Papery 2001 by 前田恭二

はじめに

仕事でわりあいよく写真集を見る。時には写真展にも行く。原稿にする。ほんとうはそれで全部終わり。ただ、ちょっとだけもやもやとしたものが残ることがある。それはつまり、写真を見るのが少しは好きだということなのかもしれない。別に詳しくもない、取り立てていい見方ができるわけもないのに、こんなことを書くのをOKしたのは、きっとそのせいだろう。会社から引き揚げる前の深夜に書く、紙みたいに内容の薄い話なので、ご寛恕を乞うや切。 (まえだ・きょうじ=1964年生まれ。読売新聞記者)

2001.01.26. いれずみ

細江英公さんの回顧展 (28日まで、渋谷区立松濤美術館) は、代表的なシリーズをオリジナル・プリント中心に見せていて、けっこう楽しめた。初めて見るシリーズもあった。一つは、自作のその後、というか、「薔薇刑」の空中浮遊の前で、撮影助手だった森山大道さんが同じポーズをするのを撮ったりしていた (写っていた人の中には、つい最近亡くなった画家もいた) 。つまりは近年の時間への関心のあらわれか。もう一つは大野一雄さんを撮ったシリーズで、蕭白の画を投影した空間で、大野さんたちが踊っていた。けっこうこわい。しかし、面白かったのは、舞踏家の身体に、蕭白画をいれずみしたみたいに見えたこと。いれずみとは本来、トーテミズムの生きていたような時代には、きっとなにものかに変身するための手段だったんじゃないだろうか。日本のいれずみはずいぶん洗練されているわけだが、変身のあかし、という感じは多少なりとも生きていそうだ。回顧展ぜんたいを眺めたとき、もともと細江さんという写真家は対象を複写するのでなく、自分と対象の間にカメラを差し挟んだとき、対象 (とりわけ肉体) が変化していく、そのスリルこそを撮っているような感じがある。さらに進んで、意図的に変化させていくことも少なくないから、ひょっとして、被写体にいれずみしたいと思ったことがあるんじゃないか、というのは、大野さんのシリーズを見たこちらの妄想。

2001.01.26. 撮影の「影」

何を書こうかな、北島敬三さんのお誘いで書くことになったんだよな、はじめてお目にかかったのは、横浜での「Portraits」展だった・・・と街を歩きながら考えていたら、かなり前にふと思った「撮影」の「影」とは、という話がぽっかり頭に浮いてきた。いや、別に写真史を調べたりしたわけじゃないですよ。 「かげ」ということばは、ほんらい「光」という意味を兼ねていて、「光によって、生じたかたち」という風に広がって使われてきた。ただ、その「かたち」の中でも、実は人の「肖像」について言われることがかなり多いのも事実。お寺に行くと、お大師さんなんかをまつる「御影堂」がよくあるでしょ。天皇の肖像写真が「御真影」と呼ばれてきたのも、同じこと。そこで思ったのは、日本で撮られた古写真のうち、最初期には、肖像写真がそうとうの部分を占めていること。あるいは「撮影」というのは、はじめ肖像写真を撮ることを指していて、それがしだいに風景写真などにも拡張されて使われるようになったのではないか、と想像したわけです。で、そのまま忘れてしまった。とうぜん合っているか、間違っているか、確かめもしていないんだけど・・・。

2001.01.26. 測量

何日か前、野口里佳展 (2月12日まで、渋谷のパルコ・ギャラリー) を見に行った。いちばん興味を引かれたのは、測量を撮ったシリーズ。正方形の画面に、オランダの埋め立て地らしき場所で測量している人たちがぽつんと写っている。それじたい、きれいな写真だが、これ、ニュー・アート・ヒストリーの研究者が見たら、ぜったい飛びつくだろうな、と思った。地図 (もちろん科学的な測量にもとづく) や光学技術と、まさにオランダ絵画との関係を論じたスヴェトラーナ・アルパース「描写の芸術」 (ありな書房) は、この分野の決定的な研究書。野口さんという人は、わざとやっているのかどうか、不思議になるくらい、はまっているのだ。 で、会場で売っていた新しい写真集「鳥を見る」 (発売は河出書房新社) を、中身も見ないで即買い。電車の中で待ちきれずに広げてみたら、ありゃ、測量のシリーズがぜんぜん載っていない。ショックだった・・・。

2001.01.29. あな

平野正樹写真集「Down the Road of Life (人間のゆくえ)」を見た。99年夏にクロアチアで開かれた展覧会に付随して作られたようだ。少しだけうわさを聞いていたが、確かに優れた写真集だと思う。とくにサラエボで撮られた「Holes」というシリーズ。無数の弾痕が残る壁、また壁。最も印象的なのは、レンガの壁がぶち抜かれて、その穴からおそろしく青い空が見えているカット。この青はどこかで見たことがある、と記憶をたぐり寄せたら、香月泰男のシベリア・シリーズにこういう青があった、と思い出した。抑留中の香月が穴掘りの労役を強いられている途中、穴の底から空を見上げた絵だったのではないか。またしても穴だが、この写真集にしても、香月の絵にしても、つい「美しい」とつぶやいてしまいそうで、そう言わせない、つまり美というものの範疇を逆に問い返すようなところがある。なお、平野さんは目黒区美術館「目黒区アート・アニュアル2000 14作家の個展」 (2月3-25日) に出品する予定とのこと。

2001.01.30. 心霊写真

磯崎新著「UNBUILT/反建築史」 (TOTO出版) を読んでいて、磯崎さんとの対談で五十嵐太郎さんがちらりと触れている話題を面白く思った。いわく「デジタルカメラにおいて心霊写真は可能かというのが前々からすごく気になっています」。つまり、写真の「真」が担保されているからこそ、怖いと思うのであって、いくらでも画像処理することが可能なデジタルでは、心霊写真とは成り立たないのではないか、「今度こそ本当にアウラが消滅するかもしれない」という指摘。ふむふむ。ただ、デジタル以後どうなるかを考えるには、心霊写真というものの成り立つメカニズムにも立ち返ってみる必要がありそうだ。

2001.01.30. 心霊/写真 (承前)

よくありがちな心霊写真というのは、木陰に人の顔が見えていたりする、というも の。これはごくありきたりな視覚のありようで、壁の凹凸に何かの風景を見てしまう というのは、洋の東西を問わず、古い絵画論には当然のごとく出てくるエピソードではある。しかしながら、それが幽霊であり、しばしば写真に写るとされる理由については、もう少し限定が要る。唐突な話のようだが、柳田国男「遠野物語」のよく知られた挿話に、死んだおばあさんが現れ、その着物に触れて、炭取が回った、というのがある。この伝承が教えるのは、幽霊の妙味は異界の存在だということにではなく、時にこちらへ越境するところにあるということ。非物質的な世界に住まいながらも、視覚像を結び、物質的な作用を及ぼすこともある。こうした性質を持つ幽霊とは、非物質的なイメージのようで、なおかつ物質を媒介とする写真と、じつは似ているところがある。・・・いや、いささかこじつけめいた気がしますね。ほかに参照すべき論点もある気がするので、心霊/写真の話題はこのくらいに。

2001.01.31. カメラに住む

佐藤時啓展 (2月10日まで、銀座のギャラリーGAN) がまもなく終わる。わりあい早くに見て、気にはなっているのだが。ペンライトで描いた光の軌跡によって独特の空間を作り出す仕事とは別に、近年手がけている別系統のプロジェクトを見せている。その名も、「漂泊するカメラ“家”」。そのまま車で引いていける、なかで暮らすことさえできそうなほど大きな台車をまさしくカメラに作り替えたものが置いてある。てっぺんに潜望鏡みたいなものが付いていて、台車内部に景観が投影される。そこに印画紙を広げて感光させればよいわけで、いくつかのプリントも展示されている。すでにインドのリキシャをカメラに改造した同様のプロジェクトを行っているそうだから、今回のプロジェクトの眼目は「家」ということになるのだろう。つまりカメラの中に住まうということ。カメラとは目を外部化した装置だが、その内部へと逆に入り込んで、写真ないし視覚のなりたちを身体的にたどり直すことが作者の関心事のように思われる。この移動式カメラがハンドメイドであり、プリントに操作者の影を入れているのも、そのせいか。しかし、こういう試みを、写真プロパーの方はどうご覧になるのだろうか。小型カメラを携えて、漂泊と呼ぶべき移動を続け、しかもカメラとの身体的な一体感を持って撮り続けている人たちにとって。そのあたり、やってみない側としてはよく分からないところがある。

2001.01.31. 乱歩

さっき毎日新聞夕刊を読んでいたら、豊島区が江戸川乱歩旧宅を記念館にする計画を白紙撤回、という記事が載っていた。財政難では仕方あるまいが、いかにも残念。で、なんで乱歩の話なの、と言うと、前に途中まで書いた心霊写真の話と多少関係する。決して愛読者ではないのだが、光学機械と幻想の根深い結びつきを考えるうえで、乱歩の小説・随筆はまたとないテキストになっていると思うから。日本にもたらされたレンズをはじめとする光学機械がいかに幻想の生産に寄与したか、江戸時代についてはタイモン・スクリーチの著作、たとえば「江戸の思考空間」 (青土社) がある。おおざっぱに言えば、光学機械によって、本来のサイズを逸脱する映像が出現し、視覚的現実が相対化されてしまったのだ、というわけ。これは新美術史の人たちがよく論じるところだけれど、その感覚を持ち続け、自ら正確に記述したのが、乱歩にほかならない。随筆「映画の恐怖」などはその好例。ちくま文庫版の随筆集で簡単に読めるが、余談ついでに言うと、その本のどこだったか、乱歩は面白い見世物があったと記している。竹にたくさん小さな穴を開け、そこからたちこめる蒸気を一種のスクリーンにして、映像を投射するというもの。いまの美術館やギャラリーで蒸気はNGだろうが、映像への惑溺において、昔の人を侮ることはできない。


2001.02.01. 植田調

昨年亡くなった植田正治の写真を多数収録した植田/鷲田清一著「まなざしの記 憶」 (TBSブリタニカ) を読み始める。このしなやかな文章の書き手である哲学者は93年、植田の写真展を見て、「このひとの撮ったものはすべて見てみたい」と思うほどの感銘を受けたという。つづいて、「若い頃、デフォルメやソフトフォーカスといった実験的な手法に取り組んだあと、そんな技巧をあっさり棄ててひとと物がそこにあるという事実にだけ向かったこの写真家」とあるが、そこはどうなのかなーと思った。初期に手がけた実験的な手法のうち、じつは捨て去ることがなかったものがあって、それはフォトグラムではないだろうか。植田が故郷を離れなかった、すなわち砂丘を背景としつづけたのも、そのこととおそらくかかわりがある。フォトグラムという技法は、言うまでもなく三次元的な空間表象の否定によって成り立つわけだが、それでも図と地という区分は存在する。図はオブジェと名指されよう。しかし、他方の独特な地のありようを何と呼ぶべきなのか、ともかく、そのとらえがたい地の等価物を、植田は現実の景観である砂丘に求めている。むろん砂上のヌードというクリシェもまたフォトグラムの記憶を多少宿すと思うけれど、飽かず撮り続けた植田の持続には特異なものがある。・・・というのが、その真への個人的な関心事。さて、あとは鷲田さんの側の考察を虚心に読み進めるとしよう。

2001.02.02. うつ

鈴木理策展「M. Sugawara 天神御霊信仰伝」 (4月1日まで、新宿・エプサイト) を見に行く。いや、よかったす。昨年の「Saskia」は美しいインタールードを聞くようだったが、これは「Kumano」いらいの系列に属する作品。しかも、停滞することなく、この流れの仕事は、まだあきらかに上昇を続けている。菅原道真=天神は、悲傷、怒り、たたりといった負のエネルギーを凝集した神霊であり、信仰も生々しいものであった。さすがに今日、そうした古来の宗教的エネルギーも薄らいだかに見えるが、本展の写真は、神霊と呼ぶべきかどうかは別にしても、しばしば不可視の何者かの訪れを感知させる。見るところ、その秘密は、彼の写真が持っている独特な空隙への感受性にある。画面のなかについても、そうだし、一つのシークエンスをなす写真と写真との間の空隙も重視されている。そのことが何者かを呼び入れる。昨年、折口信夫的な語彙に基づいて構成された東京芸大美術館「間」展にならって言うなら、「空 (うつ) 」に「霊 (ひ) 」が入る。ただ、今回インクジェットはどうだったかなあ。横に長い紙にプリントされていて、写真と写真との間に、白いままの紙が見えているわけだが、あの独特な空隙が実体化してしまったようで、個人的には通常のプリントの方がよかったかも。・・・ついでのついでの余談。ある世代より上の人だと、「カンコー」という学生服ブランドがあったのを覚えているかもしれない。長じて、それが学問の神でもある「菅公」=菅原道真公なのだろうなとようやく気づくわけだが、さて、学生服があんな風に窮屈な詰め襟で定着してしまった背景には、道真公の衣冠のイメージが重なっていなかっただろうか。付言するまでもなく、これも例によって根拠のない妄想なんだけど。

2001.02.06. 距離

目黒区美術館「目黒区アート・アニュアル 2000」展を見に行く。公立美術館では、しばしば地元作家の紹介展が行われる。ところが今日、じつは地域性などほとんど存在しない。たとえば「目黒区らしい美術」などというものがあり得るのかどうか考えてみればよい。美術館が担うべき公共性とはどういうものかという熟慮なしに、地元作家展が強いられている。それを担当するに至った今回の企画者は、現実へのアイロニーと観衆への誠実さのゆえに、14作家の個展を集める形式で展覧会を構成している。みごとな学芸員魂! さて、そういうわけで絵画、書など何でもあり、という展覧会において、写真では、柴田敏雄さん、少し前に触れた写真集「Down the Road of Life」の平野正樹さんらが出品している。ぐうぜん美術館には平野さんご本人がいて、すこし話をうかがう。最も聞きたかったのは、戦時下の壁を撮りながら美しいと感じていたかどうかという点。「きれいだな、というのと、そう思っちゃひどいな、というのと両方。東京とサラエボの距離が撮らせた写真ですよ」。うそのない答えだなと感じる。

2001.02.08. 明治の日本

「明治の日本」 (吉川弘文館) という写真集を見る。明治20年代を中心に撮られ、天皇に献納された「御手許写真」を公開した一冊。じつはいま、宮内庁三の丸尚蔵館で「明治美術再考4」という展覧会も開かれていて、やはり御手許写真と思われるアルバムがいくつか展示されている (3月4日まで。三の丸尚蔵館は皇居大手門から入ってすぐ。入館料は不要だが、開館日・時間には注意がひつよう。念のため) 。江戸時代から明治時代への移行のなかで、明らかに変化した事柄のひとつは、国土の一体性に対する意識の強さだろう。そこには写真、絵画という視覚メディアが深くかかわっている。あれこれの地方がどのような地勢であるのか。そこでどのようなことが起こっているのか (風水害や火山の噴火など) 。それらが具体的な視覚イメージとして定着されていくことで、日本はひとつであるというリアリティーが獲得されたのではないだろうか。そうした事情を、先の写真集と、展覧会は改めて考えさせる。

2001.02.08. 噴火

上記「明治美術再考4」展で、おおっと目をむいたのは、山本芳翠「磐梯山破裂之図」という強烈な油彩画だった。だが、じつは三の丸尚蔵館と目と鼻の先にある大手町の「ていぱーく」でも、つい先日まで、たまらない火山の絵を見ることができた。残念ながら、会期は終わってしまったが、「昭和新山と郵便局長」という展覧会は、昭和新山がむくむく立ち上がっていくのを観測し、その後も火山にかかわり続けた三松正夫という特定郵便局長の絵や遺品を紹介したもの。その火山の絵は、ふだん保存している記念館もその値打ちに気づいてないようすなのだが、じつにおもしろかった。一方では、むろん正確な観測を目指している。ところが、この人にはもともと南画の心得があった。山水画にはもともと山の気を描くという考え方がある。奇岩趣味はそのあらわれだが、そんなアマチュア南画家としての目が、科学の目と混然一体となっている。言うまでもなく先に触れた日本がどうの、という話とはまったく無縁。ある意味では奇人ともいえそうな人物が、噴火に遭遇した高揚感に包まれて、たったひとりで描いてしまった、ちょっと類を見ない火山の絵なのだ。・・・で、最後にお断りすると、ここになんら写真と関係ない話を書いたのは、展覧会を教えてくれたのが、PGの笹岡さんだから。また面白い展覧会があったら、教えてね。

2001.02.09. フレーム

三つのギャラリーを回ったら、偶然、すべて写真がらみの展覧会だった。このところアート系のギャラリーでの写真展がすごく増えた気がする。まずは斎木克裕展。3月2日まで、ギャラリーMAKI (日本橋側から見て、永代橋を渡る手前の右手にあるマンションの4階です) にて。98年から発表している「frames」シリーズで注目された人。実際に針金のようなもので幾何学的な立方体を作り、それを写真に撮る。一見抽象絵画のようで、じつは立体を撮った写真ですよ、という作品は、写真と美術の枠組み=フレームを問い直しており、両者がおじやのように混じり合う今日の状況のなかで、がぜん光っていた。今回の新作は、すこし意外なのだが、空を撮った写真。しかしながら、ある種の写真展に行くと、うんざりするほどお目にかかれる情緒的な空の写真とは180度違ったもので、幾何学的な美しさを引き出している。リーフレットに使われている写真など、ちょっとバーネット・ニューマンなんかを連想させるもので、やはり美術と写真について考えさせるところがあるような・・・。ただ、近く銀座のフタバ画廊でも新作展 (19日から25日) が開かれるそうなので、そちらも見てみたい。

2001.02.09. ガラス玉

上記の続き。永代橋を渡って、佐賀町・小山登美夫ギャラリーでの櫃田珠実展へ (3月3日まで) 。写真をもとにデジタル処理を施した、幻想的な作品。こういうタイプの作品はやはり鏡地獄的な感覚に接近するのだろうな・・・と思いながら、日本橋のツァイト・フォト・サロン「オノデラユキ作品展」へ。ガラス玉を扱った、一対のシリーズを見せている。一方はカメラの中にガラス玉を入れて撮った群衆の写真。くわしいメカニズムは分からないが、カメラ内では下部にあるガラス玉が、写真では上方に白く抜けた形で現れている。ガラス玉が光を四散させるせいか、群衆像は不思議なモアレに覆われている。見ているうちに、自分もカメラの中に身を置いた気分になる。他方のシリーズは、そのガラス玉を被写体とする。まっくらな画面のまんなかに、光を受け入れて、白く輝くガラス玉がぽつんと写っている。見つめていると、ガラス玉の中に吸い込まれそう。この後者のシリーズは「ZOO」と名づけられていて、動物園にいる動物の目というイメージが重ねられているらしい。群衆、動物、ガラス玉。まなざしを交わすことのないものに向けられたまなざし・・・。この個展、けっこう好きだった。

2001.02.11. ナジ

ささやかな読書メモ。井口壽乃著「ハンガリー・アヴァンギャルド MAとモホイ=ナジ」 (彩流社) を読みおえる。バウハウス以前のモホイ=ナジ、つまりハンガリー時代と、そこでの前衛芸術家との出会いという文脈を掘り起こした研究書。門外漢にも面白かったのは第7章で、フォトグラムをめぐる話題が出てくる。カメラの扱い方は、最初の妻ルチアが教えたらしい。また、モホイ=ナジの実践と比較しつつベンヤミンの複製芸術論を批評的に読むくだりなどを、ふむふむと読む。その写真への見解を含む「生産―再生産」論を収録していたり、資料編も充実している本でした。

