Revised Edition “「復刻版」写真集の表現の技術的側面をめぐって” by 戸田昌子

今年になってから写真集の復刻が相次いだ。川田喜久治の『地図』、細江英公『鎌鼬』、『安井仲治写真作品集』(通称「遺作集」)など、このところの写真集ブームのなかで半ば伝説化した写真集である。このうち『安井仲治写真作品集』『鎌鼬』はいわゆる復刻版=reprint editionだが『地図』は改訂版=revised editionといえる。ここでは、この復刻と改訂版ということをめぐって、写真表現の技術的側面としての写真印刷について考えてみたいとおもう。

ここ最近の写真集ブームといえるような現象にはいくつかの事情が絡み合っている。写真市場は従来「オリジナル・プリント」という、美術館やギャラリーなどの美術市場において確立した写真印画の評価システムによって支えられてきた(*1)。この評価システムは1960年代頃からアメリカのギャラリーや美術館における写真印画の売買の慣習のなかで作られ、日本では70年代末頃から徐々に浸透しはじめ、現在は一般に認められているものである。しかし長らく写真印画を売買する市場が確立しなかった日本においては、表現の最終形態として写真集というメディアは独自の発展をとげてきた。

この、ひとつの作品スタイルとしての写真集ということへの再評価には大きな問題がある。それは、オリジナル・プリントという評価システムの無原則的な写真集への適用である。オリジナル・プリントとは写真家がサインを入れるなどして、ひとつの作品としてオーソライズした写真印画のことを指すが、これがねじれた形で写真集の価値評価に影響している。人気のある写真集の初版は、あたかも「ヴィンテージ・プリント」のように有り難がられ、高い値で取り引きされる。しかし、この市場はまだ確立していないため、コレクターによって名指しされた写真集から順繰りに「美術品」化してゆき、残りは「古本」のまま取り残されている。ここには、初版の写真集の商品価値をめぐるダブルスタンダードがある。

このような状況は専ら海外のコレクターたちの日本の写真集市場への参入によって加速されている。写真集がまだ「古本」であれば、写真家の評価如何にかかわらず、それは純粋に受容/供給の均衡において決定されるだろう。実際、写真史のなかで高い評価を与えられている写真家でも、人気が無ければ今でも安値で取引されている。かつての古本市場では、人気のある写真集でも再び市場に流れることを想定して(古本屋は何度でも同じ本で稼ぐ)、ほどほどの値が付いていた。しかしいったん異常な高値が付けられてしまえば、その価格が写真集の価値判断にさかのぼって適用されるようになる。そして、このように「美術品」化してしまった本は、大抵の場合二度と市場には戻ってこない。良い本ほど市場から失われ、目にすることも困難になる。相次ぐ写真集の復刻とは、このような状況の裏返しでもある。

しかし、結果としてこれらの価値ある写真集が再版されて再び手に取ることができるということは、これら諸事情を横に置いても新しく刺激的な経験でもある。それをまずは喜びたい。 再版された写真集は以下のようになっている。

<旧版/新版>
川田喜久治『地図』美術出版社、1965年/月曜社、2005年3月 (*2)
細江英公『鎌鼬』現代思潮社、1969年/青幻舎、2005年4月(*3)
上田備山編集・発行『安井仲治写真作品集』1942年8月/国書刊行会、2005年6月(*4)

これら写真集は大枠としては復刻版だが、その解釈において多様な幅を持っている。『安井仲治写真作品集』は、コピー機が普及した現在における復刻版の意味を、初版の写真集の持つマチエールの忠実な再現ということに置いており、その完成度においてまずは成功している。これは初版がまるでグラビア印刷のようなマチエールを持つコロタイプ印刷(*5)なのだが、これを見事なオフセット印刷(*6)によって再現されている。「なぜ」それが可能になってしまったのかは非常に不思議な偶然でもある。紙質やインクの違いも大きいはずだが、何より印刷技法の違いがあるにもかかわらず、というよりは、違うものの組合せによって同じようなマチエールが再現されてしまっているからである。もちろん細かく対照してしまえば、完成度の高い図版とそうでないものとあり、もう少し時間をかけて一点一点検討してほしかったという我が儘に近い希望はあるのだが、違う印刷技術による再現の最大限のクオリティがここまで到達したということを示した点で監修者と印刷技術者の勝利であろう(しかしなぜコロタイプ印刷で再現しなかったのかについては惜しまれる)。

