試評 2004.09.23 by 土屋誠一

今年9月4日~9月20日にかけて、ICANOFによる4回目の企画展「風景の頭部展」が開催された[註1]。私は開催2日目に行われたトーク・セッションのパネラーとして、八戸での展覧会に初めて参加させていただくことが出来た。毎回恒例になっている特別プログラムが、今回もまた濃密なスケジュールで開かれたが、ここではphotographers’ galleryのメンバーの1人でもある北島敬三によるワークショップ(以下WS)を目の当たりにして、そこから思い及んだことについて、記しておこうと思う。まず、このWS「えっ!「写真」って、「展示」のことだったの?」が特殊であるのは、一写真家によるWSであるにもかかわらず、写真制作の実践に関するものでは全くなく、タイトルが示すとおり、展示という実践に関するものであったという点である。このことには、従来表現メディアとしては制度的に曖昧な領域に押しやられていた写真が、近年美術館という枠組みに積極的に認定・回収されてきたという経緯に対する、(ICANOF、北島共に)写真実践を行う側からの問い直しという契機が含まれていることを、まず最初に確認しておきたい。

アルフレッド・バーJr. 「モダン・アートのチャート」1936年
[図1]アルフレッド・バーJr.
「モダン・アートのチャート」1936年

近代以降の美術館の枠組みを決定した制度は、近代美術の歴史的系譜付けの作業[図1]や、芸術の他ジャンルからの弁別[註2]といった理論的レヴェルにおいても強化されたが、展示という具体的作業においてもまた、その方法論化の過程を経て、その強力な後ろ盾となった。言うまでもなくそれは、ホワイト・キューブ[註3]という「理念」に他ならない。一般にMoMAから始まったとされるホワイト・キューブが、そこに挿入される対象(主に美術作品と呼ばれる対象物)に対して、強力な拘束力を持つ原因は、それが具体的な場所と同伴して機能する理念ではなく、いかなる場所であろうとそこがホワイト・キューブであると一旦認定されてしまいさえすれば、途端にその猛威を振るうということによる。今回会場になった八戸市美術館は、元々税務署として運用されていたとのことであり、新設の美術館がしばしばそうであるようなニュートラルな空間ではなく、扉や電気設備のスイッチ類が、白い壁面上に突起し剥き出しになっているような箇所が多く存在する。しかしながら、そこに展示されるものが美術作品であると認定する限りでは、展示の政治的機能に無自覚であればあるほど、それらの「不純」な要素を捨象し、一般の成人男性の身長において適切な高さに掛け、導線を遵守し、作品相互の意味作用を互いに侵害し合わない程度に適正な間隔をとって、展示してしまうものである。勿論、ここで機能するのは、美術作品を「作品」として認定する強制力であり、すなわちそれは作品を美術史の中へと登録するという歴史化に対する無意識的欲求であり、かつ作品を作品外の他の要素から切断し、純粋な自律的対象として位置付けようとする意志である。このことは逆説的に、ホワイト・キューブの中に代入されるというプロセスさえ踏めば、いかなるものであっても作品という対象物として認定され得てしまうという可能性を内包しており、つまりそこに代入される項は、絵画・彫刻のような古典的ジャンル区分からはみ出るもの(例えば、狭義のデザイン製品など)であっても、そこから排除されることはないということを意味してもいる。典型的な例としては、上記の制度を逆手に取ったマルセル・デュシャンの便器を想起すれば分かり易いであろうが、こと美術史学においても19世紀末期からのバーゼルやウィーンの美術史学派以降、盛んに行われてきた歴史化への意志がもたらす必然的な帰結であるということが出来るかもしれない。

