧文化交流プログラムとして、刊行が始まった写真集シリーズの一つ。本山が担当したのはルクセンブルクとオランダ。前者では古城を中心に、後者では街角や低地を撮っている。撮り方、見せ方としては国内の放浪シリーズと同じ。小さなサイズで熟視を促すという意味で、同じ出版物ながらSMタブロイドとは異なり、むしろ展示での見せ方に近い。改めてというわけでもないのだが、この写真集を眺めながら、かれこれ5年前に見始めたクラブシーンの写真から一貫しているものが仮にあるとしたら、没入ということかな、と思ってみる。ルクセンブルクの黒々とした古城の写真、あるいはオランダの街角にたたずむ人影に目を引き込まれながら、それこそが写真につかまれる体験であって、ほかの誰よりも写真家自身がその悦楽に没入しているに違いないとも想像してみる。その意味では喧騒に満ちたクラブシーンの写真よりも、平静にも見えるルクセンブルクの写真において、むしろ病は深まっているというべきかもしれない。

2005.07.25. 時節

東京都写真美術館のコレクション展の第3部「再生」 (7月23日-9月11日) 。このパートは1930-1960年をフォトジャーナリズム、とりわけ第二次大戦の戦前・戦後の日本の写真家12人の仕事を通じて、たどり直す。12人の写真家たちを列挙すると、次の通り。小石清、桑原甲子雄、河野徹、熊谷元一、木村伊兵衛、中村立行、林忠彦、大束元、植田正治、福島菊次郎、濱谷浩、東松照明。ここには例えば土門拳の名前が欠けており、聞けば理由もあってのことのようだが、つまり同館のコレクションが当該時期を包括的に見せられるほどの規模に至っていないため、相対的にアドバンテージを主張できる写真家を中心に紹介し、その個別の仕事によって時代を検証するという展覧会形式になったらしい。ちなみに本コレクション展はカタログを作成しておらず、新潮社・とんぼの本からムックが刊行されている。この第3部のムックについては、もっと個々の仕事に踏み込んだ記述をすべきと思われたし、展示についても1人あたりの点数が物足りないような気がする。しかし、12人のなかには通常あまり取り上げられない写真家の仕事が取り上げられていて、アマチュア的な領域で活動していた顔ぶれも広く視野に収めた戦時下の写真展として興味をそそる。一言だけ、誤解を招くかもしれない感想を言えば、写真それ自体は戦前・戦後の断絶よりも連続性を指し示す媒体のようにも見える。これは写真家が、とか、彼らの撮影に望む心構えが、ということでは決してない。そこには反戦も翼賛も交錯しているはずで、例えば今回のムックもそこにこだわっている。あとがきの一節を引けば、<12人の写真家たちは、戦争という受難と向き合い、時には苦悩し、自分自身の表現方法を模索していった。ある者は、不本意な気持ちを押し殺しながらも、無言の抵抗をし、写真を撮ることができる唯一の場所に身を置いた。ある者は、中央の喧騒から遠ざかり、時の過ぎるのをじっと待った。ある者は、戦争という衝撃的な体験を自分の表現の原動力として昇華し、写真家となる決意をしていった>という具合。この受難者としての写真家像が妥当なのかどうか、写真史に疎いのでよく分からないが、ともあれ写真家ないし写真の流通・使用では成り立つ議論だし、あからさまなコラージュやレタッチもまた主張を鮮明にしていよう。ただし例えばの話、戦前・戦後の言論をまとめたアンソロジーを読む際に感じるだろうそれと同等の断絶を、ここに並ぶ写真それ自体に見て取るのはなかなか難しいかな、と素朴に感じた次第。連続性が問題だというつもりはなく、どうあれ人間の姿をとらえ続けるヒューマニズムを称揚しようというのでもなく、ただ写真はそういうもののように見える、というだけなのだが。

2005.07.28. 正

朝日新聞の朝刊文化面にこの日まで3回、<決める? 決めない? ’05「選択」考>という連載記事が載った。そこに澤田知子の作品が掲げられていた。順番に「ID400」「COSTUME」「OMIAI」のシリーズが登場した。ちなみに「AERA」誌6月27日号の「現代の肖像」欄もまた澤田を取り上げていた。その冒頭、木村伊兵衛賞の30年展のオープニング・セレモニーでの様子が紹介されている。<どこにいてもキラッキラしたオーラを放つ彼女を見て、カメラマンは「ポップ・アートのスターみたい」と嘆息した。実際、澤田の周りには人が集まり、携帯カメラが向けられる。名刺が次々と差し出される>。人気の高まりがよく伝わってくる。他方で連載記事のなかで、思いがけず3つのシリーズをコマ送りのように眺めながら、ふと「ID400」と以降のシリーズはずいぶん違うものだな、とも感じる。正しくなってきた――と言って、その感じは伝わるだろうか。よく引き合いに出される森村泰昌との大きな違いはいまや、そのあたりかもしれない、とも思うのだが。

2005.07.28. 六本木1

六本木のギャラリービルで幾つかの展覧会を見る。TARO NASU GALLERYは田口和奈展 (7月23日-8月27日) 。これまで銀座のギャラリー覚などで拝見してきた人だが、この企画系ギャラリーの取り扱い作家になったよし。フォト・リアリスティックなペインティングをまず描き、それを撮影し、写真として提示してきた人である。その過程でペインティングに修整も加えられ、イメージは微妙なずれをはらむことになる。メーンの展示室は以前、ギャラリー覚で見たことがある女性の顔のイメージ。別室は新作で、中国陶磁風の壺のシリーズ。従来はプリントを紙ですよ、という感じでそのまま展示することが多かったはずだが、女性の顔のシリーズは黒い額にきちんと収められていた。展示としてはファインになった。美女の唇は微妙にゆがめられており、不吉な感じを漂わせる。この美女はおそらくフィクショナルな存在であるはずだが、絵画-写真というプロセスを重層させる手法は鏡を向き合わせにしておくと奥から悪魔が出現するという伝説にも似て、彼女に魔的な存在感を与えており、それと黒い額はよく似合っていると言ってしまうこともできよう。ただし、従来の見せ方はあえて写真を使う作品コンセプトにもかかわっていたはずで、そこはどうなったのかと言うと、壺のシリーズのプリントの一つはエディション100 (!) なのだそうだ。

2005.07.28. 六本木2

ヴァイスフェルト-レントゲンヴェルケでは長塚秀人新作展 (7月9日-8月9日) 。はがきにある一文をまず引こう。<そのほとんどのモチーフが風景であるが故に、視る者はその場の情報を画像の中に求める。が、デリケートにコントロールされた被写界深度によって、混乱させられる距離感/破壊される遠近感と、静けさが同居する慎重に調整された色彩が、その情報収集を阻む。確かな現実でありながら非現実的な純粋風景。>。たしかに部分的にしか焦点が合わず、あとは不思議にぼやけていること、それに独特な距離の圧縮感もあいまって、遠目にはジオラマ風に見える。ただし、単純に被写界深度が浅いというわけでもなく、眺めていると、こちらの視覚の自明性がかすかに揺れるような感じがある。ちなみに東京都写真美術館「世界報道写真展2005」 (6月18日-7月31日) でも、あるスポーツカメラマンがビッグゲームを極めて浅い被写界深度で撮り、模型かボードゲームのように見せてしまう写真を目にしたが、それとは違い、単純にトリッキーと片付けにくいイメージ自体の存在感が備わっているように思った。


