時評 26 “みんな” by 上野修

みんなが少しずつ何々すれば世の中が変わる、ということが建前ではなく、どうやらそれなりにほんとうに信じられているらしいことを感じる出来事をいくつか経験して、いささか驚いている。

ぼくがそれを建前のように感じてしまうのは、たんに、みんなが少しずつ何かをして、よい方向に世の中が変わったということを、あまり実感したことがないからだろう。だが、考えてみれば、みんなが少しずつ何かをして世の中が変わったこともある。

例えば、エスカレータの片側を空けるというマナーの定着がそうだ。関西圏と関東圏で空ける側が違うという、ややこしい不統一が残ってはいるが、これは良い方向に変わったことと言ってもいいかもしれない(とはいえ日本エレベータ協会によれば、急いでいる人のために片側を空けるという認識は間違いとのことだ)。

またあるいは、髪の毛のカラーリングもそうだろう。みんなが少しずつカラーリングするようになり、日本は世界でも稀な、カラーリング人口がひょっとすると多数派ではないかというくらいに普及している国になった。これは別に良いことでもないだろうが、悪いことでもあるまい。

では、HIV感染はどうだろう。HIV感染の年間報告件数は1996年以降ほぼ一貫して増加傾向が続いていて、2003年には過去最高の報告数640件を数え、今年6月末~9月末の新規報告件数も209件で、四半期での過去最多となっているというニュースが、先日流れていた。しかし、そのニュースも今ではすっかり忘れられそうになっているのではないだろうか。抽象的な問題なら、みんなが少しずつ無関心になることで消えることもあるが、HIV感染という具体的な問題は無関心になっても消えることはない。

“みんなが少しずつ何かをすれば変わる”という語り口の枕詞は、決まって”難しいことはわからないけれど”だが、それに倣っていうなら、感染経路が性的接触によるHIV感染に関しては、難しいことがわからなくても、みんなが予防を心がければ変えられることであるはずだ。しかも、HIV感染が減少することに異議を唱える人はいないだろうから、良し悪しが明確なことでもあろう。みんなが少しずつ何々すれば世の中が変わる、ひとりひとりができることからはじめよう、ということが建前ではないのなら、HIV感染予防を心がけた性行動が実践されてしかるべきではないだろうか。SAFE SEX