このような印刷技法の違いとは、復刻版を作る上で常に問題となる。技術の発達とは、過去の技術の陶太を意味するものであり、一度失われた技術を再現することは、印刷が機械産業である限りは究極としては不可能に近いからである。この点で、細江英公の『鎌鼬』は、初版のグラビア印刷(*7)の再現レベルにおいては不満が残った。ことにグラビア印刷が、他の技術で再現することが難しい印刷方法だったことが災いしたかもしれない。グラビア印刷は凹版であるが、印刷版面に作られた網点のくぼみに溜まったインクを強く紙面に押しつけることで、紙に吸収させて転写する。そのべったりとした漆黒の美しさは、1930年代初頭のフランス、その後のスイス、戦後の日本の技術がそれぞれに高く評価されている。ことにブラッサイの『夜のパリ』(1933年) (*8)の印刷は有名であり、黒の美しさ、そして白の部分に浸みだした油の色、触れるごとに手に付くほどのインクの濃度を現在の方法で再現するのは不可能だろう。ことに『鎌鼬』の印刷技術はかのエド・ヴァン・デル・エルスケンを魅了し、写真集『スイートライフ』(1966年) (*9)を日本で出版することのきっかけとなった。このようなグラビア印刷のマチエールを、その手触りやグラビア印刷特有の匂いも含めて再現することは今のところ無理ではないかと思われる。

印刷物のドット(網点)を見るのには通常、印刷学会推奨の17.5倍のルーペを使うが、グラビア印刷については50倍くらいのもので一度覗いてみるといいと思う。グラビア印刷は白線の交叉スクリーン (*10)が使われていることが多いので、覗いてみるとスクエアのドットがずらりと並ぶ。これで『鎌鼬』のどこかの一ページ、土方巽の白っぽい着物の袖などを覗いてみると、紙の繊維に弾かれたインクのドットが、読み解くことのできない経文のように見えて、すこしぞっとする。このグラビア印刷は、『夜のパリ』に較べるとコントラストが強く、黒の階調はないように見える。しかしその黒は壁のようにたちふさがって、夜の暗さではなく土の闇さのようだ。

残念ながら、このようなくらさは復刻版に再現されているとは言えない。グラビアの黒は充分に再現できずに全体的に薄い感じの印刷になっているし、ランダムドット・スクリーン(*11)による印刷は階調を荒らす結果となっている。もともとオリジナルにも中間調の幅はそれほどないのだが、それでもその際の部分の荒れは、グラビア特有の荒れとは違うものである。この「荒れ」は『鎌鼬』の印刷効果を増幅するものなのだが、それは失われている。また、『鎌鼬』はほぼ全ページが右開きの扉を開けるような製本であるが、扉の外側にべったりと印刷された青の色が違ってしまっている。もちろん、私が目にしたオリジナルの青色は、出版から30年以上を経て違う色になっていたからかもしれないのだが。

ここには、写真集の復刻をする場合の「古色」にどう対処するか、という問題がある。2002年より順次刊行されている戦時中の対外宣伝雑誌『NIPPON』(*12)の復刻版においてもこれは大きな問題であった。現在目にすることのできるオリジナルの『NIPPON』には当然のことながら人の手を経てきたことによる「古色」がついている。忠実な「再現」をするとは言っても、それが出版された時の状態を再現するのか、それとも現在の初版の状態を再現するのかの選択をしなければならない。結果、表紙には多少の古色を含めた再現が行われ、中身については初版の状態を想像する形での再現が行われた。この選択について善し悪しを決めることはできないが、このことが復刻版というものに関わる重要な問題であるということは念頭に置いておかねばならない。

しかしもはや初版を手に取ることがそう簡単なことではないとなれば、多少の不満はあっても、それを受け容れるほかない。そもそも復刻版とは、そのような違いを一応認識した上で作られるものでもある。しかし、川田喜久治の『地図』については、また別の評価ができるだろう。これは大枠としては復刻版であるが、そのコンセプトは改訂版だからである。

新版『地図』が、復刻としてではなく改訂版であることは、デザイナー・川畑直道が新版の製本を手掛けていることからも明らかであろう(初版の製本は杉浦康平)。箱の形状も違うし、テクストは全て新しいものである。写真の選択と配列、観音開きというスタイルは初版を正確に踏襲しているが、もちろん印刷方法はオフセットである。そして印刷のもつマチエール表現については、印刷原稿としての印画の作り方の違いも含めて、全く新しいものと言っていい。