2001.02.13. HCBの灰色

もうひとつ読書メモ。あまり見かけない海外の大家についての評論でもあり、楠本亜紀著「逃げ去るイメージ アンリ・カルティエ=ブレッソン」 (スカイドア) を即ゲット。 重森弘淹写真評論賞を受けた論考だと、帯にある。第一写真集における「決定的瞬間」のニュアンスがフランス版とアメリカ版で異なるという丁寧な分析にはじまり、後半ではその灰色のトーンを論じる、とも予告されている。 わくわくして読み始めた。その灰色のトーンについては、やがて「世界を一枚の皮膚のようにして所有したいという欲望」と重ねられる。しかし、「一枚の皮膚、これは写真に関わるもの全てが夢想する欲望である」とも記されている。 ・・・うーむ、写真論一般に話は開かれた、と思うべきなのか、しかし、個人的にはそこでもう一度、ブレッソンの固有性を論じてほしかった気もする。

2001.02.14. デュ・カン

マクシム・デュ・カン。蓮実重彦「凡庸なる芸術家の肖像」でその名前を知ってはいても、彼が撮ったエジプトの写真を実際に見るのは初めて。JR三鷹駅前の三鷹市美術ギャラリー「マクシム・デュ・カン」展 (3月25日まで) は、その150年前の写真をたっぷり見せている。つまり写真術の発明からさして時を置かずに撮られたわけだが、なんとも魅力的な写真というほかない。廃虚趣味、オリエンタリズム、帝国主義といった文脈を忘れてしまいそう。ここには、驚きに見開かれた、イノセントな目がある (このイノセンスが問題でもあるのだが) 。 ただ、今日の観衆としては、その後150年にわたるイメージの堆積にも思いを致すべきなのかもしれない、とも思う。ふと「未知の惑星にたどりつき、想像を絶した遺跡に遭遇するといったSF的な場面を想像させる」などという評言を思い浮かべるが、じつはそうしたSF的イメージは、こうしたエジプトイメージに由来しているのではないだろうか。あるいはすごくモダンだなという印象を抱いたが、じじつは逆で、ここにモダンの美学の一源流があるのかもしれない、などなど。・・・そんな妄想はさておき、展示室はがらがら。ゆっくり楽しめます。

2001.02.14. 版画と写真

三鷹の帰り、新宿の安田火災東郷青児記念美術館に立ち寄る。やっているのは、丸井コレクションによる20世紀の版画展 (3月4日まで) 。以前に港千尋さんが、ウォーホルの回顧展を、写真展として見てみたら・・・という文章を書いていたが、写真と版画を対比させての議論はいっそうさかんになっていくはず。もともと複製可能なイメージという共通点を持つが、デジタル化で画像処理が当たり前のようになってくると、なおさら境界は不分明になるだろうから。この展覧会じたいは、そうした関心にもとづくものではまったくないが、ウォーホル、そして、ラウシェンバーグの登場によって、絵画の代替物としての版画が、イメージの複製性をめぐる表現の場へと移行していくさまを改めて確かめることはできる。

2001.02.14. pgに行った

さらに新宿をぶらぶらして、pgに漂着。オープニング展いらいのこと。中尾曜子さんに会い、その「死画像」展を見る。HP上の蔵さんによる紹介文通り、このニコニコ笑っている彼女が、なぜに“お化け屋敷”を・・・と絶句。奥には喪の黒ーむ、失敬、モノクロームの大きなセルフポートレートがあって、両側の壁がお化け屋敷状態です。 ガラスか何かに押し付けられた顔やからだは、こちら側の空想では、生きながら透明な水槽にでも詰め込まれたよう。ともあれ、写真と死というやっかいなところへずんずん入っていくあたりも含めて、その過剰さこそを買うべきか。

2001.02.15. 試写

ある方に「ぜったい見るべきだ」と勧められて、佐藤真監督の新作映画「Self and Others」の試写に行く。いまなお動揺がおさまらない。すでにお察しのとおりで、副題は「牛腸茂雄 写真のまなざし、写真家のこえ」。その写真のように、 映画はある意味で淡々と続く。彼が生き、見たであろう風景のルポ、写真やフィルムなど牛腸作品を交えた映像に、姉に書き送られた手紙の語りが 重ねられる。映画プロパーの人には退屈なのかもしれず、隣の人はグウグウ寝てしまっていたが、しかし、写真に関心のある人は決してそう感じないはず。 なぜならば・・・と力を込めたいところだが、これから見る人のために、あとは言わない。じつは映画をほとんど見ないので、「まひるのほし」など佐藤監督の作品と比べてどうなのかも分からない。ただ、なんというか、衝撃的、と言うとちょっと違うけれど、表現するということとは、あるいは、生きるということとは、という茫漠として広がっていく問いのなかに、ひとり放り出されてしまうような映画。4月28日から渋谷のユーロスペースで、レイトショウ公開だそうです。

2001.02.22. 見る人

週刊モーニングに業田良家の漫画が載っている。まるで欲のない主人公とおかしな人々、といったファンタジーだが、今週発売号の回はなかなか面白くて、「見る人」が登場する。飛んでいる野球ボールの縫い目を見る。ベルリンの壁の崩壊や、震災で高速道路が倒れるところも見た。しかし、何をするでもなく、ただ「私は見た」と口にするだけ。平凡なオチについてはともかく、なんとなく写真のことを重ねてしまった。この「見る人」は首に虫眼鏡をぶら下げているのだが、それがカメラでないのはなぜか、とか、もし彼が写真家だったら、その「見ること」はどう変わっていくのだろうか、とか・・・。この「見る人」がどういうわけか、さる写真家に似ている気もしておかしかったが、そのせいかもしれない。

2001.02.22. 斎木展その2

銀座・フタバ画廊での斎木克裕展を見る。やはり新しいシリーズのようで、縦長のプリントが3分割されている。真ん中にはカラフルな倉庫なんかが写っている。その下はまっしろ。いちばん上もまっしろなのだが、中間部分からポールなんかが突きだしている。どうやら下から3分の1にはなにも焼き付けられておらず、白い印画紙のまま。その他はふつうに撮った風景なのだが、上から3分の1は空であるために白く抜けている、ということらしい。まっしろな印画紙かと見せて、じつは空、というのは、これまでの作品と似た発想。トロンプルイユ=目をあざむく、という意味で、だまし絵的と言えるかもしれない。ただ、見る側というのは欲張りなもので、もう一声、グッとくる何かが欲しい気もした。

2001.02.23. シャトル写真

集英社インターナショナル刊「私たちのいのち 地球の素顔」という写真集を眺める。毛利衛氏が高度233キロのスペースシャトルから撮影したという地球の写真は、申し分なく面白い。ほほう、ずいぶん地球の表面とはバラエティーに富んでいるのだな、と感心させられるし、おそらくだれの目をも楽しませるだろう。しかし、宇宙空間から撮られた高精度の映像は、ほとんど公表されないまま地球上に送られている、もう一つの映像を連想させる。いわゆるスパイ衛星が現在、おそらく10センチ以下の解像度を持つ、とは港千尋「遠心力」 (青土社) の記述によるが、港氏はさらに、こうした衛星写真をめぐる考察を続けている。それを読んでしまった身としては、シャトルからの映像を前にしても、すっかり見る側に回っている気にもなれず、同時に見られている側に回っているという不安にさせる事実についても、思わざるを得ない。

2001.02.27. 鄙の国

東京都写真美術館「ドキュメンタリーの時代」展 (3月30日まで) を駆け足で見る。名取洋之助、木村伊兵衛、土門拳、三木淳の作品で構成したコレクション展。いやもう、見事な作品ばかりであります。名取らの写真が載ったドイツの雑誌やライフの現物なども出ている。カタログに載っていた、土門拳の修行時代についての熊田千佳慕の回顧談もおかしいです。ただ、奇妙な感慨も抱いた。外国のグラフ誌に彼らが寄せた日本の写真は、やはり外国の目に受けそうな“エキゾチック・ジャパン”にほかならない。それと、本展では木村の「秋田」が並んでいる。むろん同じだとは思わない。だが、世界における鄙の地=日本へのまなざしと、日本国内における鄙の地ヘ向かうまなざしと、それらの間の異同、写真家の立ち位置について、なんとなく興味をそそられた。

2001.02.28. ヴァニタス

赤坂見附に用事があったので、東京写真文化館のジャンルー・シーフ追悼展 (3月4日まで) に入ってみる。知らなかったのは、この写真家がある時期、パレルモのミイラを撮っていること。ファッショナブルな写真、エロティックな写真が並ぶなかで、それはわずか2点しか出ていないものの、いわば重しのように利いている。その地点から眺めると、華麗な写真のすべてがヴァニタス (虚栄) の寓意をあらわにしはじめるように見える。


2001.03.02. 金村3

金村修さんの写真集ラッシュ。「Spider’s Strategy」 (河出書房新社) に続き、昨年秋から3冊目となる「I can tell」 (芳賀書店) が出た。同世代でもあり、ふやけた日々を送る身にとっては、本当にまぶしい。後者は、たたきつけるようなテキストがたくさん入っているのが目を引く。「よく色々な人にカラーをやらないのかだの、人物を撮らないかだの、違う国で撮らないのかだのバカな事を聞かされるけど、そんなことをやる訳ないだろう。そんな無節操な礼儀知らずのことなんかしたくもない。恥知らずに写真が撮れるのか」。読みながら思い出したのは、「写真集を読む2」 (メタローグ) における畠山直哉インタビューの言葉。「僕に『人を撮らないのですか?』と聞く人がいる。僕が人の写真を撮らないことを責める人さえいる。結局、客はいろんな料理を食べたいだけなのだ。だがなぜこれほどナイーブな質問が、こと『写真』に対しては平気で発せられるのか。

2001.03.02. 捨てられた写真

神宮前・ワタリウム美術館「幸福の場所を探して」展を見る。現代美術シーンでは、ほかにも「ギフト・オブ・ホープ」「出会い」と、ハッピーなタイトルの展覧会がはやっているが、その裏には、ごうごうと寒風吹きすさぶシーンの現状がある。ただし、この展覧会の場合、文脈をつかみにくいとはいえ、内容までもハッピーというわけではない。とくにアントン・オルシュバング (ロシア) の作品は、写真の方面から見ても、興味深いものだろう。旧ソ連領のラボを歩き、ボケ、フラッシュの失敗などの理由で捨てられていたゴミ写真を無数に集め、そこからピックアップしたという写真を大きく伸ばして、展示している。独得なカットの選び方もあって、おそらくは捨ててしまいたいと思ったはずである祖国の日常風景を、いわばゴーストのように浮かび上がらせている。

2001.03.05. 再びpgへ

新宿界隈ではしご。川口敏彦「ナマステの国の神々」展 (15日まで、ペンタックスフォーラム=実は、同期入社のカメラマンなのだ) 、中居裕恭「残りの花」展 (9日まで、コニカプラザ=さりげなく、見事な写真。胸にしみいるような感あり) を経由して、pgの北島敬三展へ。あの膨大な「Portraits」シリーズをどうやって見せているのか、ということに関心は赴くわけだが、意表を突かれました。すっかり種明かしするのはやめるとして、一つひとつの顔と正しく向かい合うよう促し、なおかつ見ている側が見られている関係にもある、と気づかせるような展示方法。見せ方ひとつで作品のよさを引き出すワザを見せつけて、pgの若いメンバーたちに、身をもって範を垂れる北島御大でありました。

2001.03.07. 版画と写真 (続)

美術館が普及プログラムに力を入れるようになったせいか、ちかごろは発行物にも、ときどき面白いものがある。和歌山県立近代美術館「ニュース no 27」に掲載された版画家木村秀樹氏「写真の映像と版画」は、個人的には興味深い内容だった。1970年代からシルクスクリーンによる制作を続けている木村氏は、なぜ手で描かなかったのか、逆に、なぜ写真そのままではいけなかったのかという問いを設定しながら、絵画でも写真でもない、「中間性とでも言えそうな存在感」にこだわりがあった、と回想する。さらに版画というジャンルそのものが、1960-70年代には、芸術でも反芸術でもない、中間的な立場にあった、とも述べる。明晰な自己分析。ただ、こんにち美術と写真がなめらかに乗り入れる状況を振り返る時、その中間性が「出自が判明しない不穏分子」 (木村氏) として機能し得ているのどうか、ともつぶやきたくなる。

2001.03.08. 静物

芝浦・PGIの杉山守展 (31日まで) へ。広告写真のほうでは有名な方のようだが、見たのは初めて。よく階調のととのえられた静物写真が即座に思い出させるのは、浜口陽三とか駒井哲郎の銅版画。物の、ひそやかな存在感、とか評されるような。・・・まったくの余談だが、オブジェ写真の小道具として、新聞紙が写っていることがたまにある。さらに、割合から言うと、横文字の新聞であるケースのほうが多い気がする。これがもし日本の新聞だったら、雰囲気はまるでぶちこわしだろうな、と想像して、おかしく思うことがある。「メッツ新庄、3打席凡退」なんて見出しが読めちゃったりして。本展の場合、もちろん横文字派であります。

2001.03.08. ロシア・アヴァンギャルド

さらに目黒区美術館を経て、けっこう評判のいい東京都庭園美術館「ロシア・アヴァンギャルド展」 (4月1日まで) へ。ステンベルク兄弟を中心に、リシツキー、ロトチェンコ、クルツィスなどのポスターがたくさん見られる。フォト・モンタージュとタイポグラフィーに淫した仕事は、もうそればっかりなんだけど、やっぱりインパクトがあります。ロトチェンコの写真も若干出てます。さて、展覧会として水準以上の面白さだということを前提にした上で、不思議に思うのは、ロシア・アヴァンギャルドの位置づけ方。昨年刊行されたボリス・グロイス著「全体芸術様式スターリン」 (現代思潮新社) はちかごろ読んだなかでは、ずばぬけて刺激的な評論だった。そこでは、ロシア・アヴァンギャルドとスターリニズムの同型性が極めて説得的に示されており、善玉・ロシア・アヴァンギャルドが悪玉であるスターリニズムに弾圧されて、その可能性を摘まれたというのは、西側美術界の幻想だとまで書かれているのだが、その後に日本国内で出た本も、この展覧会も、依然としてこれまでの見解を踏襲している。グロイス著は、この分野の研究者には相手にされていないのだろうか。私見では、この展覧会においてさえ、ロトチェンコらの作品と、社会主義リアリズムに分類されるクルツィスの作品とが、まったく違う方法論にもとづくと見なすことは難しく、明らかに連続性が見いだされるように思うのだが。

2001.03.08. 実況・ハッセル賞

スウェーデン大使館にて、ハッセルブラッド国際写真賞が発表された。ときたま自国の写真家に与えているようだが、既受賞者は第2回のアンセル・アダムスをはじめ、すごい顔ぶれ。1昨年はシンディ・シャーマン、昨年はボリス・ミハイロフ (佐谷画廊で扱っていたウクライナの写真家) だった。さて、今年は・・・と言うと、大使のあいさつ、ハッセルブラッド財団からのもろもろのご説明とけっこう待たされたあと、杉本博司氏の受賞が告げられた。会場に現れた受賞者は開口一番、「みなさん、アラーキーが登場するかと思ったでしょうが、残念でした。杉本です」。さいしょNYのスタジオで連絡を受けた杉本氏は最初、機材のセールスかと思って、邪険に対応していたが、賞金約600万円だと聞いたとたん、すっかり態度を改めた、とのこと。照れ隠しなのか、終始、ギャグをかましながらの記者会見だった。日本人受賞者としては、87年の濱谷浩氏に続いて2人目。なお、今回の審査員5人には、インディペンデント・キュレイターの清水敏男氏が含まれている。

2001.03.10. ハッセル賞拾遺

ハッセル賞・杉本博司氏の話のつづき。記者会見で出た幾つかの質問のうちに、伝統的な審美観との関係を問うものがあった。三十三間堂のシリーズもある人だけに、当然の質問だとは思うが、杉本氏は、NYタイムス等のレビューで「zen photographer」などと呼ばれてきた、と苦笑気味に語り、「つねに芸術と国籍とを結びつけようとされるが、その見方は短絡的で、直接的な関係はない。私は日本美のセールスマンでなく、ストレート・アーティストだ」と答えていた。しかしながら、その作品にどう反映しているのかは別にして、この人が伝統文化を知悉していることもまた疑いない。というのも、このところ用あって、古美術のことでちいさな頭をいっぱいにしているのだが、たまたま京都・細見美術館の雑誌「古今」創刊号を引っぱり出したら、杉本博司氏のインタビューが載っていた。伝統文化にかんする、驚くべき博識ぶりの一端をうかがわせる内容なので、付言してみた。

2001.03.10. さくら

忙しさのあまり、ウィークデーに回りきれなかった銀座かいわいを流す。1丁目はギャラリー小柳の向かいあたりまで来て、あれ?と思ったのが、ギャラリー新居東京店の東松照明展。やっているとは知らなかったなーと思って、入ったら桜のシリーズだった。聞けば、スケジュールが空いたので、すでに預かっていたのを展示させてもらっているだけで、4月に入ってから案内も出して、正式に開催するとのこと。桜のシリーズは発表当時、日本回帰だという批判があったと聞いたことがあるけれど、花が咲く時のむせかえるような生命感が写っていて、東松さんらしいなと感じる。少なくとも末流日本画家が描く、いかにも元気のない桜には似ていないし、もし日本的かどうかを問うのなら、せっかくだから桃山期、例えば智積院あたりの爆発的な桜の絵と引き比べてみたい気がする。

2001.03.12. 猪瀬光展

8年ぶりの個展だという、猪瀬光展が始まった (24日まで、銀座1の9の8、奥野ビル地下1階、Space Kobo & Tomoで) 。戦前の古い建築を地下におりていく展示空間は、その作品世界にぴったり。18点のうち、幾つか「デジャ=ビュ」や光琳社出版の写真集で見たことがあるものが含まれていて、12点が未発表作とのことだった。それにしても、横長の印画紙を採用してはいるものの、志向としてはほとんど変化していないのが目を引く。あるいは見る側が鈍いせいかもしれないけれど、その変わらなさに、この写真家の目指すイメージの堅固さを見る思いがする。

2001.03.16. 復活・佐賀町

江東区・佐賀町エキジビット・スペースが昨年暮れ、閉じた。それ以前から不活発な状態は続いており、あのビルも小山登美夫G、ナスタロウGの健闘にもかかわらず、なんとなくさびしさが漂っていた。ところが、きょう訪ねたら、再び先端的なスポットになるのを予感させるようではないか! エキジビット・スペースの場所を引き継ぎ、2人のギャラリストが共同運営するRice Galleryでは、アーティスツ・デビュー展 (4月7日まで) 。写真の米田知子を除いて、はじめて見る作家ばかりだったが、かなり楽しめた。いまふうのアートの、どこかの文脈にはつながりつつも、センスがいい作品が多くて、ギャラリーの今後をも期待させる。小山Gも初めて扱うジャンニ・カラヴァッジオ展 (3月31日まで) 、ナスタロウGでは、写真も使うアレッサンドロ・ラホ展 (4月7日まで) と、いちどに三つ見られて、おとく感あり、です。

2001.03.16. ご挨拶 (恐縮しつつ)

このHPに今週、深川雅文さんが登場された。こんなところでご挨拶というのもアレなんですけど、ほんとうに恐縮してます。何年か前、川崎で初めてお目にかかっていらい、畏敬のまなこ、というか・・・。pgという新しい場ができて、ちょっとでも盛り上げられるといいなと思って、ごらんのとおりの駄文を書き散らしてきたけれど、これを深川さんが読まれたかと思うと、恐縮というより委縮してしまいそう。なにせロシア・アヴァンギャルドの話まで書いてしまったからな・・・。鈴木理策展の展示形式についても、深川さんは違った見方を示されているのですが、しかし、そうあること自体が望ましい形だなという気もする。ともあれ書くこと、それはすなわち恥をかくこと、という職業的諦念を思い出しつつ、深川さん、そして、どこかで読んで下さっているかもしれないみなさんに改めて、今後ともよろしく、とご挨拶申し上げます。

