Papery 2004 by 前田恭二

2004.01.15. ハピネス

まったくもって、いまさらながら森美術館「ハピネス」展 (2003年10月18日-04年1月18日) へ。オープニングのとき東京にいなかったのと、その後、「あまりにも展示がひどい」「いやいや、かなりよくできているよ」といった賛否両論の声をさんざん聞かされたので、なんとなく二の足を踏むような感じになっていたのだが、個人的な印象を言えば、展示はOK、ハコとしては厳しいかな、というものでした。展示については、若冲系統の絵ではあるものの、真筆かどうかについては疑念が差し挟まれているプライス本『鳥獣花木図屏風』がメインビジュアルの一つに採用され、当初のプレスリリースでは、あろうことか、おそらく図版用のポジを提供したに過ぎないであろう東京文化財研究所の「所蔵」というクレジットがなされ、いかにも無残な形で東洋美術が引き合いに出されるのではないか、という懸念を抱かせたのだが、おおむね杞憂だったことに安堵した。たとえば最初、アルカディアの項で狩野永納筆『蘭亭曲水図屏風』が出てくる。画題そのものが東洋における古代憧憬に属することは言うまでもなく、のみならず、永納が日本での最初期の絵画史である『本朝画史』の著者であることも、おそらく意識されていよう。そのあたりにはターナー『黄金の大枝』やコンスタブルの田園画なども見受けられるわけだが、過去に向かうさまざまなまなざし、それを促す現在といった問題がそれぞれの作品から顕在化する。しかも、比較文化的な見方が入り込む余地がないくらい地理的・歴史的な文脈を外しており、かえって永納とコンスタブルが並置され得るプラットフォームが用意されていると感じさせた。総じて地理的・歴史的な文脈でないところで、作品間の文脈をさまざまに読ませる展示構成となっており、楽しく見ていくことができた。ただしハコ、つまり美術館としては、展示のシークエンスを活気づける役割を期待できないように思った。類似した形の展示室が配されているため、観覧者はいまどこにいて、展示のどのあたりまで見たのか、ふと分からなくなるくらい。展示室をすべて使い切るのでなく、適宜分節したり、変形させたりする形で、アクティブさを演出せざるを得ないのではないだろうか。ちなみに「ハピネス」展については、たしか「新美術新聞」紙上だったと思うのだが、熊本市現代美術館の南嶌宏氏がエリオット、ルイジ・タッツィのコンビでかつて企画した展覧会と対になっていることに注意を促していた。あとひとつ、あまり触れられていないような気がするトリビアルなことを言い添えると、オックスフォード近代美術館で1985年、戦後日本の前衛美術展が開催されたさい、エリオットは同館にいたはずで、その限りでもある程度、日本の事情にはかねて通じているのではないだろうか。

2004.01.23. テレビ1

なんとなく「ダ・ヴィンチ」誌2月号を手に取り、しりあがり寿の漫画『オーイ・メメントモリ』に感銘を受ける。「瀕死のタウンガイド」を副題にもつ連載第52回は「地上デジタルテレビ放送」の巻。幽明の境をさまようようなドテラ姿の主人公は、愛宕山にあるNHK放送博物館へ。「テレビ放送の50年」のコーナーにさしかかり、大河ドラマや朝の連続テレビ小説の歩みを眺めながら「あのヒトもこのヒトもこの頃は若かったなあ…」「もう死んじゃっただろうなぁ…」と思い、「テレビは生者と死者と区別しない」と言う。さらにテレビと視聴者を双方向で結ぶ地上デジタル放送を試してみて、「生きてる時の思い出は?」「関東地方は雨です」といったちぐはぐな会話を交わす。漫画それ自体もおもしろいのだが、同時に、いやおうなく思い出させるのは昨年、「キリンアートアワード2003」で注目を集めたK. K. の『ワラッテイイトモ、』という作品・・・というわけで、以下は次項へ。

2004.01.23. テレビ2

K. K. の『ワラッテイイトモ、』は、審査員の椹木野衣、五十嵐太郎らがさまざまに論陣を張ったことで知られるとおり、人気番組「笑っていいとも!」のサンプリングを主としている。それゆえ著作権・肖像権問題のなかでクローズアップされた印象もあるが、テレビ画像の消去しがたさという映像論的な側面、それが内包している政治性への切り込みといった観点からも注目されてしかるべき力作だと言ってよい。椹木の論評のひとつ『このうすら寒い夏の正午に』 (「群像」2003年9月号) を引くと、<この作者の創造には「死」も「復活」も、そのための「安息日」も存在しない。『笑っていいとも!』は、月曜から金曜までのウィークデイの円環の中でしか存在せず、ゆえに「安息日」には辿り着かない>。しかし、そうした作品である以上、最大の難関は必然的に、作品の終わらせ方となる。応募バージョンを見た印象は、言われるとおりの才能であることは確かだとはいえ、作品としての完成度は結末に至って、著しく降下していた。詳しく言うことは避けたいが、結末足りえないヒロイックな身ぶりが見られ、それまでにも見え隠れしていた映画的な起承転結への誘惑に屈していたと思う。ただし、そうだとしたら、どう終わらせればよかったのか、という問いを投げ返されるのもじじつ。いまさらの心覚えをあの作品について記すのはひとつに、その終わらせ方がなお気になっているためで、もうひとつはしりあがり寿の漫画と重なり合って、妙な空想が働いたため。「笑っていいとも!」のスタジオにおけるコール&レスポンスは、いずれ地上デジタル放送が本格運用されたあかつきには、「ワラッテイイトモ、」のようなサンプリングによらずとも、お茶の間を巻き込む形になったりするのだろうか。

2004.01.26. デジ

昨年の「photographers’ press2」にデジタルイメージをめぐる短文を寄せ、いま編集中の「3」にもその流れで原稿を書き、送ってみたのだが、その同じ日に、飯沢耕太郎『デジグラフィ』 (1月25日、中央公論新社刊) が手元に。タイトルの言葉は著者による造語だという。<[デジグラフィ]は当然ながら写真=[フォトグラフィ] (photography) と対応する。デジタルカメラによって記録された画像、あるいはアナログカメラによるものでもスキャニングによってデジタル化された画像の使用、及び表現のプロセス全体を[デジグラフィ]と称することで、「デジタル写真」といった曖昧な言い方をするよりも、[フォトグラフィ]との違いと共通性をより明確に枠づけることができるのではないか>とある。詳細に読み進めたわけではないが、この「違いと共通性」を包括的に扱っているようす。しばらくはこの本をベースに、新旧メディアの分節が議論されることになりそうな気がするが、内容といい、出版のタイミングといい、写真評論家として得がたい存在感を思わせた。

2004.01.28. 車内

荒木経惟写真集「東京夏物語」 (昨年12月12日、ワイズ出版刊) を眺める。自動車の中から撮影された、東京の写真集。ブックデザインを手がけた鈴木一誌による解説の表題「走るアッジェ」が言い得て妙。そこでは自動車がカメラという<暗い箱>でもあること、しかも<流れ>の感覚が前面に出ていることなどが指摘されているのだが、改めて言い添えると、ほとんどポップアイコンと化したあのアラーキーが仮にもアジェのごとくに振舞うことができるとすれば、自動車の中にでも身を潜めて、都市に侵入を図るほかないという、かなり現実的な事情もありそうな気がする。ところで、この写真集を見ながら、思い浮かべた写真家の仕事が二つある。一つはここでも何度か言及したことのある、高梨豊のローカル線の車内からのスナップ。高梨の仕事はまっすぐな線路に拘束されているぶん、より受動的で、風景が目を擦過していく感覚が強い。<流れ>の印象はあるいはより濃いと言えるかもしれない。ともあれ極めて作家意識の強固な写真家があえて、受動的な拘束を自らに課してみたという点で、似通っている気がする。もう一つ思ったのは、森山大道の『オン ザ ロード』、ではなく『新宿』のほう。たしか600点を収載していたはずだが、荒木の新作も400点弱。しかも都市への侵入の仕方、あるいは受動性といった点で、この二つの写真集を見比べるとき、一種の呼応関係が感じられる気がする。たとえば車内に身を潜めて、人物の背後からしのび寄る視線は、生身でカメラをぶら下げて歩き回るよりも匿名的で、ヤバイよね、というふうに言っているふうにも感じられる、というような。個々の写真家がどう考え、意識したかということは知る由もないし、直接それとは結び付ける必要もないけれど、たとえば向こうの展覧会やイヴ=アラン・ボアの著作 (邦訳は日本経済新聞社刊) によって近ごろはやりのテーマとなっているマティスとピカソにおける作品相互の呼応関係のようなものを、この二作について考えてみると、おもしろそうな気がする。

2004.01.29. 雲

Wei Dong展 (1月19日-2月7日、銀座/東京画廊) 。前回のNICAFのブースで見かけた画家だが、本展は中国シフトを強めるこの画廊によるシリーズ企画「日本・韓国・中国の美術の行方を探る」の第一弾であるよし。その絵を説明すると、伝統的な山水画や道釈人物画をじつに見事に描き出し、そこに現代的な――といっても時代の特定は難しい女性の、エロティックな――といってもむしろ不気味な姿が絡み合う、というもの。コラージュなどによらず、ひたすら細密に手で描き出しており、圧倒的なテクニックにはふと暴力的な印象さえ抱かされるのだが、それ以上に奇妙な感慨を覚えるのは、かかる絵の内容にもかかわらず、「伝統と現代」といった対立関係がまるで感じられないこと。その理由はいろいろあるはずだが、これらの図像を下支えするイメージ空間がそもそも融通無碍な性質をもっているのではないだろうか。日本においては近年、伝統と現代の接合を可能とするものとして「スーパーフラット」ということが言われてきたが、それとも異質であって、いわば奥行きであれ絵画面の枠であれ、どうにでも拡張・縮減可能なイメージ空間。おそらく雲のごとくの山水画の創出にさかのぼるように思うのだが、それいらい、中国的なイメージ空間はあまり変わっていないのかもしれないという気がしてくる。

2004.01.30. グ

生来愚にして、よく分からないと思うことが多い。グループ展というのもそのひとつ。現代美術の作家を十人前後集めたグループ展が美術館ではひんぱんに開かれている。だが情けないことに、どう接していいのか、いまだに戸惑いを感じる。経験からすると、もとより個々の作品は多様な読みを可能とするわけで、その読みのうち、ある側面を貫通する明確なテーマが設定され、そのテーマがなおかつ個々の作品のよさを引き出すか、悪くても損をさせない、というのが望ましいのかな、と思ってみたりもする。ところが、そのテーマたるや、曖昧模糊というのか、いかなる作品を加えても構わないようなものが少なくない。ならば、いっそのこと一種の見本市かカタログ雑誌のようなものとして、練馬区在住の写真家群像だとか、名前に「山」のつく画家大集合だとか、そんな切り口だとすっきりするのだが、どうやら個々の作品をそれぞれに楽しんで帰ればいいというものでもないらしい。テーマと出品作のある部分はやはり重なり合っている。けれども無理筋かなと思わされることもある。はたまたうかつにも、いわば図式的にテーマに当てはまってしまったがために、何やら愚かしい作品のように見えてしまうという悲喜劇も見かける。おおまかなテーマ設定の内側で、あるいは別の位相で、なんらかの選択が働いているんじゃないかという気もだんだんしてくる。むろん現実的な事情もさまざまにあるはずで、この展覧会形式を否定し去るつもりもないのだが、ひょっとしたら・・・と想像するに、担当学芸員の方がふだん画廊回りなどをするなかで、いいな、と思った何人かの作家を美術館にピックアップしたいという動機がまずあって、彼らの仕事を包み込めるような大きなくくりのテーマを事後的に考え、ときには補強材料として何人かの作家に声をかける、といった展覧会の組み方になっているのではないだろうか。そう思わせる一例を言えば、ある作家がなぜか同時期に、別の美術館のグループ展に選ばれるということがけっこうよく起こる。少し前だと、須田悦弘あたりが引っ張りだこになっていた気がするし、いまは山口晃が東京都現代美術館のMOTアニュアル2004「私はどこから来たのか/そしてどこへ行くのか」展 (1月17日-3月21日) と、水戸芸術館の「Living Together is Easy」展 (1月24日-3月28日) に出品している。もとより彼らの活動に対する注目度を示すものではあるけれど、しかし、もしいま想像したような形で作家を選出しているのだとしたら、当然ながら画廊回りをしているような観客にとっては新鮮な作品に出合えるチャンスは乏しくなるわけだが、それはいいとして、結局のところ、グループ展をひとつに結び合わせているノリシロはつまり、テーマやコンセプトなどではなく、展覧会を準備している期間に学芸員の胸中をよぎった、この人っていいな、という気分のようなものだということになる。それをロジックに変換し、新たに批評的な概念を打ち出してみせたり、せめて時代の雰囲気とでもいったものを社会学的に言挙げしてみたりすることで、その選択が最終的に相対化されるのであればいいのかもしれないけれど、その作業によって多様な読みを損なうことを避けるという意味合いもあるのか、しばしば思わせぶりなテーマにとどまる。なぜこの作品が他と交換不可能であるのかも、それゆえに判然としない。一貫したメッセージを発信する場でもなく、作品個々にそのまま語らせるショーケースでもなく、その両方の要素が少しずつなごやかに同居する、よく言えば両義的だが、曖昧な非決定と呼ぶべきなのかもしれない慣例のもと、なぜか10人前後の作品が選ばれて並ぶ空間からはひそやかに、業界的に目上の人であれば、あの人と一緒に仕事をしてみたいというあこがれ、逆の場合はそんな若手にまで目配りを怠らない自分への愛そして美術館にすくい上げるという慈悲深きおぼしめし、それもオール・オブ・ゼムではなく、あまり好きじゃないけどね、みたいな言い訳もときには混じりながら、いずれにせよ見る側にとっては知ったことではない生あたたかい何かがにじみ出す印象をときおり抱かされる。それを深々と吸い込み、波長が合うかどうかで展覧会の好悪を言えばいいのだろうか。ちなみに海外でもグループ展そのものはよく開かれているけれど、日本においては現代作家について大規模な個展を打つ美術館は極めて少なく、グループ展で扱われた作家がいつの日か、彼らの世界を存分に繰り広げられるような個展の機会を与えられるという見通しも立ちにくいまま、グループ展をただ通り過ぎていくようなはかなさも漂う。乱文失礼、つまりは愚昧な戸惑いのまま書き連ねてしまったわけだが、しかし、そんなこんなを吹き払ってくれるようなグループ展にお目にかかることは多くなく、その前提の上で、MOTアニュアルについて以下、次項に。

2004.01.30. MOT

東京都現代美術館のMOTアニュアルは、これで5回目だという。率直に言えば、前回なども見たことのある作家、作品が多かったわけだが、本展の場合はアニュアル展である以上、そのころ目立った活動をしている作家をきちんと取り上げなければならないという責任感があってのこと、と解すべきか。そのたびごとに素朴な感想もないではなく、今回については、作品の見せ方については精彩が感じられる気がした。テーマとして掲げられている「私はどこから来たのか/そしてどこへ行くのか」は、カタログがまだできていないとのことで、よく分からない部分も残る。さしあたりチラシの文言によれば、<過去や未来を視野に入れて現在を捉えていく>アーティストの創造力に着目した展覧会で、一方では<不安定な現代社会に生きる色々な世代のひとびとのアイデンティティの問題>、他方では<時間表現を内包する作品をとおして><多様なメディウムの特性とその可能性>を浮かび上がらせようとしているらしい。時間といい、アイデンティティといい、メディウムといい、じつに広くて深いテーマではある。関心のある作家について言うと、まず北島敬三「PORTRAITS」は一方の大きな壁に、7人分の写真を17列×5段でどーんと掲げられていた。従来は横方向に連ねる、いわばリニアな見せ方をしてきたはずで、こういう展示を見たのは初めて。インパクトもあったし、本展のタイトルのもと、リニアな展示のみで臨んだ場合の見え方を思ってみれば、いい選択だったのではないだろうか。山口晃もなるべく見るようにしてきた人だが、伝統的な描法と現代的な風俗をミックスさせる作品は一見、今回のテーマによく当てはまるようで、しかし、どうなのかな、という感じが少しよぎる。両者の混交を可能としているのは、すべてをモードとして扱う態度に基づく。例えば中西夏之の制作風景ですら、伝統的な戯画のモードに馴致してしまう。そこをメタレベルで日本的な要素と見なすことはできるし、そもそも時間表現やアイデンティティに対して無関心な作家でもないとは思うのだが、あまり堅苦しく結びつけてしまうと、軽佻浮薄にして、不敵な魅力は幾らか削がれてしまう気もする。