2005.08.04. 白黒

「週刊文春」8月11・18日合併号で、堀井憲一郎の連載コラム「ホリイのずんずん調査」がモノクロからカラー写真への移行期を調べていた。タイトルは「カラー写真と白黒写真で時代の境目が見えてくる」。このコラムらしく、タレントの子供時代の写真を見せるテレビ番組のコーナーに目をつけて、「笑っていいとも」「ダウンタウンDX」の5年分の録画から477枚の写真を調べたのだとか。それによると、1947年-63年撮影分はカラー率ゼロ。1964年撮影分からカラーが登場し、70年撮影以降はカラーが主流となり、82年撮影以降はすべてカラーになるという。確かに一般家庭では、そんな感じだったのかも。ちなみに小さいころからカラーで撮ってもらっていた芸能人は「清水ミチコ、蝶野正洋、ダチョウ倶楽部の上島竜平」、逆に遅くまで白黒だったのは「内山信二、肥後克弘、インリン」。堀井はむろん、カラーの方が高級だった時代があるにせよ、1982年以降は逆に白黒の方がぜいたくと考えられるようになる、とも付記している。ところで、このコラムでは「モノクロ」でなく「白黒」と書かれている。だんだん「白黒」と言わなくなってきたような気もする。

2005.08.05. ブラッサイ

「ブラッサイ-ポンピドゥーセンター・コレクション展」 (8月6日-9月25日、東京・恵比寿/東京都写真美術館) の内覧会。ポンピドゥー・センターからの巡回展であるよし。「夜のパリ」や「ミノトール」誌の掲載作品、「グラフィティ」、さらに彫塑作品も加えて、ブラッサイの仕事をダイジェスト的に見渡すことができる。かねて日本ではパリの写真は人気があると聞く。その紛れもない巨匠の展覧会だが、いま日本でのブラッサイの知名度はどのくらいなのだろう。かくいう自分もさして仕事をよく知るわけでもなく、こんな写真もあるんだ、と思ったりする。その一つについて。「パリの地下鉄の入口を見たことがありますか?」 (1932年) は、よく知られたエクトル・ギマールのデザインの一部をクローズアップしてみせる。「見たことがありますか?」と言われても、大方の人がパリの観光案内かアール・ヌーヴォーの本で見たあれか、と思うのではないだろうか。逆に言えば、ブラッサイが生まれたのと同じころ、パリに登場した地下鉄の入口は30年余りを経て、時代遅れになり、今日よりも見過ごされがちな代物だったということか。それはさておき、この写真を面白く思ったのは、妙な角度でブロースフェルトの写真集「芸術の原形」の植物写真を連想させるから。1928年刊行され、翌年にはフランス版も出たというのだが、カール・ニーレンドルフの序文は、クローズアップされた植物の形態に<ゴシックのフランボアイヤン様式の神秘的にもつれた唐草模様、高貴な柱身、エキゾティックな建築の丸屋根と塔、金の打ち出し細工が施された司教杖、練鉄製の格子>その他を見て取り、ただ植物の部分をただ拡大するだけで、<人間精神によって作られた形と、自然に成長した形とのあいだに近い類縁関係があることを証明した>とたたえている。これはしかし、妙な感じのする話。両者が別々に生まれてきたとすれば、驚くべき類縁関係ということになるけれど、唐草文様などはその名の通り、もともと植物の形状を抽象化している。似ていても別に不思議ではない。ギマールによるメトロのゲートもまた知られる通り、植物に由来するデザインで、そのことは誰の目にも分かる。それを撮影したブラッサイの写真をブロースフェルトの写真集に紛れ込ませたら、面白いパロディーになるかな、などと思った次第。ただしブラッサイ本人に、そのつもりはなかったらしい。むしろブロースフェルトの植物写真を称賛したベンヤミンと同様、現実のなかで無意識の領域に属していたメトロのゲートをカメラの視覚であらわにすることに、面白さを感じた、ということなのかもしれない。アール・ヌーヴォー、ブロースフェルトと書いてくると、さすがに思い至るのだが、ブラッサイとベンヤミンはほぼ同時代人。そういう角度から本展を眺めてみるのも一興か。

2005.08.08. アジキュビ1

「アジアのキュビスム-境界なき対話」展 (8月9日-10月2日、東京・竹橋/東京国立近代美術館) の内覧会。インド以東のアジアにおけるキュビスム受容を、国際的なチームでリサーチした展覧会。前提として思うことは以下の通り。本展はピカソ、ブラックらによるキュビスムとアジアのそれとの差異、またアジア各地のそれの差異を示し、「複数のキュビスム」という命題を浮上させている。という風に見える。けれども出品作の選び方との相関関係もおのずと意識させられる。出品作にはキュビスムもさることながら、同時代的な問題を共有していた、ないしはその影響下に生じたほかの芸術動向との関連を無視できない作品が少なからず含まれている。ピカソについても、キュビスム前後の作品である「アビニョンの娘」「ゲルニカ」からの引用が見受けられる。キュビスムとはちょっと関係ないかなあ、と思わせるような絵もある。それゆえ本展の示す多様性が「複数のキュビスム」なる事態を指し示しているのか、あるいは選定基準が広く設定された結果なのか、なにやら変数が2つあるx+y=10みたいな方程式を見ているような気分にさせられる。とはいえ目の前には面白い絵があったりもする。どう理解すればよいのか、解き方については自分でよく考えてみないといけない、という感じの展覧会ではある。

2005.08.08. アジキュビ2

さて、会場に入る前、なぜか不意にキュビスムと戦争というようなテーマは扱われているのかな、と思った。果たして1パートが割かれており、それも含めて、期待にこたえる内容は確かに含まれている。スティーヴン・カーン『時間と空間の文化:1880-1918年』はキュビスムを一つの焦点とする文化史で、その下巻『空間の文化史』 (法政大学出版局) の終章は「キュビズムの戦争」と題されている。第一次世界大戦の構図はキュビズムの構図であったというガートルード・スタインの比喩、また、迷彩トラックを見たピカソが「そうだよ、あれをつくったのは俺たちだよ、あれはキュビズムだよ」と叫んだというスタインの伝える挿話を引きながら、カーンはピカソやスタインが第一次大戦に帰着する現代的な空間の変化を、同時代人に先んじて理解していた、と強調する。その上で「ゲルニカ」について<自分が三十年前に開発したキュビズムの技法を用いて、ピカソはかつて見たこともないような破壊を描き、空からの戦争への忘れがたい告発を残したのであった>と言い添える。ともあれキュビスムが第一次大戦に先行する形で始動していたことは間違いない。ひるがえって本展を見ると、アジア地域のキュビスム受容は日本などの先行例を除くと、おおむね第二次大戦後、新しい国家の成立や近代化と並行する形で進行している。カタログ中「キュビスムと戦争」の項を執筆した崔銀珠は次のように結論づけている。<アジアの国々が体験しなければならなかった「戦争」という歴史的事実は、これまで見た通り、戦争絵画の領域において、戦争を直接体験した当時の画家たちによる独特な芸術的成果を生みだした。彼らは戦争の事実よりは、戦争によって疲弊した人間の本性を把握しようとし、その過程で戦争に対する憤り、恐怖、絶望を画面に湛え、これを超越することで再建と希望を表現した。対象を分析し、空間を解体、総合するキュビスムの様式は、「戦争」という主題に向かう作家にとって「内面のリアリティ」を確保する、ひとつの手段となった>。確かにそういうことなのかもしれない。ここでの文脈に沿って言い換えれば、ピカソが先取りした空間の変化を、アジア地域の画家たちは第二次大戦を通じて、つまり事後的に受け止めたということになる。このことはキュビスム理解にもかかわってくるのかもしれない。この項に掲げられる作品の大半は人物像である。そこではピカソの作品でも人物中心の「ゲルニカ」が顕著な引用源となっている。あるいはキュビスムの語法を、空間把握の変化でなく、一種のヒューマニズムとして受け入れたということになるのかもしれない。このあたりも何だかもやもやとして、なお一つの考えどころかなという気がしているのだけれど。