2001.03.21. ヌード

国会図書館でジミな午後を過ごしたのち、少し歩いて東京写真文化館「NUDES & FLOWERS」展 (5月13日まで) へ。所蔵品から、ウェストコースト派のヌードと花の名作をご紹介、という内容。最初にルース・バーンハート、イモジン・カニンハムという女性写真家を持ってきたのが一工夫か。しかし、改めて印象付けられるのは、性別のいかんを問わず、ギリシャ・ローマいらい彼らが抱いているヌード=美という信念の強さ。それが造形の強さに直結してくるのだろうが、やっぱり日本人としては、そこまで思い込めないよなーと思う。展示の後半は、ウェストンの子供だとか孫だとか、ファミリーの写真が並んでいて、妙な感じ。

2001.03.21. ヌード (承前)

あきれられそうだが、伊勢丹美術館の「マリリン・モンロー写真展」 (4月9日まで) も見てしまう。いや、モンローが好きな人なら、間違いなく楽しめるでしょう。プレスが撮った写真が多くて、米軍慰問のカットなども目を引きます。それはさておき、モンローのヌード写真 (赤いバックの有名なカット) も出ているのだが、今回初めて見たのは、それが使われたカレンダーの実物。写真ではさして気が付かないものの、粗悪な印刷物になると、ひじょうにひわいな感じになってしまうものだなー、と改めて実感。

2001.03.21. あわい

などと迷走したすえに、pgへ流れ着く。中村綾緒写真展「あわい」 (28日まで) 。すごく微妙なところを突こうとしているのだろうな、というのが第一印象。ほとんど無作為にシャッターを切ったような街の一隅のカットが続き、ときおり自分にカメラを向けて撮ったとおぼしきセルフポートレートが現れる。つかみどころがないようで、だが、その「つかみどころのなさ」が、実は一定の現れ方をしている、とも思う。画面の中のどこにも、あえて関心の焦点を絞らない。視線の投げかけ方もかなり限定されていて、足元に視線を落とした、その落とした先をそのまま写真にする、といった撮り方が基調になっている。どうも様々なタイプの写真を忌避しながら撮られているようで、そこが何とも不穏。少なくとも「さりげない日常の断片」みたいな写真からははるかに遠い、と感じる。

2001.03.22. ピンホール

いい天気。日本橋本町4の1の12、秋山画廊の宮本隆司展 (4月7日まで) へ。横浜でのAIR展で見た、ピンホール仕掛けの小屋を用いて撮ったプリント。青空のもと、身近にありそうな林の中に小屋を据えて、感光させたようだが、プリントは天地逆にして掲げられている。そんなわけで、何だか青空が水面 になり、林も水面に映じた倒立像のようにも見える。撮影者も入り込めるピンホールカメラというと、つい先日の佐藤時啓展を思い出してしまうが、たぶん、それぞれの違いのほうが目を引くはず。佐藤展はカメラごと車に乗っけて、いわばアジア的な祝祭感覚のうちにコトを運んでいたのに対して、この展示はひとり小屋を据えて、その中に潜むという、隠棲者的な感覚をただよわせている。プリントに撮影者の影が映り込んでいる点も共通 するが、ここでの影はプリント下部にあって、上の印象で言えば、水底に沈潜しているよう。

2001.03.22. フォトグラム

すでに深川さんが紹介されている杉浦邦恵展 (31日まで) を見に、ツァイト・フォト・サロンへ。3年ほど前だったか、いまは文字通 り鎌倉に行ってしまった鎌倉画廊のコレクション展で、たまたま何点か見て、一目で気に入ってしまった。むろん、当時から有名な方だったのだろうけれど、そういうビギナーにとって、何がよかったのかというと、フォトグラムなのに、対象がオブジェとして固まってしまわないところ。エレガントで、うるおいのある生の感覚が息づいているようで。今回の展示は様々なタイプの作品が出ているが、タコとかイカを使ったものをそぼくに楽しんだ。たぶん、生きているのが印画紙の上でのたくったんじゃないかなー。なお、すこし足を伸ばした銀座ニコンサロンでは、やはりフォトグラムによる山崎博「櫻花図」展 (31日まで) 。こちらも野外に咲いている花に夜間、ストロボをたいて、感光させたもののようだった。しかし、一口にピンホールだ、フォトグラムだと言っても、いろいろだよなー、とシミジミ思う午後でありました。

2001.03.22. 熱帯雨林

水越武写真集「熱帯雨林」 (岩波書店) を見る。ネイチャー系の写真にはあまり関心を持ってこなかったのだが、これはやっぱり力作というものではないだろうか。ぐるぐる渦巻く根とか、宿り木みたいなのが宿主の木を絞め殺して、その幹の部分が中空になったまま生えているありさま、とか。単純にすごいなーと思う。あえて説明すると、ある種のネイチャー写 真が感じさせる、ほら、すごくきれいだよね、という人間の側のなれなれしさを、自然の側が超えていくような場面 が含まれている、ということかもしれない。

2001.03.21. めまい

さて、ウイークエンドを前に、くらくらするような一撃をもたらしたのは、雑誌「an・an」の3月30日号。超人気企画第2弾を銘打って、「カメラがもっと上手くなるヒント」を大特集している。なんと表紙はシドニー五輪で勇名をはせた、あの福山雅治カメラマンだ。めまいのうちにフラフラと購入してしまった。巻頭特集はアラーキーと福山カメラマンによるフォト・セッション。アラーキーを待たせて撮り続ける福山カメラマン! そして天才・アラーキーの撮影アドバイスは「写真はね、二人の世界をつくること。そう、恋するように」・・・。記事、キャプションとも、いちいち念が入っていて面白いです。そうかと思えば、モノクロページでは、いきなりティルマンス展なんかが紹介されていたりします。もちろん、カメラ雑誌みたいな撮影ノウハウもバッチリ紹介してある。いや、でもほんとうに買ってよかった。ここで何気なく「写真」と言ってみたりしているものを取り巻くようにして、広大無辺の写真ワールドが存在していることを改めて思い知らされます。

2001.03.30. 触れられない

関西出張で疲弊した後、せめてNICAF NICAFくらいは・・・と這うように出掛ける。その途次、野田哲也展 (4月21日まで、新有楽町ビル内、フジテレビギャラリー) に寄る。シルクスクリーンと木版画を併用した独特な技法、さらに私的な情景というモチーフによって高く評価されるベテランの近作展。以前にも書いたような、写真でもない、ペインティングでもない、シルクスクリーン系の版画が持つ「中間性」がどのような形で現れているのかが個人的な関心事だったのだが、この作家の場合、イメージを現実から引き離す方向に機能しているのだな、と思う。安定した達成度を示す作品を見ながら、現実がイメージに転写されたとたん、手を触れることができなくなってしまう、という当たり前のことを思ってみる。これはむろん、写真も同じ。だが、ここでは版の技法を重ねることで、イメージの不可触性がいっそう強められる。作品はそれぞれ日付をタイトルとして掲げているので、その不可触性は時間の不可逆性と重なり合う。最終的に、そうした不可触性、不可逆性が過ぎ去っていく私的な情景をいわば聖化されたものとして印象づける・・・というのが、その作品の成り立ち方ではないだろうか。

2001.03.30. NICAF

などと思いながら、NICAF会場へ。写真を使用したアートないし写真そのものが相当の割合を占めている。面 白いと思う作家をチェックしながら、ぶらぶら歩いている時、はっとさせられたのは金村修さんの写 真。たった1点ながら、あまりの写真そのものぶりは、会場を覆うむわーんとした空気の中で、切り立って見えた。この週、HP上に登場された三島靖さんの文章を読んでいたせいもすこしあるかも。まだ三島さんにはお目にかかったことがないのだけれど、この場を借りて、よろしく、と申し上げます。


2001.04.03. 光の形象

NICAFで気になった作家、佐藤利成展を見に、恵比寿のハヤカワマサタカギャラリーへ (21日まで) 。具体的な像のない、光だけがとらえられている。縦方向に光の帯が走るタイプの作品のほか、赤い光が満ちるものなど、予想以上にさまざま。あくまで写 真なので、現実世界から生み出された光であり、色であるはずなのだが、どうやって撮っているのかは分からない。ただ、そうした光をそのまま形にしたいという意図があるのかもしれない。そう思わせる理由は、プリントを厚手のアクリル板で挟んでいること。アクリル板そのものが光に染められ、いっそう強く、光が形象化されている、という印象を受ける。初めて見たが、確かな質を備えた作品だと思う。早川氏によれば、長く滞仏している方で、インスタレーション的な作品も手がけている、とのこと。

2001.04.04. しにせも

銀座8丁目の東京画廊で、しばし、よもやま話。斎藤義重さんをはじめ、多くの現代美術家を擁する名門画廊だが、これから意識的に若手作家も取り上げていく、とのこと。NICAFでもメタリック大和絵とでも言うべき金田勝一さんを紹介していて、東京画廊にしては新しめの作家だな、と思わせたが、かなり本気で、次世代作家の紹介に乗り出すらしい。その理由もなかなか興味をそそるもので、戦後半世紀を経ても、その間、現代美術の経験がほとんど積み上げられず、系譜も存在せず、現代美術の通史もほとんど書かれていない、それゆえ海外へも説明不能・・・という状況をどうにかしなくてはならない、という意識があるようだ。なぜそうなったのかは、立ち入って考えるに値するけれど、とりあえず写真関係の話に転じると、その新世代作家のシリーズには、鈴木理策さんが含まれていて、頂いた予定表によると、9月に登場するとのこと。

2001.04.05. まんだら的

京橋・INAXギャラリー2の今井紀彰展に立ち寄る。昨年、横浜県民ギャラリーのアニュアル展で見たことがある人だが、ふだん撮られるような日常的なプリントをたくさんコラージュして、文様的に使用しつつ、大きなドードーとか別の違った形にまとめ上げる仕事。このギャラリーの入澤ユカさんによるテキストに、「混合界曼陀羅」とあったが、うまい表現だなー。同じテキストで、文化祭的と言われているのも分かるが、世の中にあふれ返るさまざまな写真を集めれば、つまりは、この世の曼陀羅になるのかもしれない、などと夢想させるところはある。ただし、いわゆる曼陀羅的な世界の本質に興味を持つ人がいるとしたら、個人的には、むしろ池袋の古代オリエント博物館「タンカの世界」展 (5月6日まで) に行くべきだという風には思うけれど。

2001.04.05. 余談

まったく写真の話ではないのだが、きょう京橋・銀座かいわいをすこし歩いて、すごくうけてしまったのは、ギャラリー小柳のクリスチャン・マークレイ展。ジミヘンも真っ青の“疾走するギター”が痛快なビデオ作品。このところ忙しくて、ブルーだったけれど、元気出ました。ついでの折りにでも。4月10日まで。

2001.04.10. マスク

芝浦・PGIの石元泰博「顔」展へ。おりしも高知県立美術館では回顧展 (5月27日まで) が行われているが、残念ながら、行けそうにもない。しかし、この「顔」展にも、石元泰博という人のすごみがよく現れている。思ったままに書いてみよう。長いキャリアのなかから選ばれた写真群には、一貫して「仮面」への関心がうかがわれる。そもそも写真家が“目の人”であるなら、しばしば仮面について意識させられてしまうのではないか。目に映じる像と、そこに秘められているかもしれない内実とが必ずしも合致しないことを、だれよりもよく知っているだろうから。その先、やはり写真は内実に迫るべきだと考える人と、内実については不可知論の側に立つ人とに分かれるはずだが、おそらく石元氏は後者に属する。その場合、仮面と素顔という二項性は破棄され、すべて「顔」の問題系に包摂される。石元氏の「顔」は、その意味の「顔」である。けっして深さを持たない。どのように読み解かれるか一切分からないまま、ただ世界に差し出されている (してみれば、「顔」とは写真のことかとも思われてくるのだが) 。しかも、この写真家は並外れた“目の人”であって、こうしたことを言う必要もないほどの自然さで、撮り続けている。近作「流れ」のシリーズでは、ブレを多用した街頭スナップで、「顔」にゆさぶりを掛ける。歪形によって、内実に迫ろうというのでは、おそらくないだろう。すべては仮象にほかならない、だって、そうでしょう? とでも朗らかに口ずさむかのような軽快さ。そこに「世間皆虚仮」という無常の認識の、恐るべき深度を見る思いがする。28日まで。

2001.04.11. フレーム

見る総量が減ったせいで、アートよりの話が多くなってしまって恐縮なのだが、今週いい仕事だなと感じたのは、銀座5丁目・ギャラリーなつかでの母袋俊也展 (21日まで) 。ペインティングの可能性を追求するタイプの方と思っていたが、その関心はもっと広いようだ。この個展では、展示室の入り口をふさぐ形で、バードウォッチング用の小屋みたいな壁を設置している。そこに開けられた、幾つかの矩形の穴=フレームを通して、奥にあるペインティングを見ることになる。一口に言えば、視覚表象とフレーミングの関係について、再考させる展示。ふつう絵画とは、フレーミングによって成り立つように思える。写真について「世界を切り取る」といった慣用句が存在するのも、こうした考え方によるのだろう。視覚表象とは、その場合、「窓」にほかならない。ところが、現実には、そのカテゴリーに収まらない絵や写真が存在する。写真での具体例として、いますぐに思いつくのは、去年だったか、瀬戸正人さんがポラロイド・ギャラリーで見せていた、ロール状の印画紙を使用した“アジアの街角絵巻”である。どのようにしても、画面を一瞥のうちに収めることは不可能であり、見る側は継時的に眺めていくほかない。こうした作品を「窓」という静的な隠喩で語ることは妥当でないだろう (あるいは瀬戸作品は、欧米人の目には、かなり奇異に映るのではないか) 。さらに言うと、そもそも絵なり写真を見るという行為は、近寄ってディテールを見つめたり、後ずさりして再びフレーム全体を視野に収めたり、といった具体性を伴ったものではなかったか、という考え方も成り立つ。母袋俊也展においても、のぞき穴から見る限り、画面すべてを視界に収めるのは難しく、画面の上を目がさまようことになる。個人的な印象では、ここで試みられているのは、そうした見ることの具体性を前提とした上で、なおかつ質を伴った絵画を構築することのように思われた。

2001.04.12. 映像と建築

銀座を歩きながら、3丁目の松屋の一角にあるルイ・ヴィトンのショップにさしかかるたびに、やっぱり面白いなー、とうなってしまう。時間があれば、足を止める。外観デザインは、建築家の青木淳が手がけている (ショップ内はデザインしていない) 。市松模様の施されたガラス2枚がショップの外観をなす。この手法が先に採用されたのは、名古屋のルイ・ヴィトン・ショップなのだが、横目に見ながら歩いていくと、市松模様の相互干渉によって、錯視効果が起こる。何かレース状の模様が流れていくような、極めて非物質的な印象が生じる。ガラス2枚というと、ジャン・ヌーヴェルによるパリのカルチェ財団美術館を想起する人もいるだろう。彼をはじめ、物質的な威圧感を減じる建築の流れはいっそう広がっているように見える。おのずと映像性と接点を持つことになるわけで、以前にヌーヴェルが東京で開いた個展では、もはや建築とは、様々な方向から眺められた視覚像の集積であっても構わない、とでも言いたげに見えた。近ごろは模型を使わない、写真や映像だけを使ったタイプの建築展もよく目にするようになった。ちょっと別の角度の話になるけれど、ル・コルビュジェが自作の写真映りをひどく気にしていた、といった指摘もでているらしい。そうなると、明快なフォルム、まっしろな壁面といったモダニズム建築とは、写真メディアと骨がらみだということになる。もとより素人が軽々に言うべきではないのだが、建築と映像という論点は様々に意味で面白さを増している。ただ、素人にも分かるのは、建築と映像は結局、別物だよね、ということ。青木淳について言い添えておくと、彼が面白いのは、あくまで個々の建築に即して、思考していくところ。ルイ・ヴィトンのケースでは、あるいはヌーヴェルを上回るほどの映像的効果を演出しているが、それはあくまで内部に手を付けられないという条件の下に行われた。加えて、彼はおそらく建築が映像に還元され得るとは思っていないだろう。それでも、松屋銀座の前を歩いていくたびに、こういうことをさらりとやってしまう才能に、うーむとうなってしまうのだ。

2001.04.14. train

pgの王子直紀さんの個展。先例も少なくない電車の車内ということで、どんな感じかなと思ったら、正攻法であるよう。奥に入っていくパースペクティブのあるカットが目を引く。様々な人々が偶然隣り合わせて、しかし、どこか同じ方向に運ばれていく・・・これが「人生」ってやつか、とニヒルにつぶやいて、煙草に火を付けた (というのはウソ) 。話をうかがって、撮影地が川崎だと知り、深く共感。なんというか、化粧でも覆い隠せぬ 、すれた感じがこよなく愛しい川崎の魅力をしばし語り合ってしまった。

2001.04.24. ティルマンス展

外に出るのは10日ぶりか・・・ためいき。見たかった初台のワコウ・ワークス・オブ・アートのヴォルフガング・ティルマンス展へ (5月19日まで) 。昨年、ターナー賞をゲットした人。たまたま、その候補者展を見ることができて、日本人としては本命・ティルマンス、穴でトモコ・タカハシの可能性もあるのかもしれないと予想したけれど、結果は本命の勝利に。しろうと考えでは、おそらくティルマンスの新しさが、だれにでも一目りょう然の性質を持っているからではないか。例えば、ジャズとドラムンベースを聞き比べて、どっちが今の音か分からない人はいないはず。そんな風に直感的に分かるものがある。正直に言って、ティルマンス作品に見られるエロチシズム、はかなさ、あるいは日常性とそれにとどまらない文脈の作り出し方が、総体としてどう結ばれているのか、よく分からないところがある。だが、それらの要素がエッジの立った感じでシャッフルされていく速度感は分かる。そこが気持ちいいし、こういう感じの写真は日本では今はまだ見られないかも。

2001.04.24. ケルアック

放浪のビート詩人に捧げられたpg・笠友紀さんの個展は、献辞通りに、日々のスナップを移動、旅の感覚で見せていた。pgの見知った顔もちらほら。わりあい淡々と流れていく感じで、いたずらに「放浪」にまつわる感傷性を強調する感じはない。ただ、爬虫類のおもちゃを撮ったカットなどは、つい思い出させてしまう写真があるわけで、損しているかも。ここにはたぶん嘘がない、そのことに好感を抱くけれども、しかし・・・という印象かなあ。今回が初めての個展とのこと。個人的には、奥田民生のイージューライダーに泣けてしまったクチなので、また見せてください。

2001.04.26. ポラ6人展

27日までの会期ぎりぎりで、虎ノ門・ポラロイドギャラリーの「SHUFFLE」展へ。柴田敏雄、吉田友彦氏と、両氏が選んだ若手4人によるポラロイド写真を使った展示。いずれも質を感じさせる写真だったが、とりわけ、泉澤健「現代遺跡」という4点が気に入った。柴田氏をちょっと思わせるような風景。タイトルは別にして、写真そのものに皺、罅といったものまで注視させる密度がある。大判ポラロイドの画像精度は高く、とくべつ不満はなかったけれど、いつか銀塩プリントでも見てみたい気にさせた。

