Revised Edition “死後の写真:「Secure the Shadow Ere the Substance Fade(影をとどめよ、その身が消え果てるまえに)」” by 甲斐義明

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もしあなたが長い旅に出ることになったとして、あなたにとっていちばん大切な人の、次のうちのどれか一つだけしか持っていくことができないとしたら、どれを選ぶだろうか? 1.写真 2.声を録音したテープ 3.髪の毛の一束 4.その人が書いてくれた手紙…
 
私はあなたがどれを選ぶかわからない。わからないが、それでも写真以外を選ぶ人が少なからずいるような気がする。このような質問をするのは、何も写真が我々の記憶に関わっている重要な役割を否定するためではない。写真と記憶は疑いなく密接に絡み合っている。しかし、それはいつも不完全な仕方であり、時にはその絡み合いはあまりに脆くて、一方が他方から簡単にほどけ落ちてしまいそうにさえにみえる。とりわけ、その写真と記憶の込み入った関係が自ずから明らかになるのは、写真が人の喪の営みに参加する時だろう。

アメリカの視覚文化人類学者、ジェイ・ルービーは、その著書『Secure the Shadow: Death and Photography in America(影をとどめよ:アメリカにおける死と写真)』で、19世紀から現在に至るまでのアメリカ社会で、写真が喪の儀式にどのように関わってきたかを論じている。(★1)

アメリカの最初期のダゲレオタイプ写真館である、ボストンのサウズワース&ホースの台帳から、現代の医療関係者の証言、さらには写真入りの墓石に至るまで、様々な文字、映像資料を駆使しながら、ルービーが結論として提示するのは、しかしながら、比較的シンプルな主張である。写真が発明されて以来、亡くなった家族を埋葬前に写真に収めることは広く行われていた。現代でもその慣習は続いているように思われるが、今は誰でもプライベートにそのような写真を撮影することができるので、その実態は、撮影をプロの写真師に依頼せざるを得なかった時代に比べて、逆にはっきりしない。しかも、誰もそのような写真を撮影したことについて大っぴらに語ろうとしない。ルービーがそこから推察するのは、現代では、愛する人の没後写真(postmortem photography)を撮っておきたい、その影をとどめたい(secure the shadow)と思っても、死を忌み嫌う社会的な風潮に影響されて、それを撮ることができずにいる人が数多くいるのではないか、ということである。最後に、流産した子供の写真を撮影することで両親は精神的な治癒効果を得られるという医療関係者の証言を引用しながら、没後写真のポジティヴな可能性を提起して、彼は本を締めくくっている。

確かに彼の言うとおり、愛する人の死に際して、その肉体が消え去る前に没後写真を撮影しておきたいと思うことは自然な欲求かもしれない。しかし彼の議論で問題なのは、その自然さを強調するあまり、没後写真を撮影することで愛する者の姿を永遠にとどめたい、その姿を忘れたくないという欲求と、それを忌避する本能的というよりは社会的な抵抗感という、没後写真をめぐるふたつの心的要素を、たがいに相反する二項対立的な葛藤として措定している点である(★2)。だが、ある人が愛する人の没後写真を撮影しなかったとして、それを単にそれを不道徳な行為として叱責する内面化された他者の声、もしくは、社会的に植え付けられた死に対する嫌悪や恐怖感の一方的な帰結としてみなすことができるだろうか。あるいは、このように言い換えることもできるだろう。没後写真を「撮らない」という選択は、そのように消極的なものでしかないのだろうか? 没後写真がたとえ撮影されたとしても、そのうちの大部分が、死者があたかもただ眠っているように撮影することによって、まさにルービーが強調するように「死を隠蔽している」ことをふまえるならば、(★3) 没後写真を「撮らない」という選択は、もしかしたら愛する者の無残な死の隠蔽の究極の形と言えるかもしれない。

けれども一方でこのような推論は、写真の本質について誤った理解を与えるように思う。というのも、このように考えることで、私たちは何か忘れたくないイメージを写真に撮り、忘れ去りたいイメージは写真に撮らない、という単純な選択肢のみ与えられているように錯覚させられてしてしまうからである。逆に言えば、写真を撮影することで記憶の保存は完了し、撮影しないことで、記憶の忘却は確かなものとなるという錯覚である。(ルービーの議論にはこのような前提が若干あるように思う。)しかし、没後写真を撮影しなかったとして、それでは私たちは愛する者の死の瞬間、あるいは、彼らや彼女らが亡くなったという事実それ自体を忘却したいと願っているのだろうか。実際はその反対ではないだろうか。多くの者にとって、そのような瞬間は、たとえ痛ましいものであったとしても、決して単純に忘れ去ってしまいたいものではない。すると、写真と記憶を互いにぴったりと重ね合わせることを目指して撮影され、ある程度においてそれが成功しながら、それと同時に、無視できない齟齬を生むのが、没後写真であるとも言えるだろう。この齟齬についてルービーのこの重要な著作はあまり語ってくれない。
 