2005.08.09. 色

下道基行著『戦争のかたち』 (リトルモア) を眺める。少なからず目にする戦争遺跡の本の一つだが、ちょっと変わった本でもある。著者が戦争遺跡に出合ったのは<大学卒業後、なんとなく始めたピザ屋の宅配中のことだった>。その驚きからカメラを購入し、日本各地、さらには韓国にも赴き、トーチカや掩体壕などを撮影している。ピザの宅配中の出合いという始まり方が示唆する通り、モノクロで物質的な存在感を強調するタイプの写真とはかなり異なったものだと言ってよい。先ごろ東京・京橋のINAXギャラリーで開催された個展も見たのだが、今っぽい感じの淡い色目のカラー写真だった。空間的にもひいた感じの撮り方をしており、周囲を入れ込んでいる。それゆえ日常風景と戦争遺跡が同居する不思議な写真にもなっている。本書を読む限り、著者は<機銃掃射によって刻まれた弾痕の残るコンクリートの壁/おそろしいまでに冷たい質感>と物質的な存在感にも強く惹かれている。しかしながら、カラーを選択している。そこに意識的なのか無意識的なのか、世代的な感性があらわれているように思う。物質的な存在感が希薄になったところをどのような感情が埋めているのか、そのあたりも一考に値しよう。

2005.08.12. 会期

戦後60年にちなんだ個展を幾つか見て回る。被爆者の聞き取りと顔写真をもとに、切手シリーズの新作を発表した太田三郎展 (8月1-13日、東京・銀座/コバヤシ画廊) など。その会場には見ている間、ほかに訪れる人も偶々なかったのだが、記憶の風化を憂うのなら、15日にまたがる2週間で会期を設定したらどうだったのかな、などという思いが頭をかすめる。むろん画廊街はそろそろ夏休みに入る。けれども戦後60年ということに象徴的な意味を求めるのであれば、15日をまたぐかどうかということにも可能性としては、象徴的な意味合いを読まれ得るように思う。

2005.08.13. 目的

王子直紀展「Seoul」 (8月6-25日/pg) 。撮り方を変えたのかな、と思えるほど雰囲気の違うカットが並んでいる。聞けば撮り方でなく、これまでボツにしていたようなカットを選んだのだという。しばしばピントはずれ、なおかつブレている。シリーズは当初、すれ違いざまの人物スナップであったはず。そのまま相手にぶつかりそうなほど、かっとの正面性が強い展示を見た記憶もある。今回はしかし、「撮り逃している」度合いは著しく、どの人物を撮ろうとしたのか、果たして人物を撮ろうとしたのかどうかも分からない。しかし、そのことが本シリーズの目下の位相を物語っている感もある。人物や風景が写ることは確かにある。けれども人物や風景を撮ることはもとより、おそらく都市を歩く、擦過の痕跡を残すといったことさえも目的としては語りえない。にもかかわらず写真が撮られ続けている――というような。

2005.08.25. 臨海

桜井秀写真展「臨界の黙示」 (8月22日-9月3日、銀座ニコンサロン) 。タイトルを見て、昨年刊行された金瀬胖写真集『THE DAY AFTER 東海村・臨界の記憶』 (冬青社)のような仕事かと思ったのだが、臨界ならぬ臨海部の写真だった。浜辺で観察される漂流物、砂に刻まれる樹木状の文様などを撮影している。さりとて、ただの臨海部というわけでもなく、海を前にして、人間文明はいわば臨界状態を迎えているのではないか――といった文明論的な思索を沈潜させている風でもある。ともあれモノクロのイメージに強さがあり、略歴を確かめてみると、1937年生まれ、59年に「VIVO入社」とあった。グループの実像はよく知らないのだが、スタッフだったということか。そう言えば、東松照明さんにも「ブリージング・アース」といった作品群がある。やはり近いところへと考えがめぐっているということだろうか。

2005.08.27. EU

「JAPAN TODAY VOL.7 日本に向けられたヨーロッパ人の眼」展 (8月13日-9月4日、横浜市中区/神奈川県民ホールギャラリー) 。ヨーロッパの写真家が日本各地を撮影するという、1999年に始まったプロジェクトの第7弾とのこと。今回はダラ・マクグラス (アイルランド/神奈川県撮影) 、デヴィッド・ファレル (同/岩手県撮影) 、イトカ・ハンズロヴァ (チェコ出身・ドイツ在住/岐阜県撮影) 、ヴァレンティーナ・サイデル (ドイツ/神奈川・岩手・岐阜県撮影) が出品。会場に入ると、その4人目であるサイデルの写真がまず並んでいた。ちらしに<作品制作を、被写体とのコラボレーションと捉え、そのコミュニケーションを重要な要素とするユニークな手法のポートレートに取り組む>とある通り、アート関係者にそれぞれの<大切な場所>を聞き、その場所でポートレートを撮っている。深川雅文さんが横浜赤レンガ倉庫前に立っていた。あと、会場には出品されていないようだったが、金村修さんの写真学校でのカットが本プロジェクトの写真集の方には収録されていた。それはともかく、コンセプトというのか何というのか、こういうことで写真を撮っている人がやっぱりヨーロッパにもいるんだなー、と思う。

2005.08.29. たちすじ

思潮社の「現代詩手帖」を手に取ると、倉石信乃「現代美術のスナップショット」をまず目次で探す。美術雑誌ではむしろ少ない、批評性のあるコラムだから。9月号の連載19回目<私は選ばないという態度を選ぶ>は、最近刊行された本山周平の写真集『世界1』 (photographers’ gallery刊) を取り上げている。この欄でも最近、横浜での移動pg展の出品作をめぐって、<王子直紀のなお進行中の川崎写真、それから1日の撮影カットをすべて見せる本山周平の仕事が写真の選択という共通する問題を示して、興味をそそられたのだが、いま考えをまとめられるような気もしないので> (0709) と、口にしかけて逃げを打った写真の選択・非選択をめぐる論考となっている。本山による「非選択の選択」に対して、<ホームページ上で自作を公開する写真家たちは、多くの選択と判断の機会を省略する>と述べ、彼らが<非選択的な様態を希薄に生きている>ことを突いている。ウェブ上の試みのすべてが選択の希薄化であるかどうかは留保したいけれど、振り返りざまの一太刀は、やはり鋭い。文中にもう一例ある。本山が撮影したのが沖縄・中城城址と廃虚化したホテルであることに触れつつ、<新旧の廃虚はそれ自体余りにもフォトジェニックであるために、もはや「作品化」が困難な被写体の典型である>。

2005.08.30. 種

種村季弘さんが亡くなって1年になる。「種村季弘 断面からの世界展」 (8月22日-9月3日、銀座/スパンアートギャラリー) をのぞいてみる。やはり最近刊行された美術論集『断片からの世界』 (平凡社) で言及された美術家たちの小品が並ぶ。妖しい系の作品が多いわけだが、なかに鬼海弘雄、渡辺兼人の写真があった。確かに鬼海弘雄の写真集『PERSONA』 (草思社) にも一文を寄せていたわけだが、種村さんと写真という結びつきをあまり意識してこなかった。そこで上記美術論集を開くと、「ヴィーナスの解体」という論考がある。初出は1985年の「カメラ毎日別冊 NEW NUDE 2」。そこには<写真も貨幣も近さ (「近さ」に傍点) の呪縛から逃れることができないのである><ヴィーナス像の単純な二次元化から始まった解体作業はこの先どこに行きつくのだろうか。写真の貨幣と相似の増殖・流動性からするなら、それは資本主義の行きつく先がどこかというのにひとしい>といった、考えがいのある言葉を見いだすことができる。

