試評 2005.09.30 by 土屋誠一

cubism_in_asia

東京国立近代美術館で開催されている「アジアのキュビスム」展を観た。ポストコロニアリズム以降の現在において、この種の試みが野心的であるという評価を受けるのはもっともであろう。しかしながら、いくつかの重要な点において、この展覧会は批判されるべき問題点を含んでいると思われる。率直に、その問題点をここに指摘しておきたい。

本展の目論見としては、アジア諸地域におけるキュビスムの受容とその展開を展観し、「アジア」と「キュビスム」すなわち東洋と西洋というボーダーの間にある「対話」のあり方を検証しようという意図が見受けられるであろう。あるいは建畠晢氏がカタログの序論で、ヴァルター・ベンヤミンを引きつつ述べているように、キュビスムのアジア的展開におけるある種の異質さを鑑みれば、これは「対話」というよりも「翻訳」というべきであろうか。結果的には、アジア諸地域の異なる文化的、民族的背景を持った画家たちにおける翻訳の様々な帰結が、組織された展覧会場で、相互の他者性において「対話」を行う、ということも含意されているだろう。

さて、まずは、この展覧会の構成を簡潔に纏めてみよう。展覧会全体は4つの章に分かれている。1つ目は、「テーブルの上の実験」と題されており、キュビスムに特徴的な(とりわけブラックの絵画に特徴的に現れるところの)テーブルの上の静物というモティーフを扱った作品が参照される。キュビスムにおける平面性という特質において、テーブル(table)とタブロー(tableau)を同一視することは周知であるが、そのようなアナロジーと同時に、テーブルは「つねに複数の人間によって囲まれるものであり、その上で言葉が飛び交う対話の場」(林道郎氏。カタログ所載のテクストから引用。以下特記なき場合、カタログからの引用とする。)としても位置づけられている。すなわち、異なるネーションやエスニシティを背景に持つ、相互に他者である者が対話をおこなう基盤となる、共有される平面としても、テーブルは位置づけられているのだ。

2つ目は、「キュビスムと近代性」と名付けられている。これは、いわゆる美術史内部の概念としての「近代美術」が名指されている訳ではなく、コスモポリタニズム、都市の近代化、マシーンエイジといった社会的要因に基づく、イタリア未来派やオルフィズムに顕著に見られるような「近代性」である。つまり、キュビスムという「近代美術」の「様式」が問題にされるのではなく、ここでは近代的な都市のイメージを反映したキュビスム的絵画が集められている。

3つ目は、「身体」と名指されている。このテーマは非常に意図を掴みづらいが、我々の身近なところでは、萬鉄五郎の<もたれて立つ人>のように、還元主義的な形式主義と、「プリミティヴな身体性」、すなわちローカルな身体の表れという相容れない要素が同時に、見出せるという。それは、ピカソの<アヴィニヨンの娘たち>以来の指標である、西洋と非西洋の異種混淆性を引き継ぎ、その特性が、異文化であるアジアにおけるキュビスムの受容をスムーズにしたと指摘される(松本透氏)。

4つ目は、「キュビスムと国土」と呼ばれる。西洋から移入されたキュビスムという様式が、異文化社会に移入された際、その社会の伝統と媒介されることによって、自らのナショナル・アイデンティティを構成しようとする。そこでは、近代的な国民国家の創成と、近代美術の「近代性」が重ねあわされ、キュビスムはいわば再領土化される。具体的には、伝統的な絵画形式とキュビスムのヴォキャブラリーの近接化、世俗的な民衆の描写、宗教的主題との接近などが挙げられている。