当然のことながら、写真もまた、上記の制度的強制力に無縁なはずがない。戦後の美術館論において、もはや基本文献になっている「美術館の廃墟に」[註4]において、ダグラス・クリンプは、アンドレ・マルローの「空想の美術館」論[註5]を引きながら、マルローの写真使用が芸術の同一性に保証された複製性(つまり固有な様式のアーカイヴ化)であるのに対して、写真「作品」が美術館に参入することはその本質的な複製性故に、美術館が保証する評価基準が相対化されるとし、そのモデルを作品の構造に、ここではロバート・ラウシェンバーグのフラットベッド型絵画[註6]に求めている。あるいは、この連載でも先に述べたように、ポスト・ミニマリズム以降の場所の問題においても、写真は美術館に対しての一定の批評的役割を果たしてきた。そのようなポストモダニズム的美術状況が積極的なものとして信じられていた時点では、写真はある種の緊張関係を生成する原理として、その機能を果たしていたかもしれない。しかし、ポストモダニズムの機能が失効して以来、もはやいかなるものでも含み込んでしまう器としての美術館は、写真を排除するどころか、既に歴史化されたと一般に見なしうる芸術写真以外の、新規参入の写真作品でさえも、貪欲に回収しようと躍起になっているように見える。最早、美術館に並んでしまいさえすれば、おしなべて美術作品と呼ばれるような状況にまで、現在の美術に関する制度はなし崩し的に進行している。

そのような状況の下、「写真」の「展示」という極めて限定的な所与から出発するWSは、いかなる可能性において考えられるべきであろうか。このWSでは、8名の写真家による作品が事前に準備され(各写真の作家名は伏せられている)、設定された時間内にすべての作品を展示し終えるということが要請された。冒頭に北島から、以上に私が要約したような美術館と展示をめぐる政治性に関して、簡潔なコメントが述べられた後、実際の展示作業に突入した。WS参加者の多くにおいて、スタンダードな展示形式は避けられるべきであるものとして了解されたのであろうか、最終的には美術館の壁面の特性を利用しつつ展示のリズムが組み立てられ、ものによっては一般よりも壁面の低い位置に作品が掛けられ、コーナーを利用して組写真が構成され、作品の上下は恣意的に反転され、さらには床面にまで作品が設置された。しかし、この結果にはある種の違和感を覚えざるを得なかった[註7]。

今日、ある美術作品が「現代美術」というフレームに属すか否かを決定する基準として、その作品が含まれる展示総体の形式が、いかなる様相を呈しているかということが、その判断の指針になっているように思われる。「現代美術」の場合は往々にして、ポスト・ミニマリズム以降の展示形式のうちの、形式の部分のみが抽象化され、つまりコンサヴァティヴな展示形式から適度に脱臼していたほうが「現代美術」らしく見えるという、内容を欠いた形式的反復の過程を経ることによって、初めて「現代美術」として一般に認知されるという選択がなされているようだ。このWSでの展示の結果も同様に、あまりにも「現代美術」の展示に似すぎているという点において、結果的には非常に「分かり易い」展示に終始してしまったと思われる。さらにいえば、「現代美術」を内面化した意識においては、一般に正統的と見なされるニュートラルな展示形式のほうが、却って非-正統的な展示であると理解されつつあるということを示しているのかもしれない。また、先に記したようなホワイト・キューブをめぐる政治の歴史的変遷を経ずに、一足飛びにコンサヴァティヴな展示形式を脱臼させることは、歴史的な必然を欠いているが故にあまりにも無邪気な選択に過ぎる。それでは、どうすれば良いのか。

ここで、クリンプの美術館論が、美術館の制度的枠組みからではなく、ラウシェンバーグという作家による作品から出発しているという事実に立ち戻ってみよう。先に私は、ホワイト・キューブは実体的なものではなく、あくまで「理念」であると述べた。実体を欠いた超越的な権限をめぐる議論からは、現実的な解決の正否を決定する根拠は求め得ない。最終的な決定は、実体としての作品にその根拠を求める限りにおいて、判断されうる。つまり、作品における内在的な要素のみにおいて、展示のフレームは決定されうるし、もし美術館の枠組みに対して批判的なスタンスを構成するという事態が訪れるとしたら、それは枠組みそれ自体を改変するということでは全くなく、作品という特殊解が結果的に美術館の枠組みを更新するということでしかあり得ない。しかし、問題はまだ残存する。クリンプの議論は、ラウシェンバーグという「画家」から出発している。その作品は、シルクスクリーンなどの技法を通して、写真というメディアを射程に入れているのは確かであるが、最終的な結果が「絵画」であることにおいて、作品の同一性はまだしも保証されていると言える。しかし今回のように、その対象物が本質的に複製可能でありかつ遍在的な「写真」である場合、依拠すべき「作品」の同一性は、一体どこに求めることができるのであろうか。