2005.08.31. 時制

『hysteric Fourteen長野重一』 (7月、ヒステリックグラマー刊) を見る。広島・平和大橋のカットに始まり、1950年代の写真を中心とする内容。のちに『ドリームエイジ』にまとめられる高度成長期の写真群よりも以前、岩波写真文庫で仕事をしていたころの写真となる。戦前の写真にどこか通じる味のカットもあれば、逆に北海道のドキュメンタリー写真もあって、ある程度の幅を見て取れる。ただし、独特の距離感はすでにうかがわれる。多く群像を撮っている。それも一方向でなく、まちまちに動いている人の姿を目の片隅でとらえながら、シャッターを切っている風でもある。そうした見方をしている目に、丸の内で信号待ちをするサラリーマン群像が現れたわけか、とも思うし、その散在感はぐるりと回って、どこか現代的にも見える。むろん今日の目で選び直された写真であって、終盤には2000年代の近作も加えられている。その意味では、50年代の写真を中心とする、2005年の写真集ということになるのだが。


2005.09.06. ブロードウェイ

西村康展「BROADWAY」 (8月25日-9月15日、pg) 。横浜展でも目をひいた西村だが、今回はまた別の作品。しかも、異色の写真展と言ってよい。どういう展示か、どこまで説明してよいのか分からないけれど、そのまま記述してみよう。展示はおそらく同一の女性の、2系列のポートレートによって構成されている。一方はけだるい表情を見せる女性を、プライベートな場面であることを強調する形で撮られたモノクロ写真。他方は、やや過剰にメークをしたかとも思われる同じ女性が登場するビデオ画像を、モニターから複写したカラー写真である。モノクロは私的かつ直接的、カラーはあえて言うならパブリックで、間接的なイメージとなっているのだが、後者が漂わせる微かな煽情性に、それがどのような映像であるか、男性であれば思い至ることになるかもしれない。ともあれ西村が一義的に撮影したわけではないビデオ映像であり、そのこと自体は別に珍しいことではないけれども、この展示空間では、それと彼が間近に撮影したであろうモノクロ写真が、イメージの強さを測り合う状態に置かれている。あいまいな言い方はよくないか。隠微な扇情性においてカラー画像はイメージとして強く、それを十分承知の上でモノクロ写真をともに並べるという選択がなされているようなのである。多くの写真展において、写真は当然ながら支配的なメディアの地位にある。他の画像の複写による引用もまた今日ではよく見受けられるけれど、そこでも複写するという権能において、やはり写真は優越する。ところが、この西村の展示においては、そうしたメタレベルにおける優越が何ら意味をなさないようなイメージ間の競合関係がそのままさらけ出される。その意味で、ちょっと珍しい写真展のように思われた。

2005.09.16. 写真史

東京都写真美術館のコレクション展「混沌」 (9月17日-11月6日) の内覧会。写真術の誕生にはじまり、4回シリーズで続けられてきたコレクション展も、この現代編で最終回。結局、4回とも見たことになるけれど、写真史らしい面目を最もよく保っていたのは第1部で、次第にキビしい展示となってきたことは否めない。写真史記述の成熟度という問題、あるいはこの美術館固有の事情もさることながら、爆発的に写真の生産量が増大していくなかで、コレクションという行為それ自体が根本的に不可能になっていくという話があるのだろう。その過程で、収集の対象は写真一般から作品としての写真に特化されていく。その際、写真の側では作品性を担保する上で組写真とか、シリーズとしての写真といった傾向を強めていく。イメージをコレクションし、その特色によって作品の独自性を主張するやり方と言えばよいか。その全体像は顕在的ではないにせよ、その見えざるコレクションを背景として、1点の写真作品は存在する。この生態を免れる写真作品は今日ほとんど想定しえないとさえ思えるのだが、この第4部「混沌」は写真家1人に対して1点という見せ方を基本としている。ボルツらのポートフォリオの部でも、出品数はかなり少なかった。

2005.09.16. カタログ

杉本博司展「時間の終わり」 (9月17日-来年1月9日、東京・六本木/森美術館) の内覧会。主要なシリーズの大半を集めた回顧展。作家は存命中であり、展示構成は作家の意図を色濃く反映している。一口に言ってしまえば、人類史の時間旅行。冒頭に人類の英知の結晶たる数理模型を撮影したシリーズを配し、そこから太古に飛び、ジオラマが見せる原始人の世界、古代人が見たかのようにという意図で撮影された海景、古美術もの、劇場=映画館や近代建築――と並べている。こうした展示はそれ自体、現時点の杉本の考えを表明した一つの作品であって、個々の作品の意味合いは、また別の形で考えられるべきなのだろう。たとえば初期のジオラマ、劇場の2シリーズが本来、作品として持っているはずの射程は上記の文脈に収まるものではないだろう。それはともかく、面白いなあと思ったのは、展覧会に付随する紙の媒体として、非常に分厚い展覧会カタログとブルータスの特集号が用意されていたこと。ブルータスの特集は充実している。おそらく多めに刷ってあって、会期中も販売するのではないだろうか。海外の美術館だと、学術的なカタログと、美術雑誌の特集号をともに会場で売っているのを見かけることがある。その例にならったか。美術雑誌でも写真雑誌でもなく、ブルータスだというところが日本的かなとも思わせるのだが。

2005.09.27. 横トリ1

横浜トリエンナーレ2005 (9月28日-12月18日/山下ふ頭3号、4号上屋など) の内覧会。本来の開催年から1年遅れた上に、総合ディレクター交代と迷走続きのトリエンナーレがついに開幕した。テーマは「アートサーカス (日常からの跳躍) 」。サブテーマとしては参加型、コラボレーション、サイトスペシフィック、ワーク・イン・プログレスといったキーワードが掲げられているのだが、一口に言ってしまえば、それらをポストモダン・アレゴリーという枠組みにきちんと収めた展覧会。この日のプレスツアーで総合ディレクターの川俣正は、観者の影が作品に重なる高松次郎の「影」のシリーズを冒頭に、同じく物故作家である陳箴の無人の部屋を最後に置こうと思ったと述べていた。上記の枠組みはつまり、極めて意識的に設定されていると思われる。その線のアートが嫌いな人は展覧会を通じて、むろん否定的な見解を抱くことになるだろう。ただし、前回のトリエンナーレが少なからぬ人々に「ニカフみたい」と評され、ニカフを展覧会として論評しようという人もあるまいという意味で賛否の言いようもなかったのに比べると、少なくとも是非の態度を取り得る点で、今回は展覧会として成立していると言ってよく、そのことにまず好感を抱いた。

2005.09.27. 横トリ2

その意味では写真作品は相対的に少ないと言えるかもしれない。展示空間が温度・湿度等の調節がほとんどできない倉庫だという事情もあるのかもしれない。そのなかで目をひいたのは、米田知子が阪神・淡路大震災から10年後の風景を撮影した作品 (プロジェクトとしては、芦屋市立美術博物館、ボランティアグループ「とまと」との協働制作) 。かねて歴史的な惨禍や事件のあった当の場所を平静な風景としてとらえる米田作品を見ながら、今日現にある惨禍に赴くドキュメンタリー写真家たちの仕事と比べてみたい気持ちにさせられてきたが、今回の作品は興味深く見た。その平静さを印象づける画面上での水平の保ち方が、震災後10年の風景という主題上、単なる撮影上のスタイルを超える意味合いを備えているように思われたからである。