2004.01.30. まどわし

うらわ美術館「まどわしの空間-遠近法をめぐる現代の15相」展 (11月18日-2月22日) へ。遠近法というより、その解体の相にむしろ着目しながら、かなり時代的にも幅のある内外の現代美術作品を集めた展示。冒頭、川村直子の作品はコバヤシ画廊で見せていたものだと思うが、ワイヤと無数の小さな粒によって座標空間のような、その徹底性ゆえに幻惑的な空間を作り出す。そこから始まる展示は逆に、全体としてはテーマへの忠実さがそのまま図式的な印象をもたらす感がある。ただし、個々には楽しめる作品を見いだすことができた。写真作品で言えば、回転するバロキスト、屋代敏博の作品。鉄塔を真下から見上げて撮ったプリントを、部屋全体にびっしり張りつめている。鉄塔の格子は明確なパースを作り出しており、それが四囲を埋め尽くしていることによるクラクラ感は本展の文脈に合致する。ただし、興味をそそられたのは別の理由による。よく見ると、鉄塔のディテールは異なっており、どうやらかなり多数の鉄塔を同じ手法で撮影しているようす。そんなわけで、この作品をタイポロジー系の写真と並べてみたら、ほとんど悪意に満ちたコントラストをなすかもな、と思った次第。


2004.02.02. 応挙

大阪ではずいぶん入館者を集めたと聞く「円山応挙 <写生画>創造への挑戦」展が、いよいよ江戸東京博物館に巡回してきた (2月3日-3月21日) 。この日がオープニング。出品作は優れており、その意味で18世紀美術に関心のある向きには必見と言ってよいのだろう。しかし、展示構成は副題にもある<写生画>という点にもっぱら重きを置く。ごく日常的に考えれば、写生とは呼び得ない描法にまで概念を拡張した上で、その<写生>に画業の意義をほとんどすべて収斂させようとするかの様相を呈する。それ以上、ここで何か言うつもりはないのだが、そんな展示説明を読みながら、しみじみと思い出したのは、「BT」2月号で、清水穣氏が簡潔に記している評言。いわく<「写生」は「写形」にあらず「写意」であると言ったところで、別に応挙の専売ではない。私の考えでは応挙の写生とは、構成か写実かという二者択一の代わりに、リアルな線とリアルな対象のあいだのバランスのとれた両義性をもたらすことである>。慧眼だと思う。古美術ゾーンと「BT」ゾーンの間に流れる深くて暗い河に投げ込まれた一石、という感じを抱かせるところが切ないけれど、こういう評言がいつか、本展のような応挙の語り口を変えていくことを期待・・・しても無理か。

2004.02.03. 飛天

高橋万里子展 (1月25日-2月7日、pg) 。これが二度目の個展。前回と同系列の、カラフルなガジェットで構成したメイキング系の大きな写真を奥に掲げて、両脇の壁に写真をプリントした布と、フェイクファーのようなもので作った妙な人形みたいなものを並べた。ある種の美意識はともかく一貫しているわけだが、個人的に少し興味を覚えたのは、この展示空間、なんとはなしに、消費だか飽食だかの果てのような、かわいくもデロリンとした写真がご本尊で、回りの人形みたいなものが飛天か眷属たち、というふうに見えなくもないこと。例えば平等院鳳凰堂をキッチュの極みに翻案してしまったイカレた空間と思いなしてみたのだが、そんなたくらみをめぐらさずして、さらなる錯乱に突き抜けてくれたら楽しいかもと思う。

2004.02.04. 反

染谷亜里可展 (1月15日-2月14日、初台/ケンジタキギャラリー) 。ベルベットを脱色することで、なんらかのイメージを表出する作品で知られる人。素朴に面白いなと思うのは、「染」のつく名前なのに、脱色という手法を使っていること。すいません、つまんない話で。しかし考えてみると、ベルベット地はなにかをカバーする、覆うためによく使われる布地で、そこにイメージを表すということもまた、隠す-表すの関係を逆さにするようなことではある。東京では4回目だという本展では、ほかに厚紙をはがすことでイメージを表した変奏的な作品、そして今回あらたにお目見えしたと思われるドローイングのシリーズが出品されていた。ドローイングは歴史的な銅像を倒立像として描く。水面に映ったものとして銅像を描いているとのこと。ここにも「反」の意識が。これ自体はまだ説得的な魅力を備えているとは言いにくいけれど、イメージの問題に深くかかわっていくタイプの作家であることを再認識。ちなみにお隣のワコウ・ワークス・オブ・アートのフィオナ・タン展 (1月22日-2月21日) では、その映像作品を見ることができる。ごろごろ転がる作品は何年か前のパリで見た記憶があるけれど、いま見ても印象的。

2004.02.06. 個1

森美術館「六本木クロッシング」展 (2月7日-4月11日) と草間彌生展「クサマトリックス」 (2月7日-5月9日) のオープニング。同館「ハピネス」展のオープニングはたいへんな人出だったと聞くが、この日も大勢の人でにぎわっていた。日本の現代美術もほがらほがらと明るむ夜明けのときを迎えたか。このうち前者について。出品作家は57組。キュレイター6氏の作家研究に基づく推薦、合議を経て、選出されたという。初めて見る作品、興味深い作品も少なくない。一例のみ挙げれば、高橋知子はティルマンズが英・ターナー賞を獲ったときの候補の一人だったはずだが、日本で見たのは初めて。さらにファッション、デザインその他のフィールドで活躍する才能も含まれている。その意味ではかなりアトラクティブだったけれど、なぜか心躍るというほどの気分でもなく、しかも、そう言うことが少しはばかられるような雰囲気がある。ような気がする。どうしてなのか、あれこれ考えさせられた・・・というわけで以下、次項に。

2004.02.06. 個2

この展覧会は「六本木クロッシング」と名づけられている。様々なフィールドからの才能が行き交うような現象面を、そのまま交差点に見立てている。サブタイトルは「日本美術の新しい展望2004」。この交差点を展望し、新たな日本のアートシーンの姿として指し示す展覧会ということになる。しかし、単なるショーケースなのかというと、おそらく少し違っている。キュレイター側の提示したステイトメントは「個の共鳴」。いささか凡庸に聞こえなくもないけれど、そこに本展覧会の独得さが託されている。この「個」という言葉は単一の理念や共同体に対置される形で、様々な場面に響いている。まず出品作について。<ひとつのアイデアや価値観が世界を支配したり、ひとつのコミュニティに閉じこもるのではなく、多様な価値、異なるチャンネルを認めあいながら、自分自身の世界を深めている彼らの作品 (…) >とリーフレットは説明する。それを一つの展覧会にまとめ上げる際においても、企画者側も単一の価値観で裁断するのではなく、個々の作品のリアリティに目を向ける。「個の共鳴」というステイトメントについて、カタログは<現代の日本美術を一元的に語る動きや言葉が見いだせないという消極的な理由からではなく><異なる価値や視座の共存に何らかの新しい振動や共鳴を実感したいという、積極的な理由によるものだ>と表明する。

いわば多文化主義の側に立ち、「個」を見つめようとする態度は、あたりをまさに一点から鳥瞰する美術館にあって、不思議な繊細さと言うべきかもしれない。あるいは逆に所与の条件にそぐわない場違いな良心だと見なされるのかもしれない。そこは見方によるのだろう。個人的な違和感は、そこに由来しているわけではない。先の引用によると、「個の共鳴」を実感したかったという企画者側は、それぞれに作家研究を重ね、どんな作品が出品されるのか観客よりも先に知り得たにもかかわらず、そこから具体的なステイトメントを引き出すことなく、あくまでも「個の共鳴」という言い方にとどめている。その理由は、むしろ続く一節に示されていよう。キュレイター同士、そしてアーティストとの議論が<関係者や観客の間に根強く広がっていくことで、「新しい日本美術の展望」が自ずと見えてくるのではないだろうか>。「個の共鳴」に言う「個」には、観客が含まれている。会期末には出品作に与えられる3つの賞の1つとして、観衆の投票による「オーディエンス賞」も発表されるとのこと。企画者側はつまり、作品の意味付け、文脈付けをあえて差し控える一方で、「個」としての観衆に対して、積極的に展覧会に参画し、それぞれに意味や文脈を見いだすことを期待している。となれば、鑑賞用のショーケースとして眺めて楽しむのも、展覧会としてはバラバラだよとなじるのも、分かってないナという話になるのかもしれない。「個の共鳴」とは観衆に対して、交差点における積極的なパフォーマーとなることを要請しているのだから。

その意味で、この展覧会はいわゆる参加型作品と同じ成り立ちをしている。あなたの参加によって、この作品は初めて意味を持つのです、というような。言うなればリレーショナル・アートならぬリレーショナル展覧会。ところが個人的には、この参加型作品というのが何となく苦手なのである。近代的な作者・作品をめぐる理念への批判としては、あり得べきことかとは思う。しかし一方で、作者と参加者との間に、避けがたく共同体的な関係を形作る。平たく言えば、作品に協力する・しないの踏み絵をあらかじめ踏ませる感じがある。いったん完結した作品として提示されれば、好悪も言えようというものだが、参加しない限り、何かを言う権利はない。参加したとたん、協力者の側に組み入れられてしまう。この種の作品に接するたびに、かすかながら困惑を覚えるゆえんだが、この展覧会から受ける印象もそれにけっこう近いところがある。一元的な理念に対する拒否感に裏打ちされた「個の共鳴」というステイトメントは、それ以外の旗印を掲げないまま、いわば多様な分子の一つとして「個」の参加を求め、その「共鳴」によって新しい日本のアートシーンが見えてくるのではないか、と呼びかける。この熱意に応じるべきか、応じざるべきか。そんな選択をいつしか迫られている気がする。というようなことを言っている時点で、もはや仲間じゃないということか。

しかしまあ、現況を振り返ってみるに、ある種の動向を“東京ポップ”と名付けたりすることはあったにせよ、カタログにいう<現代の日本美術を一元的に語る動きや言葉>というのがどのくらい発せられてきたのか、あまり思い当たるふしもない。どちらかと言えば批評や歴史軸というよりも、すでに大小様々な共同体によって多元的・複層的に構成されているようにもむしろ見える。そこではリアリティを感じるという作品をそれぞれに挙げながら、議論が交わされ、何がしかの方向性が探られていよう。それに対して「個」を持ち出すことは有効性はともかく、さしあたり共同体的な関係に泥むのではなく、独自の価値観を持つことを促しているはずだが、互いに理解不能な関係に陥る可能性を示す以前に、すかさず「共鳴」という価値観を差し出す本展覧会が、いわば同じような平面で、それなりに規模の大きなトライブを形作るという域を抜け出し、新たな日本のアートシーンなるものを創出する出発点となるのかどうか、その筋道はあまりよく見えない。そもそも「個」が「共鳴」するという前提は残念なことだが存在しないようだし、そうであれば港区の一地区というよりも、いまや勧進元が掲げる「都市再生」を体現するシンボリックな地名のみを冠したこの交差点で、一緒に歩いていこうと思える「個」もいれば、そうではない「個」もいようというものか。それゆえ個々に出品作を取り出して言えばまた別の話にもなるわけで、ちなみに言えば、血のような赤い液体を詰めたサムソナイトのスーツケースを何度となく路面にたたきつける田中功起の映像作品は印象深かった。

2004.02.11. 色

小出直穂子「赤い澱」 (2月9-21日、pg) 。ずいぶん前のことになってしまった「赤い線」シリーズ以来の展示。「赤い線」は旧・赤線地帯という撮影地にちなむタイトルだったが、そのテーマを今回も引き継いでいるらしい。このシリーズ、おのずと石内都「連夜の街」と引き比べたくなるところだが、独自の「色」を出そうとしているのかもしれない。再び「赤い」をタイトルに掲げ、展示も色について十分意識をめぐらせている感じがある。ちょっと考えすぎかも、という気もするくらいで、しばらく発表がなかったのはそのあたりと関係していたりするのだろうか。ともあれ色彩そのものは普遍的・抽象的なものであれ、しばしばローカルな文脈を帯び、極めて具体的な心象を喚起する。例えばオタク系の建築・都市論として話題を呼んだ森川嘉一郎『趣都の誕生』 (幻冬舎) には、秋葉原という街が際だって赤く彩られていることについて、短いながらも独得の考察が記されていたのを思い出す。そんなわけで「赤い」シリーズの展開に期待。

2004.02.19. 賛

偶感一題。写真集には様々な文章が収められている。撮影メモや写真家自身のメッセージだけでなく、小説家や評論家、時には外国の方の跋文が収められていることもある。ところで写真集にとって、跋文とはどういう機能を担っているのだろうか。むろん作品の理解を助け、深めさせるという意味で、まことに有益な慣わしではあるけれど、一方で古美術などを見ることもある身には、こうした跋文はふと、古画における賛のありようを思い出させる。水墨画などの余白に書いてある詩文のことだが、それはまず、賛を求めた側と着賛した側の人間的なつながりを物語る。賛を記すのは高僧をはじめ、おおむね尊敬に値する知識人たち。それゆえ賛があることで、絵の格式や価値は高まることになる。いささか特異なケースではあるけれど、おなじみの雪舟は上半分を余白にした一幅の自画像を描き、それを弟子に託した。弟子は中国に渡り、かの地の高僧の賛をもらって帰ってきた。その模本が今日最もよく知られている雪舟の自画像である。というようなことを、何となく思い出す次第。例えば昨年、評判になった鬼海弘雄『PERSONNA』にも、種村季弘とアンジェイ・ワイダによる寄稿が収録されていたように思う。視覚表象と言葉の関係その他、変わったようで案外、変わらないような事柄もあるということか。

2004.02.19. 賛2

雪舟で思い出したけれど、日本の景観を、一般的な見方ではそうとは思えないように撮った写真を見かけることがある。近ごろだと、ベッヒャー一派ふうだとか。時に無国籍的な、という言い方もされるわけだが、果たしてそうなのだろうか。ちなみに雪舟は、日本の風景を当時の東アジアにおけるインターナショナル・スタイルである水墨技法で描くことを得意芸の一つとした。そのような風景の文化化は、むしろ日本というローカルな地域において意味を持つ。もとより日本の景観を、いかにもヴァナキュラーないしローカルな感じで撮った写真を擁護しようというつもりはなく、それもまた前者の写真との関係において相対的な意味を付与される不幸さを、多少なりとも免れ得ないように思う。

