The Third Gallery Aya presentsAkira Mitamura/三田村 陽
“hiroshima element” 2016/07/29 - 2016/08/11 12:00 - 20:00 会期中無休 / DAILY OPEN
▼企画ステイトメント
広島の街が表現する多様性をどのようにファインダーに迎えいれるか、被爆地の日常へ視線を重層化させていくプロセスそのものが「hiroshima element」です。 ヒロシマを写すことの不可能、その実感から出発した三田村は、自身の内面にあった重いイメージと距離を取る立ち位置を発見していきます。
「この街はひとつに結像しない。広島、ヒロシマ、ひろしま、HlROSHIMA …不意におとづれる鈍痛と街の豊かな反射に身を委ねて一回のシャッターは落ちる。」(『hiroshima element』ブレーンセンター刊・あとがきより)
なぜ広島を撮るのか?繰り返し受ける問いかけに、広島に無縁な三田村は惹かれ続ける“広島への片思い”を声にしています。ヒロシマへの感度を手放さず、なぜ?に答えきれない“わからなさ”から何が見えるのか、その揺らがない関心は“意味づけない広島”への継続的なアプローチに重なります。
写る/写らない、その隔たりに潜む広島の光をつかもうとする試みは今後30年(被爆100年忌)を見据えています。被爆地の見えない表土を意識しながら、現在の広島から写真のよろこびを表明するスナップショットをご高覧いただければ幸いです。
イメージの地層
まだ戦争の記憶が遠い過去ではなかった1959年、映画「ヒロシマ・モナムール」の脚本を書いたマルグリット・デュラスは「ヒロシマについて語ることはできない。私たちにできる唯一のこと、それは語ることができないということについて語ることである」ときっぱりと言い切った。
そこからさらに半世紀が経過し、ヒロシマにはまた別のイメージが堆積している。三田村陽の「hiroshima element」には、物語に抗する強い決意や、メッセージ、記録すべき重要な物事が単純に主題化されているわけではない。いや、ここでは何かを読み取ることが周到に無効化されているかのようだ。
息急き切って走り去ろうとする少年や、車椅子の老人、あるいは古びた建築物など私たちの視線は主題と思われるモチーフを写真の中に発見する。しかしそれはすぐに、花や若者、モニュメントなどと結びついて別のコントラストを作るかと思うと、視線はまたさらに別の層を発見する。写そうと思ったものと、写ってしまったもの、つかもうと思ったものと、受け入れたもの、大切なものと、大切なのかどうかさえわからぬものひとつひとつに時間が流れ、それらが折り重なる地層のような映像を作り出す。
そして、その層の一番深いところに今は写らない「ヒロシマ」の層があるのだ。そう気づくとき、「私はヒロシマですべてを見た。すべてを」「いや君は何も見ていない。何も」というデュラスの言葉とこのイメージが新たに響き合うように私には思えた。
映画監督 諏訪敦彦
▼トークイベント
三田村陽×笹岡啓子(写真家)
7月29日(金)19:00〜 参加費:500円 定員25名(要予約)
https://ssl.form-mailer.jp/fms/5ccd9553450347
終了致しました。
1973年 京都生まれ
1997年 大阪芸術大学写真学科卒業
2000年 コニカ「フォトプレミオ」特別賞受賞
2003年 第21回写真「ひとつぼ展」入賞
2005年 フォトドキュメンタリー「NlPPON」入選
2008~2015年 「潜景 hiroshima element」The Third Gallery Aya、大阪
2012年 「Quiet Boys/クワイエット・ボーイズ“男の子写真”は可能か」MioPhotoOsaka
2015年 「広島・長崎 被爆70周年-戦争と平和展」広島県立美術館(関連展示)、広島
2016年 「hiroshima element」gallery G、広島