2001.04.26. 千体仏

ハッセル賞に輝いた杉本博司展が、銀座のギャラリー小柳で開かれている (5月25日まで) 。展覧会名は「蓮華王院三十三間堂千体仏加動映像加速上映及手刷特殊版画陰翳礼讃杉本博司展」。つまり、京都・三十三間堂シリーズのビデオ作品と、ろうそくの炎のシリーズをリトグラフ化した作品を出品した展示、というわけ。前者は原美術館アークでの個展 (未見) で見せた千体仏のカットを、スライドショー風に連続させ、しかも、そのカットの切り替えがどんどん加速していく。千体仏はゆらぎ、振動をはじめ、しまいには光か波動のようなものに化してしまう。先日も用あって、三十三間堂に行ってきたが、千体仏を凝視する時に味わう、眩暈にも似た感覚の卓抜な翻案というべきか。

2001.04.26. 宮沢賢治と写真

小松健一著「作家の風景 文学館をめぐる-?」 (白石書店) で読んだ指摘。宮沢賢治といえば、田の中にうつむいてたたずむ写真がよく知られている。小松氏は、この写真による文学紀行の中で、撮影者その人である写真館の方に会っている。それによると、<土の上に目印の小石を置いた賢治がここまで歩いてきたらシャッターを押してくれと注文をつけた>。撮影年は1925年。撮った方としても、<「そのころの写真はキチンとカメラをセットしておいての撮影でしたから、ずいぶんと不思議な注文だった」と回想している>。写真への態度も、先駆的だったというわけか。


2001.05.09. 位相

銀座・ニコンサロンの大石芳野展「ベトナム 凜と」へ。第20回土門拳賞受賞作品展。20年にわたって、誠実に人と風土に向き合った仕事が評価されたのだろう。会場もなかなかのにぎわいを見せていた。さて、いつもながら勝手な見方をする素人として、ひどく興味をそそられたのは、小さな写真をもとに、子供の肖像画が描かれている、という場面のカット (港千尋さんが論及している「伝神絵」というものなのだろうか) 。画中画がつねに絵画の位相を動揺させ、絵画論への誘惑を秘めるように、この写真及び絵をめぐる写真もまた魅力的である。キャプションによれば、写真によるポートレートが当たり前となっていないベトナムでは、こうした仕事が存在するらしい。してみれば、この1点は、写真一般の位相というにとどまらず、日本―ベトナムにおける社会的なコンテクストを含めた写真の位相、そこでの写真家の立ち位置といった関心を呼び寄せていくところがある。19日まで。。

2001.05.09. 受動写真

京橋・INAXギャラリーの朱雀正道展は、4月に引き続き写真方面の展覧会。初めて見る方だが、建物の一隅、森、空といったごくさりげない風景、その微妙な光や影を洗練された色調で見せている。ただ、ちょっと不思議な感じがしたのは、展覧会のサブタイトルに「受動写真」とあること。声高なメッセージのない、一見つつましやかな雰囲気が、このサブタイトルを引き寄せたのかなあ。だが、さりげない対象に向かうほどに、構図、色調はもとより、作品化への積極的な意志が析出してくるのが一般的な事情であって、この写真展も例外でないように見受けられる。さて、そこで受動写真とは・・・などと一瞬、考えかけてしまったが、そんな隘路に落ち込まずに見ればいいのかもな、と思い直した。

2001.05.09. 赤い線

pgの小出直穂子展へ。オープニングのグループ展で、壁面の隅を使った写真が印象に残っていたので、楽しみに出掛けたところ、展示方法は打って変わって、サービス版くらいの写真が壁にびっしり。ギャラリーの真ん中には撮影地点を示すファイルが置かれていて、それらのスナップが新宿二丁目で撮られたこと、旧赤線地帯であることが分かる。となれば、最近ワイズ出版から新版が出た石内都写真集「連夜の街」がつい思い出されるわけだが、聞けば、石内作品に触発されたわけではなく、しかも赤線地帯であったことについては、撮り始めてから気づいた、とのこと。このことは展示の面白さとかかわっている。もう少し1点ごとを注視させる展示でもいいのかも、と思わせるような、膨大なスナップを前にすると、そこにかつての痕跡が残っているのか、それとも無縁な光景なのか、まったく宙づりにされたまま、眺めていくしかない。そのような、写真を見ることのプライマルな感覚を、おそらく撮影者と共有することができる。その点で魅力的な展示だと思われた。

2001.05.10. interior

新宿・ミノルタフォトスペースでの木村伊兵衛賞受賞展 (14日まで) を経由して、受賞者の一人である蜷川実花「まろやかな毒景色」展 (21日まで、渋谷・パルコギャラリー) へ。入場者はまず靴を脱いで、床、壁面とも真紅の展示空間へ。赤い座布団も置いてある。壁面に巡らされた写真を見ていくと、おお、これはまさしく19世紀末芸術がよみがえったようではないか! いや、いきなり発想が飛んでしまって、すいません。花々の咲き誇るフローラルな世界。そこにやってくる虫たち。あからさまにラファエル前派を連想させるシチュエーションも。そして、それらが幸福な「室内」の感覚に包み込まれている。ベンヤミンのアール・ヌーヴォー論はいまや、あちらの美術史家の間では実証的ではないと見なされているようだが、時代の室内感覚を問題にした批評眼は、やはり刺激的である。かつての装飾芸術家はフローラルな世界を好んだが、つまりはすべてを「インテリア」に取り込んだ、ともいえる。そのような室内の感覚が、いま再び現れているのかも、というめまいを感じたのだ。その美的な方向性が徹底されている点では見事というほかない。あるいは「毒景色」というタイトルを思えば、何もかも承知の上での仕掛けなのか。ともあれ、若い女性が2、3人、まどろむように座布団に座っていたのが印象的だった。対するに、じろじろ写真ばかり見ている、もはや若いとも言いかねる男 (注、筆者) は、ストレンジャーだったのかもなあ。

2001.05.10. キャパ賞展

アール・ヌーヴォーとは、見方を変えると、普仏戦争と第一次世界大戦との、かなり長期にわたる戦間期の文化。そこから転じて、13日までの会期ぎりぎりで、恵比寿・東京都写真美術館「ロバート・キャパ賞展」に駆け込む。戦争と紛争の20世紀後半を改めてたどり直すと、やはりストレートに胸に迫るものがある。あれこれ思うことも多かった。写真家ごとの出品数は10点前後なので、なにごとも即断できないけれど、例えば、ベトナム戦争までの時期、意外なほどロマン主義的というか、劇的な効果に配慮した写真が多いこと、だとか、戦争写真といわゆる地域紛争を撮った写真における撮影者の立ち位置、それから、つまるところ優れた戦争写真とはどんなものなのか、などと、あてどもなく。

2001.05.14. 雑誌カメラマン

磯俊一写真集「雑誌カメラマン 『磯俊一』現場30年の記録」を見る。新潮社・FOCUS誌の伝説的なカメラマンとして知られた方で、96年に亡くなった。本書は没後5年を機にまとめられた私家版の写真集。芸能人から犯罪 者まで時の人を追い続け、大災害その他、とにかく現場、そのぎりぎりの最前線を目指したということがよく分かる。事後的に見るだけでも、その気迫が伝 わってくるが、ハッとさせられたのは、直筆による座右の銘。ヘンリー・ルースの「生活を見、世界を見る。大事件を眼前にする。貧しい人たちの顔と、富に傲る人たちの姿を見る (中略) 見、そして見ることに喜悦を感じる。見、そして驚嘆する。見、そして教えられる」。ライフ、FOCUS、そして今日に至るグラフ・ジャーナリズムというものが、不思議な広がりとともに迫ってくる感があった。

2001.05.15. 松江泰治写真集

江東区・佐賀町へ。小山Gのトム・フリードマン展も魅力的だったが、お隣のナスタロウGで、写真集「Hysteric 松江泰治」 (ヒステリックグラマー) が出たことを知る。松江氏の第1写真集。世界の大地を“複写”し、 見ることを挑発してやまない精密かつオールオーバーな画面は、すでに知られる通り。それゆえ印刷物になじみにくかったのかもしれないが、写真集は見事な出来栄えだと思う。それに関連して、楠本亜紀氏によるテキストに、初めて教えられた下りが。「松江は写真を焼き付ける際に、通常の引伸機では不可能 なシャープネスとコントラストを引出すことが可能な、電子顕微鏡用の引伸機を用いている」。そういう引伸機を見たことがないくせに、そうなのかー、と 不思議に感心してしまった。

2001.05.18. テレビ

望月正夫写真集「Television」 (スナップ社発行、邑元舎発売) を開く。20数年を経て、初めて目にした作品は、しかし、今こそ広く見られるに値する。1975-76年の2年間、テレビ画面をそのまま撮影した写真 が、ベタ焼きみたいにたくさん並ぶ。写真家の説明文によれば、ピントグラスに格子状の枠を描き、暗室状態にした部屋でテレビを付けっぱなしにし、一つ の枠に画面を収めてシャッターを切り、次の枠に画面を収めて・・・という作業を繰り返したものらしい。撮られた番組はさまざまで、ニュースもあれば、 黒沢映画もある。手元にある「昭和・平成家庭史年表」 (増補版、河出書房新社) には、69年のアポロ11号月面着陸時におけるテレビ報道視聴率は最高 96%、72年の浅間山荘事件時には同89・7%に達したとのデータが載る。 人々の視野がテレビ映像に覆い尽くされようとする時代のなかで、写真家は室 内を暗室にし、テレビ画面を撮っていた、というわけか。大事なことは、写真家がいわば外的な対象として、テレビ画面に向き合っていることだろう。動画 に脅かされつつあるスチール写真機というツールの選択によって、そうした立ち位置が確保されたともいえそうだが、いま日常的な視覚が人工的、二次的映像と混交し、両者を分かつことすら困難であるなかで、この写真集は新鮮な驚きをもたらす。

2001.05.21. グラビア

ビッグコミック・スピリッツ誌のグラビアページは今週、佐内正史氏の撮影。 同誌では初めての起用でなく、ほかの雑誌でもグラビアを見かけることがあるけれど、ぱっと見ただけで、それと分かる独特さがある。お定まりのグラビアとは異なる、日常的な雰囲気のスナップで、しかも、お部屋でヌードみたいな企画とも違って、撮り方のレベルにまで今日的な日常感覚が仮構されている。 今回、南国のビーチならぬ賃貸アパート風の建物の外階段を、水着姿のアイドルが下りてくる、というカットがあったが、ありがちな語法との距離を冷静に測りつつ、同時に、隠微な感じを潜ませることでグラビアに求められるものも満たしている。それら総体として、写真家としてのスジは通っているように思われて、面白いな、と感じる。

2001.05.21. リバウンド

横浜美術館アートギャラリー「リバウンド」展へ。オーストリアから招いた3人の新進アーティストによる滞在制作を見せる。会場に入ると、いきなりポラの被写体になるよう勧められる。背後の壁面には、観光地らしき場所で日本人が撮りっこしている場面の写真が大きく掲げられている。このマーティン・ オステリダーの作品は改めて被写体の一人となってみることで、この慣習をめぐる再考を促す体験型作品、というわけ。ま、日本に来た外国人が目をつけがちなところかな、などと思いながら、流されるままにポラで撮られてしまったが、できた写真を見ると、何と! なぜか笑ってしまっているではないか。不覚・・・。漱石「硝子戸の中」に似たような話があったな、と思いだしながら、指示どおりにあいまいな笑顔のポラを壁に張り付けた。作品的には、ほかのアルムート・リンク、クリスチャン・テッケルトのほうが面白かったかな。それぞれ島倉千代子「人生いろいろ」のカラオケ映像、国友やすゆきの漫画「幸せの時間」 (!) に目を付けていたところが、ひじょうに脱力させてくれて、ナイスだった。27日まで。

2001.05.25. Lost

四谷三丁目の駅で下車して、プレイスMの宮本隆司「New York – Vancouver 1975」展 (6月3日まで) 、モールの島尾伸三展「Lost Monsoon」 (パート1は5月26日まで、パート2は28日- 7月16日) を見る。偶然にも、お二方とも70年代の写真を見せている。それぞれ添えられたテキストを読むと、かつての写真に記憶の重層をみいだす宮本氏、「これらの写真を撮影していた1970年代の頃の気持ちにはもう、二度と戻れることがないことだけが、わかってくるのです。 (中略) 映像の可能性を夢見ることさえ、失いつつある近頃です」と述べる島尾氏と、感慨はかなり異なるようす。見る側としては、そこの深処を分かったつもりになるわけにもいかないけれど、比較的小さなサイズの写真が漂わせる純粋さの印象を、不思議に親密なものとして受け取りながら、しみじみと眺めた。

2001.05.26. ロダン

「ロダンと日本」展を見に、静岡県立美術館に繰り出す (6月1 0日まで) 。しっかりとした調査に基づく厚みを感じさせる企画展だったが、写真がらみの展示もすこし。たとえば、晩年のロダンは 日本人の踊り子「花子」を気に入り、彼女をモデルにして数多くの素描・彫刻を残したが、その「花子」の写真とロダンの作品群とを 見比べることができる。後者には、いささか気の毒になるほどの歪 形が施されているのがよく分かるが、カタログを読むと、「実際芸術家は写真でなし得るような、外観上の面貌を再現することは出来ないのです」といったロダンの言葉に出会う。19世紀絵画と写真の関係について言われるようなことが、ここでは彫刻に及んでいるというわけ。ほかに興味を引かれたのは、その花子の彫像をスタイケンが撮っていること。彼は1902年、ロダンと出会い、自由にアトリエに出入りするようになったというのだが、彼がやはりジャポニザンだったことも、おのずと思い出された。

2001.05.30. 半・回顧

閉幕まぢかの東京都現代美術館の「グローバル・ヴィジョン」展 へ (すでに終了) 。収蔵品を使って、1980年代から今日までの美術を振り返るという展覧会は、懐かしくもあり、同時に落ち着かない気分にもさせた。一つには80年代という時期が現在ではないものの、まったく固化した過去でもない、という事情によるのだろう。その印象はたぶん80年代という時代の独特さによって、増幅されている。展示の第1部は、円環モチーフを軸に構成される。もとより新しさという価値が疑問に付された時期であり、新しさとは 直線的な時間軸を前提とする。円環モチーフが呼び出された意味を そこに読み取ることも可能かと思われるわけだが、「80年代以降の美術」それ自体も、次世代なり流派に乗り越えられることで、回顧されるべき歴史に組み込まれる過程になじみにくいままに、円環 状の時間を生きているように見える。80年代に10代から20代の時期を過ごしたひとりとしては、少し複雑な感慨を抱いてしまったが、まあ、実のところは、ものは古びるし、人は老いる、と言うべきなのだろう。そうした自明のことに思い至らせるのは、本展全体の最後に置かれる石内都「1906」 (被写体・大野一雄) 。ここには写真のもつ現実感覚がよく現れているし、その点は80年代以降の美術における、写真表現の効用のひとつか。

2001.05.30. ストリート写真

よるpgの元田敬三「CUTTING WIND」展へ。以前、一緒に仕事をする機会があり、その打ち上げのために待ち合わせたところ、「今度はじめるギャラリー、見て下さいよ」と連れていかれたのがpgであり、そこに北島御大がいて・・・というのが、こんなことを書くはめになった、そもそもの由縁。すべては彼の人なつっこい笑顔のせいだった、とも言えるわけで、そんな私的な思い入れとともに、彼の写真について書いてみよう (長文御免) 。

2001.05.30. ストリート写真 (承前)

ストリート写真の系譜を継ぐ元田敬三は、しかし、フラッシュ一閃の不意打ちが困難となりつつある時代を体現しているように思われる。今回の展示ではとくに顕著だが、その写真はストリートにおけるポートレートというべき傾向が強い。撮影の過程で、被写体ときちんとコミュニケーションを結んだ上で、撮る。もし、そうしなければ、肖像権等の外的条件によって、いまや作家活動の継続は難しくなっている。そのことは当然意識しているはずだが、じつは、そのかなり手前のあたりで、もともとコミュニケーションを結びたいという動機が強いようである。人間への関心、とくにストリートに出没する人々の強烈な存在感に、どうしようもなく惹きつけられていく性癖といってもよい。その点で今日、ストリート写真を撮り続けうる動機と、前提条件とが幸福な合致を見せている、と言うこともできるだろう。だが、そのスタンスは、場所がストリートということをのぞけば、もはや通常のポートレートの撮り方とさして違わない。かつての不意打ち的なスナップの側からは、物足りないという意見もありうるはずだし、シニカルな目には、ストリート写真を延命させるというほんらい無理な役回りを買って出ている、と見えるかもしれない。その上で、あえて擁護すると、結局のところ、写真はそうしたコミュニケーションをどこかで裏切ってしまうのではないだろうか。被写体の人間性に迫ろうとしても、全面的に意図したものが写るわけではない。そうしたコミュニケーションと写真との間隙に潜むスリルが、彼においてはストリートで撮るスリルとないまぜになっている、と言えば、彼は不本意に思うだろうか。しかしながら、その間隙への感性こそが、写真を予定調和的なポートレートと分かつ点だと言ってみたい気がする。つまるところ、彼の作品には、ストリートの人々に惹きつけられるという動機、さらに計算づくでなく対話できてしまうキャラクター、さらに、どうあれ「写ってしまう」という写真の危うい特性に魅入られてしまうようなしたたかさが同居しているのを見て取ることができる。そこに外的条件の変化をかいくぐって、ストリート写真を撮り続けうる今日的な資質を感じるわけで、あの人なつっこい笑顔にしてやられた一人としては、そういう彼がかいま見せる、撮る側の本能めいたものを頼もしいとも思い、期待もしてしまうのである。


2001.06.04. 東松氏 a 55

ファイドン社がハンディーサイズで刊行している写真集「55」 で、東松照明氏の巻が出た。ある写真家の作品55点を収めるシリーズ。ファイドン社のウェブページを見ると、モホイ=ナジとかアジェ、新しいほうではナン・ゴールディンやフォンクベルタなど、 かなりの点数が刊行されているが、リストを見る限り、日本の写真家としては初めてのようである。作品的には、やはり1970年ごろまでの写真が大半を占めるが、なにせ7.95ドルだ。こうした 手に入りやすい形で東松作品が刊行されるのは、むろん歓迎すべきことだろう。自分が昔、初めて写真に魅せられたのも、やはりハンディーな世界の写真家シリーズだったことを思い出す。

2001.06.05. 原弘展

展覧会歩きが後手にまわっているのを反省し、銀座7の7の2、ギンザ・グラフィック・ギャラリー「原弘のタイポグラフィ」展を初日に見る (27日まで) 。いい展覧会。1階を戦前、地下1階を戦後の仕事にあてている。戦前編についていえば、バウハウスなどに学んだ前衛的な仕事が「FRONT」等の宣伝活動と合流していくという、おそらく日本に限ったことではないデザイン史の主題について考えさせる。だが、本展のメッセージはおそらくそこにはない。展示全体として見えてくるのは、欧米の文字を扱ったタイポグラフィをいかに日本の仮名、漢字に適応させるか、という課題に戦前、戦後をつうじて取り組んだデザイナー個人の営為である。もとより、それによって時代相との関係が抹消されるわけでもないだろうが、展示はよくまとまっている。ご推察のとおり、「フォトタイムス」など写真関係の史料もけっこう出ています。

