第3回 photographers’ gallery講座
「再読・中平卓馬 1.ブレとボケ 2.記録と芸術
3.国境 4.現在」

第3回 photographers’ gallery講座
「再読・中平卓馬 1.ブレとボケ 2.記録と芸術 3.国境 4.現在」
 2006年10月29日(日) 開場 16:00
[第一部]映画上映 16:15~17:50
「カメラになった男 写真家 中平卓馬」(監督・小原真史/2003年)
[第二部]トークディスカッション 18:00~
「再読・中平卓馬 1.ブレとボケ 2.記録と芸術 3.国境 4.現在」
講師:小原真史・倉石信乃(写真批評)・北島敬三(写真家)
司会:斎数賢一郎


講座概要
1976年、アサヒカメラ誌上で「ブレボケはどうなった」という特集が組まれ、いわゆる「ブレボケ写真」への総括がなされた(らしい)。ブレボケの騎手とされた中平卓馬や森山大道は一過性の手法として消費され、馴致されていったその「手法」をいかにして乗り越えようとしたのか? 今、改めて彼らの写真に現れた「ブレ」と「ボケ」とは何であったのかを問うてみたい。そして、モノクロの曖昧なイメージを捨てた中平卓馬が、倒れる直前まで奄美やトカラ列島で精力的に撮影していたカラ-写真とは一体何であったのかを検証してみようと思う。それは「記録か芸術か」という二項対立を超えたところにある写真の存在様態を探る試みではなかったろうか? そしてそれは、病後の中平が現在まで撮り続けている写真群とも関わってくるはずである。2003年の「原点復帰―横浜」展以降、“中平卓馬はどうなった”か?

小原真史

「カメラになった男 写真家 中平卓馬」
写真家、中平卓馬は1960年代末から70年代にかけて「ブレボケ写真」と呼ばれた荒々しい映像を提出し、森山大道や高梨豊と共に写真のラディカリズムを追求していった。その先鋭的な写真と言葉によって当時の若者達に大きな影響を与えていた中平は「写真に何が可能か」との問いを自他に対して提出し続けていた。

70年代中頃からスランプに陥り、衰弱した中平は77年に病に倒れ、一命をとりとめるものの、その記憶と武器であった言葉の大部分を喪失した。以後、「伝説の写真家」として畏れられ、表舞台から姿を消すこととなる。
病から立ち直る過程で沖縄へ赴き、そこで再びカメラを手にした中平は、20年以上毎日横浜の自宅周辺を撮影し続けているという。

本作では今回初監督の小原真史がヴィデオカメラを片手に、中平に3年近く密着、記憶と言葉を失った写真家が今、いかにして毎日の撮影を維持し、カメラと共にどのように世界と向き合っているのかを探る。中平のつぶやきを丹念に拾い、以前通っていた沖縄へと、記憶の輪郭をなぞるように出発するその姿を追うことで、失われた記憶と現在とがつながる回路を浮かびあがらせていく。


講座報告
現在の中平卓馬に密着し、彼の生と写真行為が切り離しえない様を記録した映画の上映後、中平についてのディスカッションが行われました。ディスカッションは、記憶喪失を分断点とする従来の中平観に対し、沖縄との出会い、「国境」を探しにいく奄美・トカラへの旅から現在までを連続性をもったものとする、小原氏の論を軸に進行されました。倉石・北島両氏による「方法論的ブレ・ボケ」としての再読や、『日本写真史』(1971年/平凡社)の編纂作業での田本研造や山端庸介の写真との衝撃的な出会い、沖縄に関係する様々な出来事を掘り起こすことで、中平の「世界を全的に捉えたい」という強い意識が、連綿と現在に至るまで継続されてきたことが指摘されました。また、「指示代名詞としての写真」として提起された現在の中平の写真は、客席とパネリストとの熱い質疑応答を呼び起こすものとなり、中平卓馬を神話化せず、彼の写真を凝視することへの発展性を持ちえたのではないでしょうか。

米田拓朗
Masashi Kohara

Masashi Kohara Shino Kuraishi

Keizo Kitajima