2005.09.30. らしさ

安村崇写真展 (9月30日-10月17日、東京・渋谷/パルコミュージアム) 。展示は「日常らしさ」「『自然』をなぞる」「せめて惑星らしく」といった主要なシリーズを集めている。その最初のシリーズを収める初の写真集「日常らしさ」 (オシリス) もこの日、刊行された。ところで、ちょっと感心させられたのは写真集のタイトル。写真集の内実に対して、タイトルは往々にして広すぎたり、抽象的だったりするものだが、「日常らしさ」というタイトルは安村の仕事への、例外的と思えるほど的確な導きの糸となっている。この耳慣れない言葉の意味合いを少し考えてみるだけで、その写真が日常とイメージの関係を問うものであることを理解できる。「らしさ」とは、そう思えるということ。見えやイメージの問題と言ってもよい。「日常らしさ」はつまり、イメージとして日常らしく思える、見えるということを意味するわけだが、ついに日常なるものに行き着くことはなく、イメージの世界にとどまる。翻って、その写真は滋賀県の実家にある日常的な家具や日用品が人工的なイメージと色彩によって構成されていることを指し示す。月並みな山水画の襖、表層的な壁の木目、デコラティブなパターンの床材、あるいは剥製。それらは徹底的にイメージに囲繞されている。イメージに覆われた日常的な事物が構成する、イメージとしての日常。そうした仕事の意味を、タイトルは端的に示唆していると思えるのである。ただし今回、この新鋭の仕事にはこれまた例外的とも言えそうなほど、多くの言葉があらかじめ書き付けられている。写真集にはマーティン・ヤッキ (チューリヒ在住の著述家・批評家であるよし) 、八角聡仁、倉石信乃のテキストが、また展覧会のリーフレットには飯沢耕太郎、企画者でもある北澤ひろみのテキストが収録されている。倉石の一文が「実家の写真」という文脈を鋭く与えていることなども言い添えておくべきではあるのだが。


2005.10.14. 襞

港千尋展「Augustine Bataille Explosion#1: Entropic & Ecstasy」 (10月8-27日、pg + Ikazuchi)。第一印象は「ネタ振りすぎ!」。いや、冗談めかして言えばの話だけれど、何と記述してよいのやら、それさえ戸惑うような展示なので、pgの案内文を引いておこう。<旧石器芸術とヒステリーが出会う未開の領野を、オブジェ・映像・写真・テキスト・資料によって走査する、神経光学の試み><4000人もの不治の女たちが監禁されていた19世紀末のサルペトリエール病院。患者のひとりであったオギュスティーヌの観察・治験の記録写真を中心とした資料展示と港千尋撮影によるアフリカやヨーロッパに残る旧石器時代の洞窟内部や洞窟壁画の写真および映像展示>。具体的にはpgのスペースには洞窟関係の写真や絵はがきなど。向かいのIKAZUCHI側にはヒステリー関係の写真やテキスト、さらに鏡を使ったオブジェなど。両者をつなぐものとして、ヒステリーの示す体勢の図を重ね、洞窟絵画のようにも、あるいは襞を織りなす脳の断面図のようにも見える画像が掲げられる。ルルドの聖母を登場させているのも、あるいは結び目になるだろうか。これらあまりに多くの意味を放射する展示物の付置を認識できる人は、当の作家を除いて、そう多くはあるまい。ともあれ洞窟絵画にも精神分析にも疎く、遠巻きにするように眺めた限りだと、おそらく1900年を挟む数十年間という時期に相次いだ、洞窟という誰も立ち入らなかった内部と、精神内部の暗がりに光を当てようとする営みを、展示によって照射しようとする試みということか。内部は光/視線によって、真正の内部ではなくなり、無数の襞がたたみこまれた表面と化す。そんな巨大な転換期を指し示す文化史的な展覧会でもあるわけだが、その光/視線とは、当時においては写真という形を取ったわけで、これは確かに写真展、しかも極めて先鋭な写真展と言ってよさそうだ。その先、転換期以前にあり得た内部に遡行ないし潜行するのか、内部なき世界の表面を踏査するのか、そこはおのがじし考えるべきことなのだろう。

2005.10.19. 色

東松照明展「Camp カラフルな! あまりにもカラフルな!!」 (10月11-28日、東京・銀座/ギャラリー新居東京店) 。1960年代末、返還前の沖縄をカラーで撮影し、「アサヒカメラ」に発表したシリーズとほぼ同じタイトルの展覧会。すべてカラーで、70年代から今日に至る写真が並ぶのだが、沖縄のカラー作品でも、今回は民俗や自然に目を向けた写真は外している。つまりは基地という視点で沖縄を撮り続けているということを強く主張する展覧会。個人的には昨年、カラーへの移行について話を聞いたのだけれど、この系譜だけを改めて示されると、また別様のことを考えなければならないという気にさせられる。さすがというか何というか、ともあれ今回の出品作において、写真家は一貫して「ペイント」に反応している。塗り込められること、あるいは上書きされること。それらが風化し、はがれること。この二つの事象が織りなす色と質感を、執拗に撮り続けている。それは文化と自然、あるいはアメリカニゼーションと沖縄固有の風土との絶え間ない闘争と読み替えることもできそうだが、やがてペイントに限らず、すべての色と質感がそのような生々しさを帯びて見え始める。その奇妙さを直視せよ、という展覧会でもある。

2005.10.19. 作者・写真

「生の芸術 アール・ブリュット」展 (9月27日-11月27日、東京・銀座/ハウス・オブ・シセイドウ) 。ブルノ・デシャルムというアール・ブリュットの収集家のコレクションから80点余りの作品を紹介している。現在地に移転する前、資生堂ギャラリーはアウトサイダー・アート展を継続的に開催していた。その実績があってのことか、見ごたえのある展覧会となっている。ところで、アール・ブリュットと呼ぶのか、アウトサイダー・アートと呼ぶのか、そもそも定義とは何なのか、実はけっこう分かりにくい分野だが、眺めていて、ふっと考えさせられることが2つほどあった。1つは作者不詳の作品が含まれていること。仮にアウトサイダー・アートと呼ぶとしたら、作者の属性がそれを規定しているのだろうから、作者不詳というケースは考えにくい。ここではつまり、別の定義がなされているということになる。もう1つは写真が展示されていたこと。ロシアのアレクサンドル・ロバノフ (1924-2003) は銃に関する強いオブセッションを持っていたようで、銃を持った人物や自画像を描いているのだが、リーフレットの紹介を引くと<70年代には写真に熱中し、共産党の広告でおなじみのシンボルマークや文言で飾りたてた私設舞台を作り、ボール紙で作った銃を手にポーズを決めた>。その自写像が展示されている。この場合、写された絵やボール紙製の銃がすでにアール・ブリュット的であり、そこにはロバノフ自身の姿もある。それゆえこの写真が出品されていることへの違和感はさしてないのだが、では一般的に言って、そうしたアール・ブリュット的なモチーフや本人の姿抜きで、アール・ブリュットと呼べる写真作品ないし写真家を果たして想定することができるだろうか。というようなことを、ふっと考えてみた。