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ルービーのかなり単純化された写真観を補うために持ち込まれるべき視点は、写真は同時に忘れさせるものにもなりうるのではないかということである。私はロラン・バルトの『明るい部屋』の一節を念頭に置いている。「「写真」は、本質的には決して思い出ではない(思い出を表す文法的表現は過去完了であろうが、これに対して「写真」の時間は、むしろ不定過去である)。それだけではなく、「写真」は思い出を妨害し、すぐに反=思い出(un contre-souvenir)となる。」(★4) この「反=思い出」としての写真という発想は、我々の実感をうまく説明していないだろうか。そしてこの一節は、写真史家のジェフリー・バッチェンの最近の著作、『Forget Me Not: Photography and Remembrance(我を忘れるなかれ:写真と記憶)』の冒頭で、問題提起として引用されている箇所でもある。(★5)  バルトの言葉を受けながら、ではその記憶の「妨害」に抗うために私たちは写真をどのように扱ってきたのかについて探究するのが同書のテーマである。その過程で、ペイントを施された肖像写真、書き込みでいっぱいの写真アルバム、手作りのリースに囲まれた死者の追悼写真など、一般的な写真史の本ではお目にかかれない、いわゆる「ヴァナキュラー(vernacular)」な、興味深い作例の数々が取り上げられる。本全体については『photographers’ gallery press no. 6』に掲載されている、前川修氏による紹介があるのでそちらを参照していただくとして、ここでは同書の中でバッチェンが使用している「二重化されたインデックス性(doubled indexicality)」というキー・コンセプトについて少し考えてみることにしたい。(★6)

[図1]
[図1]

バッチェンは、チャールズ・S・パースの有名な記号の三分類(イコン、インデックス、シンボル)を参照し、パースの「[インデックスは]一方で個別の事物との、他方で彼にとってそれが記号としての役割を果たしている人の記憶との、(空間的なものも含む)動的なつながりを持ち」、そして、「心理的には、インデックスの働きは、連続性による連想に依存する」という言葉を根拠に、写真に付け加えられた髪【図1】は、記号としては「インデックス」に分類されると主張する。だが、パースの記号学の錯綜する複雑さを考えたとき、このような断片的な引用に基づく判断がどれほど有効であるかについて、まず疑うべきだろう。(なお、インデックスの例としてパース自身がいくつか挙げている中に、「髪」は含まれない。(★7) )しかし実はそのこと自体はさほど重要ではない。なぜなら、パースが提唱した「インデックス」の元来の意味に立ち返って写真を考察することがそもそも本当に有意義なのか、他の論者によってすでに疑問に付されているからだ。(★8)) むしろ問題とすべきは、バッチェンがここで、パースの記号論を手がかりとして、写真と髪が同じ種類の記号として機能している、と考えている点にある。さもなければ、それが「二重化された」記号であるとは言えないからだ。

そのような前提の上で、バッチェンは次のように問う。「一つのインデックス性とは対照的に、二重化されたインデックス性の効果とは何であろうか?」写真に髪が加えられることで、それが「現代のフェティシュな物体(modern fetish object)」になると述べた後に、次のような二段落が続く。かなり長くなってしまうが、私の議論の中心になる箇所なので、全部訳しておこう。

 ロケットのような物体の混成性は、潜在的な肖像写真の経験を高めている。髪の一房が写真に加えられることによって、被写体のインデックス的な現前(indexical presence)を繰り返し(reiterates)、強化する(strengthens)。単なる類似のストゥディウム(そして、私のロケットに収められた、型にはまった肖像写真はそれ以上のものをほとんど差し出さない)が幽霊としての主体(不在であると同時に現前し、生きていると同時に死んでいる人物)のプンクトゥムに変容させられる。写真彫刻(fotoescultura)と同じく、失われた主体への魔術師によるこの生命の吹き込みには、時間的な次元もある―写真の中に捕らえられた過去と、身体の一部の現在における物質的な直接性の間の戯れ。一枚の写真が我々に意識させるのは、時の経過であり、究極的には死である。けれども、そのロケットは永遠の生の可能性を我々に夢見させる。
 我々はまた、イメージとそのレファラン[指示対象]との関係、銀のロケットの中で二度反復された関係について熟考させられる。何かを反復することは、それをコード化されたものとして、記号として宣言するということである。ジャック・デリダの言葉で言えば、「物自身が一つの記号なのだ。…意味が存在しはじめるや否や、諸々の記号しか存在しないことになる」。この宣言を拡張して、ロケットに組み込まれたアイデンティティーの数々(紙、写真、被写体、観者)のすべてを包含することができるだろう。つまり、現実と表象はそれぞれ互いの徴となり、互いを生成/退化((de)generate)させるように強いられ、「自己との同一性、自己への一点的な集中、自己との同質性、自己にとって内的であること、こういったことをことごとく妨げるもの」の物質的な表れと化す。その言葉は難解だが、[ロケットなどの]人工物も同じく難解なのだ。両者はともに、写真の、そしてそれ以外のアイデンティティーの困惑させるような複雑さを強調するのである。(★9)

