Asako Narahashi/楢橋 朝子
“seen when too far away/とおすぎてみえたこと ─アムステルダム、黒姫” 2012/11/20 - 2012/12/02 12:00 - 20:00 月曜休 / MON CLOSED
この度photographers’ gallery では、企画展として楢橋朝子写真展を開催する運びとなりました。日本では3 年振りの個展となる本展では、アムステルダムと黒姫で撮影された新作が発表されます。また本展にあわせ、オリジナルプリント付きの書き下ろしエッセー『とおすぎてみえたこと』をphotographers’ gallery より刊行致します。
成田から直行だったはずのKLMは大阪に立ち寄り乗務員の交替などを行っているようだった。乗り込む客はいない。もちろん降りる客も。機内食や水を大阪で調達すること、乗務員の基地を東京から大阪に変更したこと、そのための寄港だった。しばらくのあいだ機内で待たされる。この日の某新聞最終面では行動派の写真家が直後に現地へ向かい水など諸物資を運んだこと、かの地の様子を冷静沈着に書いていた。 機内は比較的空いていた。日本から脱出するひとたちで空港はたいへんなことになっているように報道されていたし、フランス人の友人は早々に半強制的に帰国させられたようだったがもうなんということはなかった。航空会社の機能移転に伴う予定外の寄港と機体のラジエーションチェックなどでだいぶ遅れてスキポール空港へ到着する。追い討ちをかけるかのように入国審査で足止めされた。これまで空港やホテルで、見せるだけで急に親切にされたことさえあった明るめの赤いパスポートだったが、今回ばかりは勝手が違った。どこに泊るのかとか帰りのチケットはあるのかとか。後ろに並んだひとのため息が聞こえたようだった。ちゃんと帰る便を用意していることを確認されてようやく通された。 ホテルはギャラリストが探してくれたものでこぢんまりとしていて使い勝手がいい。なによりしっぽの長いネコが2匹、食堂やロビーをたえずうろうろしているのがいい。日本人らしき母子を食堂でみかけた。なぜ日本人と分かったのかといえば、子供が「ねこ」と叫んでいたからだ。母親はまだ若いようだった。子供は就学年齢になるかならないかではないか。なぜここにいるのか何となく想像できた。観光地に来ているような浮いたかんじやはしゃいだ明るさはなかった。かといって住み慣れたような勝手知ったる感も長逗留に飽きたような憂いさもなかった。たんたんとしていた。非日常の日常をすごしているかのように存在していた。言葉は交わさなかった。私が日本人であることを向こうは分かったのか分からなかったのか、私はたぶん一言も言葉を発さなかったはずだ。ひとり展示のために来た。アムステルダム、2011年3月30日。