2005.10.27. 写真史

伊奈信男写真論集『写真に帰れ』 (平凡社) を読み始める。今年は飯沢耕太郎・金子隆一監修『日本写真史の至宝』 (全6巻、別巻1、国書刊行会) も刊行され始めた。伊奈の登場が1932年、後者のシリーズが小石清、福原信三、安井仲治ら1920-30年代の仕事の復刻であることを思えば、戦前、とりわけ1930年代の写真史に関する注目が高まった年ということになるかもしれない。それはさておき、まとまった形で唯一、伊奈の評論を読める本書を編んだのは、大島洋である。「写真装置」誌で評論史を回顧し、さらに東京都写真美術館叢書『再録写真論1921-1965』 (淡交社) を編んだ業績は広く知られていることだろう。だが評論家でも写真史家でもない、現役の写真家である大島がこうした仕事を手がけてきたことは何かしら物思わせるところがある。今年pgでの展覧会で再び脚光を浴びた大島の初期作品は1960年代後半からしばらくの間、おそらく写真のコンセプチュアリズムとでも呼ぶべき動向が存在していたことを告げていた。そこには例えば中平卓馬も足を踏み込んでいたはずだし、山崎博の仕事を加えることもできそうに思うのだが、もしそうした動向を想定するとしたら中心的な存在の一人だったと見なすべき大島が写真論の再構築、写真史の検証に向かったことは、そうしたコンセプチュアリズムの延長線上のことなのか、はたまた成り立つ基盤のなさを実感したからなのか。ともあれ評論家、写真史家が果たしてよかった仕事を、結果的にかなりの程度、大島が担ってきた不思議さを改めて思う。今回の伊奈の評論選は、ニッコールクラブ幹事会の企画であり、直接的には2003年、大島が伊奈信男賞を受賞したことがきっかけなのかもしれない。だとすれば賞がいい方向につながったことになるわけだが、往時あり得た写真のコンセプチュアリズムの有為転変を思わせなくもない。


2005.11.01. 本1

「In-between 吉増剛造 アイルランド」 (10月10日、EU・ジャパンフェスト日本委員会刊) 。たしか『打ち震えていく時間』あたりから、その本に写真を収め、写真展も開いてきた人だが、写真集の形を取った単著は初めてではないだろうか。EU諸国を日本の写真家たちが撮影するという本シリーズで、この詩人らしいアイルランドを担当している。さて、本として見ると、写真の並べ方がどこか写真家一般のそれとは少し違うような気がする。いわば序破急のようなものが感じられる。たとえば横転し、魚をぶちまけるトラックを写した2カットの連続が「破」であるというような。これは詩を読み、朗読を聞いたことがあるためなのかどうか。微妙な違いなのだけれど。

2005.11.01. 本2

写真集の話ではないが、本をめぐる事情について。東京国立博物館「北斎展」 (10月25日-12月4日) と連動してのことか、北斎関係の出版物が相次いでいる。実際は過去にも本の形で見ることができたものがほとんどだが、小学館『初摺 北斎漫画』は、これまでモノクロが中心だった出版に対して、この本来多色版画である作品をカラーで収録している。さて、その本としての構成なのだが、橋本治が序文を寄せ、図版編の後ろに美術史家の小林忠、今回のオリジナルを提供したコレクターの浦上満氏の対談を収録している。その内容は興味深いものであるにせよ、しかし、こうした大冊の場合、対談等は従来なら挟み込みの付録にしたり、あるいは関連の雑誌などで企画したり、という形を取っていたものではないか。本体12000円という出版ながら、それゆえムックみたいな匂いをふと感じさせる。それから東京・上野の都美術館「プーシキン美術館展」 (10月22日-12月18日) のカタログも、ある意味で目をひく。作品解説は短く、簡潔をもって旨とする。率直に言えばカタログというよりも、やはりムックっぽいのである。以前、東京・六本木の森美術館「杉本博司」 (9月17日-来年1月9日) でのカタログと「ブルータス」誌の特集について触れたけれど、あの場合、カタログと雑誌は役割を分担していたわけで、それと話は別である。え、本とかカタログって、こういうものだったっけ、と思ったもので、書き記してみた次第。

2005.11.02. ザンダー

「ドイツ写真の現在」「アウグスト・ザンダー展」 (10月25日-12月18日、東京・竹橋/東京国立近代美術館) 。いまをときめくドイツ現代写真とその源流を、じかに見られる得難い機会。例えば前者のカタログ所収、インカ・グレーヴェ・インゲルマンの文章「現実とイメージのはざまに」の注に、< (ザンダーとブロースフェルトに) 共通するのは、被写体に対する即物的なアプローチと撮影した写真のアーカイヴ化という方法論である>と簡潔に記されている通りで、ベッヒャー夫妻はその伝統をよりどころとし、後続の写真家たちも多少なり受け継いでいよう。その意味で、前者では作家あたりの出品数が限られており、アーカイヴ化の側面を実感するのは難しいうらみが残る。ただし、後者では、写真集『時代の顔』に収められたザンダーの写真60点をじっくり見ることができる。リーフレットに収められた文章で増田玲氏は、このシリーズの先に構想されていたプロジェクト「20世紀の人間」について、<けっして単純な職業別人間図鑑といったものではなく、「農民という土地と結びついた人間から出発し、あらゆる階層と職業の中を、最も高度な文明を代表する人びとへと上昇したのち、再び下降して愚者へと読者を案内する」という、ひとつの文明観・歴史観にもとづく世界像を、膨大な肖像写真の集積から描き出そうとする試みだった>と記す。つまり本展でも、<ひとりひとりの肖像を注視するだけでなく、それらの集積によってザンダーが描き出そうとしていた世界像を読みとることを、私たちは求められている>わけだが、確かに会場を一巡すると、そこに興味を抱かされる。二巡、三巡しながら、考えてみることもできる。個人的に関心を抱いたのは、そこに流れる生産の論理である。あるいは大地という問題を関係づけることもできるのかどうか、それと時代との関係はどんな風に検討されたり、されなかったりしているのだろうか。というようなことに少し興味を持った。

2005.11.24. 新世紀

東京・恵比寿の東京都写真美術館に立ち寄ってみる。3本立てになっていて、お得感がある。上の階から順に「写真新世紀2005」展 (11月12日-12月11日) 、「横須賀功光の写真魔術 光と鬼」展 (11月19日-12月18日) 、「浪華写真倶楽部創立100周年記念 浪展」 (11月19日-12月11日) 。まず3階の「写真新世紀2005」展について。グランプリが決まるのはまだ先のことだが。ルフだとか、シャーマン、中平卓馬といった先行する仕事をあからさまに連想させる作品が優秀賞、佳作になっているのを見るのは、新人賞とはいえ、つらいものがある。さて、現象として面白く思ったのは、イメージの集積を提示する作品が複数見受けられたこと。西野壮平「Diorama Map」は都市を鳥瞰した多数の写真をコラージュする。都市の密集状態をイメージの集積で象徴的に伝えているとも言える。梶岡禄仙「to the past」は高校時代から現在までの写真を、フィルムで撮影した分もスキャニングし、インクジェットで出力する。本人のコメントは<出来るだけ多くの僕の記録を残したい。/アナログでは追いつかない。時間がない>と述べる。これらの作品において、イメージの集積は現実の似姿たることを目指しているように思えるのだが、果たして追いつくのかどうか。写真におけるイメージの集積がどのような場合に可能性を持つのか、改めて考えさせられる。