2004.02.26. タイム

「タイム・オブ・マイ・ライフ」展 (2月21日-5月9日、初台/東京オペラシティアートギャラリー) 。企画・常設用の2フロアをすべて使い、ふだん上の常設コーナーで見せている寺田コレクションから難波田史男、有元利夫、山本容子その他の作品、そして見どころというべき奈良美智とgrafのコラボレーション作品「S.M.L」、加えるに杉戸洋、村瀬恭子たち、さらに奥村雄樹といった新進作家の仕事をまとめてドーンと見せている。テーマは美術家と青春性、というようなことであるらしい。むろん青春時代以上の年齢に達したすべての人が青春時代を経ているわけで、広大無辺ともいうべき普遍的なテーマではある。それぞれの作品もたっぷり、というか、会場が広い分、延々と並べられている。その延々さ加減に、ふとダグラス・ゴードン「24時間のサイコ」っていう作品をここでも見せていたっけ、などとぼんやり思い出したほど。むろんコレクションを生かした展示はあり得べきことだし、改めて気づかされることもあった。冒頭の難波田史男作品については、現代的な魅力を再発見させられたし、奈良美智のドローイングと見比べることができるのも、また一興。とはいえ、コレクションの魅力を引き出す上でも、いま少し作家・作品ともに絞った方がよかったかも。例えば難波田史男、奈良美智、それとピュアなアブジェクション系とも言うべき奥村雄樹あたりの3人展だったら、どんなふうに見えたかな、などと漠然と思ってみたりした。

2004.02.26. 蔵

蔵真墨写真展「蔵のお伊勢参り」 (2月24日-3月4日、pg) 。新シリーズの第一弾。これから本当に伊勢まで撮り歩くよし。まずは日本橋から川崎まで。江戸の善男善女にとっても伊勢はおおむね観光旅行の名目にしか過ぎなかったようだが、この物見遊山もまずは好調のよう。写真に撮られることで、すべては不気味な相貌をあらわにする、のではなく、突っ込み甲斐のあるものと化す。そうした持ち味は健在で、けっこう笑ってしまった。ぜんぜん関係ないけど帰り道、しばらく前に出たというアル・ヤンコビックのDVDを購入。例えばJB「Living in America」は「Living with a Hernia」に・・・実に20年もこんなことをやってきたのかと思うと、感慨ひとしおの1枚。


2004.03.01. リ

雑誌情報その1。マガジンハウス「relax」誌3月号がリスペクト! って感じの特集「ハイ! キシン 篠山紀信」を組んでいた。見どころは新撮と「オレレ・オララ」「ハイ! マリー」「晴れた日」の1970年代作品をリミックスしたページ。30年という時を超えて、ほとんど同じノリを見せ、しかも停滞感はない。一切を任されたという同誌のセンスも大きいはずだが、どうしてそうなのか、写真の質について少し考えさせられる。ちなみにシャンパンを飲みながらのインタビューも掲載する。なかで目をひいたのは以下のコメント。<朝日と夕陽を、おんなじ角度の太陽光で写してごらんなさい? それはどっちがどっちか分からないよ。だけど、昇っていく朝日の「時代」と、落ちてゆく夕陽の「時代」っていうのはやっぱり違うんだよ>。自身は朝日の時代、ホンマタカシたちは夕陽の時代の写真だとして<夕陽の時代の写真のほうが、カンファタブルなんだよ。綺麗に見えるんだよ><彼らの写真、気持ち良いでしょう? だから面白いよね>。ほめているようで、辛辣でもあり、つまりは余裕綽々。自身の写真にも夕陽感が漂うものはあるけれど、<よ~く見ると違いがわかるんじゃない?>。

2004.03.01. 展示

雑誌情報その2。三元社「西洋美術研究」誌が10号に達した。「展覧会と展示」を特集する。近・現代関係の論考だと、まず尾崎信一郎「展覧会の政治学」が目をひく。ミニマル・アートをめぐる三つの重要な展覧会、つまり1966年のプライマリー・ストラクチュアズ、68年のアート・オブ・ザ・リアル、69年のアンチ・イリュージョンを取り上げ、それぞれがミニマル・アート (と称される作品群) をヨーロッパ美術あるいはグリーンバーグ系の作品群とどう接続ないし切断していったかをたどる。それとともに、具体的な場、持続的な時間のなかで享受されるミニマル・アートという動向がまさに展覧会という制度を通じて現れた、その逆説についても注意を促している。次に藤原貞朗「棲み分ける美術館・展覧会」。オリエンタリズムの普遍化が芸術のハイブリッド化をもたらしていた1920-30年代のパリで、いかにしてフランス美術の称揚が遂行されたかを分析している。なお、写真史に関連する記述が、Mary Anne Staniszewsky “The Power of Display” の書評に見受けられる。評者は鷲田めるろ。それによると、MoMAの展示についての歴史的な考察であるらしい本書は、日本にも巡回した「人間家族」展と、同じスタイケンの企画による「勝利への道」展の構成が類似していることを指摘し、<「勝利への道」展から「人間家族」展への変化を、アメリカという一国の平和を守るという論理から、世界の平和を守るという論理への変化として捉えている>とのこと。さらに評者は冷戦終結後の状況を踏まえながら、<他国の迫害される個人を守ることが別の暴力を正当化するとき、迫害される人間の一人一人の顔を見せることは戦争プロパガンダでもあり得る>と言い添えている。

2004.03.05. sotto in su

佐藤淳一展「Space, Lies (空間と嘘)」 (3月5日-13日、新川/ギャラリーMAKI) 。デジタル系の注目作家。1年前、同じギャラリーで見た前回展「Driving Air」では、掌におさめたデジカメによるノーファインダー・ショットを並べていた。画像は大きく傾き、しばしば天地さかさまになっていたと記憶する。デジカメの場合、掌に収めたまま、モニターをのぞき見ることもできる。それゆえ原理的には水平・垂直を守り、対象と目が一直線に位置するようにカメラを構えるという約束事はあまり意味をなさない。ノーファインダーという撮り方が従来含意していたはずの「反」の意識は希薄化し、その写真は重力の統御を失った画像の浮遊感を強く印象づけていた。今回の新作展では、極端な仰角・俯角を多用している。やはり天地さかさまのように見える写真もある。例えば超高層ビルを見上げると、どこに水平・垂直を定めてよいか分からなくなるけれど、そんなふうに重力のもたらす秩序を攪乱するような感じを今回もまた受け取る。ソッティンスーという言葉がふと頭をよぎる。下から上へ。バロック期の画家がクーポラ内壁に天使などを描く際に用いた短縮画法のことだが、バロック的な精神をその仕事に見ることができるような気もする。もうひとつ目をひいたのは、和紙のような紙に出力していること。モニター上に明滅するデジタル写真は物質性を消去する傾向を有すると一般に見なされるわけだが、紙の存在感を強調することで、デジタル写真をめぐって形成され始めた通念を先取りし、そこから早くも逸脱を企ててみようということらしい。こうしたヒネリ方を思ってみても、やはり面白い作家であることを再認識。

2004.03.10. ピンあと

横浜美術館コレクション展第3期 (12月17日-3月28日) 。写真部門は、石内都のデビュー作「絶唱・横須賀ストーリー」 (1977年) のオリジナルプリントと、金村修「Keihin Machine Soul」 (1996年) を見せている。石内のプリントは今回、箱状の額に収められている。しかし、四隅にピンを刺した跡が残る。かつては壁に直接ピンで留める展示形式を採ったことがあるらしい。その印象を想像すると、いわば標本のごとく保存されている今回の展示は相当隔たっているはずだが、しかし、さほどの違和感もなく見ることができた。単純に写真がいまもって生々しいためか。あるいは横須賀を再訪したイメージ自体が時間の感覚をはらんでおり、その後、プリントが経てきた遍歴もまた継起的な時間のなかで素直に受け止めることができるためなのか。そんなことを少しだけ考えてみたけれど、よく分からない。

2004.03.10. 駅/写真

横浜美術館に行ったついでに、2月1日開業したみなとみらい線に乗り、幾つかの駅に下りてみる。構内の内装デザインを建築家に依頼しており、それぞれ建築雑誌に作品として掲載され始めているのだが、写真を使って面白い効果を出していたのは、伊東豊雄が担当した「元町・中華街」駅。横浜の歴史を物語る写真をぽつりぽつりと、白っぽいというか、銀色っぽい壁面にあしらっている。その色合いのせいで、イメージを配した部分だけでなく、壁面全体が写真的な印象を与える。むろん使用イメージは往時のもの、おそらく人々はみな此岸にいないはずで、その印象には写真のもたらす不穏さも微かに含まれている。多くを知るわけではないけれど、これまでノマド、風の変様体などと軽快に語ってもいるこの建築家の独特な感性は、ここには意外に色濃く現れていたりするのかも。

2004.03.11. FUMIYART

藤井フミヤ「FUMIYART」展 (3月4-16日、東京駅八重洲口/大丸ミュージアム・東京) 。のぞいて見たのは半ば好奇心、半ば仕事上の関心による。チェックの衣装でとびはねていた時分からあまり好感を抱いてこなかったし、よもやま話の種にしようかというのが一つ、しかし近年、実は記録的な動員を示している展覧会であって、一度は見ておくべきかなという思いもあった。ところが、けっこう感心してしまった。展示冒頭に、次のような言葉が掲げられている。<アートは完全に孤独だ (…) アートは、すべてを断ち、無心になれる (…) 自分にとって、アートは、自分らしく生きていくために、そして自分を確認するために必要なものだ>。妙にアートを持ち上げたり、イメージ作りに利用したりという風ではなく、ストレートに向き合っている感じがある。基本的にはすべてCG作品。修練を要する手描きを避けたのは賢明な選択だが、それだけでもないらしい。10年ほどの軌跡を本展でたどると、最初は疑似宗教絵画ふうだが、空想建築、性的イメージと展開していく。次々にイメージが湧いてくるタイプのようで、手描きでは間に合わないという話もそれなりに頷ける。個々のイメージの出来・不出来はむろんあるにせよ、自らテーマを展開していく能力はかなり高い。さらには手仕事性に根ざさないCGから出発しながら、再び思うところがあったらしく、目下の関心事は<アートと職人>。おお、村上隆みたいじゃないか。一通り眺めたあと、ふと太刀打ちできる作家がどのくらいいるだろうか、などと考えてしまった。アート産業という観点で言えば、知名度・資本力とも、拮抗できる美術家はほとんどいない。そこで洋画壇に認知を求めるとか、下手さ加減を人柄にすりかえるような方向に行ってくれれば、ありがちな話で済むわけだが、そういうものでもない。何らかの批評軸を持ち込めば、質的な差異を言うことは可能だが、しかし逆に言えば、相応の批評軸を仮設すれば、現代美術のお約束を意識しすぎて狭い隙間にはさまってみたり、リヒター風と言えばそれ風の絵をやたらにうまく描いてみせたりといった作品以上の評価を与えてみることも可能かもしれない。ともあれ失礼な先入観を抱いていたことは間違いなく、ひとつの現象としてどう理解すべきか、ときどき頭の片隅で考えてしまいそう。

2004.03.25. 水煙

千田泰宏「焔・ほむら」展 (3月24日-4月4日、pg) 。水を使ったプロジェクション作品と聞き、何となく楽しみにしていた展覧会。このhpに書きはじめたころ、江戸川乱歩の随筆に出てくる見世物の話に触れ、<竹にたくさん小さな穴を開け、そこからたちこめる蒸気を一種のスクリーンにして、映像を投射するというもの。いまの美術館やギャラリーで蒸気はNGだろうが> (2001年0131、乱歩の項) と記したことがあった。会場を訪ねたところ、やはり実現には困難もあるようで、なお作家はセッティングに苦労しているようだったが、水煙への投影というよりは、点々と落下する水滴が連続する閃光によって照射される、といった感じになっていた。先入観として乱歩の随筆があったためか、素朴な印象として初期の映画を思わせて、興味をそそられる眺めではあったのだが、この水滴がタイトルに言う「焔」に変貌したりするような魔術的な瞬間、あるいは同じころ書いたことを引き合いに出せば、「炭取りが回る」ような驚異への跳躍が訪れるのかどうか、このとき見た限りでは判然としなかった。

2004.03.26. 国吉

国吉康雄展 (3月23日-5月16日、東京・竹橋/東京国立近代美術館) 。戦前のアメリカで名をなし、戦時中に自己の帰属をめぐる葛藤にさいなまれた画家として、いわば定型的な語られ方もしている国吉だが、この展覧会で最も興味をそそられたのは、ほかでもない、画家と写真のかかわり。カメラ愛好家であるハワード・ベイカー駐日米国大使がカタログにあいさつを寄せて、<私自身、写真家として彼の写真の腕も高く評価するものですが>と記しているのは妙な案配だが、ともあれ国吉の撮影した写真が20点余り出品されている。渡米した国吉は職業写真家として、絵画の複写などを手がけていたことがある。さらにライカを手に入れており、今回出品されている写真はライカで撮ったものらしい。もとより国際的なモダニズムと無縁ではない国吉が写真に関心を寄せたのは当然のこととも言えそうだが、しかし、何か深いところで写真に触れているという感じを、この展覧会は抱かせる。一例を挙げれば、よく知られる「カメラを持つ自画像」は表題の通り、カメラマンとして自らを描き出しているわけだが、不思議なことに、国吉が撮影しようとしている風景はモノトーンと化している。合理的に解釈するとすれば、写真を複写しようとしているということになるだろうか。だが、いずれにせよ画中画ふうのこのパートは、マチエールといい、疎隔感を秘めた雰囲気といい、国吉が描き出した風景画の特質を如実に示している。逆に敷衍すれば、国吉の画風が多少なりとも写真と関連しているのではないかという想像をふと抱かせもする。このほか国吉は一度ならず、静物画を構成する一モチーフとして、写真を描き込んでいる。ひとまず画中画ないしコラージュのような効果を狙ったものと解することができるわけだが、画中画がほとんどつねに表象に対する自己言及である以上、絵画と写真の関係についての思考がそこに託されていないかどうか、探りを入れてみることもできそうに思われた。

2004.03.26. 文脈

この日、ウィーンのアルベルティーナ美術館で古屋誠一展が開幕したはずだが (8月29日まで) 、その案内状を机上で眺める。古屋展は同時に開かれる3本のうちの1つにあたるようで、レンブラント展、古屋展、そしてポップ&ミニマリズム展の順に記載されている。ちょっと興味を引かれるのは、この案内状にレンブラント「フローラに扮するサスキア」と、クリスティーネを撮った古屋作品が表裏にレイアウトされていること。古屋氏に対する高い評価をうかがわせるわけだが、伴侶の肖像という点で共通する。こうした文脈付けが実際の展示にも反映しているのかどうかは、残念ながら2つの展覧会を見てみないと分からないことに属するのだが。


2004.04.09. シンクロ

洪浩展 (Hong Hao) 展 (3月22日-5月1日、京橋/BASE GALLERY) 。軽い驚きを覚えたのは、「My Things」というシリーズ。写真によるアッサンブラージュというのか、身辺にあふれる様々なモノをフラットに並べ、黒バックで撮影したシリーズは、先ごろ閉幕した東京都現代美術館「私はどこから来たのか/そしてどこへ行くのか」展の出品作のひとつ、磯山智之「オレンジ・キャンディーズ」を思い出させた。むろん差異を数え上げることも可能だし、一方が他方に影響を及ぼしたというたぐいの話ではおそらくないと思うのだが、けっこう見た目に似てしまっているのも事実。それを同じ時期、同じ東京で見かけたということに、何となく興味をそそられた次第。それぞれの他のシリーズを見れば、異なる文脈から生み出されたものかとも思われるわけだが、この中国人作家がほかの自画像のシリーズで、欧米化した中国に生きる自己の帰属をめぐるテーマを扱っていること、また磯山が別のシリーズで曼陀羅のイメージを借用していることを思えば、アジア的ということ、あるいは消費社会への応接といった点で、じつは共通する発想の枠組みがあるのかもしれない。

2004.04.23. 屈み

あまり外を出歩けない繁忙期の偶感。久しぶりに多田智満子「鏡のテオーリア」 (ちくま学芸文庫) を読み返したところ、鏡の語源について、いまは亡い詩人が「屈み」ではないかと思われた、と記した下りに目がとまった。水鏡をのぞき込む仕草を思い浮かべてのことらしい。この一文は、辞典を参照しながら「屈み」説をただちに撤回し、「赫見 (かがみ) 」が正しかろう、と続くわけだが、誤りだとしても「鏡-水鏡-屈み」という連想には興味をそそられる。見る行為とそれに伴う身ぶりの関係をさっとイメージさせるところがあるからで、それは例えば多重露光による、天地の定まらない吉増剛造の写真のありようとも多少触れ合うことのような気もする。

