時評 4 “等価” by 上野修

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等価、と言ってもパチンコの話である*1。

等価交換は危険だ。パチンコで収支をプラスにしている人なら、おそらくまず手を出さないだろう。

パチンコを打つときは1個4円で玉を借りる。しかし、これを特殊景品に替え換金する時の交換率は、1個2円から4円と店によってさまざまだ。いっけん交換率は高ければ高いほどいいように思える。だがそうではない。

ごくオーソドックスなパチンコの勝利の方程式は、現金投資をできるだけ少なくして、持ち玉でできるだけ長く打つことだ。単純に言って、一箱打って確率の逆数以上回れば必ず勝てる。ただし現金投資の部分は4円で買っている玉なので、持ち玉で長く打って、現金投資分の損を吸収していく必要があるという理屈だ。

パチンコ屋に入ってひと目見回してみてわかるように、店側は店舗・台などの機器への莫大な設備投資に加えて、日々人件費や光熱費などを費やしている。それらを回収しつつ、利益も出していかなければならないのだから、そう簡単に客に儲けさせてくれるはずがない。4円で借りた玉が、例えば2.5円にしかならなければ、仮に客が借りた分と同じだけの玉を出し、それなりに箱が積んであって出ているように見えても、客が使った金の4割弱は自然と店側に入る。交換率が等価でないのには、そういうからくりがあり、オーソドックスなパチンコの勝利の方程式は、それを逆手にとったものだ。

等価交換の店では、そうしたからくりがない。客からダイレクトに利益を吸い上げていくしかない。だから、等価交換の店は、ほとんど全ての台が驚くほど回らないように調整してあるし、大当たりを引いてもボロボロ玉がこぼれて出球が少ないといった、信じられないような悪い調整の場合すらある。

オーソドックスなパチンコの勝利の方程式に従って行動することは、人間にとって恐ろしく単調でドライな世界だ。開店とともに店に入り、閉店までたんたんと、回転数を数えながら(最近は自分で数えなくてもいい台も多いが)ひたすら打つ。大当たりは当然の出来事で、リーチなどはトータルの回転数を落とす邪魔な演出でしかない。そんな現象はどうでもいいのであり、やるべきことは確率と回転数の計算と、無駄な玉をいかに打たないかという涙ぐましい小さな努力の積み重ねだけなのだ。

こんな単純なことをやれずに、多くの人間が単なるいいお客さんになってしまうのはなぜだろうか。それは、この単調でドライな、何の物語もない確率論的な世界に耐えられないからということにつきる。だからパチンコの世界では、リーチがかかると鍵穴をふさぐといった伝統的な儀式、自分は出る台がわかるという予言から、店側が大当たりを操作しているのではないかという陰謀論まで、まことしやかなオカルト的物語が星の数ほどある。それらに共通していることはただひとつ、それが都合のいい記憶から原因と結果を適当に結びつけた負け犬の物語であることだ。

勝利の方程式は、いわゆる必勝法 *2に見えてそうではない。多くの人間にとって実行困難な方程式だからこそ、それが勝利に結びつくのである。その方程式を徹底して実行できる人ならば、オカルト的物語に調子よく話を合わせることすらするであろう。店を潤わせ、自分の存在を目立たなくしてくれるいいお客さんは、間接的に必要欠くべからずのものだからだ。交換率の低い店であっても、確率の逆数以上回る台を見つけることは至難の業だが、その台を見つけるのは勝つための最低条件であって、他にも多くの困難がある。毎日毎日同じ店の同じ台で打っていては、釘が締まるのは時間の問題だ。勝ちやすいスペックの台が、新装入替である日突然なくなったりもする。勝利の方程式を成り立たせるには、そういったことに対してどう振る舞うかが一番重要なのであり、その振る舞いを語るようになった時にはすでに、勝つことではなく、物語を紡ぐことが目的になってしまっているのである。

等価交換は危険だ。マルクスに依るまでもなく、パチンコにおける4円=4円という同一性はパチンコ玉によって出現したものだが、等価交換はそのことを転倒させ、パチンコ玉が生み出す奇怪な交換の性質を覆い隠してしまうからである。しかし、パチンコ玉は何かの代理物ではない、主体性を捨ててパチンコ玉そのものを見よと言ったところで、より耽美的なフェティシズムに陥るだけだ。それはロマンではあるかもしれないが、勝とうと負けようと関係ない、パチンコ玉の動きをひたすら見ているのだというのは、オカルト的物語より始末が悪い。

むしろ、われわれは「(意味を)考えるな、(用法を)見よ」と言ったヴィトゲンシュタインに倣って、ただ端的に、こう言うべきだろう。「(現象を)考えるな、(収支を)見よ」(笑)。

[注]
(1)パチスロはまた別。パチンコは確率に基づいているので、ギャンブル一般の話でもない。
(2)必勝法については、もちろんここでは書かないが、絶対に負けない方法は書いておこう。それはパチンコを一生打たないことである。幸運(もまた確率論的なものにすぎないが)にも、たまたま何度か打ったことがあり、なおかつ収支がプラスならば、もう二度と打たないことだ。