2001.06.09 寄せては返す

pgの笹岡啓子「習作-landscape」展へ。本ページでもたいへんお世話になっている笹岡さんのデビュー展とあって、やはり初日に出掛ける。撮影地点は、ありふれた渚。それにふさわしく (?) 、寄せては返す波のような展示がいい感じ。壁の隅まで使って、写真は円環状に並べられる。それと同時に、撮るべき風景の選択と、撮り方の位相で、微妙な揺らぎ、差異を与えている。例えば各カットの水平線の位置を見てもいいし、独特の撮影角度の選び方も目を引く。ことさらな俯角、仰角を作ることなく面白い空間感覚を生み出すあたりにセンスを感じる。ところで、そんな展示を眺めながら、 写真においても、海が永遠性や円環的時間の表象にかかわる特別な場所になってきたのではなかったか、とふと思う。杉本博司「Seascape」とかリネカ・ダイクストラの海辺のシリーズを想起したわけだが、かなり考え抜いたとおぼしき展示を「習作」と名づけた笹岡さんの行く手やいかに・・・カラーの流れの中にモノクロを差し入れる点など、ミニマルに収斂させていく方向には違和感があるのかな、とも想像されるのだが、さて。

2001.06.12. プルースト

ブラッサイ「プルースト/写真」 (岩波書店) を読了。写真家としての経験を踏まえ、プルースト作品における写真の扱われ方、思考法への写真の影響を論じた本。ま、正直に言って、「失われた時を求めて」も読んだことはないんですが、さりとて、かの大長編を読んだから、なんて言っていても始まらないから、無理やりこの評論も読んだ次第。結論的には、面白かった。プルーストがやたらに他人のポートレートを集めていた、とか、かのロベール・ド・モンテスキューもまた写真マニアであり、彼のポートレートをもらうべく、プルーストが懇願し、追従する様子など、「失われた時を求めて」の巨匠がかなりきてれつな写真狂であることを知る。ただ、ブラッサイが言いたいのは、当然、そういうこぼれ話でなくて、プルーストにとって、暗室で潜像が浮かび上がることが彼の「想起」のメタファーになっている点など、写真が彼の思考に本質的な関係を持っているということなのだろう。まあ、そうなのかな。ともあれ論述はじつに本格的で、大量の資料を調べ上げたようすが伝わってくる。つまるところ、写真マニアの文学者に、文学マニアの写真家がマジで絡んでいくという、ちょっと珍な本なのである。

2001.06.18 映画はあれど

季刊「iichiko」誌、2001年春号は特集「21世紀のための20世紀の文化遺産」を組んでいる。この雑誌、編集・研究ディレクターに山本哲士氏を迎えており、本特集への寄稿者も気鋭の方々である。基本的には書物10点に加えて、それぞれの関心に従って、音楽、映画や漫画を挙げるというスタイル。橋爪紳也氏だけは「その他」として、安藤忠雄作品 (建築) 、岡本太郎作品 (美術) を挙げているけれど、写真作品を名指す人はゼロ。何か制約があったのか。でも、同様のアンケートで写真を挙げる人はあまりいないかもしれないなー。鈴村和成氏は「20世紀の知的遺産は<断片>ということに尽きると思われるかもしれない。事実、そうなのであって」とまでおっしゃるのだが。それにしても、映画好きな人って、多いですね・・・。過日、知り合いから「武満徹が映画を見ない人は信用できないって言っていたらしいよ。おれもそう思うけど」と言われたのを思い出してしまいました。

2001.06.18 CHIMU

座業のつづく今日このごろ。そんな梅雨時に、南国の光をとらえた写真集をひとつ。「肝 (CHIMU) 沖縄・コザの登川誠仁」 (写真・金子亜矢子、文・藤田正、発行・マーブルトロン、発売・中央公論新社) 。登川さんとは島唄の第一人者で、映画「ナビィの恋」で有名になった人らしい (当然見てない) 。写真集としてはその人と風土、という感じ。今っぽい写真だと言ってよさそうだが、とくに街のスナップがいい感じ。登川さんの経てきた年輪と同じように、街にもやっぱり年輪があるわけで、スコンと抜けた感じの色合いの中に、そんな沖縄の時間が写っていると感じる。

2001.06.19. 里国隆

前夜に写真集「肝 (CHIMU)」を見たせいで、いまはない奄美のシンガー里国隆をとつぜん思いだし、CD「あがれゆぬはる加那」 (off note) を聞く。ああ体に力がみなぎる。よく見たら、ジャケ写の原画はなんと濱谷浩氏が沖縄で撮ったものであった。凄絶な声と演奏だが、いまでも入手可能な盤なのかなあ。

2001.06.19. インド

音楽で気合を入れて、渋谷に繰り出す。まずはBunkamuraの「ラグー・ライ写真展」 (7月1日まで) 。マグナムのインド人写真家という程度しか知らず、ちょっと見ておこうかなという気分だったのだが、なかなか面白かった。インド的混沌とでも言えばいいか。むろんドキュメンタリー系の撮り方は熟知している様子だし、看板絵とか映画ポスター、鏡などの視覚像と現実とを交錯させるワザなども見せるが、それ自体が面白いわけではない。けっこうアバウトに思わせる撮り方のスナップには、しばしば不思議な気分にさせる人影や動物などのディテールが顔をのぞかせる。その未整理な感じ、割り切れなさが微妙なさじ加減で入った写真を、膨大な点数見せられると、なかなかのトリップ感覚なのであった。

2001.06.19. はすのうてな

インドつながりというわけでもないが、同じく渋谷・eggギャラリーでの渡辺眸展「Lotus」 (すでに終了) へ。もともと真家はインド・ブッダガヤに滞在した時、蓮池に感銘を受けていたというが、帰国後、それらの記憶がよみがえる形で撮影がはじまったらしい。デジタル (たぶん) によるダブル・イメージを使った作品はもとより美しいわけだが、ハスの花の非現実感がいっそう非物質化されて、とってもあの世的というか、森万里子的というか。俗世の塵にまみれきった身には、あまりにまぶしすぎたかも。

2001.06.19. ライカと東京

元気よく恵比寿へ。東京都写真美術館で「桑原甲子雄写真展 ライカと東京」が始まった。館蔵の桑原作品とともに、ライカの現物をたくさん並べている。小型カメラの登場したばかりの時代と写真を振り返る意図らしい。「このへんがライカ、なんだよねー」などと言えたらさぞ面白かろうが、残念ながら使ったことがないので、よく分からない。しかし、最初に展示される、ライカを手にした桑原氏の 自写像の得意げな表情がいい感じ。1930年代のモダンな空気を呼吸し、スナップショットの妙味をいち早く見抜き、なによりライカを手にした高揚感に満ちた桑原作品の魅力はよく知られるとおりで、やはりハッピーな気分にさせる。9月2日まで。

2001.06.19. Interlude

恵比寿ガーデンプレイスでのもうひとつの見物は、現代彫刻センターでのアントニー・ゴームリー展 (7月19日まで) 。2タイプの新作は、人体をめぐる彫刻家の思索をよく伝えている。1つはガラス越しに一対の人体像が向かい合う作品で、タイトルは「Reflection」。もう1つは金属棒を多数溶接し、その網目のなかに人体像が浮かび上がるタイプの2点。ともに映像性と近接した感じを与えるわけだが、彫刻における人体表象の探究も、そうしたところに差し掛かってきたのかな、と思わせる。神の似姿としての人体から、近代的な感情の器としての人体に至るまで、いずれにせよ世界に先んじて存在する人体/彫刻ではなく、ある関係のもとに存在する人体/彫刻というありようを前提に、ゴームリーは制作を展開させているように見える。人体表象をめぐる苦悩は、彫刻の場合、とくに深いわけだが、逆にそこが面 白いともいえる。

2001.06.19. モノクロ2題

さらに銀座に転じる。築地仁展「単子・Monde?」 (ギャラリー・アートグラフ) は最終日。都市景観からシャープな形象を引き出してみせるモノクロ写真の切れと円熟味を楽しんだあと、向かいあたりにある奥野ビル地下1階、Space Kobo & Tomoの榊原斎写真展 (30日まで) へ。初めて見る方だが、ここは先日、猪瀬光さんが久々の個展を開いた場所であって、榊原さんという方は猪瀬さんの友人だという。なるほど猪瀬さんを思わせる点も少なくない。モノクロの暗鬱な雰囲気とか、プリントの凝り方、そして写真界の潮流がどうのというのでなく、いわば個人の好尚に根ざす写真の強さ。それゆえに猪瀬作品との比較はいったん保留して、まずはじっくり眺めるというのが正解かも。

2001.06.22. 都市/計画

横浜・ライトワークスでの西本浩介展「projekt/berlin」の最終日。確かなディテールを備え、さまざまな読み込みを誘う写真。撮影地の幾つかは近年、建築ラッシュにわいていたと聞くベルリンの工事現場かと想像された。それら雑然としているであろう現場から、写真家はかれの感覚によって整序された作品を引き出す。そこでは現実と作品化する意志とのひそかな争闘が演じられている。同じ争闘はむろん写真一般にしばしば行われることだけれど、本展においては、都市とそれを整序するプロジェクトの関係と、パラレルな位相にある、とも見なしうる。じつのところ都市計画とは、都市/計画としか言いようのない両者の相克ないし緊張関係のもとにあるわけで、ここでの写真家もまた両者のどちらかに肩入れするのでなく、これら諸関係を批評的に対象化しているのではないだろうか。・・・以上、かなり恣意的な読み込みには違いないけれど、都市の写真の可能性を見る思いがする写真でした。

2001.06.28. モダン

東京都現代美術館の「水辺のモダン」展を駆け足で見る。「モダン」に幾つかある意味のひとつに、いまや「レトロ」を数えることもできそうな気がするわけだが、本展もまた明治以来の江東区・墨田区がらみの視覚文化を振り返る内容。この美術館の「現代」とは、contemporaryであったはずだが、などという思いさえも淡く溶けていくかのようだったが、現代アートのために作られた巨大空間いっぱいに並ぶ展示物は膨大な量にのぼる。とくに藤牧義夫「隅田川両岸画巻」4巻のうち2巻分、広げきった形で見られたのはじつに得難いことであった。むろん木村伊兵衛、荒木経惟「さっちん」その他、写真作品も多い。そのことによって、例えば先の藤牧作品にしても、カメラアイ的なパースペクティブが採用されていることに気づかされたりもする。8月19日まで。

2001.06.29. ちくわ

赤坂の東京写真文化館、5階STAGEでの「後藤元洋写真展」 (7月1日まで) へ。ちくわを使ったパフォーマンス系の写真。むかし相原コージ氏の漫画に、ちくわ女みたいなキャラが出ていたっけと思い出したが、写真家もまた10年余りにわたって、ちくわ系の仕事を続けてきたようである。それらの主だったシリーズを紹介した展示。ちくわをくわえたセルフポートレートは、ちくわさえなければ、メイプルソープばりと言いたいほどで、ちくわとはいったい何かという寓意を真摯に考え、人間とはけっきょく、一本の筒であって、ちくわと何ら選ぶところはないのだ、云々、とも主張してみたいところなのだが、写真家はちくわのみならず、穴のない笹カマボコみたいなものも口にくわえているのだった・・・。

2001.06.29. しおれる

というわけで、新宿に転じ、小田急美術館「メイプルソープ&アラーキー 百花乱々展」 (7月1日まで) へ。荒木氏の花に改めて興味をそそられる。花とはむろん伝統的な主題だが、イメージの中心は「散る」ことにある。花とは咲き、そして散るものであって、それゆえに人生の寓意ともなってきたわけだが、氏の花は「散る」でなく、「しおれる」ことを旨としている。カタログ所収のインタビューで、「花について最初に思い浮かべる風景」を尋ねられた氏は、八重桜を挙げ、「下町のババアみたいな感じの花でね。まだまだ私いけますよ、なんて感じで咲いてるわけだよ。すすけた桃色、汚れた腰巻色で (笑) 」と、まさに散らないという点を強調しているのだが、いずれにせよ「しおれる」花をかくも執拗に提出しつづけた人は、画家も含めて、そういなかったのではないだろうか。そうした花が共感を呼ぶのだとしたら、あるいは今日、人が「散る」と形容されるような形で死ぬことが比較的少なくなっていることと関係しているのかもしれない。ちなみに、以上はすべて日本的な文脈で言う花のイメージであって、当然ながらメイプルソープの花については、ほとんど当てはまらない。

2001.06.29. 鼠景

新宿・エプサイトの大竹伸朗展「鼠景」 (7月1日まで) は、もっと早く見ておくべきだった、と反省させられる内容だった。ここでのデジタルワークは、仮にペインティングだったなら驚異的なイメージの奔流などと評されそうな多彩さを見せるが、同時に、このような画像ならば幾らでも生まれるのだろうとも予想させ、多彩なイメージなどという言葉でさえも空洞化させる。その意味で、伊藤俊治氏の「世界はイメージとして定位できない」という評言にはリアリティーがある。「鼠景」の鼠とは、おそらくマウスのことなのだろうが、じつは「イメージとして定位できない」世界へ漂流しはじめ、右往左往しているわれわれのことなのかもしれない。

2001.06.29. ピース

かくてフラフラしながら、pgの本山周平展「Peace Around」へ。HP上のスライドショーを楽しんでいたが、大きなプリントによって、写真のノリがよく伝わってくる。年寄りなもので、主たる舞台となっているとおぼしいクラブとやらには行ったことがないわけだが、日ごろくすんでいたとしても、そこでの一夜を彼ないし彼女は楽しむ。それでOKだよね・・・と、写真は言っているかのようである。そのOKは、しかし、さして軽く言われているわけでもなく、どのような年齢であれ、経験とともに重ねていく感慨をきちんと引き受けた上で、でもOKだよね、と言っている感じであり、そこが気持ちよかった。ナン・ゴールディンを思わせつつも、だからと言って嫌な印象を受けないのが不思議だが、ベースにあるOKの言い方に借り物めいた感じがないからかな。


2001.07.01. 写真秘訣

用あって「芥子園画伝」を眺めていたら、「写真秘訣」という一項があるのに気づいた。芥子園画伝は中国・康熙年間に版行され、江戸期の画家に強い影響を与えた画論書、というよりは、絵を描くための手本集。で、「写真秘訣」に何が載るかといえば、つまりは肖像画の描き方である。ふーんと、手元の大漢和辞典を引くと、やはり「写真」の語は一つに「実相を写す」の意味があり、二つ目には「肖像」、最後がフォトグラフィーの訳語となる。なお、これはたぶん中国だけの話ではない。例えば北斎の錦絵に「詩歌写真鏡」というのがあって、内容はあきらかに詩人、歌人の肖像シリーズになっている。以前に「撮影」の「影」とは、もともと肖像の意味ではなかったかと書いたことがあるけれど、写真の「真」にも、やはり容貌等の意味がある。こういうことは写真史のほうでは解決済みのことなのかもしれないが、何となく興味を覚える。

2001.07.05. 銀座で牛

やたらに暑い銀座で、たて続けに牛の写真に出くわす。不思議な感じ・・・いずれも酪農の現場を撮った写真で、ひとつは人間の街プロジェクトの第4弾である山田真実「西出家の人々」展 (14日まで、ガーディアン・ガーデン) 、もうひとつは吉江淳「乳牛 北の大地で」 (10日まで、コダック・フォトサロン) 。撮り方はそれぞれだが、等しく写真を介して、むーんと牛と見つめ合うことになった。いや、実のところは「見つめ合う」などという体験が成立しているかどうか不安にさせ、ときに恐怖を抱かせるような牛のまなざしに、ただ見られていると言ったほうがよい。とくに前者の写真は、牛を含むさまざまな目に、撮る側も魅入られているような感じがあった。両展はべつに示し合わせて開かれたわけではないと思うが、しかし、酪農写真というのはありがちなのだろうか。だとしたら、牛とはフォトジェニックな存在なのかもしれない・・・。

2001.07.05. フォトモ

今週の銀座はバラエティー豊かで、TEPCO銀座館内のプラスマイナスギャラリーでは、「非ユークリッド写真連盟展」が始まっていた (8月21日まで) 。メンバーのひとりである糸崎公朗氏はコニカ・フォト・プレミオ大賞を受けられたようで、先週、コニカプラザで作品を目にしたばかりだが、今度は切り抜いた写真を立体工作的に再構成した「フォトモ」 (フォトグラフ=モデルの造語である由) が中心になっている。写真を撮ると、三次元の世界が平面に移し変えられるわけだが、同時にレンズによる変容を被る。それを三次元に再構成すると、その変容が具体的に現れて、独特なおかしみが生まれる。考えてみれば当然のことではあるが、じかに見ると「ほほう」という感じがある。その「ほほう」は路上観察で何か妙なものを見つけた時の面白さとも近いのだろう。その「ほほう」を飄々と楽しんでいるようで、なごみ感を醸し出してます。

2001.07.05. 行き倒れ

さて、銀座ニコンサロンの細川文昌展「こんにちは20世紀 前編」 (7日まで) は、シリアスな内容。すでに深川さんが告知を転載されているけれど、20世紀前半から各年1件の行旅死亡人公告の複写と、その亡くなった地点を撮影して歩いた写真とを組み合わせて見せている。行旅死亡人は、平たく言えば行き倒れのこと。身元が分からないので、身なりなどが公告される。今日でも公告は出ているわけだが、結局身元が分からない場合も多いのだろう。その身元不明ということと相似るように、亡くなった地点を撮った写真もまた、必ずしも特徴的な風景ではない。そうした場所であれ、じつは多くの人が行き交い、あるいは行き倒れて、跡を残さずに消えていく人もいる。匿名的な場所に、匿名的な生が折り重なっているわけで、何気ない風景の中に潜む時間軸を析出させた写真ということもできるだろう。じっさい、何気ないと見えた写真に映る物や影のかたちが、不意に意味ありげにも思えてくるのだった。

2001.07.05. 洞窟

フランスでとても古い洞窟の絵が見つかった、と報じられたが、たまたま読み始めていたのが港千尋さんの新著「洞窟へ 心とイメージのアルケオロジー」 (せりか書房) 。このところ著書陸続の港さんだが、どれも面白い。これも洞窟絵を通じて、見ることやイメージというものの本質に迫ろうという試みであるらしく、ちょうど読んでいた第2章「プロジェクションの神話」も、美術の起源神話 (壁のしみが何らかの形象を示唆した、等々。港さんはアルベルティ、レオナルドを挙げているが、じつはルネサンス期よりさかのぼる中国の画論にも似た挿話が記されている) と、洞窟絵の生まれたプロセスを説明する論が同型であることを分析しており、引き込まれている。ところで、かのフランスで見つかった洞窟絵の写真を見て、個人的にとっても不思議だったことがひとつ。マンモスらしき絵があったが、これが園山俊二さんの漫画「ギャートルズ」に出てきたマンモスとけっこう似ているのだ。とくに足の感じとか。園山さんって人は、ほんとうに原始的感性を体得していたのか?