フランスの哲学者、ジャック・デリダが引用される後半部は、実は「エクトプラズム(Ectoplasm)」というこの数年前の論文の中で述べられた内容のほぼ繰り返しである。「エクトプラズム」でバッチェンは、デリダが『グラマトロジーについて』でパースについて述べている箇所を紹介している。(デリダの初期の著作の一つである『グラマトロジーについて』は、西洋の形而上学が、「エクリチュール(書かれた言葉)」を抑圧し、「パロール(話された言葉)」の現前を至上の価値とする、「ロゴス中心主義」によって突き動かされてきた歴史を明らかにしようとした本である。「ロゴス中心主義」はすべての「意味されるもの(シニフィエ)」に先立つ「超越論的シニフィエ」を想定しようとする。それは「神」であったり「自然」であったりするのだが、デリダによれば、そのような熱望された「起源」自体が、すでに「原痕跡」によって印づけられ、分割されている。パースについての言及は、「エクリチュール」を言語における派生物とみなす、つまり「ロゴス中心主義」とは無縁ではない、スイスの言語学者フェルディナン・ド・ソシュールとの対比として行われる。デリダは特にパースの「インデックス」について限定して述べているわけではない。(★10) )デリダに依拠して、バッチェンは言う。「言い換えれば、パースの仕事は、“リアルな世界”、つまり、何らかの形で表象(“意味作用”)に先行し、その外部に存在するような究極的な基盤があるということを我々に決して仮定させないのである」。(★11) そもそも、デリダはミシェル・フーコーと並んで、バッチェンの写真史/写真論でしばしば参照されてきた哲学者であった。(19世紀のさまざまな科学者を写真の発明へと導いた共通の「欲望」を分析しようと試みた、彼の最初の著作「Burning with Desire」でも、デリダとフーコーはいわば概念的な拠所として機能している。)“デリディアン”であるバッチェンにとって、安易に“超越論的シニフィエ”を召還するわけにはいかないのである。

ところで、バッチェンがデリダに忠実であり続けるのであれば、上で引用した箇所の中にある「プンクトゥム」という言葉(「単なる類似のストゥディウムノ が幽霊としての主体 ノ のプンクトゥムに変容させられる」)の取扱いには注意しなければならないだろう。というのも、バルトの『明るい部屋』の中で鍵となる概念であるプンクトゥムは、フランスの精神分析医で、バルトやデリダと並んで現代思想界の主要登場人物の一人であるジャック・ラカンが提唱した「現実界(le Réel , the Real)」と関連付けられることが多いからである。言語を用いて世界を秩序づけることで社会生活(「象徴界」)を行う我々が、それでも突如として遭遇するのが、意味作用を超えた場としての「現実界」である。バルト自身が『明るい部屋』の冒頭で、ラカンの『精神分析の四基本概念』への註とともに、写真とは「「偶然」(la Tuché)の、「機会」の、「遭遇」の、「現実界(le Réel)」の、あくことを知らぬ表現である」(★12)と述べていることなどを根拠に、例えば、マーガレット・アイヴァーセンは『明るい部屋』を「1964年にジャック・ラカンが行った ノ 難解で、しばしば理解不能なセミナーに対する注釈としての役割も果たしている、写真についてのある種の寓話」として読解することを提案しさえする。(★13) 彼女によれば、「バルトのプンクトゥムはラカンの眼差し(gaze)の等価物であり、言い換えれば、古典的な光学から除外されているものの等価物である。ラカンが論じているように、欲望は欠乏(母からの分離、象徴的な去勢)によって構成されるので、眼差しとしてのその欠乏が視野の中にぼんやりと浮かび上がり、視野の秩序を崩す(disorganize)。すでに見たように、プンクトゥムもまた、視界の線の方向を逆転させて、視野の秩序を崩し、“現実”[甲斐註:この場合、象徴界のこと]を構成するシニフィアンのネットワークの中に噴出する。」(★14)

アイヴァーセンのように、『明るい部屋』の主な内容をほぼ一対一の関係で、ラカンの『精神分析の四基本概念』に結びつける必要があるかどうかはともかくとしても、『明るい部屋』の着想にラカンの思想が多少なりとも影響を与えていることは否定できないだろう。しかし、バルトの死後に書かれた追悼の文章(「ロラン・バルトの複数の死」)で、デリダはプンクトゥムについて論じながら、ラカンについては一切触れようとしない。(★15) その代わりにデリダは、なぜバルトがストゥディウムとプンクトゥムなどという、(西洋形而上学の悪しき伝統であるような)二項対立的な用語法を利用したのかと問いかけ、その二項対立を脱構築しようとする。デリダによれば、両者は一見そう見えるような二律背反的な関係ではなく、「対位法的」な関係と解釈されるべきである。(「プンクトゥムは、ストゥディウムに対して全く他なるものであり続けるにしても、それに対立しているわけではない。プンクトゥムはストゥディウムを二重化し、それに自らを結びつけ、それと妥協しに来る。私は今、対位法的な曲のこと、対位法そして多声法という巧みな形式すべてのこと、フーガのことを考えている。」(★16) )またプンクトゥムは、実のところ還元不可能な何かではなく、むしろ「換喩的な作用」、つまりそれを他のものへと置換する力を持っている。あるプンクトゥムは他のプンクトゥムへと、あるいは、他人にとってのプンクトゥムへと次々と置き換えられていく。

 プンクトゥムは場外、コードの外にあるという事実が思い起こされる。取替不可能な特異性の場所、唯一無二である指示的なものの場所として、プンクトゥムは発散し、そしてこれが最も驚くべき事実であるのだが、プンクトゥムは換喩にぴたりと一致するのだ。そして、次々と行われる置換作用の中に引き込まれるや否や、プンクトゥムはすべてに、すべての対象と情動に侵入することができる。領域の中のどこにも存在しないこの特異なもの、かくしてそれはすべてをいたるところで動員し、自ら複数化するのである。写真が唯一無二の死を、唯一無二なるものの死を告げているとしても、この死は直ちに自らを反復するのであり、そのようなものとして、その死はそれ自体、どこか別のところにあるのだ。私はプンクトゥムが換喩の中に引き込まれると言った。実はそうではない。プンクトゥムは換喩をもたらす。(★17)