この「復刻版」と「改訂版」ということの違いは些細なことであるように見えるが、その背後には写真集のオリジナル性/非オリジナル性(あるいはコピー)をめぐる大きな問題が隠されている。写真集とは、写真家の表現行為の最終的形態として、オリジナルなものとして位置づけられるが、それは印刷物という機械複製物として市場に出回る。その意味で、オリジナルであると同時にコピーである。長らくアートの制度にとって副次的であった写真は、それがゆえに写真集という機械複製手段を通して流通することでその「芸術性」を主張してきた。写真集とは、画家や彫刻家等の美術画集(これも写真集のひとつであるが)とは違って、その書物としての形態のなかにおいてこそ写真芸術たる在り方を見出してきたのである。それは、もともとオリジナルというものを措定しにくい写真というものの在り方にふさわしい表現メディアであった。

それに対し、写真のオリジナル性をめぐる両義的な在り方を「オリジナル」なものとしてのみ固定するのが、「オリジナル・プリント」を支える思想であると言えよう。それは、ネガさえあれば複製可能な写真印画に、サインを施すなどしてオーソライズしてミュージアムピース、あるいはオークション市場に登場する商品とする技法である。それは写真という複製メディアとは相容れないもののようにみえるが、日本では、「オリジナル・プリント」の価値体系は、写真家の地位向上や写真作品の扱われ方のいい加減さに対する問題提起として主張されてきたという経緯があり、その意味においては政治的に必要な概念であった。しかし一方で写真集という書物は、それが書物である以上は不特定多数の読者に向かって開かれている、いわばデモクラティックなメディアである。それがオリジナル・プリントに次ぐものとして、オリジナルな作品として扱われることによって読者の手から奪われつつあるのが現在の状況であって、「復刻版」とは、その事態を救済するための方便であると同時に、初版のオリジナル性、希少性を相対的に高め、固定する結果をもまねきかねない。

しかし川田喜久治の『地図』の再版=改訂版は、このような状況のなかで、初版の価値を損なうことなく、現在の読者に対してこの作品をもう一度開かれたものにする試みであったと言える。それは、読者にとっては勿論だが、同時に制作者にとっての作品の再解釈として評価できる。新版『地図』の出版に合わせて行われたフォト・ギャラリー・インターナショナルでの写真展では、プラチナ・プリント(*13)による印画が展示され、過去の作品を新たに焼き直すことによって新たな意味を発見していく写真表現のプロセスをデモンストレートされていた。ゼラチン・シルバー・プリントに較べて濃度は薄いが画像の安定性においてまさるプラチナ・プリントは、「地図」という写真のもつ記憶の痕跡を留めるひとつの有効な方法であっただろう。しかしこれが唯一絶対の方法ではないことは、作家自身によってさまざまにモダン・プリントが作られていることによっても証明される。原爆ドームの壁のしみや日の丸、兵士の顔といった、40年も前に撮影された写真の時間と印画紙に焼き付けられた現在の時間との距たりは、ここでは単なる過去の記憶ではなく、現在において召喚される重層的な記憶へと変貌している。

ここではもはや、初版と再版との違いをあげつらうことには意味がない。改訂版の『地図』を開いた時に立ち上るインクと紙の匂いは、過去のものは過去のものであり、われわれの現在との間に横たわる時間をなきものが如くにするのは、過去を懐かしむ態度でしかないのだということを気付かせる。ここで森山大道の著名な本のタイトル「過去はいつも新しく、未来はつねに懐かしい」を思い出す。私たちは、なにも写真に過去の出来事の再演ばかりを見ているわけではないのであり、例えば懐かしい祖父母が子供であった時分の写真に未来の刻印を見出すこともあるのではないか。その意味において、この新しい『地図』は、「復刻版」ではなく、「改訂版」によってこそ可能になった過去の写真の「再読」であり、それは「改訂版」という方法こそが、読者にとって、そして現在おいて開かれた方法であるのことの証明なのである。


<注記>
写真集という表現メディアと、写真表現としての印刷技術への関心は近年高まりつつあるように見える。著名な例として、マーティン・パーの『写真集の歴史 第1巻』(ファイドン、2004年)、アンドルー・ロス『101冊の本についての本』などの所謂「写真集本」、そして『スタジオヴォイス』2005年4月号の特集「写真集中毒のススメ」などがある。また、トマス・デュガンの「Photography Between Covers」(ライトインプレッションズ、1979年)は写真集制作者へのインタビューを通して写真集というメディアの独自な表現について掘り下げた著書として興味深く、細江英公へのインタビューも掲載されている。写真の印刷そのものを対象とした試みとしては、展覧会「インクによる写真」がデイヴィッド.A.ハンソンとシドニー・ティリムの監修によって1996年5月1日~29日にフィアレイディッキンソン大学ニュージャージー校のアートギャラリーで行われている。しかしこのような注目度に比して、写真集そのものをアカデミックな研究対象とすることは立ち遅れている。写真集というものを対象とした研究の数少ない例としては、キャロル・アームストロングの『図書室の光景』(MIT出版局、1998年)が挙げられようが、これをトルボット論として発展させたごく最近の論考としては前川修「写真集を読む-トルボット『自然の鉛筆』論-」(美学芸術学論集創刊号、神戸大学芸術学研究室、2005年)がある。