展覧会は以上のように構成されているが、素朴な感想を述べるならば、展観された多くの絵画は、ピカソとブラックによる「正統的」なキュビスムの展開を通過した眼では、端的に言ってキッチュに見えざるを得ない。しかしながら、このことは本展の性質からすれば、全く問題にならない反応であろう。アジアにおけるキュビスムという様式は、それが単なる様式の借用であるならば、むしろこれらの作品は「キュビスムのようなもの」(建畠氏)であり、あるいはより簡潔に言い換えるならば「意匠」としてのキュビスムと呼ばれるべきものであって、本質的にはピカソやブラックのキュビスムとは無関係である。この「アジアのキュビスム」に別の評価基準を与えるならば、「キュビスム」とここで仮に呼ばれる意匠が、いかなる地域的特殊性や、異なる文化的コンテクストにおいて展開されたのかを見るべきであり、もし仮に西洋的な美術のコンテクストに従った眼差しに固執するならば、建畠氏が述べるように、「アフリカの奥地に見出されたキリスト教徒」を発見するコロニアリズム的搾取の欲望と同根に陥るのみであろう。しかしながら、なぜ本展の冒頭において、「正統的」キュビスムの解読格子に則った様式分析が行われるのであろうか?

このことが第一の批判の眼差しを向けるべき点である。林氏の論考に明示されているように、展覧会の1つ目のテーマである「テーブルの上の実験」では、楽器、人体像、果物といったモティーフ別の分類の後、グリッド、フィルター、アラベスクといった、構造分析を行う概念が提示されている。とりわけ「グリッド」という語がロザリンド・クラウスの提出したそれ[註1]を想起させざるを得ない点において、結局のところ、「アジアのキュビスム」とは西洋のモダニズムを構成してきた解読格子によって解釈可能なものであると規定することにはなりはしないだろうか? このことは、逆から述べるべきかもしれない。絵画構造において、「アジアのキュビスム」が西洋の「正統的」キュビスムにおける意匠を模倣したものであるならば、「正統的」キュビスムがその代表例に挙げられるところの特質であるグリッドが、そのシミュラクルである「アジアのキュビスム」に適合しない訳はない。この自明であることにもかかわらず、あえてグリッドという構造概念を「アジアのキュビスム」に当てはめ、強調することは、結果的に「正統的」キュビスムの普遍的正当性を保証し、「アジアのキュビスム」を「正統的」キュビスムに再領土化することにもなり得るのではなかろうか? このことは、本展の展示構成にも現れているように思われる。展示室の最初の一角に、共に1912年に制作された、ピカソとブラックの「オリジナル」の絵画がご丁寧に展示されていることは、いくらローカルな多様性を言い立ててみても、その多様性を超越的に統御するのは、オリジナルである西洋の普遍主義なのであると読まれてしまっても、無理はなかろう。

ところで、建畠氏の言に従って、この展覧会がポストコロニアリズムのディスコースを踏まえて編成されているならば、展覧会の目的を次のように言い換えることができるであろう。「アジア」が基本的にオリエンタリズムの対象になり、抑圧や支配の対象になってきたならば、この展覧会は、オリエンタリズムを超えて「アジア」が自己をいかに表象するのかという試みの一つである、と言えるだろう。言うまでもないことかもしれないが、西洋に東洋を対置させるだけでは、単なる二項対立の図式を再生産するのみで、ポストコロニアリズムのディスコースにはそぐわない。またマルチ・カルチュラリズムは、他者との対話をもたらし得ない相対主義に帰結しがちである。エドワード・サイードが述べた文化の「対位法」[註2]とは、この相対主義を克服する提案であったろう。例えば、以下のようなホミ・バーバの発言を引いておこう。「発話の分断された空間を理論的に承認すれば、民族的なものを横断する文化、それも多文化主義のエキゾチズムでも複数文化の多様性でもなく、文化の混淆性の記述と文節化に基づく間民族的文化を概念化する道が開けてくるかもしれない」[註3]。なぜこのような話をするかと言えば、この展覧会の構成そのものが、以上のようなポストコロニアリズム的立場を維持することに対して、決定的な弊害になっているからである。