「プンクトゥム」の概念からラカンの影を引き離し、それを「換喩的な作用」と呼ぶことは、デリダによる何度かに及ぶラカン批判の延長上にあるとも言える。ラカンの『エクリ』は「ロゴス中心主義という名称のもとに指摘したもろもろの限界(ロゴス、充実したパロール、「真なるパロール」、覆い/非―覆いの対立としての真理、等々)によって組織的に規定されているように思われる」とデリダはかつて述べていた。(★18)  デリダが『明るい部屋』を論じる時に避けようとしているのも、ストゥディウムとプンクトゥムを「覆い/非―覆いの対立」としてとらえることに他ならない。(★19)  

デリダ、そしてバッチェンが言うように、写真の指示対象を記号による意味作用を越えた「リアル」なものとして、「テキスト―外」として、捉えるべきでないならば、「二重化されたインデックス」とは一体何を意味するのだろうか? 写真に髪を加えることは「被写体のインデックス的な現前を繰り返し、強化する」とバッチェンは言うが、これは必ずしも正しくないだろう。なぜなら、記号を反復することはその作用を「強化する」とは限らないからである。むしろ、ここではデリダの言う「反復可能性(itérabilité, iterability)」こそが問題とされなければならないだろう。あらゆる記号が本来的に持つ「反復可能性」は、それが記号として作用することを可能にする前提条件であると同時に、それが用いられる文脈の不確定性や、記号それ自体の不純性(偽の署名、等)をもたらす。(★20) 例えば、写真と全く無関係な他人の髪が後から付け加えられたことが判明した場合を考えてみればよい。そのとたんにインデックスは二重化されるどころか、お互いに相殺し合って、写真自体のインデックス性さえ怪しげに見えてくることだろう。(実際、ネットオークションに出回っている、出所不詳の同様の写真オブジェにはそのような疑念が常に付きまとう。髪がついていたほうが、希少価値ゆえに高値が付くことが多いからだ。)『Forget Me Not』で取り上げられる実例においても、写真の人物とその髪が生えていた人物が一致しない可能性について、もちろんバッチェンは言及している。しかしそうだとしても、あくまで写真と髪の人物に何らかの直接的なつながりがあることを前提とするのであり、例えば誰かの悪意によって、インデックス性を混乱させるために髪が付け加えられた可能性は考慮しない。(★21) というのも、もしそれを考慮してしまったら「二重化されたインデックス」という概念自体の存立が危ういものとなってしまうからである。したがって、それらの写真オブジェの「二重化されたインデックス」によって、「被写体のインデックス的な現前を繰り返し、強化する」ためには、それを作る側にも見る側にも、ある種の「まじめさ」が要求されるのだ。(★22)

「二重化されたインデックス」という定式化の危うさについて説明してきた。しかし、なぜバッチェンは、写真オブジェの記号としての作用を強調するのだろうか? おそらくそれは、彼が(ラカンではなく)デリダの影響を受けているからだけではない。もう一つの理由は、それらの手作りの工芸品をフォーク・アートのようなものとして愛好し(例えば、20世紀初頭の前衛芸術家たちがアフリカ彫刻をその元来の機能を無視して収集したようにして)、フェティッシュ化するのを回避したいからであろう。個々のオブジェが世界に一つしかない固有のものであることを認めつつ、なおそれが「典型的」であることをバッチェンは強調するのも、その一つの現れと考えられる。(86)確かに、ヴァナキュラーな写真オブジェのフォーク・アート化に対する危惧は言われなきものではない。その事実は最近のアート・フォトグラフィーのマーケットを一瞥するだけでも明らかだ。しかし『Forget Me Not』の作例は、本当に典型的であろうか?

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[図2]
[図2]

…少々理屈っぽい議論が長引いてしまったかもしれない。ここで『Forget Me Not』の写真オブジェの典型性について考える手がかりとなることを願って、(バッチェンを真似て)最近ネット・オークションのeBayで10ドル弱で購入した一枚のキャビネ版写真を紹介したい。【図2】

追悼されている男の名前がウィリアム・H.・マーブル(William H. Marble)であり、1880年頃にアイオワ州ウォータールーのラ・フィエ(La Fier)という名の写真館によって作られたらしいということ以外、このキャビネ版写真の来歴は全く不明である。(カナダのトロントの出品者から購入した。)『Secure the Shadow』の「追悼写真(memorial photography)」と題された章で、ルービーはこのタイプの写真についても言及している。【図3】彼によると、「葬儀用の献花や墓石の購入に寄付を行った会葬者たちは、たとえその場に出席することができなかったとしても、これらの写真によって自分たちの寄付の結果を見ることができた。もっと抽象的なレベルにおいては、花や墓石のイメージは、死をただ間接的にほのめかすことによって、記憶を和らげている(soften remembrance)。」(★23) この写真が、ウィリアムの家族によって作られた唯一の追悼写真であると主張する根拠はないし、家族がこれとは別に彼の没後写真を撮影していた可能性も否定できないが、それを単純に「記憶を和らげている」写真とみなすルービーの考えにはあまり賛同できない。そのような考えの背後に、すでに指摘したように、死体を撮影した没後写真こそ記憶の維持に役立つのだという彼の議論の暗黙の前提があるのは明らかである。むしろ私が主張したいのは、この写真はそれ自体において、残された者たちの悲しみを癒し、同時に、死者を記憶に留めておくための、幻影的な効果を生み出している、ということである。