2005.11.24. 壁

一つ下の2階で開かれている「横須賀功光の写真魔術 光と鬼」展へ。写真の展示としては、たいへん意欲的な空間が演出されている。おおまかに言うと、サイズを2種類程度に統一した黒い独立壁にそれぞれ1点ないし2点の写真を展示し、それらをX字状の軸線を基本に、放射状にレイアウトしている。会場全体の光量は著しく抑えられており、それぞれの写真だけに光を当て、浮かび上がらせている。いわゆる幻想的な空間という意味では一歩踏み入った瞬間、すごいなと思わせる。だが、写真の展示としては惜しまれるところがある。X字状の軸線をはじめ、独立壁の配列をたどり、さまざまなシリーズを見ていくことになるのだが、シリーズとしての連続性がどうも説得的に伝わってこない。逆に写真の展示において、壁の果たす役割の大きさがよく理解できる。こうした独立壁をしばしば使用してきたのは杉本博司であり、森美術館での展示室の一つでも採用している。杉本の場合、しかしながら、展示室全体が一つのシリーズで占められている。つまり壁ではないにせよ、床ないし空間がその統一性を担保していることになる。また、会場が暗く、本来はそれ自体かなり美しいように見えるプリントが単純に見にくいというのも惜しまれる。この作家独自の世界観を体感させるという意味では評価されてよいのかもしれない展示だが、写真そのものを再検証するとしたら、やはりきちんとキュレイターの入った形での回顧展が開かれてほしいと思わせた。

2005.11.24. 壁2

さて、別の壁の話。熊谷永浩写真集『モルタル』 (11月、蒼穹舎刊) はひたすらモルタルの壁を撮影した一冊。黒ずんだしみが広がるモルタルの壁は、石内都「Apartment」を思い出させた。あのシリーズはやがて皮膚のシリーズに展開したわけで、以前にも記した通り、それ自体痕跡的な被写体を、石内都は一貫して写真という痕跡に置き換えてきた。湿っぽく、くすんだ灰色の壁は、そう考えると意外にフォトジェニックな被写体なのかもしれないのだが、しかし、熊谷の写真集にも壁=写真を撮るという一念の強度が確かに感じられる。ざらりとした質感の壁=荒れ気味の写真の粒子に延々と目を擦られる感覚には、たまらないものがある。黒一色、表紙に「モルタル」、裏表紙に「熊谷永浩」と白抜き文字があるだけの装丁を含めて、いいなと思った写真集。


2005.12.07. 光と鬼1

『横須賀功光の写真魔術 光と鬼』 (11月、PARCO出版刊) を見る。さきに東京都写真美術館での展示について触れたけれど、この作品集には一驚させられた。ざっと550ページという破格の厚さ。未発表作を含めて、膨大な作品を収める。さらに60人以上の関係者の文章やメッセージを寄せる。その人数の多さは広告界のスターだったという事情にもよるのだろうが、ただし、広告作品は8章のうち1章のみ。ヌード作品「亜」、実験的な「光銀事件」「光学異性体」などをはじめ、ストレートフォトの作家という側面を強く印象づける内容となっている。さて、コメントを寄せていた人々の間では、ある程度知られていたことのようだが、写真家は亡くなる直前、入院治療を中止し、自作を整理したのだという。子息・安里氏の一文によると、<事務所で一人、自分自身を真っ白にする作業と、生命の尽きた後についてのシミュレーションを行いました。40年余におよぶ仕事のポジ、ネガ、プリント、仕事記録帳、ポートレートや作品、蔵書、趣味の骨董、身の回りのもののほとんどすべてを処分してしまいました。さすがに、3カ月かかって血豆をつくりながら切り刻んだポジについて「涙がでるよな~」とつぶやいていたことは今でも思い出します>。痛切なエピソードだが、以下は次項に。

2005.12.07. 光と鬼2

多くの人が寄せたメッセージのなかで、荒木経惟の談話は交友の深さをしのばせて、胸に迫るものがあったのだけれど、そこに前項のエピソードに対するコメントが含まれている。<そういえば、入院してたころ病院を抜け出して自分の写真を鋏で切ったって言うじゃない。写真を整理して、最後に残ったのはポジでダンボール3箱だったんでしょ。そりゃ~涙がでるね。やつの場合は女を切るよりきついはずだからさ。それこそ鬼気迫るね。オレの場合は、あるものはゴミでも置いていく、そのゴミのほうが面白かったりする、そんな世界に生きているからさ><作品を切るなんて、自信過剰。唯我独尊で作品をなくしちゃ駄目だよ。他の人が見たらこっちを選ぶかなっていう疑いがないよね。そのあたりが潔いっちゃ潔いけど>。もとより死を覚悟した時、どうするかという話もあるけれど、立場はコントラストをなす。端的に言えば、写真はそれを作品たらしめた作者のものと考えるのか、それとは異なる目を許容するのか、ということになるだろうか。<他の人が見たらこっちを選ぶかな>という荒木はおそらく、自分自身も撮った時、焼く時、さらに後の時点で別の写真を選ぶかもしれないな、と思っているのではないだろうか。いま読む限り、その立場に共感するわけだが、しかし、そうではなかったということが横須賀功光という人の仕事の独特さにもつながっているように思われる。

2005.12.08. 地下鉄写真

そんなことを考えていたこともあり、荒木経惟写真集『Subway Love』 (9月、IBCパブリッシング刊) を購入。電通時代の1963年から72年、通勤の地下鉄車内で撮影したモノクロ写真をまとめた新刊である。当然ながら隠し撮りであって、当時は見つかって交番に連れて行かれるようなこともあったというが、いまさらクレームを付ける人もあるまい。また、最初はウォーカー・エヴァンス『Many are Called』を知らないまま撮り始めたようで、その存在をまもなく知り、真似したと思われるとかっこ悪いと思って、本にできなかった。しかし、いまではエヴァンスの地下鉄写真とは違う、との自覚に至ったのだという。<よく見たらやっぱ違うのね><人間がおもしろいって思うだけでさ、時代の顔とかなんとか思わない><写真ていうのはさ、選びの連続なわけよ>。どうあれ写真家とは撮る存在だということ、また、イメージには見る、より正確に言えば、見直すという契機が何度でも存在し得るということを改めて教えるような一冊。

2005.12.14. 30年

下瀬信雄写真展「結界V」 (12月6-19日、新宿/新宿ニコンサロン) 。恐縮ながらよく存じ上げないまま、ふらりと展覧会を見て、のちにその展覧会評が飯沢耕太郎『眼から眼へ 写真展を歩く』 (2004年、みすず書房刊) に収録されていた。写真界では認められている方なんだなと思ったのだけれど、このたび第30回伊奈信男賞に決まり、今回はその受賞作品展。授賞理由の一節を引くと、次の通り。<自然と人間のかかわり合いを「結界」という仏教思想を通して見つめてきた十余年。シリーズは小さな自宅の裏庭から始まったという。やがて森羅万象を萩に発見しようとする作業へと拡大していくことになる。知を超えて、ダイナミックに生成する自然を直視することで、我々が獲得してきた現在の文明の質を問おうとする行為-作品-に、深い思想性と鋭い批評性が感じられる点が、審査員一同の高い評価を得て伊奈賞の決定となった>。ところで、いまさらながら気づいたのだが、今年は木村伊兵衛写真賞も第30回だった。ほぼ同じころ、カメラ雑誌とカメラメーカーが相次いで賞を設けたことになる。前者は木村伊兵衛の没後生まれた賞だが、後者は伊奈信男の存命中に始まっている。あるいは新しく写真の賞を作ろうという機運が当時、あったのだろうか。何も知るところがないのだけれど、30年というのはそれなりの歳月ではある。