2001.07.10. すれ違う

すれ違う人さえ陽炎に揺らぐ熱暑のなか、ツァイト・フォト・サロンの長町文聖展「CUT」展 (28日まで) へ。ストリートでのスナップが大きく伸ばしてある。歩いてくる人が正面からとらえられており、その正面性のあり方を面白く感じる。写された彼ないし彼女は、おそらく撮影者に気づいていない。視線は交わされておらず、そのままスッとすれ違っていきそう。例えばの話、被写体か見ている側かのどちらかが透明人間であるかのように。つまり正面性がありながら、それが被写体の実在感を強めるのでなく、むしろ透過する感覚と重なり合う。展覧会の副題に「i never find you」とあったが、そんなクールさが魅力か。

2001.07.10. 犬

武田花さんの新しい写真集「Seaside Bound」 (中央公論新社) が出た。これまで猫の写真という印象が強かったし、風景も、いわば猫が目を細めて眺めているような「眠そうな町」だったわけだが、こんどは犬。すると、がぜん写真も違ってくるから面白い。景色は広がり、視線が抜けていくカットも少なくない。しかし、猫であれ、犬であれ、あるいは彼らがものを見ている時の感じは、こんな風かもしれないなどと思わせるような、無心な感じはこれまでと変わらない。ふと、亡くなった武田百合子さんに「犬が星見た」という本があったな、と思いだした。

2001.07.16. 関係

銀座のガーディアン・ガーデン「人間の街」シリーズで、トリを飾ったのは、pgメンバーの蔵真墨さん「東京-大阪」展 (26日まで) 。シリーズ5本のうち、1本は残念ながら見逃してしまったけれど、目にした範囲では、総じて「これを撮るぞ」というテーマをあらかじめ設定した作品が多かった。一方、蔵さんの写真はあくまでもスナップ。その都度、何らかの関心の振れが撮らせた写真であるはずなのだが、その関心の振れ方に特色を感じる。視覚的な反射というよりは、かなり心理的な振れ方と言えばよいか。その印象は、単に35ミリでないという形式に由来しているのかもしれないし、かってな深読みかもしれないのだが、1点ごとに被写体となった人々のあいだ、そして、彼らと撮る側とのあいだに陰影を伴った心理が潜んでいるようで、そうした「関係」への感受性において、ディープなものを感じた。

2001.07.19. デジタル

ポラロイド社の経営をめぐる報道があったばかりだが、やはりデジタルの伸長はめざましい。週刊誌は今週、軒並み「シノヤマキシン」初のデジタル作品との触れ込みのグラビアを載せているし、先日、森山大道氏を追いかけたドキュメンタリー「≒森山大道」 (藤井謙二郎監督、記号はニア・イコールと読むそうです) の試写を拝見したが、そこにもデジタルをもてあそぶ森山氏の姿が・・・。ちなみに、このドキュメンタリーについては、9月中旬より、シアター・イメージフォーラムにてレイトショー公開だそうです。

2001.07.19. きれはし

あまりに暑いので、もう引き揚げようかなーと迷いながら、四谷3丁目のプレイスMに立ち寄ったのだが、いや見てよかった。山田素子「きれはし」展 (22日で終了) 。日常の断片とおぼしきモノクロのスナップには、不意に現実を別の位相にスライドさせてしまう写真固有の力が立ち現れていた。むしろ、やや古風というか、正攻法に過ぎるかなとさえ感じられるほどだが、かなり好みの写真だった。まるで関係ないけれど、会場にローランド・カーク晩年の名演が流れていたのもうれしく、いい感じでした。

2001.07.24. 建築のその後

用事の途中、「せんだいメディアテーク」に立ち寄った。写真と関係ない話で恐縮だが、コンペで伊東豊雄案が選ばれた直後から、注目を浴び続けてきた建築。だが、何ごとも見てみないと分からない。まず、市街地とはいえ、中心部を外れた界隈に、さほどの違和感もなく建ってしまっている。かねて建築誌や展覧会で完成図が流布しており、それがバーンと出現する様子を想像していたのだが、現地では敷地いっぱいに建っているためにヒキがなく、うねりながら立ち上がる柱をはじめ、全体像を見渡しにくい。残念。しかもアアッ! と思ったのは、メーンのテレビゲーム展のほかに、地域の水墨画展や盆栽展が開かれていること。そんなポスターが張られている。うーむ、これがメディアテークの現実か・・・と思いかけたけれど、にもかかわらず興味深い光景も見受けられた。館内のパソコン端末に、若者ばかりでなく、高齢者のみなさんがつどっているのである。高齢者対象の講習会らしき催しも行われている。つまり盆栽展なども、ネットで情報交換しながら手入れされている可能性があるわけで、将来的にはCGによって10年後の盆栽をシミュレートするシステムが出てくるのかもしれず・・・そういうハイブリッドな未来を予感させる、やはり注目の文化施設だなーと思い直したのだった。それとメディアテークの建築イメージとがどの位相で合致するのかというのは、また別の話になりそうだけど。

2001.07.25. d/SIGN

戸田ツトム氏、鈴木一誌氏らが創刊した季刊誌「d/SIGN」 (筑波出版会発行、丸善発売) を手に取る。創刊の辞には、<アナログ/デジタルと対位させながら進化を測定しようとするいわれのない二元論の悪夢に、デザインをはじめとする多くの文化や思考が「停止」の危機に曝されています>。ふむふむ。今号の特集は「紙的思考」だが、最初に読んでみたのはそれでなく、林道郎氏の美術時評。<「日常」という言葉が現代美術の世界での殺し文句になって久しい>とはじまる時評は、東京都現代美術館「ギフト・オブ・ホープ」展などを扱うが、林氏はそこに<多幸感>を指摘し、<私が感じるこの多幸感とは、私的な感情世界への沈潜と「友達の輪」的なネットワークへの参入が、同じコインの表裏のように無媒介に連結しているような感じをさしている>とする。同じ会場で、持ち返っていいとされていたタイの日用雑貨をどうしても持ち帰る気になれなかったことを思い出す。楽しみな雑誌の登場。

2001.07.26. 二巡目

pgの中村綾緒展へ。たぶんpgメンバーで2巡目となる最初の個展。一般 的に言って、初めて見た時にはこんな感じかな、と漠然とした印象であっても、2巡目、3巡目と回を重ねるうちに一定の輪郭を伴った印象になることがある。この個展もそういう面白さがあった。前回、「ささやかな日常の断片みたいな写真からは遠い」などと書いた記憶があるが、基本的には同じタッチの撮り方。ただし、今回は風景と、ノーファインダーのセルフポートレートの一群とに分けて展示されている。直裁に受け取れば、ここには私と世界という系が設定されていることになるのだろう。さしあたり、その系に沿って考えるなら、この人が目指しているのは、世界をすべて私的な日常の断片として回収するのでなく、カメラを媒介させることによって、私を世界の側に放り出す試みと思われた。セルフポートレートでは可能な限り機械的に、無関心に撮り続けることによって、私を徹底して撮られる側に送り込もうと試みているように見える。風景もまた機械的に、無関心に撮ることが目指されており、私と風景とは、展示空間において、等しく撮られる側に回っている印象を受ける。そのことに興味を覚える。ただし、端的な事実として言い添えれば、展示空間を組織しているのは作家その人にほかならない。風景のカットについては、前回よりもかすかながら、美的な判断の関与する度合いが強まっている、とも見受けられる。つまるところ、そうした力学のせめぎ合いが写真に緊張感をもたらし、切実なものにもしているのだろう。次回の展示はやはり2巡目となる中尾曜子さんが登場されるようだが、こういう風な展開になってくると、見る側も面白さが増しますね。やっぱり。

2001.07.27. 百のモリムラ

佐賀町・Rice Galleryでの森村泰昌「百のポラロイド」展へ。泰西名画や女優シリーズなどでの雄姿ばかりか、フリーダ・カーロにふんした最新作の系統まで、今日にいたる歩みをそのまま見る感がある。作品づくりのさい、作家はインスタントカメラでも撮り続けていたと思われるのだが、インスタントフィルム特有のぬめるような光沢のなかに浮かぶ姿は、大型の画面に仕立てられた作品とは相当に違う。森村らしいコテコテ感も哄笑もいっさい、いささか頼りなげなファントムとして、写真のなかへと送り返されていく・・・しばらく前に出たエッセー集「『まあ、ええがな』のこころ」 (淡交社) には、おりふしに身辺のあれこれを撮ったとおぼしきスナップ写真が収められていたりもしたのだが、本展もまた写真への不思議な偏愛を思わせる。8月4日まで。

2001.07.31. 虫観図

昆虫写真のイノベーターがまとめた「栗林慧全仕事」 (学研) を眺める。正直いって、ネイチャー系の写真はやや苦手なのだが、以前、写真週刊誌か雑誌のグラビアで何点かを見て、ちょっと驚いたことがある。この分野ではとても著名な方らしい。自前で改造したカメラやストロボなどを使って、被写界深度の極めて深い写真を実現している。つまり昆虫は、繊毛が野太く見えるほど巨大に接写されているのに、奥にある野外の風景もかなりの程度、鮮明に写っている。集大成的な本書には、改造カメラのメカニズムとか、そこに至るまでの歩みも記されている。虫が見ている世界をそのまま見たい、という著者のファンタジーはそれとして、見たことのない世界を見たいという欲望がスパークしている感じは、脱帽もの。


2001.08.02. 死画像2

やはり2巡目のpg・中尾曜子「死画像」展へ。ぎょっとしたのは、最初のあたりにあった幾つかのカット。どう見ても、誰かが中尾さんをスナップしたとしか思えない。ただ佇んでいるようで、カメラの側に微妙な表情を差し向けていたり、あるいはプライベートな空間で笑い転げていたり。前回がセルフポートレートであったために、そんな自然な雰囲気を巧みに偽装した写真なのかと一瞬、深読みしてしまったわけだが・・・。ともあれ、本展の関心は撮ること、撮られることの非対称性に向かっていると思われる。それと同時に、しかし、そこはひどく原理的な話であって、その先のことをするか、スルドイ角度で対象化するか、どちらかしかないかも、という気もした。その意味で、次回に期待。

2001.08.08 山

芝浦・PGIの鈴木理策「風を見る 山にさわる」展へ。昨年、写真家はエクス・アン・プロバンスへ旅をし、撮影した。シリーズの一部は何かの雑誌で拝見した記憶があるが、たぶん初めての展示であるはず。エクス・アン・プロバンスという撮影クレジットは、「山にさわる」の山が、セザンヌのサント・ビクトワール山であることを教える。熊野、恐山、道真といった作品系列を思えば新しい展開を見せたと言えるかもしれないし、他方でエクス・アン・プロバンスなりサント・ビクトワール山なりが近代絵画の成立をめぐる神話的空間であるとするならば、ひとつの理路が見いだしうる、という気もする。ただ、さしあたり言えるのは、これまでの作品と同じく、神話そのものは顕在的に扱われることなく、いわば宙づりにされていること。本作の場合も、セザンヌがここで描いたのだ、などということへの拘泥は感じられない。たとえ、しばしば現れる傾いた木や、遠くに姿を見せる山容の非現実的な白さがセザンヌ作品のそれを思い出させるとしても。微妙な点だと思われるのだが、それを撮ることじたいが目的ではなく、そうした想起を招き寄せるような写真を実現することが写真家の関心事なのだと思われる。そのために、彼はよく目を見開いて、あくまでも具体的に神話的空間に参入し、経験の物語を編む。その物語の絶対化を忌避するのに十分なだけの余白を用意して――。つまるところ、やっぱりいいなと説得されてしまったわけだが、会場には、ちょっとした工夫が。未見の方のために内証にしておきたいが、作家の考える写真のありように触れるところのある工夫だという気がした。31日まで。

2001.08.08 つるぴか

まだ会期は長いと気を抜いていると、終わっちゃうこともあるんだよな、と思い直して、恵比寿・東京都写真美術館のパトリシア・ピッチニーニ「呼吸する部屋」展へ。その一部を以前、「秋葉原TV」展で見たことのある表題作などで構成されている。面白かったのは「Lustre」 (1998年) というビデオ・インスタレーション。何だか分からない物体のメタリックな表面を接写するような映像が続いていくかと思うと、ふいにサビみたいなものがむわーっと浮き上がって、また消えて・・・休日に車をぴかぴかに磨いてしまうタイプの人への戒めなんでしょうか。ひょっとしたら、会場でほかの作品を見ながら、CGのテクスチャーがちょっとなー、などというフェチな感想を抱くやつを黙らせる高等戦術だったのかもしれません。あ、おれのことか。9月9日まで。

2001.08.15. 距離

うかつにも刊行から時間がたってしまった長野重一写真集「遠い視線」 (ワイズ出版) を見る。やっぱり、これは凄いんじゃないでしょうか。同名の旧作と重なる写真も含まれているが、2000年までのスナップの集大成。ドキュメンタリーの名のもとにエキゾチズムを満たす対象に向かう欺瞞を拒んだ人が、それによって写真を成り立たせたところの「距離」は、この写真集のすみずみにまで行き渡っている。本書を再び「遠い視線」と名づけた写真家は、そうした自らの方法も、あるいは「写真」というものについても、あの独特な「距離」をたもちながら眺めているのかもしれない。

2001.08.17. ウェストンの肖像

上野の国立西洋美術館「肖像が語るアメリカ史」を見ていたら、あまたの肖像のなかに、エドワード・ウェストンの肖像が。作者はロシア生まれのピーター・クラスノーという画家で、この肖像を制作した1925年当時、深い信頼関係で結ばれていたらしい。まあモダニズム風ではありますが、ちょっと妙なテイストの絵で、あるいはウェストンに魔術師的なイメージが重ねられているのかもしれない、と感じる。ちなみに、その隣にはデ・クーニングの奥さんの自画像、すこし先には彼女が描いたアクション・ペインティング風味を利かしたハロルド・ローゼンバーグの肖像、なんていう珍品もありました。併催「アメリカン・ヒロイズム」展を続けてみると、抽象表現主義もまた、その発露でもあったんだな・・・と改めてしみじみ思う今日このごろ。両展とも10月14日まで。

2001.08.17. 読書メモ

読むべきだと分かっていながら、読み終えられない本が山積みになっている。そのひとつ、浅沼圭司「映ろひと戯れ」 (水声社) をちょっぴり読み始める。タイトル、出版社からはイメージしにくいが、じつは定家論。78年に刊行された本の再刊で、もともと宮川淳の勧めで書かれた本であるらしい・・・冒頭、「見わたせは花も紅葉もなかりけりうらのとまやの秋のゆふくれ」について、花、紅葉に代表される美意識の体系がもはや不在であるということの発見が「なかりけり」の詠嘆を引き出した、と評釈する。いや、勉強になるな・・・なかりけり、か。

2001.08.23 しゅーる

東京ステーションギャラリーの「山本悍右」展へ。いや、とってもシュールでした・・・なんつって当たり前か。1914年、名古屋に生まれた山本はダダ、シュールレアリスムなどを吸収し、前衛写真運動を推し進めた人らしい。最近、幾つかの展覧会で紹介が行われているようだが、恥ずかしながら知らなかった。ともかく87年に亡くなるまで、生涯一捕手ならぬ生涯一シュールレアリストであったようで、そこが見どころか。ただ、写真の並べ方が時系列でもなく、どういう流れになっているのか、いまひとつ分かりにくかったかも。個人的には、名古屋にこういう土壌があって、東松照明氏が生まれてくるわけか、などと思う。24日まで。

2001.08.23 尾仲展はしご

プレイスM、新宿ニコン、pgと尾仲浩二展をはしご。プレイスMはカラー作品、ニコンはカラーをもとにした映像作品、pgはモノクロ作品。それぞれタイプの違った作品であるだけに、そこにある視線の質が一貫していることに気づかざるを得ない。世界をくもりのない目が遍歴していく。くもりのなさの印象は、写真に対するスタンスのぶれなさに由来するのかもしれない。ひどく妙なたとえだが、写真に対する深い信頼という“地面”のようなものがあり、そこからの不思議な力によって一定の高度を保ちながら遍歴していくような感じ・・・。とはいうものの、その目は無機的ではなく、しみじみとさせるところがある。これもまた独特な持続を示す一例かもしれないが、pg「もうひとつの遠い町」展のはがきに使われた廃車のボンネットにあるハート型、そして、新写真集「Tokyo Candy Box」 (ワイズ出版) の表紙カットに反復されるハート型、その両者に差し向けられた視線を、世界へのさりげない目配せのようなものとして受け取ってみたい気にさせられる。ニコン会場は20日まで。他の会場はすでに終了している。


2001.09.06 dig

pg・牛島麻記子さんの「穴」展へ。いかにもpgらしいというべきか、インハイを突く剛球みたいな展覧会タイトル。しかし、穴とは面白い。もっとも原理的なカメラの名も「穴」の語を含むわけで、写真とも浅からぬ縁がある・・・などと妄想をめぐらせすぎたせいか、会場での印象は、うーむ、もう一声という感じ。室内と写真家その人の身体。その随所に穴を見いだすことができる。DMのカットはとても面白い。そこにある底なし感というのか、ぐーっと凝視しているうちに、ひきずりこまれるような感じが、ほかでも出ていたら、と思ってしまった。なにぶん「ふし穴」が言うことなので、あてにならないんだけど、もっと面白くなるのかも。

2001.09.07 うつす

ひさびさに世間様の空気を吸ってみて、まず面白かったのは、佐賀町・ナスタロウGの近藤正勝展 (29日まで) 。初台・オペラシティの「プライム」展に出ていた人といえば、思い出す方があるかもしれない。自然の景観を、デジタル処理をかけた画像のようなトーンで、あくまでペインティングとして提示する。自然-人工-自然という屈折が意図的に畳み込まれていることはだれの目にもあきらかだが、興味をそそられるのは、その絵の与える零度の感触。じっさいにデジタル画像化するプロセスを経ているのかどうか確かめていないが、ある種の画像を、なぞる、うつすという行為は、手作業であるにもかかわらず、ほとんど温度を感じさせない。いわゆる「表現」という、何らかの体温を感じさせる行為が当然のように存在するなかで、その感触が目を引く。似たようなことを考えさせるのは、銀座・ギャラリー小柳での杉本博司展 (29日まで) 。ロウ人形をポートレートの手法で撮ったシリーズだが、ここには「うつす」行為が重ねられている。ロウ人形そのものがまず人を写す。さらに写真家が写す。あるいはポートレート写真の様式をなぞる、うつすという意図もあるかもしれない。そのような「うつす」という言葉の深みに、このシリーズはいざなう。・・・この話題はほんらい写真のほうに持っていくべきなのだろうが、ここではコースを外れて、「人形」につなげてみよう。というのは前日、上野の東京芸大の陳列館で、「鏡獅子」制作のために平櫛田中が彫った裸形の歌舞伎役者像に目を奪われたから。何日までの展示か見落としてしまったのだが、そこでの彫刻性と人形性のせめぎ合いは、さまざまなことを考える糸口になりそうな気がする。

2001.09.08 アジア

銀座を徘徊。資生堂ギャラリー「亜細亜散歩 After Kitsch」展 (10月21日まで) をようやく見る。同時に開催されている水戸芸術館「亜細亜散歩 Cute」も見ていないし、以下に記すのは、展示そのものというよりは、むしろ自分に差し向ける疑念。・・・これからアートもアジアだという話を聞き、いい話ですねとうなずきながら、心のどこかでつまずく感じを持つ。この「After Kitsch」展においても、大阪在住の気鋭「徘徊する蘇東坡」という作品タイトルの下に、「蘇東坡とは」という注釈が掲げられているのを見るとき、つまずきの感じを抱く。たとえばギャラリーGANでヴィック・ムニーズの作品をみるさい、それが「After Rembrand」というタイトルであれ、「レンブラントとは」といった注釈は付かない。たしかに昔、東アジア美術という枠組みは実体的に存在したし、そうした伝統を失ってしまったという感慨も、ある程度は共有している。さて、そこでこの先、かつて蘇東坡がいたということで東アジアの枠組みを呼び寄せるのか、蘇東坡さえも分からなくなったけれど一体の東アジアなのだと言い募るのか。前者であらねばならぬと意気込むほど夢想家ではないが、さりとて後者では、東アジアという枠組みを地理的な区分以上のものとして設定しうるのかどうか。ちなみに、本展の立場を紹介すると、「After Kitsch」にいう「キッチュ」とは、「他者のものを取り入れる過程で生じる、オリジナルから変質しつつある状態」なんだそうで、どうも西欧の模倣-キッチュという形での変質-その先に生まれるオリジナリティー、という図式で東アジア美術の可能性をとらえようということらしい。こうした立場は、意図してか意図せずにか、渡来文化を受容する能力に日本文化の特質を見ようとする、岡倉天心いらいの日本文化論にどこか似かよう。ここでは、それが東アジアについて当てはめられているのかな、との印象も受ける。・・・出品作そのものについて言えば、細井篤氏の彫刻が魅力的だった。