[図3]
[図3]

その中にもう一枚の別の写真を組み込んだこの写真には互いに前後する複数の平面が共存していることに注目しよう。キャビネ版カードの中心より少し上で、マーブルの肖像写真が焼付けられた白いひし形が、黒い背景の上に浮かびあっている。この前面に浮かび上がっているような印象は、ひし形の端の折り返しのトロンプ・ルイユ(だまし絵)的な影付けによって強調されている。(ちなみに、バラの花の大きさから推測することによって初めて、この中心のカードは、我々が見ているカードと、実際はほぼ同じ大きさであることに気がつく。)内部に前方に浮かび上がるひし形を抱き、下端に死者の名前を記すこのカードは、しかしながら、それを取り囲み、それにわずかながら覆いかぶさっているリースによって、若干後方に押し戻されている。リースは、特にその無地の背景のために、あたかも不確定な空間の中に浮遊しているかのように見える。それが乗っている台座が、(カメラによって作られたあらゆる他の写真と同様に)この写真も遠近法に従属せざるを得ないことを控えめに示しているのみである。けれどもこの無限の空間も、ボール紙の上に貼り付けられた、アルビュメン・プリントの厚み―それは左上のプリントのめくれによって、ことさら露わにされる―に気づくことによって、あえなく打ち消されてしまう。写真は空間に開かれた窓である以前に、容積を持った物質である、と気づかされることによって。

このように見てみると、このキャビネ版カードの中では、イメージとして再現されたものと、物理的なものの両方を含めた、平面の前後の往復が何度もくりかえされていることに気づく。マーブルの肖像は浮かび上がり、押し戻され、再び浮かび上がり、最後に、プリントの触知的な厚みによって物理的に前方に突き出すと同時に、その厚みの中に閉じ込められる。写真中の各々の平面が、それぞれ別個の時間を指し示しているとして(生花のイメージが写真の一時性(temporality)を強調している)、しかも、その平面が前方に近づくほど、より近い過去を指し示しているとするなら(普通私たちは、写真中に写真が写っていた場合、後者は前者より古いと考える)、このキャビネ版カードにおける、めまいを起こさせるような平面の往復運動は、写真の時制の混乱を呼び起こしているとも言える。ここでは、何が何よりも過去なのか、あるいは未来なのかが、曖昧にされているのだ。そして、このような効果を通して、ウィリアム・マーブルの写真イメージが私たちに与えるのは、彼が安らかに死を迎えたにもかかわらず、あたかも未だ生き続けているかのような印象である。

このキャビネ版カードは、バッチェンの『Forget Me Not』で取り上げられているいくつかの作例と、単に様式的にだけでなく、その機能においても類似している。【図4】死者のポートレートに、リースや鳩の剥製などのキリスト教のシンボルを組み合わせた、写真オブジェについてバッチェンは次のように述べている。「死のとばりを写真から剥がして周りへと押しやることで、このオブジェが表明しているのは、死よりも生こそがその写真の主要な意味だということである。撮影された主体は、未だなお、彼の過去の自己の亡霊であるが、しかしここではその亡霊は、永遠の死を思い出させる恐ろしいものというよりはむしろ、人を慰めるような永久の生の存在として、出没するのである。」(84)けれども、その親近性にもかかわらず、マーブルのキャビネ版カードと、バッチェンが紹介する写真オブジェの間には無視できない違い、少なくとも彼の論旨からすれば無視できないであろう違いが存在する。『Forget Me Not』の作例がいずれも、写真に何か写真以外の物を加えることで、バッチェンが「二重化されたインデックス性」と表現する要素を兼ね備えているのに対して、前者はただの写真、せいぜい厚紙に貼り付けられただけの写真である。バッチェンが写真に何かが付け加えられていることを重視するのは、単に「インデックス」の観点からではない。それらが具現する「家庭的で私的な、献身と追憶の行動」、つまり、無限に複製可能な写真に心のこもった手作業を加えることによって、「記憶の危機に対抗する、または、それを困難にする試み」に他ならないと彼は考えるのである。(87. 95)すると、マーブルのキャビネ版写真カードはどうなるだろう。この写真は明らかに無限に複製可能であり、そこに手作業の痕跡はない。また、おそらくかなりシステム化されたやりかたによって商業写真館が製造したこの写真は、喪の儀式さえも資本主義に取り込まれ、産業化していく一つの証拠と言えなくもない。(実際、似たような写真はeBayですぐ見つけることができる。)では、それは死者の想起という機能において、『Forget Me Not』の作例と比較したときに、劣っているのであろうか?
 
