試評 2005.11.17 by 土屋誠一

先日、よく似たコンセプトによって組織されていながらも、極めて対照的な印象を与える2つの展覧会をハシゴする機会があった。一つは横浜美術館での『李禹煥 余白の芸術』展であり、もう一つは神奈川県立近代美術館での『篠原有司男 ボクシング・ペインティングとオートバイ彫刻』展である。前者は、60年代後半から、それ以降の日本の美術における主流を形成してきた「もの派」の中心的な作家であり、後者は、李やもの派の作家たちよりも一世代前に位置する、当時の用語を用いれば「反芸術」の、あるいは彼が属した集団名に基づいて言えば「ネオ・ダダ」の作家である。彼ら自身を含む世代の作家たちが、ここ10年ほど前から、美術館において積極的な回顧の対象になりつつあることを考えれば、李や篠原もまた、少なくとも日本の戦後美術史にその名を記すことになる証明でもあろう。

一般に美術家が回顧の対象になるときは、同時に、しばしばその美術家が生産する作品のアクチュアリティが低下したときでもあるということ、あるいは、彼らが作品として提出したアクチュアリティが、時代においてある程度の文脈の共有を持ちえたことを意味するであろう。それはさらに言えば、様式や発想の新奇さや、あるいは社会的通念や美術史の文脈に対する危険さといったような、「前衛」芸術に不可分である要素が、既に多くにおいて了解済の、安全かつ安心して鑑賞できる表現へと、鑑賞者の意識が変化した際に起こりうることであろう。しかしながら、これらの展覧会は、むしろ彼らの「現在」を明らかにしていたという点において、通常の回顧展とは趣を異にしていた。

勿論、反芸術の世代と、もの派の世代の表現は、全く異なるパラダイムに属すものである。であるならば、李と篠原の個展における対照的な印象は当然のことであるが、しかし私が述べたい印象の差とは、そのような前提に基づいてのことではない。

初めに李禹煥の個展から見てみよう。彫刻と絵画から構成される個展は、多くは最近作から構成されているにもかかわらず、李によって制作されてきた作品のエッセンスが凝縮されているように見える。展示された作品を順に追うならば、まず美術館の前庭に展示された、鉄と石の構成からなる規模の大きいインスタレーションから始まり、展示室内部においては絵画作品から始まり、いくつかの彫刻を交えながら、最後には、李特有のシンプルで幅広のストロークが用いられた、ウォール・ペインティングが展示されている。

会場に入って驚くのは、横浜美術館において通常敷かれているカーペットがすべて取り除かれ、その下にあるコンクリートが剥き出しの状態で展示されていることである。展示室のホワイトキューブを構成する白い壁面と、無機的なコンクリートの面が空間のフレームとなることによって、通常よりもより抽象度の高い空間を出現させていた。この展示空間におけるフレームの位置づけは、李自身によって意識的に選択されたものであることは明らかである。この抽象的な空間においては、個々の作品を際立たせるというよりもむしろ、作品相互の相違を超越した、単一の意思によって、全体が統御されることが目指されているのであろう。さらに言えば、複数の作品がより集められたこの展覧会全体が、今回の李の個展において提出された「作品」であると看做しても、差し支えなかろう。

今回の個展に限ることではないかもしれないが、いささか気にかかることは、李の作品がむかう還元の手つきのその行方である。私はここで、還元主義に対し異を唱えているわけではない。そもそも、もの派の作品は、同時代のミニマリズムと対応することがしばしば指摘されるように、前世代の反芸術の時代に起こった物質やイメージの過剰な氾濫や、先駆的なメディアアートに顕著な、美術とは異なる種々のジャンルへの、積極的な越境と融合に対する、形式主義的、素材主義的な還元を対置することであったと、差し当たり定義することも可能であろう。しかし、今回の個展で気にかかったのは、還元の手つきに基礎付けられた、展示における、あまりにも高い完成度と、李がおそらく目論んでいると思われる諸要素の「関係」といった主題に対して、余剰と思われるようなノイズがあまりにも欠如しすぎているということである。

