試評 2004.08.05 by 土屋誠一

nonsect_radical

現在横浜美術館で開催されている「ノンセクト・ラディカル 現代の写真Ⅲ」は、出品作家の一人、高嶺格の作品「木村さん」が、猥褻物陳列罪に抵触する可能性があるため、出品中止になるという事件を中心に、話題を集めているようだ。この件をめぐっては、いち早く前田恭二氏のレポートが読売新聞に掲載された(これは展覧会場の壁面に掲示されているものを確認した)のを始め、今後幾つかの議論が出ることが予測される。ここでは、本展チーフ学芸員の天野太郎氏自身もカタログ所載のテクストで「(展覧会の正否の)結果については、鑑賞者の批判を待つしかない」(括弧内は筆者)と述べておられるとおり、批判的言辞に徹することにする。これは、必ずしもこの展覧会に限って、揚げ足取りを試みるところに主眼があるわけではない。むしろ、現代美術におけるグループ展の、美術館におけるその限界において、極めて徴候的であるという理由による。

天野氏のテクスト「場への眼差し」を、冒頭から検討してみよう。タイトルが示すとおり、本展は「現代の写真」という連続企画の第3回目にあたる[註1]。まず、テクスト冒頭において、展覧会を構成する作品が、初回から次第に映像作品が増え、最終回を迎える今回に至っては、9人の出品作家のうち4人の作品が映像を用いていることに対して、つまり「現代の写真」という展覧会タイトルと矛盾をきたすような作品選定になっていることに対して、エクスキューズを行っている。それは、今日の日常において接するイメージが、テレビを筆頭に動画を中心に構成されているという現実を受け、写真という限定されたメディアに「表現のリアリティ」を伝達する能力すべてを負わせるには、限界があるというような由である。しかしここで、「現代の写真」というタイトルそのものを止めればよかろう、というようなごく素朴な疑問を投げかけたとするならば、どのような返答が返ってくるだろうか? つまり、ここで問題にしたいのは「現代の写真」と銘打たれているにもかかわらず映像作品が半数近くを占めていることに対して、何ら積極的なコメントすら述べられていないという事実である。美術館(とりわけ「公立」)という組織において、企画主体たる天野氏にどのような制限があったのか(あるいはなかったのか)は不明であるが、仮に「現代の写真」というテーマの提示が、組織的な運営の枠組のその内部において、遵守すべき項目であったとしても、先に見たようなエクスキューズが必要であるのかどうか、疑問である。上記の説明では、風呂屋という看板を掲げているにもかかわらず、シャワーのほうが現代人にとってより身近な存在であるからという理由で、湯船が全くないというのと、ほぼ同様の論理(?)においてのみしか説明され得ないであろう。このような矛盾と、ある種の中途半端さは、この展覧会全体を通して、通奏低音をなしているように思われる。

本展のメインタイトルたる「ノンセクト・ラディカル」そのものが、かかる矛盾を助長しているのではなかろうか? 美術作品が組織的なイデオロギーの枠組に収まらない存在であるという意味において「ノンセクト」であり、かつ通常は隠されている認識を開示するという点において「ラディカル」であるという理解に対して、特に異論を申し立てるつもりはない。しかし、それを措定するのが「美術館」という制度的枠組みであるという事実は、覆いようもないであろう。周知のとおり、ノンセクト・ラディカルという呼称は、60年代末期の、とりわけ全共闘運動において、その存在を明らかにしたわけであるが、同じく同時代の美術動向が、美術館という下部構造を否定することに、多くの場合差し向けられていたという事態[註2]との並行関係をここで想起すべきである。美術館という公的組織において美術作品が陳列されるということは、程度の多少はあろうと、美術の歴史的蓄積に則る、公的、かつ正統的な価値の認定が(仮に暗黙の内にであったとしても)なされるということに他ならず、60年代に「前衛」と目された美術動向は、以上のような制度化への抵抗として、その自らの前衛性の何割かの部分であれ差し向けられていたはずである。つまり、美術館とノンセクト・ラディカルという概念は、そもそも全く相容れない。かかるカテゴリー・ミステイクを承知であろうとなかろうと、ノンセクトという甘言によるセクト化の促進が事実上行われていることは、美術館に回収し得ない「ノンセクト」などあり得ないという知的退廃を、美術館が認めるということに帰着しうる。それをさらに転回すれば、「ノンセクト」的なイメージすらも、作家の自発的な作品制作・作品発表という行為からはもはや生まれ得ず、公的な価値を司る美術館がその機能を代行するという、シニシズムに結びつくであろうことは、想像に難くない。