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拍子抜けさせるようだが、実は私はそれに対して明確な答えを持ち合わせていない。バッチェンのいくぶん豪華な(少なくとも私にはそう見える)作例に比べたら、私のカードはやはり見劣りがするような気がする。しかしその一方で、上に述べたように、このカードはそれ自体において、誰かを忘れずにいたいという私たちの欲求に答えてくれるような‘構造’を有しているように思う。(★24) ただ一つ確かなのは、私がこのようなジレンマを感じざるを得ない理由は、上で指摘した、写真オブジェの典型性をめぐる議論に関係がありそうだということである。 バッチェンはそれらが「唯一無二であるが、なお典型的(unique and yet typical)」(96)であることを繰り返し強調するが、私の考えでは、もしそれが仮に非典型的であったとしても、つまり常にフェティッシュ化、フォーク・アート化の危険にさらされていたとしても、『Forget Me Not』の写真史における重要性は損なわれないと思う。なぜなら、同著の一つの大きな目的は、ボーモント・ニューホールのそれに代表されるような、既存の正統的な写真史に揺さぶりをかけることにあるからである。バッチェンは次のように述べる。

 これらのヴァナキュラーな写真の実践の数々は、写真史に対する真剣な挑戦を宣言する。それらをその歴史に含めるだけでなく、その歴史のいくつかの基本的な前提を変容することも、それらは要求するのである。というのも、もしこれらのオブジェが写真の歴史に実際に含まれることになるのならば、起源、芸術家、メディウムの純粋性に焦点を合わせた美術史は、もはや適切ではなくなるだろう。我々はこれらのオブジェの複雑さに適合し、それらを過去と我々自身の時代のために読解可能にすることができるような、写真の歴史を生み出す必要がある。我々はその様々な物質的属性、表象のメディウムとしての物質性、そしてまた、その多くの潜在的な意味と効果に耳を傾けるような、写真についての語りの方法を見出す必要がある。一言で言えば、我々は写真のための新たな歴史を生み出す必要があるのだ。(93-94)

このような意図の下、写真オブジェの「典型性」、ありきたりさを強調するのは、さもなければ“ミイラ取りがミイラになる”なることを恐れるからに違いない。それは確かに納得できる。だが、ニューホールやジョン・シャーカウスキーの写真史記述を支えている目利き的選別眼、つまり「質」の判断に本当に対抗するには、「質」をもってしかないのではないのだろうか。(もちろんその「目利きconnoisseurship」は普遍的な基準ではないが、それに影響されずに何かを見るのは難しい。なぜ我々はある絵(写真)は良いと思い、他の絵(写真)は良くないと感じるのか。そして、なぜ多くの場合、美術愛好家の間でその判断は大きく相違しないのか。)むしろ典型性をナイーブに主張することに潜む危険にも同じく注意を払わねばならないだろう。というのも『Forget Me Not』の本としての魅力の少なくない部分は、そこで紹介される写真オブジェの「質」に由来するからである。初めてこの本を見たとき、どの作例もまるで、センスの良い現代美術作家が作った作品のように感じた。これは私の個人的な感想に過ぎないが、「質」(このような曖昧な書き方しかできない)の問題というのが、意欲的な美術史や写真史の研究に、多くは表面化しない形で、常につきまとっているのは事実である。いわばそれはこの学問分野の抑圧された部分なのである。
 
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最後に蛇足ながら一言。「心のシャッターを押す」という表現がある。写真と記憶の関係を考えるうちに私が思い立ったのは、そのいかにも陳腐な言葉の響きにもかかわらず、この表現はある真実を言い得ているのではないだろうか、ということだ。もし写真が記憶を疎外するのであれば、写真を撮らないという選択肢も当然出てくるはずである。そして、私たちは確かに「心のシャッター」を切るだけに留めておくことがある。ある場合には、まさに忘れたくないという理由のために、写真を撮る代わりにそうすることがある。(きっとバルトはこの考えに賛同してくれるだろう。)では「心のシャッター」とは何だろう。それも写真の歴史に含まれるのだろうか。『Forget Me Not』でバッチェンが注目したのは、誰かを何かを忘れたくないという人々の欲求が、写真を他の媒体と結び付けさせずにはいられなかったという現象であった。そこでは「純粋な写真」という概念はあまり意味を持たないどころか、有害ですらある。バッチェンにとって重要なのは、この場合、物としての写真が、他の種類の物と絡み合うその様態であり、そのようなハイブリッド(混成物)を作り上げた名もなき人々の心情を想像することであった。それを彼は、雑種的な写真行為として捉えて、(「ストレート写真」という言葉に代表されるような)作品としての純粋な芸術写真に対立させている。では、「心のシャッター」を切ることも雑種的な写真行為のひとつと言えるだろうか。バッチェンの野心的なプロジェクトである写真史のラディカルな書き換え、別の言い方をすれば、写真の固定的なアイデンティティーに揺さぶりをかけようとする企ては、もし写真と記憶の関係を深く掘り下げていくのであれば、最終的には、“写真を撮らない”ことも写真の歴史に含まれるかどうか、というところにまで到達せざるを得ないように思われる。私はそれをネガティヴな意味で言っているわけではない。撮られなかった写真の写真史、それを既存の写真史の究極のオルタナティヴだと言ったら詭弁だろうか。そのようなものをそっと思い浮かべてみるのも魅力的なことであるにちがいない。

1) Jay Ruby, Secure the Shadow: Death and Photography in America (Cambridge, Massachusetts: The MIT Press, 1995). なお、「Secure the Shadow Ere the Substance Fade(影をとどめよ、その身が消え果てるまえに)」というのは、19世紀の写真館の広告の決まり文句であった。