先に、この個展が、個々の作品を経験することよりもむしろ、展覧会全体を作品として位置づけることに差し向けられていると述べたが、このことは、作品展示の方法、作品のインスタレーションの手つきから指摘することができる。それは例えば、とりわけ彫刻作品に顕著であるが、彫刻のフレームとなる支持体が強調されていることに顕著である。具体的に述べるならば、いくつかの彫刻作品において彫刻を前景とする一方、その背景となる壁面に、背の低い白い仮設的な壁が設置されているような場合である。この白い壁面は、作品を際立たせる単なる装飾などではない。このような作法は、とりわけ展示室として区切られた外の、建築物自体に壁面装飾が施されているホワイエのような場所に作品が設置されている場合に見られるものである。つまり、李が積極的に行っていることは、空間を可能な限りニュートラルな状態であるように維持することに他ならない。

これは逆に述べるならば、ニュートラルな空間を前提とすることによって成立する作品を、近年の李は制作しているということをも、同時に示している。このことをさらに言うならば、作品のフレームとは、カーペットを剥がしてまで空間のニュートラリティを確保しようとしていることを考慮に入れるならば、美術館の展示空間そのものが、作品を枠付けるフレームであると看做すこともできるであろう。白い壁面は絵画の物理的な奥行きを超えて、その画面の多くの領域を占める白い面と限りなく一致することで、画面上におかれた筆触を際立たせ、一方、床面に剥き出しにされた打ち放しのコンクリートは、カーペット特有のテクスチュアを否定し、あくまでフラットに安定した均一な面を引き立たせることにおいて、床に置かれた物体を前傾化させる。つまり、まさに「ホワイトキューブ」という形容が適合するようなニュートラルな空間を支持体としてのみ、作品の鑑賞可能性が確保されると言わんばかりであるのだ。

絵画について別の側面から見れば、単一の絵画を超えてしばしば反復される、幅広の、形態やサイズは勿論のこと、絵具の盛り上がり具合までがほぼ等しいストロークを見てみるとよいであろう。それは一見すると、一回的なアクションの痕跡のそれであるように見えるが故に、なおさら反復可能性が際立つという意味において、ミニマリズムと言うよりもむしろ、ポップ・アートにおける反復の構造を用意に想起させる。それらは、一様に白地のキャンヴァス上に展開されることにおいて、タブローの矩形の中の布置が問題なのではなく、矩形を超えて、石や天板などの彫刻の素材も含めた、他の対象物と互いに関係しあいながら、ホワイトキューブの中を漂うことになる。このことは、展覧会の最後のセクションにおいて、壁面に直接描かれたウォール・ペインティングが披露されていることが、その証しとなるであろう……。

さて、随分と長く、李の個展に関する言及に費やしてしまった。私は何を言わんとしているのか? 述べたいところは、つまりこういうことであろう。表現のエコノミーを気にしなければ、延々と対象に対する記述が可能であるような自明性、しかも、モダニズムのヴォキャブラリーに準じて、長々と記述できるような自明性に対して、作品を「見る」という経験における、ある種の乏しさを感じているということだ。

では、篠原有司男の個展はどうであろうか。まず、展覧会の概要を説明するならば、1992年に開催された回顧展[註1]に対して、今回の個展は展覧会のタイトルが示すとおり、主題が随分と絞り込まれている。とはいえ、初期における「イミテーション・アート」の頃の作品から、改めて制作された新作をも含んでおり、文字通り過去から現在までが一望できる構成になってもいる。

通覧して改めて発見することは、篠原の作品が、一般に思われているような印象とは反対に、豊かな複雑さによって成立しているということである。このことは、造形的な側面における、篠原の確かな技術に由来することも確かではあるが、しかし、本展にあわせて制作された、セザンヌと蛙(!)を主題とした作品におけるセザンヌの拡大模写が、かつての巨匠の色彩と筆致が正確に捉えられていることや、パフォーマンス的側面のみが云々されるボクシング・ペインティングの画面が、以外にも複雑なストロークの併置によって作られていることのみを、ことさらに取り上げたいわけではない。篠原の作品からもたらされる経験は、決して一義的な記述に回収され得ない捉えがたさを伴う。このような捉えがたさは、オートバイ彫刻や、渡米以降の絵画作品において、極めて顕著な特徴である。