2004.04.28. カタログより1

水戸芸術館で始まり、東京に巡回してきた「YES オノ・ヨーコ」展 (4月17日-6月27日、東京都現代美術館) のカタログより。アレクサンドラ・モンローの論考はその冒頭で、作家の出自と東洋的な文人の伝統の関連について言及している。<オノが貴族として譲り受けたものは、彼女があらゆる芸術-音楽、詩、パフォーマンス、絵画-の間をごく自然に行き来することに通じているとも考えられる。日本のエリート文化の中核をなしたのは文人たちであり、彼らの理想においては、絵画、漢詩、書の「三芸に秀でる」ことと、音楽と碁に「たしなむ」ことが、精神性を高める-人生における崇高の目標-ための最良の方法であると広く認識されていた>。例えば<彼らは詩書画三絶を理想とし、琴棋書画をたしなむことが・・・>というようなことを外国の皆さんに説明した英語からの翻訳かなと思うのだが、しかし、詩書画三絶といったタームが用いられていないのはどういうわけなのだろうか。訳語として思い浮かばなかった、ないしはこの程度の言葉であれ、日本の鑑賞者に伝わりにくいといった判断に基づくとすれば、ここで言われる文人の伝統なるものは、現代日本においては廃絶したに等しいということなのだろう。もとよりオノ・ヨーコが育ったころの知的環境においては、今日よりも確かに息づいていたにせよ、彼女の創作との関係をどの程度に見積もるべきなのか・・・という方向にまでかすかな疑念を飛び火させるのに十分な訳文というべきか。ともあれ日本的な要素に関するモンローによる指摘を、かかる翻訳を介して受け取りながら、ふと今回の帰国展のありようについて思いを及ぼすところがあった。

2004.04.28. カタログより2

セゾン現代美術館が企画に参加し、東京芸大大学美術館と東京都現代美術館の2会場で開かれている「再考 近代日本の絵画」展 (4月10日-6月20日) のカタログより。第4章「静物論」を見ると、岸田劉生、速水御舟、土田麦僊ら大正期の画家が試みた細密描写による静物画について、次の一節がある。<「大正期の細密描写」展 (東京国立近代美術館ほか、1986-87年) では、こうした作家たちがこの時期多く出た理由を、作家個人の宗教的な資質と、西洋近代絵画の性急な移入に対する反抗に求めている。新しい世代の作家たちが、近代絵画としての造形性を獲得するために、西洋の伝統的な写実に立ち返って学びなおす必要を感じたということである>。この最後の一文に言う<西洋の伝統的な写 実>とは、<東洋の>の誤植なのでは? という感じが一瞬よぎった。引かれる「大正期の細密描写」展がどんな説明を行っているのか、確かめていないことをお断りしなければならないけれど、カタログにも掲げられる麦僊の絵の一つが「蔬菜」と名付けられている通り、彼らの絵は「蔬菜図」などと言われる伝統的なジャンルを参照しているふしがある。劉生について言えば、確かにデューラーあたりに傾倒していたのも事実で、その意味では<西洋の>と言うことができよう。今回の出品作もその静物画群のなかでは初期に属するはずだが、やがて宋元絵画、特に花鳥画を熱烈に賛美するに至ったのは知られる通り。いま引いた下りが誤植でないとすれば、というか、誤植ではないように思われるのだが、この静物画のパートでは、蔬菜図のみならず、花卉雑画だとか草虫図、はたまた文房図その他、前近代においても静物画的な題材を描く絵画ジャンルが存在していたということが明瞭に意識されなかったか、さしたる顧慮を払う必要はないと見なされたということになろう。もとより東洋の伝統に敬意を払うべきだなどと言うつもりなどまったくないが、その存在を抜きにして、果たして近代日本絵画の近代性なるものを見定めることができるのだろうか、という気はしないでもない。ひとまずは近代と対になるものとして多少なり目配りをしたほうがよいのかも、という程度の話だが、それだけでもない。例えば劉生が宋元絵画を称揚した有名な論考は「東西の美術を論じて宋元の写生画に及ぶ」と題されている。そのタイトルが物語る通り、言説としてはまぎれもなく近代的な枠組みに属し、西洋的な写 生の文脈を経由した上で宋元絵画を称揚しているわけだが、こんな風に近代性そのものが伝統へのまなざしを要請するということがままある。そのような伝統の二重性のうちに、あるいは近代日本の絵画における近代性なるものの指標も浮かび上がるのではないだろうか、というようなことを思うわけなのだが。

2004.04.28. とはいえ

そんなことを考えさせてくれたということもあるし、何よりも有名な作品をふんだんに集めており、さらに初めて見るような作品も交えて、数多くの作品をじかに見ることができるという意味で、この「再考 近代日本の絵画」は値打ち物の展覧会だとは思う。個人的な感想を一つだけ。2つの会場を歩いてみて、総じて近代性の指標を見定めるという以前に、怒涛のごとく作品が続いていくような感じがあって、そこに興味をそそられた。何年か前、MoMAが三期にわたるモダニズムの大回顧展を開いた際、第一部が「Modern starts here」と題されていたのを思い出すのだが、翻って今回のカタログの構成は、近代への移行期を博覧会美術、アカデミズムの形成という風に制度論的な枠組みでまとめ、そのまま風景画、静物画、肖像画というジャンル別の章立てに移ってしまう。所収のテキストのなかでは、多木浩二論文が1907年の「方寸」創刊から1912年の第一回フューザン会展のあたりを<モダニズムの成熟の目安>として注目するよう促すものの、やはり<成熟の目安>という言い方となっている。 MoMAのごとく過剰な自信をもって近代の始点はここにあり、などとは言い得ないにせよ、見た目には近代的と映る要素が、欧米由来の制度だとか意匠の単なる移植によるものなのか、近代性の指標なのか、なかなか判然としないまま、それなりの変化や新しさとともに今日に至ってしまうのは、展覧会の構成による以上に、あるいは近代日本の絵画なるものがそういうものだということなのだろうか・・・。巻頭の難波英夫論文は、導入部の美意識が最後のパートの底流にある美意識として結びつくことがあれば、<出口がいまなお入口であるという、つまりは近代は未完であるという私たちの理解であり決意であるものが伝わったということになるのだろう>と述べる。この言い方は未完のプロジェクトとしての近代観を思い出させるわけだが、それとは別の地域的な事情として、近代と言えば言えそうなプロセスが、いつとは定かには言えないけれど始まったらしく、どうやら今も続いているようだ・・・というような感じを抱かされ、そのことにむしろ展覧会を見た甲斐を感じた。

2004.04.28. 映画学

東京大学出版会「UP」誌5月号に、吉本光宏「映画学は必要ない」という刺激的な一文が載っている。昨今の大学改革、それに伴う文学部の再編成のなかで、「映像論」といった科目やカリキュラムがたくさん生まれているのは知られるとおりだが、そのなかで映画研究を「映画学」という専門分野として確立しようという努力に対して、筆者は二つの理由を挙げて<無駄に終わる可能性が高い>と述べる。まず映画学が日本国内では未成熟な学問領域だとしても、米国におけるフィルムスタディーズはアカデミズム内での正統性を獲得してすでに久しいという前提がある。ところが大学の危機はグローバルな現象であって、同じ地殻変動がアメリカの大学をも揺さぶっている。それを踏まえれば<今さら日本の大学制度という「廃虚」のうえにアメリカの大学制度という「廃虚」を接ぎ木しても仕方がない><大学という制度および人文科学系ディシプリンの危機の原因がどこにあるかを少しでも真剣に考えれば、気楽に専門分野としての映画学の必要性を説くことなどできないはずである>というのである。第二に、フィルムスタディーズが専門分野として確立されるとともに、旧来の人文的教養を脅かす映画本来のいかがわしさは忘却されてしまった。それゆえに<人文科学の危機に対して、何ら積極的な対応ができていないフィルムスタディーズをモデルに映画学を立ち上げようとすることはある種のアナクロニズム>だとも。むろん現状を嘆くだけでなく、幾つかの提案も書き添えている。いわく、既にいる教員の再配置でなく、「映画研究」「映像論」という看板にふさわしい人材を招こう、しかし安易な現場主義や素人映画談義をアカデミックな場に持ち込むのはよそう等々。筆者は1961年生まれの、ニューヨーク大学東アジア学部准教授だとのこと。アメリカの現状はおろか、日本での映画研究がどの程度のものなのかよく知らないこともあって、何となく写真方面の話を思い浮かべながら、興味深く読んだ。

2004.04.28. ネオ

森山大道「Neography」 (4月17日-5月7日、渋谷/ヒステリック・グラマー) 。大道サイコー! みたいな感じがますます高まる今日この頃だが、近年の活躍に火を付けたとも言えるヒステリックでの森山展。お店に行ったのは実は初めてなのだが、原宿と渋谷の中間あたり、洋服なんかを売っている店舗の中に、展示スペースは作られていた。並べられていたのは、森山の写真に「eccentric」「adrenalin」「striptease」といった英語をシンプルにレイアウトした、ポスター風のグラフィック作品。ポスター風だが、しかし、やっぱりエディション付きの作品でもあるらしく、それなりの値段の記された価格表が置かれてもいた。面白いと言えば面白いようにも思えたのは、商業施設内に作品展としてのスペースを確保した上で、しかし、いかにも作品然としたプリントではなく商業的なポスター風のイメージを掲げ、さりとて、それをポスターとして使用するのではなく、作品としてきちんと価値付ける、という入れ子状のありよう。その作品性が高く評価される一方で、やはり写真とは複製イメージだから面白いと語る写真家であればこその展示ということか。

2004.04.28. 石膏

平井正義「写真展」 (4月19日-5月1日、新橋/マキイマサルファインアーツ・S) 。これまでのシリーズとは大きく異なる作品。広角レンズを使い、彫刻作品 (実は石膏像) を別の角度から撮った、連続する2カットをそのままプリントしている。前回と同じく、たまたま会場で作者と会い、それを踏まえて書いているのだけれど、基本的にはイメージの歪みや2つのカットのずれを通じて、写真について考察するといった意図の作品であるらしい。逆に個人的な興味から尋ねてみたのは、そのための被写 体に選んだのが石膏像であるゆえん。石膏像の場合と、あるいは現実的な困難があるにせよ、大理石など真正の彫刻作品を用いた場合とでは呼び寄せる意味が異なるように思われたので。作者は石膏像が日本の美術教育のアイコン的な存在であること等を意識していたとのこと。さらに言えば、複製物という点で写真と重なるところも出てきそう。他方で真正の彫刻を採用すれば、その多視点性をめぐる伝統的な議論を思い出させることになったかもしれない。どちらがどうという話ではむろんないが、写真による写真論の場合、現実の被写体の存在をどう扱うのか、それなりに厄介なところがあるらしい。あと言い添えると、広角レンズによって石膏像がぐにゃりと流れるように歪むあたりは、以前の作品に感覚的に通じるところがありそうに思ったりもした。


2004.05.12. ブル

ピエール・ブルデュー写真展「アルジェリア 選択的親和性」 (4月20日-5月22日、東京・飯田橋/東京日仏学院) 。ブルデュー・・・よく知らないんだけどなと思いつつ、カメラ・オーストリアの企画というので、出かけてみる。そのキャリアの最初期にあたる1950年代末、アルジェリアでの写真。撮りながらブルデューは、いわば撮ることの倫理を自問していたようである。<わたしはひとりで山の中の破壊された村に徒歩で出かけていきました。住民を出て行かせるために屋根を取ってしまった家が残っていました> (カタログを一部邦訳した冊子からの引用、以下同じ) 。そこに当時、研究対象としていた、穀物を貯える甕があった。それを撮影できることを嬉しく思った。<矛盾しているわけです。屋根がないおかげで家の中と固定した家具の写真が撮れました。これはわたしの体験の異様さをよく示していると思います。そうした境遇を余儀なくされている人々の苦しみに動転している、胸を打たれている一方で、観察者として距離を置いている、つまり写真を撮っているというわけです>。屋根を取り去り、家具を白日のもとにさらけ出す行為と写真撮影がさして違わないということに注意を促しながら、同時に、ブルデューはもうひとつの側面を強調している。<しかしながら写真はまた、親しい者が間近にいるということをも意味しています。感知できないような細部、しかし親しいからこそ即座に気がつき解釈することができる、いや、出来なければならない細部に対して、日常的行動のなかで、どんなに注意深い民族学者でも見逃してしまうような極微なものに対して注意深く (attentif) 敏感な者が間近にいるということを意味している><わたしは自分の研究対象について、それが人間であるということを一度たりとも忘れたことはありませんし、 (滑稽視されるのを恐れず敢えて言いますが) その人々に親愛のまなざし、ときには感傷的でさえあるまなざしを注いできました>。観察者と被観察者という関係、その間の距離を作り出す一方で、その関係、距離を乗り越え得る写真。後者のような写真観がそのまま投げ出されるのではなく、前者のありようについてattentifであればこそ耳を傾けたくなる話で、それゆえに写真も興味深いものとなっているように思われた。

2004.05.12. ダブル

この春の話題と言えば、やはり澤田知子の木村伊兵衛賞、米・ICPのinfinity awardのダブル受賞となるだろうか。この日は後者の贈賞式だったはずだが、ICPのホームページを見て、ちょっと驚かされた。最初に挙げられているyoung photographer部門の澤田に続いて、出版部門はアーバス「revelations」 (たぶんSFMoMAによるアーバス展のカタログ) 、文筆部門はスーザン・ソンタグ、アート部門はフィオナ・タン・・・と続き、Cornell Capa infinity awardというのにヨゼフ・クーデルカ、Getty images lifetime achievement awardというのにエグルストン、といった顔ぶれになっている。いやー、すごいな。ちなみに一部で知られる通り、young photographer部門の第1回受賞者 (1985年) は宮澤正明で、受賞作のシリーズを含む『宮澤正明赤外写真集』は1999年、講談社から刊行されている。その当時、どんな風に注目されたのか分からないのだが、しかし、澤田については、木村賞とICP賞という未曽有のパターンにしては、あまり話題となっていないような気もする。ちょうど相前後する時期、桐野夏生『OUT』が米・エドガー賞にノミネートされ、ずいぶん話題を呼んだのと比べてそう言ってみるわけだが、結局、受賞を逃したにもかかわらず、文壇方面では、小説も国際化だ! とみな頬を紅潮させている様子。個人的にはまあ、写真方面の淡々とした感じの方を好ましく思いもするけれど。

2004.05.12. もうひとつの

『もうひとつの、きょうのできごと』 (2004年3月、河出書房新社刊) という本を眺める。柴崎友香という方の小説をもとにした「きょうのできごと」という映画に関連して企画された本であるらしい。原作者が映画の「その後」を4編の短編小説の形であらたに執筆し、それぞれに野口里佳、森山大道、野村佐紀子、吉永マサユキの4人が映画の出演者をモデルに撮った写真を組み合わせている。このうち特に野口、野村の2人は、驚くほど自然に持ち前の撮り方のうちに溶け込ませている。おそらくは与えられた世界観、被写体であるにもかかわらず。こうした感じに、映画のスチール写真やオフショット集をいわゆる今っぽい写真家に依頼したケースを近ごろときおり見かけるわけだが、写真家の側にとっては、どういう感じなのだろう。本来の作品に対して、「もうひとつの」お仕事という風に、一般的にはなるのかなと思うのだが、それまでに作り上げてきた撮り方なり作品イメージを期待され、すんなり提供しているケースもあるような気がする。その場合、キャパシティーの大きさや、センスが合うのであれば活動領域にはこだわらないという考え方を示す一方で、その撮り方なり作品イメージがいかなる場合においても、とまでは言わないにせよ、かなり広い範囲に適用可能なソフトであるということを自ら証し立てるということになったりしないのだろうか。というようなこともちょっと思う。