2)このような考え方は、オードリー・リンクマンの19世紀イギリスでの没後写真の実践についての最近の論文の中にも見られる。その一方でリンクマンは、ヴィクトリア朝文化における、死を美化する道徳的、宗教的態度が、没後写真の撮影を促した一つの社会的要因になったと考えている。Audrey Linkman, “Taken from Life: Post-Mortem Portraiture in Britain 1860-1910,” The History of Photography, Vol. 30 Issue 4 (2006 Winter), 309-347.
3) Ruby, Secure the Shadow, 72.
4) ロラン・バルト『明るい部屋』(1980年)花輪光訳、みすず書房、1985年、112-113頁。
5)Geoffrey Batchen,
Forget Me Not: Photography and Remembrance (New York, Princeton Architectural Press: 2004), 15. 関連する内容の論文として以下も参照。Geoffrey Batchen, “Vernacular Photographies, ” in Each Wild Idea: Writing Photography History (Cambridge, Massachusetts: The MIT Press, 2001), 56-80; Geoffrey Batchen, “fearful ghost of former bloom: What Photography Is,” in Where is the Photograph (University of Brighton, 2003), 15-29; Geoffrey Batchen, “Ere the Substance Fade: Photography and Hair Jewellery,” in Elizabeth Edwards and Janice Hart, eds., Photographs Objects Histories: On the Materiality of Images (London: Routledge, 2004), 32-46.
6)前川修「『Forget Me Not―写真と記憶』」『photographers’ gallery press』no.6, photographers’ gallery, 2007, 179-188頁。以下も合わせて参照のこと。前川修「ヴァナキュラー写真の可能性」『美学芸術学論集』3号、神戸大学芸術学研究室、2007年、1-17頁。
7) Charles S. Peirce, “Logic as Semiotic: The Theory of Signs,” in Robert E. Innis ed., Semiotics: an Introductory Anthology (Indiana University Press, 1985), 4-23, esp. 12-16.
8) Batchen, Forget Me Not, 75. パースの記号論と写真の「インデックス性」については、以下の討議(特に前半)を参照。 James Elkins, et al, “The Art Seminar,” in Elkins ed, Photography Theory (Routledge, 2007), 130-203. とは言え「インデックス性」が写真をめぐる議論において重要なものでありつづけているという事実は軽視できない。その現状を踏まえ、アン・マコーリーとウォルター・ベン・マイケルスのふたりは、この討議を受けて書かれた論文の中で、「インデックス性」の定義とは何かということよりもむしろ、なぜ「インデックス性」という概念が特権的に議論の中心になってきたのか、誰が何のためにその概念を必要と(あるいはその逆に、不要と)してきたのか、というその政治的な背景について考察している。(Anne McCauley, “The Trouble with Photography,” and Walter Benn Michaels, “Photographs and Fossils,” 404-430, 431-450 in Ibid.)なお、美術史の文脈で「インデックス性」に注目した最初のひとりである、ロサリンド・クラウスにとって、その概念はまず何よりも、クレメント・グリーンバーグ的な「自律性(autonomy)」の反対語として重要であったことは、覚えおく必要がある。以下を参照、Rosalind E. Krauss, “Note on the Index: Part I, II,” in The Originality of the Avant-Garde and Other Modernist Myths (Cambridge, Massachusetts: The MIT Press, 1996)[邦訳は『オリジナリティーと反復』小西信之訳、リブロポート、1994年], 196-219.
9)Batchen, Forget Me Not, 76. デリダの引用部は、それぞれ以下の邦訳を使用した。ジャック・デリダ『根源の彼方へ グラマトロジーについて(上)』足立和浩訳、現代思潮新社、1972年、102、103頁、および、ジャック・デリダ『ポジシオン』高橋允昭訳、青土社、1981年、160頁。なお後者の引用は、デリダが自身の主要な概念の一つである、「間隔化(espacement, spacing)」について説明している箇所である。
10)ジャック・デリダ『グラマトロジーについて 上・下』(1967年)足立和浩訳、現代思潮社、1976年。パースについての言及は上巻の 頁を参照。 デリダの思想のわかりやすい紹介として、以下を参照。林好雄、廣瀬浩司『知の教科書 デリダ』講談社選書メチエ、2003年。
11)Geoffrey Batchen, “Ectoplasm,” in Each Wild Idea, 142.
12)バルト『明るい部屋』9頁。邦訳で「tuch氏vは「偶然」と訳されているが、この箇所で参照されている、ラカンの『精神分析の四基本概念』の邦訳は同じ語を「テュケー」と表記している。なお、「テュケー」とはラカンによって「記号の回帰、再帰、執拗さ」である「オートマトン」の背後にある「現実界との出会い」と説明されている。以下を参照。ジャック・ラカン『精神分析の四基本概念』(1964年)小出浩之ほか訳、岩波書店、2000年、72頁。
13) Margaret Iversen, “What is a photograph,” Art History, Vol.17 No.3, September 1994, 450-464, esp., 450.