2001.09.12. 淡々と

ちかごろアート界で注目されている「浜田涼」展 (29日まで、青山・セゾンアートプログラム) へ。1,日常風景をピントのきていない写真にする。2,カラーコピーしたりする。3,さらに透明のメディウムを施して、ペインタリーな筆触を与える――そんな作品で知られている人。いちばん最初に写真があるわけだが、そこからグイーンと写真から遠ざかる方向に、つまりは絵画方面に引っ張っていく。ただし写真/絵画の問題を突き詰めるというよりは、むしろ日常的なフィーリングとつながった仕事のようにも見える。その先は鈍なもので、ぴんとこない・・・今はともあれ、分からないことは分からないままにしておくことにして、淡々と見た。

2001.09.18. 手探り

東京都写真美術館「手探りのキッス」展 (11月25日まで) について、手探りの感想。気鋭写真家8人の仕事をつうじて、<「手探り」ながらも現代の価値観を反映した新たな表現の可能性>を見せようという企画。<善悪が単純な二元論で片づけられるような声高な主張でありません。とても微妙で、複雑で、静謐で、あたかも「キッス」のような微熱をおびている、魅力的な作品群です>だとも。この<二元論>というあたりに関心のひとつがあるらしく、国境、性差といった何らかの境界性を扱った作品が目を引いたりもする。けれども見る側は勝手なもので、まったく違う観点から、鯉江真紀子「Untitled (P-17)」に興味をそそられる。多重露光とおぼしき群衆像。その渦のなかに見上げる顔が浮かんでは消える。見上げるという行為は、おそらく20世紀的なしぐさなのだろう。摩天楼の世紀にして、飛行機の世紀であったのだから。鯉江「Untitled (P-19)」になると、群衆ひとりひとりの顔はもはや見えなくなり、波動のごときものと化している。

2001.09.18. アルバム

pgの設楽葉子「母」展へ。オープニングのグループ展でも目を引いた母のポートレートを、まとまった形で見る。壁を銀に塗り、様々な額を使った空間は、ちょっとファミリー・アルバムを連想させる。母-娘という関係は、他人の入り込めない世界と見なされがちなところがあるわけだが、展示のしかたは、そんな母-娘の関係を正面から引き受けて撮る姿勢をうかがわせている。それでも2年間にわたる撮影とのことで、被写体は被写体としての自意識を持たされざるを得ない。対する撮影者は、何とかひとりの人間が持つ具体性、多面性を引き出そうと試みつづけている。そのとき撮ることは、じつは愛情と重なり合っているのかもしれない、と思う。

2001.09.19. 光/消失

北井一夫写真集「1970年代NIPPON」 (冬青社) を、遅ればせながら見る。第1回木村伊兵賞を受けたシリーズ「村へ」をもとに、写真集が編まれるのは3度目とのことだが、今回が決定版になるのだという。この本で初めて見るひとりとして、しみじみと感じるのは、撮影時からさらに20数年が経過しているんだな、ということ。もともと子供時代から引っ越しを繰り返してきたという写真家は、ついに持つことのなかった故郷を農村に重ねていたという。そうした私的な感慨とはべつに、撮影時には農村の崩壊が進行していたはず。しかも、さらなる時の経過によって、この連作が持っていたであろう喪失の感情はさらに深くなったと思われる。さまざまな人や物、風景にときおり、光がさしこんでいる。その光のあたりで、当然のことながら粒子が疎となり、かすかになり、消失してしまうのを、印象深く眺めた。


2001.10.01. 美術史/写真

渋谷区立松濤美術館「眼の革命」展のオープニング。井戸茶碗を見いだした近世初頭の茶人にはじまり、民芸と柳宗悦、縄文土器と岡本太郎・・・といった風に、既成の美意識から外れたものの美を「再発見」していった眼の歴史をたどる企画。そのような意図に沿って、しかるべき作品が適切に集められているという意味で、かなりよくできた展示。ところで、それらの「再発見」においては、やはり写 真が一役買っている。柳宗悦が野島康三を介して撮影を依頼したという、山崎静三による木喰仏の何点かの写真が目を引く。また、縄文土器と岡本太郎のパートでは、実物と岡本による写真とが並べられている。見比べて、岡本の写真に軍配を上げる人のほうが多いのではないか。写真によって強烈な「縄文美」が作り出された側面もあることを印象づけられる。11月18日まで。

2001.10.03. 爪

柿の木坂・ギャルリー・ドゥでの石内都「爪」展へ (11月24日まで) 。すでに写真集が出ている本シリーズを、展示の形で見るのは初めて。大きなホワイトキューブの空間は、150×100センチというラージサイズの写真と小さな写真とを組み合わせて、美しく構成されている。また、アクリル・フォトの形で展示しているのも美的な印象を強めている。それゆえ美的な洗練に傾きすぎているとの意見もあるというが、写真集とはひと味ちがって、ひそやかなエロチシズムのようなものが前面に現れている感がある。

2001.10.04. 窓

四谷のビューイング・ルームでの斉藤美奈子新作展へ。写真、蛍光灯、汚れたマットレス (?) によるインスタレーション。写真3点はいずれも窓とそこからの風景を写している。その背後には蛍光灯があって、バックライトのように照らしている。それゆえ写された窓から外光が入ってくるような感覚もあり、だとしたら展示空間は室内に相当するわけだが、しかし、足元には、身を横たえるべきマットレスがあたかも屋外に打ち捨てられた廃品みたいに転がっている。見ていると内-外の感覚が攪乱され、どちらに立っているのか、よるべない気持ちにさせられる。ちなみに、写真に映っているのは精神病院の窓なのだそうである。6日まで。

2001.10.04. アートイング

閉幕前日にして、ようやくセゾンアートプログラムによる「アートイング東京2001」へ。大江戸線・牛込柳町駅ちかくの旧牛込原町小学校の校舎を使ったグループ展。大雑把な言い方だけれど、ホワイトキューブであれ、いずれ作品の見え方に干渉しているのだとすれば、どのような空間を使うかではなく、具体的な空間への絡み方というか、作法が関心事になってくる。その意味で、初めてみる作家のなかにも、おっと目を引く人があり、けっこう楽しんでしまった。たとえば、ペインティングその他で教室をリヴィングルームにしてしまった小野瀬裕子、まっくらやみの中に浮かぶ人工の野を歩かせるデジタルPBXなど。映像系では、静物画が熱せられたように融解し、ヴァニタスの寓意を再生させる小瀬村真美にひかれた。それから、鈴木理策「Good Memory for Good Memories」について。壁面の途中には、間違っていたら恐縮なのだが、吉野水分神社や那智滝が現れる。東京から車で吉野方面を経由し、帰郷したさいに撮られたシリーズか。だとしたら川崎市民ミュージアムでの旧作などとも通じる内容を持つわけだが、今回は教室での展示ということでもあり、机の上にも写真が置かれている。具体的で、継時的なシークエンスを持つ壁面の写真に対して、平置きのほうはブレの目立つ木立などの写真が多く、記憶の裾野と言えばよいのか、あいまいに広がっていく領域を示唆するかのような印象を受ける。この夏のPGIでの個展と併せて、興味をそそられる展示方法だった。

2001.10.09. 現代思想

遅ればせながら、「現代思想」誌9月号が「写真論_私の一枚」という特集を組んでいることを知り、読みはじめる。基調講演的に置かれているのは港千尋×西谷修氏の対談「写真の変容」。定着することに意味を求めず、メールで送信すればじゅうぶんという「送信するが故にわれあり」 (港氏) といった指摘は、多くの人の思うところだが、それを日本におけるフォトグラフィー受容――すなわち主に肖像写真として受容し、ある場所にいたことを確認する手段として愛好してきた――につなげているのを興味深く読む。その他の多くはなんとなく億劫になってしまったが、最後に置かれた丹生谷貴志氏「土着?」に、立ち止まる。簡略すぎるかもしれないが、要約してみよう。土門拳の古寺シリーズを見て、「日本の写真家」に拭いがたい不信感を植えつけられた、と言う丹生谷氏は、西行等の詩歌に見られる「物自体」に対する拒否、抵抗と同じものが「日本的写真」に予感されるとして、不快だと述べる。べつに「日本的写真」を擁護する義理もないのだけれど、その反対側に想定されているのは、どんな写真なのかな、という素朴な疑問を抱く。現代思想に疎くて、「物自体」って、認識できたり、認知可能な形式で表象できたりするのかどうか、よく分からないわけなんだが。

2001.10.10. エゴフーガル

初台・オペラシティギャラリーの「エゴフーガル:イスタンブール・ビエンナーレ東京」展へ。長谷川祐子女史が仕切るイスタンブールまでは残念ながら行けそうもないので、このダイジェスト版の展覧会で雰囲気を想像するのみ。エゴフーガルとは、近代的な自我からの離脱といった意味の造語だとか。そう聞けば、つい「離脱する」と発語するその主体はどこに、と考えたりもするけれど、展覧会として見れば、論争的であれ、魅力的な言葉が一つ投げ込まれていたほうが、やっぱり面白い。ここでも脱領域的な作家の選び方になっているから、なおさら言葉が重要になるのだろう。映像作品が主流を占めているあたりも今日的な傾向を汲むが、なかなかインパクトのある作品が多い。写真関係では、スロベニア生まれで、12歳までに視力を失ったというユジャン・バフチャルなる写真家の作品が選ばれている。複数のスタイルがうかがえるが、総じて手探りするという行為を、かろうじて光に置き換えながら、写真にしている、というような不思議な感じがある。12月24日まで。

2001.10.10. 川崎

激しい雨のなか「川崎」へ。というのは、pgで開かれている王子直紀展のこと。川崎近辺でのスナップショット。人と街といった感じの写真が淡々と続く。前回の展示のさいに書いたとおり、川崎に勤務したことがあるもので、ああ、これが川崎だよ・・・などとしみじみ。路上でタバコを手にしている人の割合だとか、ね。しかし、そう納得させるのは美点には違いない。あの川崎を面白おかしく、あるいはエグく撮るのでなく、いわば1メートルのものは1メートルに、という具合に撮っていることには好感を持つ。見たあとは、またしてもオフィスで川崎談議にふけってしまった。

2001.10.12. 彫刻

写真展ではないけれど、興味をそそられた展覧会として紹介。上野・東京芸大陳列館の「垂直の時間 彫刻_過去・現在・未来_」 (28日まで) 。ひと口に言えば、日本の仏像と明治から現代に至る木彫を並べた企画。前者は東京芸大の所蔵品、後者も多くは芸大で教えた人か在職中の教官の作なのだが、ここで「垂直の時間」と銘打っているのは、木彫という枠を設定し、通時的な連続性を探っていることによる。だが、そのことによって、逆に際だっているのは、いわゆる彫刻と、日本で彫刻と呼びならわしてきたものとのズレにほかならない。仏像等が彫刻概念の移入によって、事後的に仏教彫刻と見なされたことは言うまでもなく、彩色の剥落等が逆に彫刻性を補強しているわけだが、他方で明治以降の作品もまた、彫刻を目指しつつも、そこからはみ出る剰余を感じさせる。以前にも触れた平櫛田中「鏡獅子習作」 (0907の項) をはじめ、内的な充実を表層への関心が上回る橋本平八「花園に遊ぶ天女」、さらに現代作家となると、いっそう彫刻らしさから逸脱していく要素が目を引く。そのそれぞれを前に、彫刻/人形、彫刻/怪獣フィギュア、彫刻/キャラクターグッズ、そして美術/工芸といった境界を自問してみるのは、なかなか面白い体験なのだった。

2001.10.15. 建築中

昨年の話題作「Underground」につづく畠山直哉の本「Under Construction」 (伊東豊雄と共著、建築資料研究社) を見る。内容的には、やはり伊東の話題作、せんだいメディアテークについて、その建築過程を中心に撮っている。都市/自然に関心を向けてきた写真家が、海藻などの自然イメージに発しつつ、都市の新しい自然とも言うべき電脳空間に適合することを目指した伊東作品に興味をそそられたことは想像に難くない。写真にも、たしかに都市/自然について、考えさせる説得力が備わっている。また、コンクリートという素材の移動は、「ライム・ワークス」にはじまり、本作で都市の一角になっていく過程が描き出され、さらに「Underground」において、新たな自然に包み込まれるという、大きなサイクルを形作った感もある。なんて図式的に過ぎるかな。ただ、この写真集の基調色である白の感じは、やはり「ライム・ワークス」を思い出させるところがある。

2001.10.26. 川田展

やっと、芝浦・PGIの川田喜久治「Eureka 全都市」展へ (31日まで) 。デジタル、しかも16分割画像がほとんど。相変わらずのアグレッシブな姿勢に、まずは脱帽。正直言って、イメージの緊張度という意味ではどうかな、という気もしたけれど、あるいは錯乱としか言いようのない現実を前に、決定的なイメージとして1枚の写真を差し出すこと自体を問うているのだろうか。いずれにせよ、その錯乱が、闇というか、無明の感覚を思わせること、そこに不思議な角度から、あえて美と呼びたいような何かが差し込んでくることに、この写真家らしさを思う。

2001.10.29. 部屋

西新宿・エプサイトでの長島有里枝、蜷川実花、野村佐紀子による3人展「それぞれの部屋」へ。ありがちな展覧会名ではあるが、確かにすべては「部屋」である。とりわけ「部屋」なのは、蜷川作品であって、そのことはすでに書いたとおり (0510 interiorの項) 。お客様はスリッパにはきかえて入る、という意味で本当の部屋でもある。作家によるステイトメントに、「誰も入ってこれない私だけのやわらかい包まれた時間。そんな時をもてる私をとても幸せな人間だと最近よく思います」とあるのを読むと、その「部屋」度には脱帽させられる。他方、長島作品の部屋では、床に「“Say no to War” that would be a good gift for my … baby Shower」という文字が読まれるが、あたかも「部屋」の外へ向けて発せられたかのようだった。11月25日まで。

2001.10.29. ミニマル

pgの帰山大輔「Long Nights」展へ。沈んだトーンのスナップが大小にプリントされて貼られている。貼り方は大小による流れを作るべく、そうとう考えたふう。しかも時折、同じ写真が大きさを変えて再帰する。夜をさまよう、シャッターを切る、その音が波紋みたいに広がり、やがて消えていく・・・みたいな感じか。pg日誌に「BGM」が記されていたので、つい音楽方面に連想が飛び、あるいはミニマル・ミュージックみたいな感じを目指しているのかな、などとも思う。音楽ついでに言うと「なーがーい、よーるーをー」みたいなことでは当然ないわけだが、しかし、別の方向で、傍若無人なところも見てみたい気がした。

2001.10.29. 劇場

電車の中吊り広告に「伝説の写真集が復活 森山大道 にっぽん劇場写真帖2001」などとあるのを見て、思わず買ってしまった「週刊DIAS」11月12日号。写真以外のことを記すと、「とち狂っている――おれも。この街も」と結ばれている馳星周氏のハードボイルドな寄稿があり、写真家のインタビューには「世界中で一躍“大道ブーム”が!」という見出しの囲み記事が添えられている。小さな写真クレジットも読んでみたけれど、編集部が写真家になにをさせようとしているのか、よく分かりませんでした。


2001.11.01. ズ

岩波書店から出た「アンセル・アダムズ写真集成」を開く。生誕百年を記念して、SF-MOMAで開かれている「at 100」展に併せた出版された本の日本版。シャーカフスキーによる、けっこう長文のテキストを載せる。斜に構えたところもありながら、情のこもった論。全般的には、環境保護論者などでなく、あくまで写真家としての再評価を求めている。写真のほうも、モダンな構成美を達成しているかどうかを基準にセレクトしている感じがある。いきなりな余談。日本語だと「アダムス」「アダムズ」という表記があるみたいですね。ちなみに、この本は「ズ」派。

2001.11.07. 笹岡展

うーむ困った。2回目を迎え、規模も大きくなった笹岡啓子展を見たのに、的確だと思える言葉に行き着かない。いつぞや回を重ねて見るごとに、分かってくることがある、などと大口をたたいたのに。さしあたりの見方を今回も記す。前回と同じく海岸の風景。pg「習作」展は小さいサイズのプリントを密に並べる。カラーを基調にしながら、ときどきモノクロを挟む“ササオカ方式”。八月社アート「限界」展では、大きく伸ばしている。すべてカラー。総じて感じることは、ある方向への偏りが周到に避けられているのではないか、ということ。八月社ではプリントの大きさもあって、ごつごつした岩肌の形態、質感が前面に出る。その形態的な面白さは写真を支えている一要素だとは思うが、それのみで写真を成り立たせようとしていない。しばしば人物を配する。のんきな釣り人だったりする。字義通りのlandscapeに収斂させず、さりとて人と海とのしみじみとした情景、みたいなところでオチを付けるつもりもなさそう。とらえがたい気がするゆえんである。pg会場におけるササオカ方式も、カラーの連続のうちにモノが現れる瞬間、海岸特有の雰囲気がスッと消去され、形態への関心が立ち上がる印象を受け取るわけだが、次の瞬間には、再び海岸の色や光が戻ってくる。以上のことから、その作品からは、いうなれば中間的なものを感じる。そこは最初の個展でも感じたこと。海辺という場所も、そうした特質に見合うのかもしれないし、中間性を維持しつつ、展示を繰り広げてみせるセンスには惹かれる。しかし、仮にこのような印象が当を得ているのだとしたら、その中間性をいっそうクリアに打ち出す方法をさぐるべきなのではないか、とも思う。

2001.11.09. 解体

芝浦・PGIの普後均「KAMI/解体」展へ。これも正直、分からない感じだったのだが・・・1階には既発表作「ゲーム・オーバー」のシリーズ。フィクショナルな印象を与える光景は、明るい終末、とでも言いたいような感覚をただよわせる。2階に上がっていくと、廃墟と化した都市や建物、焼けこげたロール紙を凝視するようにしてとらえたモノクロ作品が並ぶ。この時期でもあり、文明論的な感慨を引き寄せる展示。同時に写真はモダンな構成感覚を高い水準で示しているのだが、しかし、そこに落ち着かない感じを受ける。建物も紙も表題どおり暴力的に解体されている一方で、美的な判断、文明論的な視線はゆるぎない。倫理的にどうのということではなく、スリリングなものをうけとりにくい気がしたのだが、どうなのだろう? もっとも、身をもって“廃墟のリアリティー”などというものを知るわけでもないので、もっともらしいことを言うのはよすべきか。22日まで。

2001.11.09. 帰る

銀座に出て、ガーディアン・ガーデンとクリエイションギャラリーG8の両会場で開かれている柳沢信展「写真に帰る」へ。愚生のようなビギナーには、たいへんためになる回顧展。手癖といってはいけないのかもしれないが、それをつうじて写真家その人の存在がしみじみ伝わる感もある。ちょっとだけ、右側が上がる。むろん意図的に水平を外す写真も少なからずあるわけだが、ほんのすこしだけ、生理的な癖ではないかと思わせるような傾きが初期からずっと続いていて、そこに写真家の生を感じる・・・こういう見方って、よくないのかな。すでに深川さんが記されているとおり、写真も作家の言葉もたくさん収録した小冊子を、わずか500円で買えるのもありがたい。その一節。<写真の真の姿がつかめなくなった現在、写真が芸術でも他のなにかの手段でもなくて、写真が「ただの写真」でいることができた時代、その当時の健康な状態を思いうかべてみるのは、ほんとうに楽しいことだと思います>。会期は22日まで。