2004.05.13. ロマン

野口里佳展 (4月24日-7月25日、東京・品川/原美術館) 。東京方面では2001年のパルコギャラリー以来となる、比較的大きな展示。本格的な回顧展とは言いにくいが、代表的なシリーズや新作を見ることができる。初期の「潜る人」は少し黄ばんでいるように見えて、一瞬ぎょっとさせられるのだが、そういう効果を意図的に出し、定着させたニュープリントであるらしい。さて、今回は英・バーミンガムのアイコンギャラリーで同時期に個展が開かれるということで、両会場共通のカタログを兼ねた『この星』という本が刊行されている。そこにアイコンギャラリー館長、ジョナサン・ワトキンスは次のように記す。<彼女は部外者、異質な者の眼で観察する。異なる世界での見知らぬ人々との遭遇、そして彼等となにかを共有することに関心がある。他の文献でも指摘されていることだが、これまでの野口作品に登場する没個性の人々――“匿名の人”たちは、19世紀ドイツの画家カスパー ダーヴィット フリードリヒが描く風景に登場する人物と共通する意味を持っている。私たちはこの人物のうちの誰にでも成りうる――例えば、どこまでも永遠に続く世界を前に屈服する卑小な存在でしかない、フリードリヒの『海辺の僧侶』その人にも>。話としては、写真にはディテールがあり、人々は類型的ではないけれど、逆に類型的ではないからこそ何かを共有できるのだ、という風に続くわけだが、ここでフリードリヒが引き合いに出されていることに少し興味をそそられる。この展覧会にもうかがわれる通り、野口はしばしば大きな世界とささやかな人間のコントラストを強調してきた。潜水とロケット発射が象徴するように、世界は垂直方向に広がり、人間は垂直軸に沿って、いわばささやかな営みを繰り返す。その意味では<どこまでも永遠に続く世界を前に屈服する卑小な存在>というロマン主義的なコントラストと、枠組みとしては共通する側面を有していると言えそうなのだが、ただし、そこに陶酔・没入するわけではない。はるかな世界の広がりと、そこでの意味があるともないとも分からない行為をともながらに愛でている。野口作品にすんなり感情移入してきたわけではないけれど、その「ともながら」というところにおそらく発する、何か底が抜けたような感じは独特なのかな、という気はする。

2004.05.13. 雨

春木麻衣子展「雨」 (4月16日-5月15日、東京・六本木/Taro Nasu Gellery) 。たしか過去2回、展覧会を見たことがあるのだが、いずれも大きなプリントを吊り下げる、インスタレーション風の見せ方をしていたように思う。今回は額に入れて並べ、ストレートに見せている。それゆえに独特の切り取り方をするタイプであることがよく分かる。見た目は極めてミニマル。例えば上から三分の一くらいが黒、残りが白といった抽象絵画のようなのだが、かすかに降り注ぐ雨滴が見える。実は高架を下からあおっているために、その裏側が黒く、その下に広がる空が白く写っており、それらを背景として雨が降り続けている、ということらしい。抽象絵画ではなく、現実の光景。モノクロームのように見えて、実はカラープリント。そういう見え方の変化を導き、現実のディテールや色によってイメージを浸していくものとして、ここでの雨は機能している。むろんミニマルなイメージが実は現実から切り取られたものでした、といった作品そのものは今日よく見かけるところであって、このシリーズが何かの方向に掘り下げられるのか、あるいは別のシリーズとの連関によって重層的な意味を備えていくのか、そのあたりはまだ分からない。

2004.05.21. オープニング1

宮本隆司展「壊れゆくもの・生まれいずるもの」 (5月22日-7月4日、東京・砧公園/世田谷美術館) のオープニング。東京都写真美術館でも奈良原一高展が始まり、すでに原美術館では野口里佳展が開かれている。美術館での写真展がほんとに増えたな、と改めて思う。しかも老壮青の人材をバランスよく……って、そりゃ政界用語か。さて、宮本展について。会場で目を見張ったのは「建築の黙示録」のクオリティの高さ。それから気になったこと。林道郎による今後、宮本論の枠組みに決定的な作用を及ぼすであろう論考を収めるカタログだが、ざっと通読した限りでは、カタログ中に山中信夫の名前が出てこない。これは当方にもよく分からないことなのだけれど、山中と宮本の作品上の関係というのは、どのようなものなのだろうか。以前にpgで開かれた“写真原理主義”をめぐる座談では、ピンホールという話題の性格上、山中の仕事がクローズアップされていたわけだが、同じ座談で、住宅は都市を埋蔵するという原広司の言葉を宮本は挙げており、なんとはなし山中の「9階上のピンホール」を思い合わせたくなる。ちなみに年譜上の偶然ながら、たしか山中が亡くなった翌年、「建築の黙示録」の撮影を開始し、いまピンホールを手がける宮本の仕事にとって、山中の仕事がどういう位相にあるのかはちょっと知りたいことだったのだが。

2004.05.24. オープニング2

奈良原一高展「時空の鏡:シンクロニシティ」 (5月22日-7月11日、東京・恵比寿/東京都写真美術館) の内覧。一昨年から昨年にかけて、パリ・ヨーロッパ写真美術館で開かれた回顧展もたまたま見たのだが、同じレトロスペクティブとはいえ、相当に違ったものとなっている。パリ展がほとんどモノクロに絞り、いわゆる写真美学を強調していたのに対して、今回はそこで除外されたシリーズも積極的に取り込み、ダイジェストとはいえ、いわば“奈良原一高・全仕事”的な内容となっている。1960年代のファッション写真というのも目をひくひとつ。「静止した時間」「消滅した時間」あたりに美学的な達成を見る人にはあるいは不評なのかもしれないあれこれの実験的な作品についても、多くのシリーズを比較的フラットに並べているため、相対的にウェートが置かれる形となっている。ポイントが絞れていないという見方もあるのかもしれない。しかし、写真家の全貌を俯瞰できるという意味ではもとより見るに値するし、個人的には、この人に限らず、VIVO世代の面々が幾つになっても、え? と首を傾げさせかねないような仕事を発表しつづける姿に敬意を抱いているので、今回の展示もいいなと思った。ところで2フロアにあたる展示構成の上で、興味をそそられたのは、いずれも中央に円形の空間を配し、螺旋を意識させるレイアウトにしてあること。二階部分では「無国籍地」とか1950年代のスナップあたりに始まって、海外に出ていき、ついにはアポロ17号の打ち上げを撮るに至る軌跡を見せているのだが、中央に配されたベネチアの、耽美的にして沈潜的なトーンの写真で、地下に連続するかのよう。そこではレントゲン写真のコラージュ「空」だとか、身体の失調とそれに伴う視覚の変容にインスパイアされた実験的な作品が繰り広げられている。両フロアを通じて、上方に向かって広がり、下方に向かって求心的に収斂する螺旋を現出させることを、この展示構成はあきらかに意図している。写真家本人の発案だとのことだが、こうしたレイアウトの抽象性は、生来の思考の形をよく示していよう。もとより写真そのもの、特に後半の実験的な作品に一貫している、自意識の粘性をまったく感じさせないオートマティックなイメージの扱い方にも通じている。

2004.05.27. 蓮

伊藤義彦展「蓮の泡」 (4月14日-5月28日、東京・芝浦/P.G.I.) 。写真による時間的な切断を再度操作するような一連の仕事で知られる人だが、今回の被写体はタイトルの通り、蓮の葉とそこに生じる泡。大きな蓮の葉のくぼみには、よく見られるように雨水がたまる。ところが初めて知ったことだが、蓮も呼吸をしており、葉の中央から空気を吐くものらしい。たまった雨水にはそれゆえブクブクと泡ができる。この自然現象を定点観測的に撮影し、時間的に連続する複数のプリントを裂き、コラージュすることで作品化している。蓮と言えば、仏教的な抹香くささを連想させるかもしれないけれど、作品そのものは実のところ、何というのか、相当ぶきみなことになっている。精緻なモノクロームのプリントは雨水をためた蓮の葉をぬらりとした質感のうちにとらえており、その形状がもこもこと連続するさまは、なにやら巨大な芋虫が横たわり、しかも横腹から大小の泡をはき出しているみたい……いや、そういう見立てはよくないよ、という意見があって当然だとは思うのだが、しかし、ひょっとして写真家が抱いている時間の質感って、というようなことも頭をかすめた次第。

2004.05.28. ブーム

やはりブーム、なのだろう。先にも触れた東京・渋谷のヒステリックグラマーにおける「Neography」 (4月17日-5月7日) 、映画のサブストーリー+写真集「もうひとつの、きょうのできごと」 (河出書房新社) への参加、はたまた東京・京橋のINAXギャラリー1では「彼岸は廻る-越後妻有版・真実のリア王」展 (5月10日-22日) が開かれ、同名の写真集 (現代企画室) が刊行され……といった具合だが、さらには最初にして最後のファッション写真と銘打った、滝沢直己デザインによるイッセイミヤケのファッションをパリで撮った写真集「Novembre」 (月曜社) が刊行されることになり、この日は東京・六本木のショップで出版記念会。まさに引っ張りだこ。たぶん自分から撮りたいというよりも、依頼されての仕事が多いように思うのだが、写真家の側が近年大きく変わったという風でもないわけで、こうまで続くと、依頼した側は森山大道という写真家にどのようなことを期待しているのか、素朴に知りたい気もしてくる。ちなみにこの日、写真家自身も姿を見せ、写真集を買うとサインがもらえたのだが、長蛇の列がとぎれない。いちおう見たかったので購入したが、何となくサインはいいやと思って、お店の方に写真集だけ下さいと言ったら、少し不思議そうな顔をされた。


2004.06.09. 光

千住博展「美の鼓動・25年の軌跡」 (6月2-14日、東京/日本橋高島屋) 。もとより写真家ではなく、いまをときめく日本画家の方だが、ちょっと驚いたので。主要作品を集めたなかで目玉となっているのは、1995年のベネチア・ビエンナーレで高い評価を得た「ザ・フォール」という大作。何というのか、抽象表現主義風になどと言ってはいけないのだろうが、ともかく大画面に白の顔料を垂直にしたたらせて、それをそのまま滝だと具象絵画にしてしまったシリーズの一つ。かの地でもそうだったと聞いたが、作品の前に水を張ったスペースを設けている。しかも見ていると、なんだか絵の色目が変わっていくような……振り返ってみると、ごつい四色のライトが天井のあちこちに配され、ゆっくりと明滅を繰り返している。ああ、これってライト・アート系インスタレーションだったのか、と納得。

2004.06.19. PHE1

たまたまマドリードに行く機会があり、行ってみたらPHOTO ESPANA 2004という写真フェスティバルをやっていた (会期は6月4日-7月18日、ただし展覧会ごとに違いがある) 。情けない話ながら、この前日、ホテルのエレベーターで乗り合わせたポルトガルの記者から「セントロ・クルトゥーロでやっている写真展に行ってきた」と聞かされ、初めて開催を知った次第。そんなわけで「スペインまで来て写真かよ」と一人ツッコミを入れながら、空いていた半日で見て回ることに。まずはレイナ・ソフィア芸術センターで、ハンドブックを購入。10ユーロ。カタログは別に作成されているのだが、このハンドブックも実に300ページに迫る。そこに記されている一文には、フェスティバルが始まった1998年当時、スペインにおける写真表現はまだクリエイティブな世界とアート・マーケットにおいて認知を得るべく戦っていたが、7回目となる現在、写真は創造の中央に位置している・・・と高らかに記されている。総合テーマは「Historias」。ドキュメンタリー的な志向を持つ表現の新たな語り口にフォーカスしているようす。ざっと50ほどの展覧会とさまざまなプログラムで構成されている。その一つとして、レイナ・ソフィアでもIsidro Blasco (1962年、マドリード生まれ) という作家の写真・ビデオを使ったインスタレーションが行われていたのだが、あまり面白くなかったので、カフェでハンドブックと地図を見比べながら、限られた時間でどう見て回るべきか、ひと思案・・・。以下の項目は、しかるのち駆け足で巡ってみた展覧会についてのご報告です。

2004.06.19. PHE2

まずアトーチャ駅前の植物園では、園内の建物を使って2つの個展をやっていた。一つはリネケ・ダイクストラ展。例の徴兵ポートレートと、京都などで見たことのある、若い衆が目もうつろにクラブで踊りまくるビデオ作品。目下の代表的な2シリーズを出してみましたという感じで、特に新味なし。ものすごい日差しの植物園でそれを見ている論理的な脈絡は・・・というギモンが一瞬よぎって、どこかに過ぎ去る。もう一つはアメリカのデニス・アダムズ展。青空にいろいろなものや印刷物が浮かんでいる写真で、そこに読まれる“He is No Terrorist”といった字句を見れば、浮かんでいるというよりは高みから降ってくるイメージであるらしい。つまりは9・11のもたらしたトラウマをストレートに図像化したような写真。率直に言えば、ストレートに過ぎるような気もするわけだが、向かいのアトーチャ駅は最近、テロに襲われたばかり。それを踏まえた上で、本展をこの会場に割り振ったのかどうかは分からない。だが結果的にそうなっただけだとしても、マドリードの人々はこの作品をよりシリアスに受け止めたかもしれない。

2004.06.19. PHE3

続いて行ってみたのは、カサ・デ・アメリカという会場。写真家3人の個展を同時に開催していた。最初に見たイヴォンヌ・ヴェネガス (1970年、カリフォルニア生まれ) は、結婚式のスナップ風写真。メキシコ・ティファナの中流階級の結婚式だという。幸福感に満ちた日常風景のうちに、その地域・階級において社会化された振る舞いを浮かび上がらせようとしているようす。だが最も驚かされたのは、その次に見たエンリケ・メティニデス (1934年、メキシコ生まれ) 。メキシコのウィージーとの異名を取る写真家だというのだが、自動車や電車、飛行機の事故、はたまた街角の暴力や自殺など、とても同じ人物が撮ったとは思えないほど無数の惨事に立ち会っている。画像の質もかなり高く、ひょっとしてコンストラクテッド・フォトなのでは? というあらぬ疑念さえ一瞬抱かせるほど。一般的に言って、多くの都市において、惨劇はカメラを閉め出す傾向を強めているはず。メティニデスの写真を見る限り、惨事の周囲に多くの群衆が集まっており、メキシコの独特さもあるのかもしれないのだが、1940年代から90年代に至るまで、かくも衝撃的な写真を撮り続けた報道カメラマンというのも希有というべきかもしれない。ちなみにロンドンのphotographers’ galleryからの巡回展であるよし。最後に見たニコラス・ゴールドバーグ (1978年、パリ生まれ) は、アルゼンチンのカルロス・メネム元大統領の選挙キャンペーンを追いかけている。ちょっと変わっているのは一切キャプションを付しておらず、展覧会名も「無題 2003」としていること。それゆえド派手で、芝居っ気たっぷりの選挙キャンペーンは、なにか神話的な祝祭空間にふと横滑りしていくかのよう。これはこれでドキュメンタリーの新手法と言えるかもしれない。なおゴールドバーグはJ・ナクトウェイの助手をやっていたこともあるという。3つの個展はカサ・デ・アメリカという施設に合わせたのか、南北アメリカに関連する内容となっている。それらがいずれも興味深いものとなっているのは、スペイン語圏ネットワークによるものか。