ここで初めて、「写真」を展示するということにおける違和を、明確に実感することができるだろう。「写真」との対立において、ホワイト・キューブを超越的な場に置くことは、偽の問題規制である。なぜなら、決定的に近代的な制度機構であるホワイト・キューブという理念は、単一性と複数性という根本的な対立において、同じく近代の産物である写真とは、概念構成の地平を同じくしていないからである。あるいはさらにこう言えるかもしれない。実体的な概念ではない「写真」は、実体的な概念ではない理念としてのホワイト・キューブと、全く同一の地平に立つが故に、一方が他方を含み込むような関係の序列になり得ない、と[註8] 。その意味においては、今回のWSが写真作品を扱うことに限定されていたこと、また、それが一写真家という主体においてなされたことは示唆的である。実践の場において解決すべき問題は、多く残されている。しかし、差し当たり以下のような教訓を肯定的な意味において引き出すことができれば、充分であるかもしれない。写真が美術館に展示されるなんて、いまだにまったく正常な事態ではない、と。

[註1]展覧会に関しては、近日号の『図書新聞』に、筆者による短い記事が掲載される予定なので、そちらを参照していただきたい。
[註2]例えば、クレメント・グリーンバーグ「モダニズムの絵画」川田都樹子・藤枝晃雄訳(浅田彰・岡崎乾二郎・松浦寿夫編『モダニズムのハードコア 現代美術批評の地平(批評空間1995年臨時増刊)』太田書店、1995年、所収)を参照のこと。
[註3]ここでは、ホワイト・キューブの政治性を初めて明確化した以下の書物を挙げておこう。Brian O’Doherty, Inside the White Cube: The Ideology of the Gallery Space, University of California Press, California, 1999.
[註4]ダグラス・クリンプ「美術館の廃墟に」(ハル・フォスター編『反美学』室井尚・吉岡洋訳、勁草書房、1987年、所収)。
[註5]アンドレ・マルロー『空想の美術館(東西美術論1)』小松清訳、新潮社、1957年。
[註6]レオ・スタインバーグ「他の評価基準」林道郎構成、林卓行訳(『美術手帖』1997年1月号、2月号、3月号所収)。
[註7]ここでこの結果における、責任の所在の公正を期すために、正直に告白しておこう。このWSを最初から観覧していた私は、傍観者として作業光景を眺めているのに我慢がならなくなり、中途から一WS参加者として作業に加わった。複数人の参加によるWSという性格上、展示方法を決定するまでに至るディベートにおいて、強硬に自らの意見を通過させるという折衝が要求されるが、結果的にはその少なからぬ契機において決定権を得た。とはいえ、私が美術批評家という職能を名乗る者であるということは、全参加者において与件として了解されている事項であり、(そんな権威が私において果たして機能しているかどうかは全く心許ないが)その職能において他のWS参加者よりもあらかじめ正当性を保証されうることは自明であり、事後的に自らの行為を反省してみれば(幸か不幸か良心的な関係者からは、そのような批判をついぞ伺うことはなかったが)それを既得権を利用した暴挙であると批判されたとしても、私に反論の余地はなかったであろう。なお、講師である北島は、あくまで決定を参加者に委ねるという立場にとどまるという、教育的な姿勢を終始貫いていたように見受けられた。
[註8]この写真と美術館をめぐる問題に関しては、両者ともその機能を持つ「アーカイヴ」という概念を分析することによって、問題が更に明確になるかもしれない。