2005.12.14. 波

笠友紀写真展「波 NAMI」 (12月9-28日、pg) に流れ着く。熊本での移動pg展で見た石のシリーズが心に残っていて、今回も見たいなと思っていた。浜辺から海に向かって、ポツリポツリと撮り続けた――といった風情の小さなプリントが並ぶ。波の写真と言えば、例えば2005年度の日本写真協会賞を取った梶井照陰『NAMI』 (2004年、リトルモア刊) 、より近いアングルの写真として、かの杉本博司の「Seascape」を思い浮かべてみることもできなくないわけだが、波や海といった、いわば反復を繰り返すミニマルな被写体を通じて、美的ないし瞑想的な世界を作り出した達成とは違い、笠の写真では、そうした反転は起こらない。波は常に低く、浜辺には打ち寄せられた海藻が黒く短い線として点在する。人の姿も写っているけれど、いずれもそれぞれに何かをしている、としか言いようがない。低いしぶきを上げては波が崩れるのを、何か別のものにすることなく、ただ見つめている写真。面白いのかと言う人がいるとしたら、いまここで面白いということにいかほどの意味があるのか、と答えることにしようか。

2005.12.16. 植田展

「植田正治:写真の作法」 (12月17日-2月5日、東京・恵比寿/東京都写真美術館) の内覧会。5年前に死去したこの写真家の仕事について、次のような先入観を持っていた。以前にも記したことがある気がするのだが、植田は戦前、新興写真に接している。そこでのオブジェ/図と写真的な皮膜/地の関係を、不思議な時差とローカリティーをはらむ形で、戦後の砂丘写真に転生させた――というような。そのため展覧会の印象にも角度が生じる。例えばフォトグラムやソラリゼーションが出品されていないのが残念に思えたりもする。聞けば海外でも回顧展が開かれており、そちらに出品されている主要作品もあるとのことだったが、そこは一つの偏差があっての感想。展示はいま言った時差とローカリティーについて、きちんと考えさせる構成となっている。さて、――とたちまち脱線してしまうわけだが、展示終盤では、パルコだったか、この人の写真が広告にも使用されたことを思い出させる作品に出会う。当時はそれゆえ急に人気が高まったと記憶するのだが、ふと今日、植田正治と言えば、フォトグラファー福山雅治がしばしば登場し、熱く語ることにも思い至る。ほかの写真家ではなかなか起こらないはずだが、なぜこの写真家については、こうした現象が起こるのだろう。

2005.12.16. 子供
続いて地下の展示室に回って、「日本の子ども60年」 (12月17日-1月9日、東京・恵比寿/東京都写真美術館) の内覧をのぞく。戦後60年企画の一つで、日本写真家協会が厳選した約200点が掲げられている。荒木経惟「さっちん」のような名作もあれば、あまり子供を撮ったイメージのなかった人の作品もある。ところで、――とまた脱線するわけだが、今年はドキュメンタリー写真の文脈で、子供というテーマが目立ったような気もする。2月から3月、東急Bunkamuraザ・ミュージアムで開かれた「地球を生きる子どもたち」展、あるいは大石芳野写真集「子ども 戦世のなかで」 (10月、藤原書店刊) も出たわけだが、ドキュメンタリー写真家にとって、子供という被写体はどのようにイメージされているのだろう、とふと思ってみたりした。

2005.12.22. 漆

アニッシュ・カプーア展 (11月18日-12月22日、東京・谷中/SCAI THE BATHHOUSE) 。最終日に駆け込み、もっと早く見るべきだったと反省する。カプーアについても、やはり一つの先入観があった。その作品は知られる通り、オプティカルな効果を駆使している。視角トリックと言ってはまずいかどうか、その一方で、瞑想的、永遠性の印象といった語り口を常に呼び寄せもする。その両面がぴたりと重なり合わないというのか、視覚的な効果、プラス形而上性、みたいな印象を抱いてきた。さて、今回の展示では、前者の効果は絶大だったと言ってよい。出品作はこれまでも使用してきた円形、凹状の大きな皿のような形状。ただし、表面を漆で仕上げている。金沢21世紀美術館でコミッション・ワークを手がけた際、日本の漆に興味を持ったというのだが、長らく漆と付き合ってきたはずの日本人が思いもよらなかった視覚効果を引き出している。漆面の反射によって、凹状の表面には鏡像が生じる。しかもわずかな起伏があるらしく、微妙なゆらゆら感がある。その前に立っていると、一種の錯視効果によって、ふと凹凸が反転し、手前に凸状の半球がゆらゆらと出現するかのように見え始める。液状の透明な半球――その幻視は端的に言って、眼球を連想させる。最初に記した先入観を半ば確かめることにもなるわけだが、つまりは目の人、しかも恐るべき目の人であって、それだけで十分ではないか、と説得されてしまった。ちなみに、同じギャラリーで、この展示の前に見たのはイ・ブル展 (9月29日-10月29日) 。ポスト・ヒューマン的な作品で国際的な評価を勝ち得てきた韓国現代美術のスターはおそらく螺鈿を使い、磁器を思わせる仕上げを施すといった具合だったのだが、率直に言って失望させられたことも思い出された。

2005.12.26. 流通

なんだか東京都写真美術館の話ばかりになってしまうけれど、「写真展 岡本太郎の視線」 (12月24日-2006年2月18日) の内覧会。岡本太郎の写真? えー、またなの、というのが正直な気分だったのだが、この展示はある意味、極めて興味深いものとなっている。ある意味というのは、写真イメージの流通を広範にカバーし得ている、という意味である。第1部はブラッサイ、キャパその他、滞欧時代に交流した写真家たちの作品を並べている。岡本にとっての写真の母型と言えようか。第2部は冒頭、縄文土器の実物とそれを撮った岡本の写真を対照させる展示にはじまり、コンタクトプリントの拡大展示と雑誌連載「藝術風土記」の掲載カットを重点的に見せる。いわばいかに撮り、選び、出版物に載せたかを伝えるパートである。さらに第3部は没後、どのような形で岡本の写真が再発見され、注目されていったか、例えば内藤正敏によるリプリントの写真集なども含めて紹介している。没後の写真イメージの流通にまで目配りするという入念さ。だが岡本が生きた当時の写真の場とは、まず出版物の紙上であったはずだという意味でも妥当だし、写真イメージの流通をカバーしているため、コンタクトプリントの展示にものぞき見趣味を超えた正当性が備わっている。ところで、こうした展示をいわゆる写真家に対して行うのは、おそらく困難と反発を伴うことだろう。展覧会が要請する写真家という主体の冒涜と受け取られかねないのだから。写真家だとか写真作品だというつもりもなかった岡本の写真であればこそ実現した展示だとも言えそうだが、展覧会や写真集のみを写真の場と見なす考え方に対して、有益な示唆を与えるように思われた。

2005.12.28. 連載

「現代詩手帖」1月号を落手。開いてみると、倉石信乃の連載「現代美術のスナップショット」が載っていない・・・終わったみたいだ。残念。ちなみに、アート関係のコラムとしては松井茂「不可測なキューブに冠するコスメティカ」が始まっている。第1回目は「詩をコンテンポラリーアートから考えてみる」。そういえば今年、とても楽しみに読んでいた連載は「日本カメラ」誌上の、金村修選・評による「フォトコンテスト モノクロプリント」。連載部分だけを抜き取って、手元に置いてあるほどだが、不思議なほどの真剣さで (そう思わなかった応募者の方もいるかもしれないけれど) 写真を語った、近年まれに見る連載だったと思う。これも12月号で終わった。残念。他人事ではないけれど、連載は1年とか2年とか、一定期間で終わりにするものと考えられている。でも機械的にそうするのでなく、面白かったら、どんどん続けたらいいのに。