そのように考えるならば、今回の高嶺作品の不出品騒動は、茶番にすら見えてくるのは私だけであろうか? 展覧会場での高嶺の扱いは、単に不出品であるばかりではなく、「木村さん」が設置されるはずであった場所を会場内に明示し、あたかも作品の代理であるかのような位置に、横浜美術館館長・雪山行二氏の署名がなされているお詫びのパネルが「展示」してある。このパネルが設置されることによって、作品のコンセプトは、高嶺の作品それ自体から、性器の陳列をめぐる法的規制そのもののほうに、問題が移行したかのように見える。私がこの展覧会を見たときには、ご丁寧にも、隣の壁面には、先の前田氏の記事を筆頭に、展覧会を紹介する雑誌メディアに掲載された記事などが掲示されていた。企画者の意図はどのようなものであったにせよ、この展示から、暗に法的規制に対して疑義を唱えているということを読みとれなくもない。

ここにおいて、先に見たようなカテゴリー・ミステイクがさらに露呈しているように思われる。初めから出品が不可能であると予測される作品を、展覧会の出品リストにあえて加える者はいないであろう。であるならば、出品作品の選定当初の段階では、横浜美術館で高嶺の作品を展示することに問題がないであろうという判断が、なされていたはずである。その後、会期までどの程度差し迫っていたかは不明であるが、ある時点において、高嶺の作品を美術館で展示するわけにはいかないというジャッジが下されたのは事実である。もし、その「ある時点」が既にプレスリリースやチラシ等の広報物が交付された時点であるならば、少なくとも私の貧困な想像力の範囲内に限ることではあるが、最も適切かつ穏便な対処法は、会場、カタログ双方の冒頭に、それぞれ不出品の旨を記し、広報においても同様の対応をするといったところであろうか。しかし、今回の場合、展示に関しては上記のような対応をとっているわけであるし、カタログに関しても、わざわざ見開き1ページ分、不出品作品のために割き、むしろ積極的に不出品の痕跡を残そうと努めているかのように見える。つまり、ここからは、法的規制から不出品せざるを得なかったという事態を、恣意的に顕在化させ、その規制そのものを問題提起化しようと試みたのではないかということが、可能性として見出し得る。そこには、法に対する芸術表現の異議申し立てという面において、ある種の肯定性が付与され得るかもしれない。しかしながら、仮にそうであったとしても、これは、公立美術館という制度的枠組内において行使されている事態であるということに、注意すべきである。原理的に言って、法維持的な制度的役割を担うはずの公立美術館が、法に対して「ラディカル」な立場に身を置くような振る舞いを見せるのは、矛盾であるばかりか、作品鑑賞のレヴェルにおいても、新たな法措定を強いるようなものである。というのも、高嶺のこの「木村さん」という作品は、(公立)美術館以外の場所であるならば、必ずしも公開不可能な作品ではないからである[註3]。今回の高嶺不出品騒動が、茶番であるというように感じられてしまうのは、つまり、猥褻物陳列罪への疑義の顕在化が、作品内部の要請に従って必然的に引き出されたものではなく、美を守護する使命を担う美術館の承認は、いかなる法的規制よりも正統であるという、極めて反動的な身振りを、逆説的に証明しているように見えるからにほかならない[註4]。そうであるならば、「木村さん」は決して不出品の作品などではなく、不出品という不可能性の顕在化を通 して、確かにそこに出品されていた、とも言えるであろう。しかしその時、作品の帰属は、もはや作者である高嶺にはなく、美術館という主体の下においてではあるが。

先に述べたように、美術館において作品を展示するということには、歴史化と価値の認定を免れ得ないという事実が存在している。勿論、このことは現代美術においても同様である。美術館に陳列された瞬間に、作品は(その作品が内在している可能性はひとまず措くとしても)美術史という制度の枠組みのなかにおいてのみ、その価値を表す。であるならば、美術館においてより適切な現代美術における展示とは、説得させるに相応の理論的枠組を、企画全体に与えるか、あるいは各作品のコンテクストはひとまず括弧に入れ、個々の自律した作品に対する鑑賞を促すか、といった選択肢以外、選びようもないであろう。しかし、アートフェアなどの総覧形式を代行してしまいがちである、後者の選択はを避けるならば、必然的に前者を選ばざるを得なくなるわけであるが、その際、微温的なテーマ設定で、各作品を雰囲気として理解させるように仕向けることは、厳しく禁じられなければならない。もし、そのような判断さえなされ得ないのであれば、美術史総体がその程度の雰囲気のみで理解できてしまうものであるという、無用かつ有害でしかあり得ない錯覚と、そこに由来する退屈さを生産することに、無限に寄与し続けるであろう。

[註1]第1回は1997年に、第2回は2000年に開催されている。
[註2]容易にその幾つかのキーワードをピックアップすることができるだろう。ネオ・ダダ、ハプニング、オフ・ミュージアム・・・。
[註3]そうであるならば、高嶺自身に関して言っても、今回のような出品形態(?)を許容したことは不思議である。私がここで述べているような批判が起こり得ること、さらには、高嶺自身も不出品騒動に荷担したという見方が出てくることも、容易に予測されうるはずである。そのことは、作家にとって、プラスにならないだけではなくマイナスにしかならないと思われるが。
[註4]このことは、天野氏が同テクストにおいて「美術が革命を起こすわけでも、ましてや何らかの社会的役割を果 たす、有り体に言えばなにか役に立つものではない。」と述べているにもかかわらず、である。