笹岡 啓子
『Park City』

笹岡 啓子   『Park City』

笹岡 啓子
『Park City』

¥5,060

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〈Content〉

笹岡 啓子 写真集「Park City」 笹岡 啓子 写真集「Park City」 笹岡 啓子 写真集「Park City」 広島は公園都市である。  その街で生まれ育った写真家が撮る、21世紀の広島。 公園都市の昼と夜。がらんとした風景に擦過する時間。 そこに何が見えるのか。 街はすでに感光している、目を凝らせ。 写真界の新鋭による瞠目の第一写真集。 広島は公園都市である。  その街で生まれ育った写真家が撮る、21世紀の広島。 公園都市の昼と夜。がらんとした風景に擦過する時間。 そこに何が見えるのか。 街はすでに感光している、目を凝らせ。 写真界の新鋭による瞠目の第一写真集。 広島は公園都市である。  その街で生まれ育った写真家が撮る、21世紀の広島。 公園都市の昼と夜。がらんとした風景に擦過する時間。 そこに何が見えるのか。 街はすでに感光している、目を凝らせ。 写真界の新鋭による瞠目の第一写真集。 広島は公園都市である。  その街で生まれ育った写真家が撮る、21世紀の広島。 公園都市の昼と夜。がらんとした風景に擦過する時間。 そこに何が見えるのか。 街はすでに感光している、目を凝らせ。 写真界の新鋭による瞠目の第一写真集。 広島は公園都市である。  その街で生まれ育った写真家が撮る、21世紀の広島。 公園都市の昼と夜。がらんとした風景に擦過する時間。 そこに何が見えるのか。 街はすでに感光している、目を凝らせ。 写真界の新鋭による瞠目の第一写真集。 広島は公園都市である。  その街で生まれ育った写真家が撮る、21世紀の広島。 公園都市の昼と夜。がらんとした風景に擦過する時間。 そこに何が見えるのか。 街はすでに感光している、目を凝らせ。 写真界の新鋭による瞠目の第一写真集。

広島は公園都市である。

その街で生まれ育った写真家が撮る、21世紀の広島。公園都市の昼と夜。がらんとした風景に擦過する時間。そこに何が見えるのか。街はすでに感光している、目を凝らせ。写真界の新鋭による瞠目の第一写真集。

【2010年日本写真協会新人賞受賞作】

[栞]倉石信乃「広島の印象」

笹岡啓子「PARK CITY」
W250×H236mm上製108頁
ダブルトーン100点収録
装幀:間村俊一

出版社: インスクリプト
発行日:2009年12月25日
定価:本体4600円+税
ISBN978-4-900997-27-1

[本書栞「広島の印象」より]

倉石信乃(批評家)
いまも新たに被爆資料がアーカイヴに収蔵・展示され続けているのと同様に、被爆の記憶を言葉で記録する努力も積み重ねられている。読み継がれるべきそうした証言集の一端に触れるとき、体験者たちの多くが「無感動」の心的状態に陥ったという条りでいつも胸を衝かれる思いがする。自分を失った、放心して空のよう、無気力に、途方にくれた、何も感じない、感じたことは何もない、もう何の感情もなくなりかけていた、無感動に、まひして、さめた気持で見ていた、無関心で通りすぎた……。こうした証言の数々の重さを、素材にするわけでは全くなく、理解しているというのとも違う。だがそれらとの確かな結び目を持った写真として、笹岡の『PARK CITY』は出現している。公園を通過し資料館を鑑賞する観光客も地元の住民もみな、所在なく、あてどない。この途方もない記憶の扱いでは、われわれの日常に遍在する、関心の所在なさ、あてどなさに耐えてさまよう持続がまず、基底に置かれなければならない。笹岡の捉える、公園の夜闇に紛れる人影も、写真集の冒頭に連なる白日の、無人の光景も、すべてはこの歩行形式の演習につながる。そこからようやく証言者がたどらざるを得なかった、死に直面した無感動という極限状況へのアプローチが始まるのだ。笹岡啓子の写真は「所在なさの強度」を持つ、類例のない達成である。それは死者たちへと向かうわれわれの困難な想起の通路を、静かに指し示している。

[推薦文]

伊藤俊治(美術史家)
光をあてて見るのではなく、影を投げ掛けて、その不確かな存在をなぞる。絡まりあい、沈んでいった澱が、呟きにさえなれない無数の身体の淀みが透けて見えてくる。風景にすべりこむ、潜在する影の織物。

港千尋(写真家)
都市を動く秘密の足。誰にも見えないサーチライトは、静かに、着実に、わたしたちの行動を走査してゆく。立方体に取り込まれるのは、日々の忘却。その微視的歴史の連鎖をとおして浮かび上がってくるのは、21世紀の屏風絵。新しい『洛中洛外図』、それはあらゆる計画の彼方、どんな契約からも約束からも誓いからも離れて立つ、まなざしの誕生だ。

土屋誠一(美術批評家)
今日、広島を撮ること。だが、広島を撮影することなど可能なのか?──断言しておこう、これらの写真群は、「表象不可能性」などという言説がときに滲ませる自己慰撫とは、およそ無縁である。ここに刻印されているものは、極めて繊細に、かつ果敢に、広島と対峙し続ける写真家の、確かな痕跡にほかならない。『PARK CITY』を手に取る者は、新たなる広島=公園のイメージに、静かに、しかし衝撃的に直面することになるだろう。そして、なによりも今、私たちが知るのは、写真の新たなる潜勢力を拓く、笹岡啓子という存在の圧倒的な手応えである。広島=公園に鋭く切り結ぶこの写真家の登場に、刮目せよ。

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