第19回 photographers’ gallery講座 「Jeff Wall/ジェフ・ウォール」
第19回 photographers’ gallery講座
連続講座「不確定地帯—コンセプチュアル・アートと写真」(全5回)
特別編「Jeff Wall/ジェフ・ウォール」
講師:林道郎(美術批評) 司会:斎数賢一郎
2007年8月25日(土) 18:00~
講座概要
ジェフ・ウォールは、今、写真について考えようとするときに、もっとも大きな存在のひとりかもしれない。ことに注目に値するのは、彼の作家としての仕事が、密度の高い批評的・歴史的考察によって支えられている点だ。コンセプチュアル・アートや写真史に関する彼の批評はそれ自体で高い評価に値するが、彼は自らの実践をそのような理論的考察との応答関係の中におく。そのウォールの仕事の全貌が、先だってのニューヨーク近代美術館での回顧展や、著作集の出版などによってこれまで以上に把握しやすくなった。そういった状況の変化をうけて、「写真についての写真」ともいえるウォールの仕事から何が汲みとれるのか、あらためて考えてみたい。
講座報告
芸術の回路を政治に接続する方法を同時代のコンセプチュアル・アートから学びながらも、現代を照射するために古典を蘇生させること、すなわち具象性を取り戻そうとするジェフ・ウォールの姿勢に林氏は注目します。ウォールの緻密に構築された画面には、社会的に疎外された存在が「マイクロ・ジェスチュア」を添えて配置され、集合的無意識との関係性のなかで機能することが図られている。こうした制作方法が、資本/権力が交錯する場としての都市を解読することへ、あるいは身体化された社会的記憶を掘り起こすことへと向けられていることが、個々の作品に応じて具体的に示されました。写真の記録性が自明ではなくなった現在において、ウォールが作品に施すデジタル処理同様、リアリティを構成する別な要素の模索がその背景にあることが指摘されました。
芸術の回路を政治に接続する方法を同時代のコンセプチュアル・アートから学びながらも、現代を照射するために古典を蘇生させること、すなわち具象性を取り戻そうとするジェフ・ウォールの姿勢に林氏は注目します。ウォールの緻密に構築された画面には、社会的に疎外された存在が「マイクロ・ジェスチュア」を添えて配置され、集合的無意識との関係性のなかで機能することが図られている。こうした制作方法が、資本/権力が交錯する場としての都市を解読することへ、あるいは身体化された社会的記憶を掘り起こすことへと向けられていることが、個々の作品に応じて具体的に示されました。写真の記録性が自明ではなくなった現在において、ウォールが作品に施すデジタル処理同様、リアリティを構成する別な要素の模索がその背景にあることが指摘されました。
米田拓朗