<参考文献>
Martin Parr and Gerry Badger. The History of Photobook, Volume I. Phaidon Press: London, 2004.
Andrew Roth. The Book of 101 Books: Seminal Photographic Books of the Twentieth Century. New York: Roth Horowitz LLC, 2001.
「写真集中毒のススメ」『Studio Voice』352号、2005年4月号
Thomas Dugan. Photography Between Covers: Interviews with photo-bookmakers. Rocehster NY: Light Impressions, 1979.
David A. Hanson and Sidney Tillim. Photographs in Ink. Teaneck NJ: Fairleigh Dickinson Univ. College Art Gallery, 1996.
Carol Armstrong. Scenes in a Library: Reading the Photograph in the Book. Cambridge MA: MIT Press, 1997.


[註]
 

1)オリジナル・プリントという概念の枠組については、深川雅文「オリジナル・プリントについて-あるいは複製技術時代における写真美術館の役割-」(『川崎市市民ミュージアム紀要』第1集99-113頁)を参照。

2)川田喜久治『地図』書誌データ
<初版>制作:美術出版デザインセンター(担当・林五郎)/発行日:1965年8月6日/発行所:美術出版社/装幀:杉浦康平(ブックデザイン)、石尾利郎(パッケージデザイン)/本文製本・印刷:グラビア精光社/組版:株式会社創文社/製本:株式会社大完同/製函:株式会社岡田台紙店/印刷技法:グラビア印刷/判型:菊判変型/製本形式:上製・紙クロース装、ジャケット・パッケージ・函(ダンボール)付き・観音開き190ページ/定価:2,000円/備考:別刷りの大江健三郎によるテキスト「MAP」、カバー裏に図版リスト
<新版>発行日:2005年3月/発行所:月曜社(東京)/装幀:川畑直道/印刷製本:光村印刷株式会社/印刷技法:オフセット印刷/判型:菊判変型/製本形式:上製クロース装、函(カバー装)、観音開き190ページ/定価:12,000円/備考:別刷りのブックレットに川田喜久治による「『しみ』のイリュージョン」および図版リストがある。詳細についてはhttp://getsuyosha.jp/themap/を参照。

3)細江英公『鎌鼬』書誌データ
<初版>発行所:現代思潮社/発行日:1969年/印刷所:グラビア精光社/印刷技法:グラビア印刷/判型・製本:A3判変型、上製、スリップケース入、41ページ/発行部数:限定1000部
<新版> 発行所:青幻舎/発行日:2005年4月/印刷方法:オフセット印刷/発行部数:限定500部/判型・製本:同上/定価:31,500円/備考:詳細についてはhttp://www.goliga.com/jp/photo_2.htmlを参照。

4)『安井仲治写真作品集』書誌データ
<初版>編集・出版:上田備山/発行日:1942年8月/印刷所:便利堂(京都)/印刷技法:コロタイプ印刷/A3変形判/製本形式:ポートフォリオ形式(総54丁、うち序1丁、目次2丁、写真作品50点50丁)/発行部数:限定50部(奥付に基づく。実際はそれより多いかもしれない。詳しくは同書解説にある金子隆一「書誌および解題」を参照)/ 備考:初版は安井仲治の死後4ヶ月余り後に出版されたため「遺作集」と通称。
<新版>監修:飯沢耕太郎、金子隆一/出版所:国書刊行会/発行日:2005年4月/印刷・製本:野崎印刷(京都)/印刷技法:オフセット印刷2色刷(墨、セピア)/製本形式:同上/発行部数:限定600部/定価:35,000円/備考:「日本写真史の至宝」シリーズ(全6巻・別巻1)の第一集として刊行。なお、同シリーズは2005年4月から毎月1点ずつのペースで刊行予定。詳細はhttp://www.kokusho.co.jpを参照。