カタログ所載の論文の中で、椹木野衣氏がその印象として述べているように[註2]、作品に対する嚥下しがたい「ヤな感じ」は確かに付きまとうが、このような「感じ」は、作品の構造的な問題に由来することでもある。基本的に篠原の絵画は、全体が一望できるような構造を持っていない。このことは単に、作品がしばしば巨大であることにも由来するが、決してサイズの問題のみに回収し得ることでもない。観者の眼がまず向う先は、個々のディテールに対する注視であるが、その細部について隣接しあう他の登場人物との関連を読み込むことができるとしても、さらに画面上で離れた位置にある出来事は、全く別の関連において生起していることがしばしばである。画面を読む観者の眼は、出来事や色彩、あるいは筆触の連関に基づいて、画面上を辿ることになるが、一向にタブローの全体を把握することが先送りにされる経験を得るであろう。

篠原はしばしば横長のフォーマットを採用するが、このフォーマットを絵巻物のような形式になぞらえて理解することができるかもしれない。しかし、絵巻物が多くの場合、最終的に画面を調停するナラティヴという統一原理によって構成されているのに対して、篠原の作品の場合は、隣接する出来事相互のシンタクティカルな接合の連鎖によって、画面上がくまなく埋め尽くされ、いわば同時多発的に出来事が生起するという事態が引き起こされている。経験の相においては、出来事の連関を辿るという持続的な注意が要請される一方、にもかかわらず予想されうる全体は一向に把握されえないという相容れなさが、篠原の作品がもたらす経験の特質である。

この出来事の同時多発性について、画面の各々の箇所で思いつきに描かれることにその原因を言い当てることは容易い。このような予想されうる判定は、例えばカタログに収録された李美那のインタヴューにおいて[註3]、作家自身が自らの極端な近視について語っていることを傍証とするかもしれないが、しかし、もし仮に近接視の連関のみで画面が描かれるとしても、それではなぜ全体が単一のタブローに着地するのであるかという問いに対する有効な回答はもたらされることはないであろう。であるならば、この全体の捉えがたさは、篠原によって意識的に選択された事態である以外ではあり得ない。

さらに彫刻作品について考えれば、この捉えがたい全体像という事態はより顕著になる。例えばオートバイ彫刻において、人物とオートバイが、素材や色彩の分節のしがたさゆえに同化してしまっているという事態がよく見られるが、この事態は却って細部の凹凸やテクスチュアに視線を向わせることに寄与する。全体の形態を把握するために、観者は彫刻の周囲を巡ることになるが、極端に捩じ曲げられた人体やオートバイは、統一的な像を認識することを、その都度先送りにする。ここでもまた、細部において生起している事態は、想像される全体像の内部において、同時に共存しているにもかかわらず、統合された像を把握しえないという見尽くせなさが引き起こされているのである。

篠原の作品は、ある過剰な質において理解されている。しかし、この過剰さを物質的なそれとしてのみ理解するだけでは不充分である。この物質的な過剰さは、ロバート・ラウシェンバーグにその源流を見出すことができるようなそれと、ほぼ同質なものであるが、このある種の時代性に徴付けられた与件が、造形的な特質と幸福なまでに一致するという事実は、他にあまり例を見ないことである。現代の芸術において、造形的な特質にのみ拘泥することはあまりにも反時代的な態度であることは了解しつつも、しかし、経験の特質を抽象的な図式に還元することが、必ずしもその複雑さを説明することになり得ないことを鑑みるならば、以上に見てきたように作品の複雑な組成を記述しておくことは、明確な回答を投げかけないまでも、むしろそれ故に経験を記述する困難さを理解するまさにその意味において、美術について語ることの意味を再度考えなすきっかけにはなるのではなかろうか。同時期に開催されたこの二つの展覧会は、以上のような基本的な態度を再確認することができたという事において、決して軽くはない課題を投げかけている。

[註1]この展覧会のカタログ書誌情報を、参考までに以下に記しておく。『篠原有司男展図録』毎日新聞社、1992年。
[註2]椹木野衣「消えない「ヤな感じ」―「戦後」とその由来」『「篠原有司男 ボクシング・ペインティングとオートバイ彫刻」展』神奈川県立近代美術館、2005年。
[註3]「篠原有司男 インタビュー」(聞き手・李美那)前掲書所収。