2004.06.19. PHE4

さらに歩いて、Centro culuturo de la villaにおける Variaciones en Espana Fotografia y arte 1900-1980展へ。ポルトガルの記者が面白かったと言っていた「セントロ・クルトゥーロの写真展」はこれのこと。受け付け横の壁には、どういうわけか今井俊満の大作が掛かっていた。今井さん、やっぱりヨーロッパで頑張っていたんだな、と少ししんみり。そこにいた女の子に「あれって日本の画家の絵で、彼は最近亡くなったばかりなんだよ」と言ってみたが、日本の画家ということも知らなかったという。さて、この展覧会はスペインの20世紀写真史を扱っている。ただし特に展示前半においては、スペイン人写真家の仕事と同じか、それを上回るほどの比重で、スペインを撮った外国の写真家の仕事を集めており、スペインがいかに写真のなかで表象されたかという点に目を向けている。たとえばカルティエ=ブレッソンやユージン・スミス、ロバート・フランクらの写真、はたまたハートフィールドのフォト・モンタージュなども出品されている。それもあって、この展示はスペイン写真史を扱う内容ながら、写真史の世界的な同時性を強く印象づけるものとなっている。ふらりと入ってみた日本からの来訪者にとっても、なんだか福原信三みたいな闘牛の写真だな・・・だとか、いろいろ類推をめぐらせながら楽しむことができた。こうした同時性が薄らいでいくのは、むしろアートっぽくいじった写真表現が台頭する1960年代以降のこと。しかも正直、あまり面白いと思えなくなってくる。むろん作品選択による話ではあるけれど、あるいはピカソだとかダリ亡き後の、スペイン現代美術の停滞によるものなのかもしれない。たとえばLuis Gordillo (1932年、セヴィーリャ生まれ) という作家が写真表現にいち早く着目した美術家の一人として高く評価され、他の会場でも回顧展が開かれていたりもするわけだが、やはりドメスティックな巨匠という域にとどまるのでは・・・という印象を禁じ得なかった。とはいえ、日本で同じように20世紀写真史を振り返る展覧会が催され、やはり海外からふらりと訪れた来訪者がいたとしたら、似たような感想を持つ可能性はかなり高いのかもしれず、あまり人のことは言えないな、と思い直したりもする。展覧会は終盤、ジョアン・フォンクベルタの仕事などを紹介して幕を閉じる。

2004.06.19. PHE5

長くなってきたので以下、簡潔に。Circulo deBellas Artesでも3つの展覧会が同時に開催されていた。一つはそのLuis Gordilloの回顧展。出版物などから既成イメージを収集し、ペインティングと掛け合わせた大作群だとか、既成のポートレート写真を破り、そこから顔をのぞかせた陽気な百面相ふうの作品など。グループ展Haciendo Historiaは5人の作家を紹介していた。最も印象的だったのはZoran Naskovskiという作家の「ダラスの死」という映像作品。流れているのはケネディ暗殺の映像だが、出来事の語りをバルカン地方の民謡のスタイルに翻案し、その極めて風土色の強い歌声を重ねている。作家はセルビア出身であるらしい。残るひとつはRenaud Auguste-Dormeuil (1968年、フランス生まれ) の個展。報道機関が取材拠点とするホテルの窓から遠望した映像に、そこに主要な取材スポットの名称と距離を示す文字が明滅する作品。さらにMuseo Colecciones ICOにおける政治的・社会的現実にコミットしたさまざまな作品を集めた企画展Imagenes de Historiaにも行ってみたが、ここで時間切れに。ちなみにハンドブックで日本人作家を探してみると、杉本博司、小谷元彦の個展がそれぞれ市内のギャラリーで開かれていたらしい。ほかに都築響一や横溝静、さらにフェスティバルは今回、映像方面にも力を入れており、三池崇史、山村浩二の名前も見受けられる。


2004.07.01. シャンデリア

そんなわけでこの間に終わってしまった国内の展示もあったのだが、気を取り直して、小野祐次展「LUMINESCENCE」 (6月25日-7月22日、東京・京橋/ツァイト・フォト・サロン) へ。パリで活躍する写真家。ツァイトが三越前にあったころ、いわゆる泰西名画を被写体に、その絵画イメージが消失し、画面の表層を覆う光のみが写るようなライティングで撮影した作品を見た記憶があるが、今回はシャンデリアを被写体に選んでいる。被写界深度は比較的浅く、カットガラスという物質の相を識別できるところと、それがぼやけて光の粒と化しているところが入り交じる。その意味で、以前に見た作品と関心は一貫していると言える。むろん写真に写っているのはすべからく光には違いなく、そう言ってしまえば身も蓋もないようだが、にもかかわらず2つのシリーズが物質と光という問題を浮上させるとすれば、形象的なイメージの消失にむしろ関心が向けられているからで、そのような引き算の形で写真における光の問題が現れるという明察にこそ注目すべきか。ただし、この作品で少し気になったのはシャンデリアという被写体の選択で、もとより光に深く関係するわけだが、西洋的な室内空間を特徴づけるというほかに、何か美術史的な引用が踏まえられているのかどうか、今回はよく分からなかった。

2004.07.02. バロック

桑島秀樹展「ザ・ワールド」 (6月5日-7月3日、東京・六本木/レントゲンヴェルケ) 。見るからにインパクトの強い作品群。クリスタルグラスを組み合わせ、精緻にとらえた写真をデジタル処理で輻輳させたらしく、光の大伽藍というか曼陀羅というのか、ともあれ異様に密度の高いイメージを作り出している。その冷ややかだが過剰なイメージはふと、小野一郎という人の建築写真「ウルトラバロック」を思い出させた。それにならえば、ウルトラ・デジタル・バロックということになるだろうか。すでに閉幕直前だったのだが、好評だったようす。確かに今っぽい感じがあるかな、と思ったりした。

2004.07.07. 面

宮内理司展「MEAN I’M NOT」 (7月5日-10日、東京・京橋/ギャラリー山口) 。いずれも身辺に見いだされるような風景ながら、あえて“奥ピン”にしているようで、手前に大きく広がるようにとらえられた路面や地面はぼけている。そのぼけた、あいまいさをはらむ面の広がりに独特さがあり、興味をそそられた。というのは、こうした路面・地面が特権的な被写体の一つであり続けてきたという気がするためで、さしあたり東松照明の「アスファルト」だとか、あるいは川田喜久治もまた「地図」の撮影行にあたって、J・デュビュッフェによる路面・地面そのままの作品を念頭に置いていたことを思い出し、ほかにも壁面その他、人々の生活だとか時間の痕跡などを内に畳み込んでいる平面をそのままシャープに複写することによって、写真をその等価物としようという試みが繰り返されてきたことに留意するならば、この写真家がとらえた路面・地面のあいまいな質感が独特の位置を占めるのではないかと思った理由を分かって頂けるかもしれない。むろん個人的な関心にほかならないわけだが、このあいまいな面が以上の文脈で具体的にどのような意味を持つのか、いずれまた展示を見てみたい気にさせられた。

2004.07.08. セット

蜷川実花展「over the rainbow」展 (6月27日-7月11日、原宿/ラフォーレ・ミュージアム原宿) 。靴を脱ぐのではない展示。ひと味違うかな。展示作品はタレント、モデルさんたちを夢見るような蜷川調で撮ったシリーズ。ふと口を開いているカットが多いような気がする。けれども、よく見直すと、量として多いわけではない。しかし、壁面ごとの並びの始まりに、しばしば口を開いたカットが配されている。その意味では、やはり蜷川作品のイメージを象徴する表情の一つと言うべきなのかな・・・などと思いながら眺めていったところ、サプライズは最後のパートに待っていた。夢見るような蜷川調のセットが幾つか設けられている。それを背景に、来場者はお互いに写真を撮ったりすることができる。このお楽しみコーナーは当然、ある共感の場を作り出す装置として機能しうるようで、ああ、なにも靴を脱がせるばかりではないんだなあ、と思った。

2004.07.20. 額縁

設楽葉子展「欲望」 (7月16-29日、新宿/photographers’ gallery) 。この人による、病身の母のシリーズを何度見たのか、こちらの老化もすすんで定かではなくなってきたのだが、当初から家庭などで使用されるデコラティブな額縁で見せる展示形式を採用していたように記憶する。その意味について、ここで何か書いたことがあるかどうか、それも朦朧としているのだが、面白いなと思う。上記のような額縁はいわゆるホワイトキューブのなかで、おのずと違和を感じさせる。家庭内の形式が持ち込まれているというのがまずひとつ。しかも展示空間はもともとイメージを囲い込み、その自立性を外側から担保する意味ではひとつの額縁であって、それゆえに過剰さが生じる。この人に限らず、肉親の病気、時としてその死が作品として提出されることは時折目にするところで、それだけで展示空間との違和感を生じさせる可能性は逓減しているわけだが、最もプライベートな姿態というべきヌードを必ず含むこと、それを執拗に撮影し、発表しつづける過剰さと、ここでの額縁のありようは見合っているようにも感じられる。ところで、今回の出品作には、どこまで意図されたことか分からないけれど、ゴヤによる二点のマハを思わせる対幅が見受けられた。先に「家庭などで使用される」と記した額縁の形式は、もともと王宮などにおける絵画に適用されていたものが、市民社会のなかで縮小再生産されたものかとも想像されるのだが、そのような額縁がいわば橋渡しする形で、家庭-展示空間という枠組みとは別の逸脱の可能性が今回の展示にはかいま見られるように思われた。


2004.08.03. 火の国1

山口・九州方面に出かけた折、熊本県立美術館分館でこの日始まったphotographers’ gallery展「HINOKUNI」 (8月3-15日、分館展示室3) に立ち寄る。この分館はいわゆる市民利用施設になっているようだが、会場の展示室は広く、天井も高かった。pgメンバーのうち、北島敬三や元田敬三らは出品しておらず、先ごろ初個展を開いた岸幸太ら新たな顔ぶれが目をひく。さらに福岡のPHOTO GALLERY KYUSHU 銀で活動しているという権泰完、光安孝治が招待出品している。そのうち幾つかについて。冒頭を飾るのは地元出身の本山周平。最も長い壁面を使い、熊本周辺で撮ったとおぼしいスナップを小さなフォーマットで並べている。目をひいたのは、その延々と続くシークエンスの特に前半、ほぼ同一の空間の型を保持する風景を連ねていたこと。もとより同一の、というのは言い過ぎだけれど、その空間の型とは、手前に水なり地面なりの水平面があり、中景に木々が茂り、その向こうにビルその他の人工物ないしは山並みが背景をなすというもので、その空間の型のなかで水が地面になり、山が城になるような不思議な感覚を抱かされた。とはいえ半ばから、こうした枠に収まらない、むしろ意図的にハズしたとおぼしきカットが増え始める。実のところはそうしたカットを展示に収めるために、前半の空間の型が採用されたのかもしれない。達者というか、したたかな印象を新たにする。次の壁面は岸幸太と王子直紀の作品。岸は1コマのストリートスナップを、十数枚の印画紙に分けて焼き、それを再び組み合わせることで壁面いっぱいの大きなサイズで掲げている。王子は逆に「川崎」のシリーズをグリッド状に密集させる展示。興味深いコントラストをなしていると言ってよいのだろう。ただし、それぞれに多少の疑問もなきにしもあらず。岸作品は壁面いっぱいの大きさによって、見ようによってはビルボードを連想させる。展示形式がイメージの見え方を決定づけている以上、生々しいストリートスナップも例えば銀座のブランドショップの店頭で差異を喚起する好ましいイメージになり得る。それを逆手に取る形で、このようなビルボード形式をアートに持ち込む行為もすでに1970年代あたりから試みられてきたはず。いまビルボードを連想させかねないラージサイズのプリントを出すのであれば、上記二つの事情の間をすり抜けることが求められるのではないだろうか。王子作品については、連日のネット上のアップには感心させられてきた。ただし、今回の展示を見ながら、考えさせられることがあった。展示では横長の額を採用し、そこにイメージを密集させているのだが、それにしては横方向の長さが物足りないような印象を受けた。しかし、そこに難所もありそうな気がするわけで、もともとイメージの内実としては正面性が強い。にもかかわらず、それを大量に見ていくとなると、時間性の要素が介入してくる。横長のフォーマットはその時間性を導き入れると同時に、イメージの内実とは背反する。この正面性と時間性の折り合いの悪さは、展示という場に限っては避けられず、何がしかの調停なり決定なりが求められているようにも思われた。ところで、実を言えば今回の熊本展でもっとも印象深かった作品を挙げるとすれば、笠友紀「ISHI」ということになる・・・というわけで以下、別項に。

2004.08.03. 火の国2

じつはけっこうメンバーも入れ替わっているphotographers’ galleryのなかで、笠は当初からのメンバーだと思う。2001年と02年と各1回の展示ののち、しかし、発表が途絶えていた。その作品に今回思いがけず出合うことができたわけだが、そうした事情が仮になかったとしても、興味深い作品だったと思う。タイトルの通り、撮影されている大半は石である。ただし、その物質感などを撮ろうとしているふしはない。丸っこく、白っぽい石が多い。そういう石が転がる河原をぶらぶら歩きながら、足元にカメラを向けている、といったふうである。そこに時折、子供の写真が入り混じる。撮影者と子供の関係はよく分からない。川に遊ぶ子供の姿は、あるいは撮影者の少年時代の記憶に連なっているのかもしれない。個人的には丸っこい石というと、なんだか小学生時代に習った、石の形というのは上流・中流・下流で違うんです、というような話を思い出しもする。そのようなノスタルジックな連想を許しそうでもあり、総じて柔らかい光のもとで撮影されているにもかかわらず、結局のところ並んでいるのは、白々とした石なのである。河原に転がる石の数々に落ちた視線は、そこに滞留するほかない。かつての展示「ON THE ROAD」はしばしば道を撮影し、どこか遠くに行こうとか、人生の途上とかありがちなロマンティシズムに根ざすようでいて、注視すると、大きな道路から分岐する細い道が小暗きほうに溶け入っていったり、あるいは交差点そのものであったり、なにか踏み惑うような心情をうかがわせたものだが、そのような揺れもなく、石に落ちた視線はただ石にとどまり続ける。つげ義春が見たのは、このような石ではなかったか、とふと思ったりもする。それを読んで撮ったわけではなさそうな気がするし、例えばそんな感じ、という説明のつもりで引き合いに出してみるのだが。

2004.08.06. 雑誌1

スイッチ・パブリッシングの新創刊誌「coyote」を読む。隔月刊。雑誌名についてはジョニ・ミッチェル好きなので、何となく親近感。新井敏記編集長による巻頭言の末尾のあたりを引くと<旅の数だけ人は境界線を越えることができる。//その荒地へ、/新しい冒険譚「コヨーテ」の一歩。>というわけで、「旅」ということにフォーカスした雑誌であるらしい。その船出にあたっては「特集 森山大道 その路地を右へ」を組んでいる。ほとんど丸ごと一冊というくらいの大特集。森山自身の写真も盛りだくさん。それをさらに大竹伸朗がコラージュしたり、阿部和重の短編と組み合わせたり、見せ方も工夫している。後進世代の写真家も起用されており、さきごろのパリ展のドキュメントを瀬戸正人、郷里の松江ルポを鈴木理策、現在の拠点である池袋ルポをホンマタカシが撮影している (ちなみに森山のカメラについてのインタビューの聞き手もホンマが担当。上記三本のルポについては、大竹昭子が本文を執筆) 。森山ファンは必携と言えましょう。ただ、以前から取材が進行していたと思われるものの、すでに到来している空前の森山ブームのなかで世に出ることとなり、タイミング的には<新しい冒険譚>を紡ぎ出せているかどうかを問われてしまう難しさがありそう。先に引いた下りに先立つあたりには<いまや悠久の自然など、/どこにも残っていないのかもしれない。//それでも私たちは満天の星をあおぎ、はるかな涯にひとつの光を見つけたいと願う。>とある。いまや手つかずのテーマは残っていないのかもしれない、それでも・・・というふうに読まれるべきか。ちなみに次号は星野道夫特集であるよし。