14) Ibid, 457.
なお、著作に「The Return of the Real (リアルなもの=現実界の回帰)」という題をつけているハル・フォスターもその中のウォーホル論において、バルトのプンクトゥムを現実界の同義語として扱っている。以下を参照。Hal Foster, “The Return of the Real,” in The Return of the Real (Cambridge, Massachusetts: The MIT Press, 1996), 132.
15) ジャック・デリダ「ロラン・バルトの複数の死」(1981年)國分功一郎訳、『そのたびごとにただ一つ、世界の終焉 ・』、岩波書店、2006年、79-159頁。
16) 前出、98頁。
17) 前出、130-131頁。プンクトゥムには、夢の基本的な作用の一つとしてフロイトが名づけた「置換(displacement)」の働きがあるとマーガレット・オリンは主張する。オリンによれば、バルトにとってのプンクトゥムは、写真の「それは=かつて=あった」に絶対的に依存するというよりはむしろ、他の写真との連想関係、あるいはまた被写体への同一化によって発生する。オリンの論文中ではデリダは参照されていないので、彼女がデリダの「バルトの複数の死」のことを念頭に置いていたのかは不明であるが、両者のプンクトゥムに対する考え方はとても近いように思われる。以下を参照。Margaret Olin, “Touching Photographs: Roland Barthesユs ヤMistakenユ Identification,” Representations, No. 80, Autumn, 2002, 99-118.
18) デリダ「ポジシオン」『ポジシオン』前出、171頁。ジャック・デリダ「ラカンの愛に叶わんとして」守中高明訳、『精神分析の抵抗:フロイト、ラカン、フーコー』(1996年)青土社、2007年、75-135頁も参照のこと。
19)フォスターは、ストゥディウムとプンクトゥムをまさに「覆い/非―覆いの対立」としてとらえている。Foster, “The Return of the Real,”132 を参照。
20) Jacques Derrida, “Signature Event Context (署名 出来事 コンテクスト)”(1971), in Margins of Philosophy, trans. Alan Bass, The University of Chicago Press, 1982, 307-330. 廣瀬浩司氏は「反復可能性」について以下のように説明している。「意識はつねに意味の現前や充実を目指し、同一な意味を反復しようとする。しかしこの目的論的な企ては、まさにそれが完成しようとするときに、内側から破裂してしまう。「反復可能性」に寄生している「他(者)」への関係が、まさに意味が現前しようとするときに介入するからだ。」(林、廣瀬『デリダ』前掲、108頁。)
21)髪が加えられたある写真ロケットについて、バッチェンは次のように思案している。「ロケットの反対側で彼[白髪の老人]に向かい合っている細い髪の一片は赤みがかっており、それがもっと若い頭から採られたかもしれないことを示唆する。もしかすると、この写真が撮られる数年前のこの男のものかもしれないし、あるいは、この男のイメージのそばにいたいと願った最愛の人のものかもしれない。それゆえ我々は推測の誘惑的な領域に足を踏み入れることになる」(67)。
22) デリダは、J. L. オースティンの発話行為論が発話者の「まじめさseriousness」を要求せざるを得ない点を批判している。(Derrida, “Signature Event Context,”326-327.) 林、廣瀬『デリダ』前掲、107-111頁も参照のこと。
23)Ruby, Secure the Shadow, 137.
24) 構造主義の視点をモダン・アートの分析に持ち込んだことで知られる、美術史家のイヴ=アラン・ボアの論文に「カーンワイラーのレッスン」というのがある。(Yve-Alain Bois, “Kahnweiler’s Lesson” in Painting as Model (Cambridge, Massachusetts: The MIT Press, 1990), 65-97, 280-295.)その中でボアは、ピカソのパピエ・コレ(貼られた紙、コラージュ)作品について次のように述べている。「コラージュが達成したに違いない“現実への回帰”などというつまらない概念に訴えかける代わりに我々が考察するべきなのは、(中略)キュビズムの記号学の観点から、いかにこれらの作品における“現実”(現実の物を加えること、現実の空間の彫刻化)が―それが差異のネットワークや、価値のシステムの中に捉えられるや否や、そして、それが記号へと変容されるや否や―どのように具体化されたのかということである。」(91)ここでボアが言っていることは、バッチェンがデリダを引用しながら述べていることとそう遠くない。このことは、写真に対するバッチェンの思考がいかに、アメリカの先鋭的な学術誌『October』に関係する美術史家たち(言うまでもなく、ボアもその一人である)の発想―乱暴に言えば、ポストモダニズムと総称される類のフランス現代思想を援用して美術作品の解釈を行おうとする姿勢―から少なくない影響を受けているかを示す一つの例にすぎない。そもそも、バッチェンの「何かを反復することは、明らかに、それをコード化されたものとして宣言することである(ドアを二回ノックするのは、たった一回ノックするのとは大いに異なった意味を持つ)。」(Geoffrey Batchen, “Ere the Substance Fade,” 43.)と言う言葉から、『オクトーバー』の中心人物で、アメリカでもっとも尊敬されている美術史家のひとりである、ロザリンド・クラウスの1982年の重要な論文「シュールレアリスムの写真的条件」を想起しないのは難しい(そこでは、ソシュール、レヴィ=ストロース、デリダが次々と参照される)。また実際、『Forget Me Not』を始め、バッチェンは著作の要所要所でクラウスを引用している。しかしその一方で、クラウスやボアやフォスターが『Forget Me Not』の「ヴァナキュラー」な写真オブジェに興味を持つとはあまり考えられないので、ある意味ではバッチェンの仕事は、彼(女)らに対する挑戦とも受け止められるのである。バッチェンによる最近のオクトーバー批判については以下を参照。Geoffrey Batchen, “Art since 1900: review,” The Art Bulletin, LXXXVIII No.2, June 2006, 376-377.