第二の、そして最大の批判点は、ここにある。そもそもこの展覧会は、なぜ一般的に思いつきそうな国別の構成を採らずに、先述したような4章立ての構成を選択したのであろうか。まずは展覧会の表題に戻ってみよう。この「アジアのキュビスム」展は、副題に「境界なき対話」という名を持つ。冒頭の言を否定するようであるが、この対話とは西洋と東洋における対話ではなく、むしろアジアにおける異なるコンテクストを持つ個々の文化圏におけるそれである。このことは、カタログの序論で述べられているわけではないが、展覧会場を見渡してみれば、そのように読むしかないし、含みとしては意図した構成であろう。先の林氏の言を繰り返せば、ここでの「キュビスム」とは、他者との対話のフィールドである「テーブル」と結びつけられるものであるが、「テーブル」という対話のフィールドは、「アジアのキュビスム」の名の下に集められた個々の作品群を図とする「展覧会場」そのものであるとも言うことができるであろう。この「展覧会場=テーブル」に集う作品群は、それぞれ異なる文化的コンテクストやナショナリティ、エスニシティを持ち、さらには制作された世代すらもまちまちであるにもかかわらず、4章立てのテーマから派生した小区分ごとに別々のテーブルに座らされ、その小区分が示す同質性によってカテゴライズされるのである。このカテゴライズは、個々の作品に対する詳細なキャプションが絵画に付されてでもいない限り、作品読解における主たるガイドラインになり、上記のような繊細な差異は忘却される。しかしながら、本展の企画者諸氏が、展覧会の構成を、形式分析、近代性、身体の表象、国土の表象といった大区分を設け、それらに作品を適宜当てはめることを選択した。好意的に述べるならば、この選択は、先に挙げた差異を横断し、対話の基盤を付与するための配慮であり、さらに言えばバーバの言うような「間民族的文化」を創出するための基盤であるかもしれない。だが、留意しなければならないことは、この対話を一体誰が望んでいるのかということだ。ひょっとすると、これらの様々な文化的コンテクストを持った絵画は、相互の対話など望んでおらず、善意としての対話をしきりに薦めているのは、この「アジアのキュビスム」の企画者たちだけであるかもしれないのだ。

この展覧会の主題であるアジアにおける西洋の近代絵画様式であるキュビスムの受容をたどる、初めての試みであるならば、第一になすべきことは、まずは「アジア」における「キュビスム」が、どのような文化の支配的な枠組みにおいて制作されたのかを、それぞれの差異において記述し、認識することであったはずだ。このことは、各国ごとのキュビスム受容史というかたちで、カタログ所載の論文のレヴェルにおいては実現されているが、一方の展覧会場のほうは、このような基礎的な認識を与えることなく、作品の系統分類にのみ終始している。勿論、個々の作品が属するコンテクストの差異が前提とされていることは見て取れなくもないが、その差異は雰囲気として了解できる範囲にとどまり、やはり、テーマごとの同一性のほうが意識に上らざるを得ない。そして、その同一性に基づくカテゴライズが、他者相互の「対話」のための「テーブル」であったならば、まずはそれぞれの他者の、その他者性の所以を知ることが必要であったはずである。それが展示を訪れる観衆に対して漠然とした他者としての認識しか与えないならば、それ自体危険な同一性を与えかねない「アジア」という属性に、それぞれの差異が統合されかねないのではなかろうか?

美術館の本来的な啓蒙という役割を考えるならば、まずは(その妥当性は議論の分かれるところであるということを了解しつつ述べるならば)国単位、あるいはさらに細分化した文化単位での差異を明らかにすることが、展覧会の構成のレヴェルにおいて必要だったのではなかろうか。勿論、文化の形式は常にハイブリッドであり、混淆しているのが常であるから、ネーションやエスニシティといった単位に依拠して分類することは、文化を一義的なものとして見なす危険を免れ得ない上、諸文化間の埋めがたい差異をかえって際立たせたかもしれない。またもし仮に、この展覧会の企画者諸氏が、国ごとの分類による展示構成を選択していたとしたら、多分印象としては恐ろしく退屈な展覧会が出現していたことであろう。しかし、その退屈さは、他者の他者性を曖昧なまま続けるお喋りよりも、より本質的な対話のテーブルを準備するきっかけになったはずである。

[註1]ロザリンド・E・クラウス「グリッド」、『オリジナリティと反復 ロザリンド・クラウス美術評論集』小西信之訳、リブロポート、1994
[註2]エドワード・W・サイード『文化と帝国主義』大橋洋一訳、みすず書房、1998
[註3]ホミ・K・バーバ「理論へのこだわり」、『文化の場所 ポストコロニアリズムの位相』本橋哲也・正木恒夫・外岡直美・阪元留美訳、法政大学出版局、2005