2001.11.16. 川崎

川崎市市民ミュージアム「現代写真の動向2001」展に、やっと行くことができた。端的に言って、ラディカルな展覧会。デジタル化といった、いま写真が置かれている状況を広範に引き受けている。あってしかるべき、そのような展覧会ということだけでも、見るに値する。写真と呼ばれてきた媒体ならぬ動画やペインティングが展示されているのは意外な感を与えるけれど、そうした場において、写真的なものがいかなる現れ方をするのかが探られている。ただし、現れ方のそれぞれについては、いましばらく考えたいので、以上はとりあえずの走り書き。展示は12月24日までなので、余力があったら、つづきをアップします・・・この日は運良く深川さんにもお目にかかることができた。考えてみたら、木村賞の授賞式でお会いして以来なのだが、そう思えないのも面白かった。

2001.11.16. Portraits

というわけで、引き続き市民ミュージアムでの北島敬三「Portraits」展を見る。「引き続き・・・」などというと、なぜオレの作品を先に見なかった! と怒るかなあ。いや、正直に言って、横浜やpgでの展示を見ていたこともあって、北島展にまっしぐらという態度には出なかったわけだが、しかし、同じ理由でパスしようと思っている人がいたら、ぜひ足を運ぶことを勧めたい (何しろ、来年2月3日までのロング・ランでもある) 。とくに同じ人物の顔を横に並べたタイプの作品は、シリーズに新しい視点を提供していたし、さまざまなことを考えさせた。例えば、見ることができるもの、できないものについて、など。

2001.11.17. 近作

横浜・ギャラリーパストレイズでの古屋誠一展「Recent Works」展へ。昨年の個展を見逃したせいもあり、しみじみと見入る。やはり多少なり気になったのは、近作とはいうものの、1990年代の写真はほとんどなく、中心は1980年代、時に70年代の写真さえも見受けられること。深川さんはphoto-eyesで、いま現在の写真家が焼き、編んだと言う意味で、近作といえるのではないかという趣旨でとらえておられたかと思う。それもさることながら、それらの日付があるいは写真家にとって、遠い過去になりきってはおらず、まだ生々しく現在につなぎとめられているのかもしれない・・・そんな感じの写真でもあった。

2001.11.19. 告白

新宿ニコンサロン開設30周年記念だという「現代写真の系譜-?」展の最終日。たしか昨年のいまごろ、パート?が開かれていたような記憶があるのだが、今回は主に戦後生まれの写真家を取り上げてみた様子。その数およそ70人。北島御大も、元田さんも出品してました。それはさておき、ちょっと不思議な感じがしたのは、額ひとつぶんの作品に添えられたテキストで、かなりの数の写真家が自らの信条をきわめて率直に語っていること。作家にここまで言わせてしまうのは、ニコンサロン側の手腕なのか、自分で言わないとしかたがないという環境によるものなのか。いずれにせよ愚生としては、ふむふむ、勉強になるなあと読んだのだけれど。

2001.11.19. 火の国

pgの本山周平展「火の国ブルース」に流れる。クラブシーンに取材した前回の展示とはうってかわって、地方へと舞台を移している。廃物がしばしば写っている。お年寄りの姿も地方都市の現状をうかがわせるのだが、「これでいいのか」的なドキュメンタリーの視線でなく、いわば肯定の視線が感じられるところが持ち味か。本展もまた、安定的な力量を実感させるのだが、ただし、会場に音楽が流れていることについては、よくないと思った。写真そのものとは別の話だし、特別な意図があったとしたら申し訳ないのだけど、展示に足を運ぶ側としては、うそでも甲本ヒロトなんか問題にならないくらい、この写真のほうがエキサイティングなんだぜ、というつもりでやってくれないとなあ・・・という気がする。

2001.11.20. いろ

日本橋室町のツァイト・フォト・サロンでの、柴田敏雄展「Color Works」。カラー作品ははじめて見る。ロケーションは、従来撮られていたような擁壁。そこに水が流れることで残された痕跡を写している。その不思議な形象は先史時代の壁画のようでもあり、抽象絵画のようでもある。いずれにせよ、痕跡がカラフルであるのは、おそらく水にさまざまな物質がふくまれているからなのだろう。だとしたら、それは擁壁と同様に、人工と自然との関係が生み出した形象とも見なしうる。これまでの仕事との連続性が説得的に伝わってくる作品。24日まで。

2001.11.21. 博覧会

東京・本郷の東大総合研究博物館「真贋のはざま」展 (12月9日まで) 。副題に「デュシャンから遺伝子まで」とあるとおり、オリジナルとコピーの問題をきわめて広範に扱っている。むろん写真は主要なテーマとして取り上げられている。たとえば最初の部屋には、安斎重男氏によるウォーホルのポートレイトについて、サインの入ったオリジナル・プリントと印刷による複製とを掲げ、さらに伝・源頼朝像の複製教材とそのデジタル技術による複製なども並べてみせる、といった具合。なかなか凝っている。終盤には、擬態、鉱物結晶といったコピーをめぐる科学分野の話題まで飛び出す。いかにも好奇心をそそる「真贋」をタイトルに押し出しているところにもあらわれているように、つまりは博覧会的なノリの展覧会。オリジナリティーというものを疑問に付すという、やりようによっては小難しくも作れそうな展覧会を、まったく下世話とさえ言えるようなにぎにぎしさで扱ってみせたところに、特色がある。どのていど参加したのかは分からないけれど、近代日本の博覧会研究で名を挙げた木下直之氏のいる博物館であることも思い出された。言い添えれば、この博物館は入場無料でもある。

2001.11.25. 訃報

西井一夫氏が亡くなったと聞く。ちょうど「20世紀写真論・終章」 (青弓社) を読んでいた。伝えることの復権を説く、聞きようによっては古風とも思える発言は、「確からしさの世界」を捨てたプロヴォーク世代の同伴的批評家を自認する人として、それをさらに批判的に乗り越えなければならないという責任感によるものだったのだろうか。2度しかお目にかかることはなかったが、もうすこしお話をうかがいたかった。それにしても55歳とは。合掌。

2001.11.29. 人工

今井智己写真集「真昼」 (青幻舎) を見る。タイトルとはうらはらに、表紙のカットは夜景。人工照明が闇のなかからガードレールを浮かび上がらせる。全体として、不安定ないし劇的な光をとらえるのではなく、無時間的ないし静的な光の状態から、いわばひそやかな聖性を引き出そうとしている感がある。その傾向は人工照明下の風景を撮ったカットによくあらわれている。シヴェルブシュを参照するまでもなく、人工照明への関心もまた長い歴史を持つわけだが、そこに新奇な美学を見いだすのではなく、もっとも静的=聖的なものを求める世代も必然的なことながら現れてきたのだろう。

2001.11.30. マライーニ

著名な文化人類学者の写真だということで、出掛けた東京都写真美術館のフォスコ・マライーニ展 (4日まで) 。人類学と写真という関心があって出掛けたわけだが、いやこれはしかし・・・結論から言えば、陽性なラテン感覚が愉快というか脱力というか。まずチケットにも使われた、日本の出初め式を撮ったカットがある。「無との闘い」というタイトルに、ん? と思う。虚空に拳を突き出したポーズを、そうなぞらえたのか。そのさきも、だれも座っていない石のベンチを撮った写真のタイトルが「キリストの再臨を待ちながら」、大げさな身振りをした人と馬の彫刻を撮った写真が「踊る大理石」・・・。スライドのプロジェクションも見せているのだが、日本の海女さんのヌードが、東南アジアのグラマラスな仏教彫刻に連続したりするイージーさ。写真そのものには魅力的なカットがないわけでもないが、全体としては、笑いのツボが同じだれかとツッコミを入れたい展覧会だったかも。

2001.11.30. 山

人類学の話題が出たところで、港千尋写真集「瞬間の山」 (インスクリプト発行、以文社発売) について。前著「洞窟へ」 (せりか書房) と明らかにつながる問題意識がうかがえる写真集。つまりは世界があり、それが光学的な像として視野に投影され、認識されるという投射モデルによる認知論を乗り越えようとしていると思われる。われわれの物の考え方が骨がらみと言っていいほど投射モデルに囚われていることを「洞窟へ」は痛感させるのだが、しかし、おそらくそれゆえに、まぶたの裏に浮かぶ不定形な図様からある線分なり模様なりを選択しながら人間が像を編み出したといった学説になると、そうかもしれないのだが・・・という感じになる。今回の写真集についても、山という形態とそれをめぐる人類の認識についてさまざまに考えさせられたことを強調しておきたいのだが、よく分からないところがあるとすれば、読者としては、「見る」という形式に基づく写真集を眺めながら、投射モデルならぬ認知体験を想像するのがなかなか容易ではない、という一面があるのではないだろうか。このあたりの話で戸惑っているのは、結局のところ、港氏の議論をよく分かっていないということか・・・。


2001.12.03. ウマ

恵比寿・東京都写真美術館「馬へのウマージュ」じゃなかった、「・・・オマージュ」展のオープニング。馬とは、初期の写真にとって、運動を正しくとらえる力を証す格好の被写体だったのだろうが、この時期にこのテーマというのは、やっぱり来年ウマ年だからなのか。なごむなあ。馬具工房にはじまったというエルメスが特別協賛だったりもする。しかし、とにもかくにも、馬かんけいの写真はよく集められている。カタログでは、「表象と倒錯」の松浦寿輝氏が、れいのブラッサイによるプルースト論を踏まえて、キネトスコープに見る馬が「失われた時」を象徴するような意味合いを持っている、ということを論じている。2月24日まで。

2001.12.05. Surface

ロッテルダムで開かれている日本現代写真展「Surface」のカタログを、見せてもらう。敬称略で、市川美幸、伊島薫、金村修、木村友紀、近藤正勝、松江泰治、斎木克裕、佐内正史、清野賀子、若木信吾、米田知子、ほか3人の方は、恐縮ながら作品を見たことがない。テキストはよく読んでいないが、タイトルにも「Superflat」な日本への関心がうかがえる。写真的な視覚をベースにしているとはいえ、純然たるペインティングの近藤氏がピックアップされているのは、そのあたりが理由のひとつなのかも。他方で、まさに渋谷での「Superflat」展に出ていた佐内氏は堂々、「俺の車」シリーズを出していた。最近、メタローグから同名の写真集が出ているが、愛車とおぼしき黄色のスカイラインが主な被写体。駐車場でぱちり、ボディにカメラや三脚を乗っけてぱちり、さらに車窓の風景、ついには黄色いパワーショベルや新幹線も登場・・・という異色作。

2001.12.05. あうん

pgでの北島敬三「3 Portraits」展。川崎での展示には、同一人物の顔を2つ並べたタイプの作品が見られたが、今回は同じ人の顔が3つ並んだ大きな三幅対が目を引く。2と3とで、さして違わないように思われるかもしれないが、相当に異なる。2が等価な関係を象徴するのに対して、3は求心性を帯びる。三幅対は洋の東西を問わず、聖なる中央が左右を従える形の画像に適用されてきたが、ここでも、左右はまさしく阿吽の相・・・作品の大きさはともかく、そうした求心性に違和感を抱いた。本シリーズでの顔は、複数にして等価であることに意味があると思っていたので。

2001.12.11. トリ

閉幕してひと月、すでに実際の日数以上に遠くなったと感じる横浜トリエンナーレだが、美術評論家連盟「AICA JAPAN」のニューズレター2号に載る、南條史生氏による「横浜トリエンナーレ2001後記-その顛末の個人的メモランダム」というレポートは、ああ、そうだったのか・・・と思わせる。「トリエンナーレが閉幕した。総入場者数は約350000人だった」と始まる一文は、すぐに「実際は、一枚の切符で二日間入場できるものなので」「20万人くらいの個人が、見に来たのだろう」とただし書きを付される。言い添えると、35万人という数字は、2日間入場可ということのほかに、パシフィコと赤レンガ倉庫という2会場の入場者を合計したものだとも聞く。むろん大勢が入場したこと、また展覧会の価値は入場者数のみで測り得ないことは強調されるべきだが、しかし35万人とは、次回以降の参考になりそうもない、アバウトさ・・・いかん、いきなり脱線した。南條氏のレポートは、さらに興味深い話がつづく。4人によるキュレーションについても、率直な感慨が記される。「最終的には個々の選択、個々の展覧会に分離していった」「しかし、今回のように、何も知らない観客から見ればひとつにも見える形で展覧会が現実 (原文まま) したのは、それでも幸運であった。と同時に、それを求めていないディレクターには不幸だったともいえる」。南條氏は、展覧会とは表現行為なのであって、失敗をおそれて穴を埋められる体制を作るのは、デメリットが大きいという考えを述べ、次は、1人を選ぶ選択責任を回避せず、選考委員会をつくるべきだとする・・・いや、ほんとにそうですね。これとはべつに、「あいだ」誌がアンケート特集を組んでいたが、そこでの光田由里氏の回答も目をひいた。いわく「 (展示構成について) 政治的立場や意見をはっきり出さないで、しかも世界的にみて及第点をとるという日本の戦後のあり方の知恵を感じた」「 (4人によるキュレーションについて) 日本の公立美術館 (官庁的) バランス感覚でユニーク」等。

2001.12.12. 美術/写真

川崎市市民ミュージアム「現代写真の動向」展について、追記というか、おぼえがき・・・さまざまなメディアが同居する本展は、さきの東京都写真美術館「手探りのキッス」展とともに、美術と写真のかきねが低くなった現状を反映しているように見える。むかし飯島耕一が「おじやのような現代詩」と言ったことがあるけれど、そんなふうな状況。ただ、いずれの展覧会もむろん、単に状況を反映しているわけでなく、それぞれのスタンスがうかがえる。そこが双方の違いとなっている。川崎展について、そのスタンスは、かつてのベッヒャー展のカタログにおいても、示されていたのかもしれない。すでに「芸術としての写真」でなく、様々な媒体における写真の潜在的な可能性を探るべきだ、と書かれている。もとより「芸術としての写真」と言ったとき、扮装して神話画なりを演じた写真を思い出すなら、だれもが陳腐だと言うだろう。けれども、美術の側がすっかり映像化し、写真を使うのもありふれた手段となり果てたかに見える今日、スムーズに「芸術としての写真」を成立させる機会がやってきた、あるいは、すでに成立したと考えることもできるのかもしれない。その当否は別にして、川崎展は、その方向をおそらく目指していない。「芸術としての写真」という考え方の発端には、写真を、美術と同じ位相の一ジャンルと見なす考え方があるはずだが、ここでの写真は画像であったり、技術であったりするものの、決してスタティックなジャンルとは考えられていないようである。それは「芸術としての写真」と手を切る、いちばんシンプルな方法かもしれない。そのことを賭け金として、実際の作品がどれだけ魅力的な成果を手に入れているのかが、本展の次のポイントになるのだろう・・・。

2001.12.17. WTC

新潮社から刊行された、マグナム・フォトグラファーズ「ニューヨーク セプテンバー11」を見る。さすがマグナム、と感心させられながら、同時に、彼らがニューヨークを撮った特異さに関心をひかれる。そのことへの戸惑いを口にする写真家もいる。ラリー・タウェルいわく「都会やビルは、私の領分ではないのだ」。それにしても、彼らが撮り続けてきた戦場ないし紛争地帯というものが歴史上、つねにニューヨーク以外のどこかであった、その特異さについても、彼らは思い巡らしただろうか。

2001.12.18. 暮れ

四谷のユミコ・チバ・アソシエイツ、三田村光土里展へ。床に緑色のシート、その上に木製ベンチが置いてある。壁面には鴨の浮かぶ静かな湖面の写真、その向こうから歓声が流れてくる。同じく会場にあるビデオには、遠くレガッタの浮かぶ湖面が映し出されている。写真から流れる音声も、たぶん漕艇競技の歓声なのだろう。ベンチに座ると、スタッフの方から「これはビールを飲みながら見る展示です」と缶ビールを手渡される。飲む。この展示は、作家がドイツ・ハノーヴァーの湖で漕艇レースを眺め、しかし、1年後に再訪してみると、湖は鴨が浮かぶばかりだった・・・という私的な記憶をもとに構想されたらしい。写真にうつっているのは、その鴨ばかりの湖だと思われる。だとしたら、そこにオーヴァーラップするように流れる音声は、1年前の時空からやってきたことになる。ビールを飲みながら眺めている写真の向こうに、そうした時の流れの感触――見ている側にはまったく無関心に流れていく、それゆえ不気味でも、快くもあり得るような手触り――を感じさせて、しみじみと年の暮れにふさわしい展示でした。

2001.12.20. 新世紀

表参道・モーダポリティカで開かれていたキャノン「写真新世紀2001」展へ。第24回公募のゲスト審査員、都築響一氏の総評にいわく、「正直言ってなんだか椅子に縛り付けられたまま、耳元でミツル (326) の詩を延々聞かされているような」。ま、そうなのかな。実際の会場に入ると、いきなり和製ティルマンズ・・・みたいな展示があって、それはそれで驚く。とはいえ、グランプリの川鍋はるな作品は、たしかに賞にふさわしい。モノクロプリントを蝶なのか蛾なのか、そんな形に切り抜いたり、破いたりして、会場の一角にばらまいている。切れ端のなかに、プリントが仮綴じして置いてある。被写体は傷跡など、生理的な違和感をそそるものが多いが、つや消しのプリントとアングルの鮮やかさで、きちんと見せていた。むろん撮ること、破ることという調停困難なベクトルが内包されているわけで、それが演劇性を呼び込むのでは・・・といったことを思わせはしたけれど、それも含めて、この先を見てみたいという気にさせる。

2001.12.27. 来年

マグナムの写真集につづいて、クリス・スティール=パーキンス「写真集 アフガニスタン」が晶文社から出たのを見る。マグナム会長も務めた人の本だが、いま出版されたのは、当然ながら国際情勢を受けてのことなのだろう。ほかに上重泰秀写真集「NY崩壊」 (エクスナレッジ) といった本も出ているようだ。暮れも押し迫った夜、来年は改めて、写真の「伝える」という機能が現代、どうあるべきなのか、といった話がメイン・イシューのひとつに取り上げられるんだろうな・・・と思う。

2001.12.28. pg幻想

仕事おさめ。それにしても1年間、pgによく行き、駄文を書きちらした。どういうわけか・・・とぼやきつつの回顧。pgについては、面白いかも、とは感じた。こんな経済情勢下に、企業の助成が出ないと嘆いてばかりではなく、地価の下落を逆手にとって自主ギャラリーをやろうというしたたかさ。それに公募展を目指し、どこかの雑誌に食い込んで・・・というのとは違うシステムが当然あっていいんじゃないか、とも思った。つまり、こちらにとって、pgは十分な虚構生産力を備えて走り出した。しかし、それと同時に大半のメンバーが展示を行ったわけで、pgの側が“手持ちのカード”を開いていった1年だとも言える。北島、元田氏はpg以前からの作家なので、ここで初めて見た人たちについて言えば、多くの写真が「傾向と対策」ふうでなく、それゆえ物欲しそうじゃないのは気持ちよかった。空間が固定されているためか、展示も洗練を感じさせた。それらを可能にするのが自主ギャラリーのよさなのだろう。しかし、身辺や街頭のスナップ、セルフポートレートといった分野が大半を占めた。もっといろいろあっていいんじゃないかな、とは思う。さきほどの美点も、きつい言い方をすれば、紙一重の話ではある。いわゆる団体展を見ることがある。東京都美術館の壁を覆い尽くす日本画ないし洋画、地下スペースに林立する彫刻――ナイーブな表現意欲の累乗は、ものすごい光景を生み出す。やりたいことをやれる。そのやりたい気持ちを太く鍛えつつも、しかし、同じくらいクールに知り、考えるべきことも、たくさんあるのだろうなと思う (順序を間違えないように、念のため) 。次の1年があるのかどうか、つまりはタイトロープをわたるようなことかも・・・なんつって、また柄にもないことを書いてしまうのは、なおpg幻想に効力がある、ってことか。それではよいお年を。