5)コロタイプ印刷とは、アルフォンス.L.ポワトヴァン(仏)が1855年に原理を発見し、1868年にヨーゼフ・アルベルト(独)が実用化した平版による印刷法である。重クロム酸カリ等を加えたゼラチンを厚いガラス板の上に塗布して乾燥させて感光性を与え、ネガを密着露光してゼラチン膜を硬化させる。これを冷水中に長時間浸すことによって、ゼラチンの表面に細かな縮緬じわ(レチキュレーション)が生じ、これがスクリーンの役割を果たす。これに油性インキをローラーで付け、水と油の反発作用による平版の原理により転写印刷をする。写真の階調の再現性が高く、写真印画に準ずる写真印刷として、日本では戦後まで広く使われた。一度に一つの原版から600~2500部程度印刷できる。

6)オフセット印刷とは写真製版用オフセットリトグラフのことで現在広く使われている。版に盛られたインクを一度ドラムに転写し(オフ)、それをさらに紙に写し取る(セット)方法で、写真などのリプロダクションの大量高速印刷に適する。亜鉛板もしくはアルミニウム板に感光液を塗布し、網目スクリーンを通して図像のポジフィルムを焼き付けた後、水洗現像して描画部を感脂化し、版にする。オフセットの原理はアメリカで1904年に発見されていたが実用化は1920年代。しかしグラビア印刷や写真網目版(凸版)に押されて戦後まであまり使われなかった。60年代頃から写真再現の技術が進んだこと、PS版(pre-sensitized plateの略、あらかじめ感光層が付与されている版)などの開発によって簡便で廉価になったこと、環境汚染の問題のあるカーボン・チッシュ(重クロム酸塩による感光膜)の代替としてのフォトポリマー(感光剤)の使用が可能になったことなど、さまざまな要因から急速に普及した。

7)グラビア印刷は、1920年代から世界中に普及した再現性の高い写真印刷法。1879年にカール・クリッチェ(チェコスロバキア)が考案した腐食銅凹版による精巧な写真印刷法であるフォトグラヴュール(フォトグラビア)とは原理的には同じ。フォトグラヴュール(撒粉式グラビア法)は、銅板にアスファルトピッチの粉末を撒粉し、加熱して固定させてランダムスクリーンを作る。それにカーボン・チッシュと透明陽画(ポジ)を重ねて露光したものを密着させて温湯で現像し、銅版にゼラチンの耐酸膜(レジスト)を作る。これを段階的に腐食させて銅板上に深さの異なる細かな凹状のドットを作り、これにインクを詰めてエッチング・プレスで紙に圧力転写する。スティーグリッツの『CAMERA WORK』などでも使われた精巧な写真印刷であった。通常のグラビア印刷(コンベンショナルグラビア)では、ドットを作るのにスクリーンを用いる。これは凹版であるため、凸版の場合と反対に白線のスクリーンを用いる。枚葉(一枚ずつ製版し印刷するもの)と輪転(輪転機に装着されるシリンダー状の版面に製版するもの)とがあり、雑誌印刷では広く輪転グラビアが使われた。現在でも一部で使われている。階調がインクの量の過多によって決まるため、インクの付着量が多く、黒っぽい印刷になる。このコンベンショナルグラビアとは別に、セルの深さが同一で面積が違う凸版やオフセット式のものと、セルの深さ・面積ともに違うダルジャン式がある。

8)ブラッサイ『夜のパリ』アール・エ・メチエ・グラフィーク社、1933年(Brassai. Paris de Nuit. Arts et Metiers Graphiques: Paris, 1932.)

9)エド・ヴァン・デル・エルスケンの『スイートライフ』の初版は1966年(Ed van der Elsken. Sweet Life. Amsterdam: De Bezige Bij, 1966)。日本語版は1968年に東京グラビヤ印刷株式会社の印刷によって東京写真専門学院出版局から出されている。編集は細江英公、渡辺敦子。

10)交叉スクリーンとは、黒線ないし白線を縦横に45度に重ね合わせて四角いドットを作り出すもの。支持体としてはかつてガラスが使われたが、現在では専用フィルムを密着させて用いる。

11)ランダムドット・スクリーンとは、ランダムなドットをスクリーンにあらかじめ作りだすもの。

12)太平洋戦争中の対外宣伝グラフ雑誌『NIPPON』は、名取洋之助が主宰していた「日本工房」から1934年10月に出版され、英・仏・独・スペイン語で刊行された。山名文夫、河野鷹思、亀倉雄策などのデザイナー、名取洋之助、土門拳、藤本四八、木村伊兵衛ら写真家が参加し、当時における最高水準の印刷技術を駆使して刊行。復刻版は国書刊行会から全3期にわけて2002年から全36冊(及び別冊)が刊行予定であり、2005年現在まで第2期24冊までが刊行されている。詳細はhttp://www.kokusho.co.jp/series/nippon.htmを参照。