2004.08.08. 雑誌2-1

週刊誌も漫画雑誌もお盆休みで、電車で読む雑誌がない。というわけで「BRUTUS」8月15日号を購入。「ブルータスの写真特集 BOY’S LIFE」を組んでいる。特集の巻頭は近く初台で個展が開かれることになっているティルマンスに会いに、ホンマタカシと取材班がロンドンへ、というインタビュー。ほかにラルティーグやボルツも出てくる、むろん初めて知る写真家も含まれており、さらに心は「少年」ということなのか、野口里佳も森本美絵も、という幅広さ。車内で眺めながら、しかし、雑誌のなかで最も印象深かったのは、巻末の方に掲載されている1本の書評・・・というわけで、以下次項。

2004.08.08. 雑誌2-2

その書評は清水穣著「白と黒で 写真と……」 (2004年6月、現代思潮新社) を取り上げたもので、評者はライターの橋本麻里という方。大きなスペースの書評ではなく、それについての感想もふと胸をよぎった程度のことなのだが、しかし、長く尾を引くような感じがある。それを説明するには、あらかじめ同著に対する個人的な受け止め方を記してみる必要があるかもしれない。ざっくり言ってしまえば、近年刊行されたなかで際だって鋭い切り口を示す写真批評の仕事ということになる。写真家を語る理論的な枠組みを新たに提示し、更新しており、こうした仕事の恩恵はすでに各論考の初出時に始まり、さまざまに広がっていく性質を備えていよう。例えばの話、正しく理解し得ているとは思えないにせよ、それはここで書いてみたりしているような末端にまで及んでいたりする。恥ずかしながら、二つほど実例を。まず2003年「1224 LOVE」の項で、「スタジオボイス」1月号に載っていた倉石信乃執筆による「タイポロジー」の解説中、ベッヒャー夫妻の「給水塔」が近代産業遺産への審美的なノスタルジーを喚起するものではなく、第三帝国の記憶を再生させる指標性を備え、観者を「負」の歴史や記憶と直面させる政治性を有している・・・という趣旨の指摘を引いたことがある。実はその後、あれは清水さんが前に書いていたよね、と言われてもいたのだが、実際に今回の本に収められた論考「<D>線上のアリア」 (初出=「美術手帖」1997年3月号) で、すでに<ベッヒャー・シューレを戦後ドイツという特定の政治的空間と切り離して考えることは不可能である><それにしても、ベッヒャーが対象として選ぶ工業施設、製鉄所や精錬所にたんなるノスタルジックな産業資本主義しか見ないという、多くの批評家たちの無垢さはどうしたことなのだろうか>といった指摘がなされている。不勉強にして1997年の論考を読んでおらず、その数年後にそういう見方もあるのかと思ったという、かなりイタイ話である。また、2004年「0513 ロマン」の項では、野口里佳「この星」所収のジョナサン・ワトキンスの論考から<他の文献でも指摘されていることだが、これまでの野口作品に登場する没個性の人々――“匿名の人”たちは、19世紀ドイツの画家カスパー ダーヴィット フリードリヒが描く風景に登場する人物と共通する意味を持っている>という一節を引用している。この論考は2003年11月以降に書かれたようだが、やはり前掲書所収の「批評の不在、写真の過剰」 (初出=「美術手帖」2002年4月号) において<地平線に貫かれた小さな存在たち、地球面の縁に立つ人間の小ささ……大きな流れのなかの小さな存在を鳥瞰するロマン、それはC・D・フリードリヒの「雲海に望むさすらい人」にほかならない。野口里佳はロマン派なのである>と記されている。ワトキンス論考に言う<他の文献>がこの論考を指すものかどうか判然としないが、時期的に先行している。この「美術手帖」の写真特集号はしかも手に取った記憶があり、最初は読み飛ばし、今年になって違った形でインプットされたということになりそうだ。こうして書き挙げてみると情けない限りだが、しかしまあ、言説空間には階層性があるわけで、末端のほうでは、こうして批評なり歴史学なり優れた仕事の恩恵を被ることになる事例として率直に受け止めるほかないわけだが、そうした読後感のなかで今回の書評を読んだ、というわけ。その多くはいま挙げた論考「批評の不在、写真の過剰」の紹介に充てられている。その中心はティルマンス論であり、おそらく特集の目玉であるティルマンス訪問記と関連することから書評の大半が割かれたようなのだが、その先に次のような評言が記されている。<個別の作家論については異論もあるが、ガーリーフォトとアラーキーを直接結びつけたことには大いに賛成。ただし彼女たちのゴッドファーザーならぬゴッドマザーであるアラーキーのほうが、おばさん的なしたたかさでは一枚も二枚も上手だけどね>。ここでの賛意がどの点に向けられているのか、戸惑う。もともと長島有里枝が「アーバナート」でパルコ賞を受賞した際の審査員の一人が荒木だったわけだし、ガーリーフォトを成立させた要因の一つは荒木からの直接的な影響だとよく言われていた記憶がある。清水論考は「広告」をキーワードにした指摘を行っているのだが、<直接結びつけた>という意味では、むしろ自明の話に属しよう。だとすれば<異論もあるが>というのは、そうとう広範囲に及ぶのかなと思いもするし、荒木の方が<一枚も二枚も上手だけどね>という言い方には、両者を熟知する側からの批評家への一言コメント、といった感じがある。すごいな・・・と別に揶揄しているわけではなく、そう思うわけで、清水著でも本書評の側でもなく、おやと思った方がおかしいということなのかもしれない。つまり言説空間の階層性というようなことを思っているほうがいまや的外れで、この雑誌に見るような「写真」を主導しているのは評者のような人たちにほかならず、それを書評は映し出しているだけなのではあるまいか、などといまさらながら思った次第。


2004.09.20. 写真史

飯沢耕太郎監修「カラー版 世界写真史」 (美術出版社) 刊行。執筆陣は大日方欣一、深川雅文、井口壽乃、増田玲、倉石信乃、森山朋絵という顔ぶれで、国内の気鋭の人々を集めている感がある。監修者もあちこちにミニ・コラムを書いている。ひとつの特色はほとんど同時代に近い動向までカバーしていることで、倉石執筆の「写真の現在 1980-20世紀末」がそれにあたる。ほかに筆者の持ち味かなと面白く思ったのは、たとえば「写真表現の拡大 フォト・ジャーナリズム、広告・ファッション写真」。その一節で執筆者の井口は、キャパの名句<仮に君の写真が充分に満足いくものでないとしたら、君が被写体に充分近づいていなかったのだ>について、<単に冒険家の美談ではなく、記録が生成される場へのフォト・ジャーナリストの関与の問題を述べている。それはキャパの同胞であるハンガリーのアヴァンギャルド芸術家たちの多くが、芸術を武器に社会変革の戦士となって行動を起こしていたことと無縁ではない>と断じている。ともあれ本棚に入れておいて、折に触れていろいろ教えてもらうことになりそうな一冊。

2004.09.25. プチ

すこし前の発売号だが、いささか奇妙な思いで読んだのは「AERA」誌9月20日号の特集のひとつ「ポスト奈良美智・村上隆 目利きが選ぶ次世代の5人」。その顔ぶれというのは牧谷光恵、川原直人、丸山直文、桑久保徹、福井篤で、要するに奈良・村上を抱える小山ギャラリーと、同じ新川のビルに入居する他ギャラリーのそれぞれ推薦する作家の紹介記事なのだが、しかし、どうして丸山直文がここに加えられているのだろう? 記憶によれば、少なくとも奈良・村上が脚光を浴びるのと相前後して、しかもオーソドックスなモダニズム陣営の人々がむしろ評価していた人であるはずなのだが。記事は<昨年、ニューヨークからわざわざ画商が絵を買いにきた>ことを紹介し、<とにかく学生たちには、一度は海外に出るようにといつも話しています>という本人の談話も合わせて、海外オリエンテッドな内容でまとめられている。続く記事では、これらギャラリー群が集まる新川について<ニューヨークのギャラリー街にちなんで「プチ・チェルシー」とも呼ばれるようになった。廃業が相次いだ銀座の老舗画廊や美術館と世代交代をするように生まれた、新しいアートのランドマークでもある>とある。プチ・チェルシーか・・・。というわけで多少萎える気持ちを抱えつつ、このプチ・チェルシーこと新川で開かれている小林正人展「星の絵の具」 (9月4日-10月16日、Shogoarts) へ。先回りして言えば、謎めいた展開を示しているという印象。最もどう考えてよいのか迷わせるのは、描かれているのがどうやら裸婦であること。常ながら直接、手で荒々しく塗布したとおぼしき絵の具のなかに、金髪の女性が横たわっているようすが見えてくる。これまた常ながら木枠にもたせかけた画布の手前には、横たわる裸婦と何やら相似形をなすかのように絵の具のチューブが置かれている。壁の上のほうには、星らしきものを描いた絵も掛けられている。そんな個展のタイトル「星の絵の具」は、遠くはるかな星とまぎれもない物質である絵の具を結びつけている。そこには裸婦についての言表は含まれておらず、逆に天上的なものと地上的なものを結合させたものがすなわち裸婦の絵、と言いたいのかなといった想像もはたらく。もともとイメージの受肉=絵画といった思いを呼び寄せるところのある作品を制作してきた人だが、しかし、裸婦なり星というのはやはり再現的なイメージにほかならず、こちらの考えも何やらひとつに結ばれていかないような・・・しかし、なんとなく気になるのも事実で、ひとつの心覚えとして記してみた次第。

2004.09.25. 新旧

ギンザ・フォト・ストリート展 (9月22日-10月31日、東京・銀座/HOUSE OF SHISEIDO) 。2フロアのうち、2階には戦前から40年以上にわたり銀座を撮影し続けたという師岡宏次 (1914-1991) の写真を、1階には長野陽一、森本美絵、永沼敦子という新進写真家3人が新たに銀座を撮影した作品を展示している。この新旧の写真家によって銀座の今昔をお見せしようという、皮肉な見方をすれば相当程度に月並みと言ってよい企画の枠組みに、呼び出された今日の人たちがどのように応接しているのかな、というのがこちらの主たる関心事。特にデジタル方面で評価の高い永沼の写真が出品されているというので足を運んだわけなのだが、足を中心に狙った画像と見上げた空の画像をそれぞれモニターで見せるという展示。新しさとか今日らしい工夫こそが企画の枠組みにすっぽり収まりかねないなかで、やはり一つの対をなすこの切り取り方によって身を反らし得ているかどうかはよく分からないけれど、なかでは目をひいた。

2004.09.30. eye

西村康写真展「one’s eyes」 (9月27日-10月10日、新宿/photographers’ gallery) 。初個展。このギャラリーにはストリートでポートレートを撮る人が少なくないわけだが、その範疇に基本的には収まる。多少変わったところを探すとすれば、被写体である人物の目の表情に対する関心ということになる。ということは、目-人物―背景というヒエラルキーがイメージ内には存在するわけで、目への関心に反比例して背景に対する目配りは薄くなっているように見える。むろん展示タイトルを見れば、意識的にそうしているということになるわけだが、ひとつ面白いなと思うカットがあった。不敵であるような、しかし虚ろでもあるような顔つきをした若い男がストリートに座り、こちらを見ている。目にはカラーコンタクトが入っているらしい。むろん撮る側は他の写真と同じく、目とその表情に主たる関心を注いでいるようなのだが、左腕にはほとんど瘢痕のような様相を呈する無数のリストカットらしき跡がある。そして右手の先にある吸いかけの煙草の灰が長くなり、いまにも落ちそうになっている。撮影されているために青年はいわばフリーズした状態にあって、煙草の先の白い灰が刻々と伸びていきつつあることにおそらく気づいていない。その灰は、撮影者と被写体のまなざしが交差するのと同時的に生じる、まなざし以外のもの、周囲や自らの身体への無関心を象徴的に示しているとも言える。むろん写真はそれらを等しくとらえるわけだし、あるいは撮影者の側もまたそこにも一定の関心を向けているのかもしれないけれど、このような目に対する関心とそれ以外への無関心がさらに逆方向へと著しく昂進し、ついにノイズを発するような状態をとらえる写真というのがあり得るのかな、どうかな・・・というようなことを思った。

2004.09.30. 工作系

キリンビールの公募新人賞「キリン・アート・アワード」の15周年企画「ハイ・エナジーフィールド」展 (9月30日-10月17日、東京・月島/タマダプロジェクトアートスペース) 。選考委員を務める4人が既受賞者から各1人を指名し、出品を委嘱するという方式によるグループ展。出品者とノミネーターは以下、岡部俊彦×ヤノベケンジ、西尾康之×椹木野衣、高橋匡太×五十嵐太郎、名和晃平×後藤繁雄。それぞれ意欲作ということになりそうだし、全体を統御するキュレイション抜きという仕掛けはある程度、緊張感や高揚感をもたらして成功していたとひとまず思う。ところで、いま挙げた4作家のうち、とくに前者2人の作品を眺めながら、ふと「工作・・・」という言葉を思い浮かべた。岡部の出品作は、機械のパーツを集め、指名者であるヤノベを避けがたく連想させる“妄想系メカ作品”。西尾はぐねぐねした手指の痕跡を残して型取りする独自の手法によって、戦艦ミンスクをラージスケールで制作している。ファインさをおそらく意図的に避けた両者の手作り感がまず「工作」という言葉を誘い出す。加えて岡部が万博のパビリオンのような空間を作りたいと語り、西尾が戦艦ミンスクというモチーフの由来がプラモデルであることを明かすとき、両者にとって少年期の記憶がよきものであれ悪しきものであれ、いまなお重みをもっていることが伝わってくる。その一隅に、あるいは学校教育での「図画工作」というときの「工作」もまた位置しているのではないか、というのはうがち過ぎの見方になるだろうか。もっと正確に印象のゆえんを言うとしたら、既成のアートなり彫刻とは別種の何かを作ろうという試みが、超越的あるいは横方向への逸脱というよりも、モチーフ上の少年期との強い結びつきに引きずられる形で、「工作」への回帰という印象を誘い出す、ということになるかもしれない。2人に限らず、この賞が輩出してきた受賞者のある部分にも「工作」感が漂うような気がしなくもない。それがアートなり彫刻といった理念との批評的な緊張感を持ち得る可能性はむろんあるとは思うのだが、少年期への郷愁をあまり持ち合わせない身には、何か遠い話のようにも思われてくる。


2004.10.08. 金沢1

学芸面の中心に長谷川祐子を据え、現代美術作品を積極的に収集し、建築面では妹島和世+西沢立衛の起用が話題となり、開館直前のベネチア・ビエンナーレ建築展で金獅子賞をゲットするという盛り上がりのなかで、金沢21世紀美術館がいよいよオープンする。この日はプレビューと世界の美術館人による討議など。そこでの印象を幾つか。素朴に驚かされたのは、周囲の芝生から館内に入り、展示室に至るまで基本的に段差がなく、フラットであること。美術館と都市空間の連続性を印象づけ、例えば横浜美術館あたりの示す“殿堂”感の対極とも言うべきカジュアルさを演出している。開館記念展「21世紀の出会い-共鳴、ここ・から」 (10月9日-2005年3月21日) はリヒター、バーニーといった大物から売り出し中の若手まで国際展モードの顔ぶれをそろえているのだが、なかに遊戯性というか、いわば遊び感覚で楽しめるタイプの作品を交えているのも目をひいた。例えば館内を走り回れる自転車の作品だとか。ちなみに展覧会タイトルの「ここ・から」は「こころ・からだ」を引っかけた言葉なのだとか。そのセンスが好きかどうかはさておき、どことなく似たノリが展覧会にも漂うかのよう。現代美術=難解と思い込んでいる人を脱力させる計略かとも受け取れるわけだが、あるいは長谷川祐子という人の不思議なバランス感覚のうちに、その手の作品が割に好きだというのもあるのかもしれない・・・というようなフラットさ、カジュアルさの一方で、美術館建築としては、ちょっと考えさせられる点のある展示室を有している。このあたりで以下、次項に。

2004.10.08. 金沢2

美術館の外観は直径110メートル余りの円盤状で、そこに14の展示室を分散配置している。それら一つひとつの展示室の完成度は極めて高い。外光を交えたトップライトに白い壁面がよく映える。少なくとも日本ではお目に掛かったことがないほど見事なホワイト・キューブという印象がある。ただし、実体としてのホワイト・キューブというところに独特さを感じる。とくに何かを調べて言っているわけではないのだが、ホワイト・キューブとは一面で、ある種の展示室のありようを指す理念でもあったのではないだろうか。空間自体の固有性を消去し、自らの存在感を忘却させるほどニュートラルな展示空間。その理念を実現する上で適しているのが、白い壁面であり、キューブ状の空間ということだったのではないか。そこでは作品と空間は必然的な結びつきを持たず、作品は文脈をいったん消去され、任意に交換可能となる。むろん現実的には、作品と空間は展示の都度、特定の関係を結び、ゆえにいい展示、悪い展示といった価値判断も生じるわけだが、それでも空間は無個性であり、作品は任意に交換可能と理念的に思いなすことによって、種々多様な企画展が継続され、一般化したのではないだろうか。ところがこの美術館の展示室は字義をまっとうしようとするかのごとくのホワイト・キューブと言ってよい。しかも現実的には多様にならざるを得ない展示プランに対応すべく、様々なサイズと採光の展示室を用意している。実体としてのホワイト・キューブというゆえんである。そこに展示されることが主として想定されているのはほかでもない、インスタレーション作品である。言うまでもなく空間と不可分に結びついて成立するのがインスタレーションであって、それによく適合し、それらを随時交換しながら展覧会を行い続けることを想定した場合、実体としてのホワイト・キューブが要請される、ということか。そこに原理的な矛盾があるかどうかは、むろん理念としてのホワイト・キューブという考え方に妥当性があるかどうかによる。

2004.10.08. 金沢3

さて、プレビュー後のパーティーは身動きできないほどの混雑となった。抜け出すのさえ一苦労。少し離れたところで耳にし、なるほどなあと思った諸氏の声を心覚えに書き留めておこう。まず最初に、日本における現代美術系美術館は水戸、直島、そして金沢と展開してきたよね、という系譜学的な見解。確かに水戸芸術館を連想させる点は多い。いずれも市街地の中心にあった学校跡地に建てられている。それゆえに都市空間との連続性が期待され、水戸芸術館は中央に大きな広場を抱え、金沢の場合はたとえば入り口を地上4か所に設けるといった工夫を盛り込んでいる。人的な面でも、つながりがある。学芸面のリーダーである長谷川祐子が水戸芸術館に在籍していたことは周知の通り。ただし、決定的な違いは恒久設置のコミッション・ワークを有しているかどうかで、水戸にはない。金沢は力を入れている。このためコミッション・ワークを柱に成功を収めた直島が引き合いに出されることになる。ちなみにジェームズ・タレルは水戸芸術館で回顧展、直島でコミッション・ワーク、そして金沢でも直島と同じタイプのコミッション・ワークを手がけている。ともあれ水戸でまかれた種に直島の経験を加えながら、日本の現代美術系美術館も成熟を遂げてきたというわけ。ちなみに上記の系譜に森美術館が入っていないあたりもまた面白い。第二に、直島でも特に地中美術館との比較論。それを「暗い迷宮」だとすれば、こっちは「明るい迷宮」だね、という声を聞いた。安藤忠雄、妹島+西沢というスター建築家が手がけた両建築は、空間体験としてはいずれも迷宮を思わせるところがある。地中美術館はもはやグロッタ趣味という印象さえ招き寄せかねないほどに暗く、どこに続くのか分からない地下通路を経巡りながら幾つかの展示室に至る。金沢はむろん地中の暗さとは無縁だが、展示室は分散配置され、見て歩く順路もある程度フリーになっている。建築作品を見慣れた人ならともかく、手元の館内案内図と見比べなければ位置関係を把握しにくいのは事実で、あれこれ見て歩いた末に、本当にちゃんと全作品を見たのだろうか、と不安にかられるほど。暗い迷宮、明るい迷宮とはなかなか言い得て妙だと感心させられた次第。それから、開館記念展が「軽い」という感想も聞いた。カジュアルな印象を裏返してみれば、そういう受け止め方にもなるわけで、例えばゴームリー、アバカノビッチといった実存系 (思いつきの造語だけれど) の作品を置いてみたら、どう見えるかとも想像したくなる。ピュアな展示室の雰囲気をぶち壊しにするのか、あるいは彼らの作品でさえも妙に明るくカジュアルに見えたりするのか。どちらかと言えば後者かもしれないけれど、そういう対決もいずれ見てみたいものだ。あと建築については、メンテナンス、大変そうだね・・・というささやき声をよく聞いた。周囲と段差がない構造ゆえに雪が積もったらどうなるのか、とか。さすがに排水などに抜かりはないにせよ、円盤状の外周を取り巻くガラスや展示室の白い壁面があまりに美しいので、逆にガラスに指紋、壁の下のほうに靴跡が付いたりした場合の見ばえが心配になる、ということのようだ。とはいえ一般公開を翌日に控え、この日ばかりは現代美術ワールドの慶事として祝おうではないか、という雰囲気に包まれて、みなさんあれこれ評定しつつも、楽しそうだったのは事実。というようなことを延々書いてしまった当方もまた、そのひとりということか。

2004.10.14. 有卦

来年のベネチア・ビエンナーレ (美術展のほう) 日本館のコミッショナーに笠原美智子学芸員が選出された。出品作家は石内都。この日、国際交流基金が発表した。いまは東京都現代美術館に在籍し、作家も現代美術系の展示スペースに出品することがある人だが、いずれも写真をベースに活動してきた人である。その意味では異色とも言えるわけだが、写真が美術ゾーンでやけにクローズアップされている今年を象徴するような人選でもある。この秋はとにかく美術館での写真展が多い。いちいち挙げるのも面倒なほどに開かれている。むろん美術館が写真展を開くのはいまに始まったことではないけれど、これまでは年末とか二月とか、そういう会期をあてがわれることが多かったような気がする。それが展覧会のハイシーズンに堂々、ここまで多くの写真展が開かれるようになったわけで、何だか時代も変わったなと思う。そういえば『BT』誌も今年、ずいぶん写真特集を組んでいる。6月号がデジタル関係、11月号がティルマンスとラリー・クラーク、さらに次の12月号は日本写真史特集なのだとか。しかしまあ、にわかに写真の側が変わったとも思われず、さりとてアート界の地盤沈下なり人材・ネタ不足と考えるのも、それはそれで心情的にはつらいものがあるかな・・・という感じの今日このごろではある。

2004.10.14. 功徳

吉村芳生展 (10月12日-30日、京橋/ギャラリー川船) 。作家は1950年、山口県生まれ。地元での活動が多い人のようである。その旧作の展示。一つのシリーズは1976年11月6日付けの毎日新聞を全二十面すべて鉛筆で写し取っている。もう一つのシリーズは1981年7月から1年間、毎日自分の顔を写真に撮り、それをやはり鉛筆で転写している。全作品が並ぶわけではないけれど、すごい集中力と忍耐力だなあと驚かされる。転写の技術は戦後美術に多くのバリエーションをもたらしたわけで、これらの作品も印刷メディアないしは写真をなぞることで、機械的な反復と手仕事的なずれの相を析出させる試みなのかな、というふうに受け取ることができそうである。しかし、避けがたく生じる手仕事的なずれに関心があったというわけでもないらしい。カタログによると、作者は<若い頃、自立神経の不調で下痢や過呼吸に悩まされていたらしい。しかし新聞紙の作品を描きはじめると、身体の調子がみるみる改善されてゆく。一日十時間から十二時間神経を集中して描く。その間は「呼吸が完璧に整った」という。「この作品を描いたことで治ったようなものです。」>。こうした機械的な反復によって身体がアジャストされたのだとすれば、そこでは古典的な身体=機械論が説得力を持つ感がある。機械になりたいと言ったのはウォーホルだったはずだが、そこに奇妙な角度でまつわるような異色作と言うべきか。ちなみにこの場合、描く対象が印刷物や写真である必要はもはやないのかもしれず、実際に作者はその後、細密な花の絵を描いているとのこと。

2004.10.15. アレゴリー

ヴォルフガング・ティルマンス展 (10月16日-12月26日、初台/東京オペラシティアートギャラリー) 。ここまでまとまった形で作品を見ると、さすがになにがしかの感想があって、個人的には得難い機会だった。たまたま2000年、ターナー賞の展示を見ることができたりもして、これまで関心がなかったわけでもないのだが、いまひとつ腑に落ちるという感じがしなかった。ユースカルチャーの代弁者と見なして、その感じ分かるよ、ティルマンス最高!な雰囲気にはどうにも乗り切れず、それに抗する形で清水穣が「日常のなかの政治」を論じるのを、ただフムフムと読んだりしていた次第。そんな距離感で眺め始めたのだが、個人的な印象としては、例えば松井みどり『アート:“芸術”が終わった後の“アート”』 (朝日出版社) が指摘する<断片的なもの (イメージ) を通して大きな意味 (時間) の総体を思わせるティルマンスの写真の傾向は、優れて「アレゴリー的」なものなのです>といった見方はやはり説得的かなという気がする。以下、いささか細部に入り込む例え話。第一室に掲げられた「window/Caravaggio」 (1997) は、例によって美しい光のあふれる窓辺のスナップである。そこにはコップにいけたユリと、タイトルに言うカラヴァッジョのいわゆる「洗礼者ヨハネ」の絵葉書らしき図版が見受けられる。いわゆる、というのはローマ・カピトリーノ美術館の所蔵する本作品の主題に対して疑義が出されており、荒野の洗礼者ヨハネではなく、生贄にされるのを免れたイサクではないか、など様々な説が飛び交っているらしい、という事情による。宮下規久朗著のブックレット『バロック美術の成立』 (山川出版社) でそれを読んだ記憶があり、いま同じ著者による大著『カラヴァッジョ』 (名古屋大学出版会) が詳しく紹介しており、ふーん、そうなんだと読むのみだが、しかし、なぜそういう議論が起こるのかと言うと、カラヴァッジョが羊と戯れるかのような若い男性を描いた際、伝統的な図像にきちんと当てはまるようなアトリビュートを持たせていないからである。言い換えれば、彼におけるアレゴリーの体系はその場その時を離れると分かりにくくなってしまうような性格を備えていたということになるかもしれない。その図像を窓辺に置いたティルマンスの写真もまた同様の性質、つまり分かりにくいけれども読解可能性を備えているのではないだろうか。ここでのカラヴァッジョの引用について、あるいはエイズ死したデレク・ジャーマンがカラヴァッジョものの映画を撮影している、ということを思い出す人がいるかもしれない。実はそうしたロンドンのカルチャーシーンについての同時代的な理解がなければ、そう簡単に分かったとも言いにくいはずだが、逆に言えば、どうやら彼としては明確なコンテクストを張り巡らせており、その意味体系を共有する文化的なサークルないしは彼自身の胸中においては、提示された断片によってその全体が鮮やかに浮上してくるような作品の成り立たせ方をしているように感じられる。つまり何となくイイよねという以上に、実は読まれ得る写真群である可能性が高く、そのあたりに仕事に近づく手がかりが一つあるのかもな、と思った次第。個人的には貴重な体験だったというゆえんである。

2004.10.30. 横浜1

横浜写真館 (10月26日-11月10日、横浜市中区/Bank Art 1929) 。写真展とプロジェクトによって構成される展覧会。森山大道をはじめ何人かの有名な写真家、そしてフォトグラファーズ・ギャラリーのメンバーやゆかりの写真家も名を連ねている。既発表作を出してみたり、なかには意欲的な作品で臨んでみたりという人もいるという具合。カタログの一文は、この展覧会を企画した理由を次のように説明している。まず<写真発祥の地である横浜で、この街をベースに仕事をする若い写真家が少なく、写真というメディアで発信できていないということを感じた>から。もう一つは会場である二つの建物のうち片方での活動が終わることになったことので、写真家の仕事を通じて、あるいはその作品と建築空間の絡みによって、建築や都市に対する視線を更新しようという思惑があったようである。後者については、そうした意図が共有されている感じの意識的な展示もあった。前者については<写真発祥の地である横浜>というあたりに、さすがにいま現在、リアリティーを持たせるのは大変だなあというのが実感。強いて言えば、小山穂太郎「Space/Cavern/Sight No.2」という作品 (カタログではCavrenとなっているけど、誤植か)が高橋由一「栗子山隧道図」との図像的な一致によって、明治時代の国土開発と視角表象の関係へとはるかに連想をとばさせること、あるいは蔵真墨のお伊勢参りシリーズが観光のまなざしとそれがはらむおかしさを取り込んでいる、ということくらいだろうか。というのもむろん無理矢理な話ではあるけれど。

2004.10.30. 横浜2

その帰り道、みなとみらい地区へ。おなじみの半月型をしたホテル、インターコンチネンタルの壁面に、アメリカをベースとするMAXという人が大型映像のプロジェクションをやるというので見に行った。しばしば登場するのはチャン・ツィーイー。彼女が出ているコマーシャル関係のイベントである由だが、寒さをこらえて眺めていると、なかなか土地柄に合っているなあ、という感じがしてきた。例えば電気の光の歴史を論じたW・シヴェルブシュ『光と影のドラマトゥルギー』 (法政大学出版会) にはかつて万国博覧会場を彩った大規模な光のイベントがたくさん紹介されている。この地区も知られる通り、博覧会をテコに地域振興を図った地区。そういう意味ではよく似合って当然というところもあって、図らずもということなのか、こちらのイベントのほうが横浜という土地の歴史性をよく照らし出しているようでもあった。


2004.11.04. 沖縄

『赤いゴーヤー 比嘉豊光写真集1970-1972』 (9月1日、ゆあめーる刊) を手に取る。岡本由希子という方の解説「オキナワ自身との対話」が引用する通り、この写真集を受け取る上で参照すべきテキストの一つは、やはり東松照明の『朱もどろの華』なのだろう。そこに収められた1972年の「沖縄通信」に若き写真家は登場している。比嘉は1950年、米軍の上陸拠点となった読谷村に生まれた。「比嘉さんの記憶の中で生きている米兵は、とにかく食糧をくれるやさしいオジさんだった」と東松は記す。所与の現実としての占領をテーマとする自身との共通項を見いだしたことは想像に難くない。70年、比嘉は琉球大学に入り、クラブで写真活動を始める。71年、全軍労ストを撮影。その写真を「沖展」に出品したが、その選評に落胆し、「結局、写真は、闘争の役に立たず、自分のためにだけあるような気がした」。一文は72年6月の琉大写真クラブ展出品の写真に触れ、比嘉の言葉によって締めくくられる。「沖縄の基地は、日本人の目に異常の風景として映るらしい。が、ぼくにとって基地は日常の風景でしかない」「ヤマトンチューのカメラは、沖縄を見世物として晒す。それは差別する者の目だ。ウチナンチューの目は明らかに違う。そのことをこれから確かめていこうと考えている。ウチナンチューは、決して民族を売らない」。さて、今回の写真集の中心となっているのは、走行中の車の助手席や路線バスの客席からノーファインダーで撮影した写真群である。72年10月13日の日付を持つ手記も収められている。その時も車に揺られながらの撮影行に出かけたようである。いわく<砂煙は道端のモクマオを白く染める。/セーラーのネクタイが風になびいている。/あたり前に、人は笑い、/あたり前に、涙を流す。/あたり前にコバルトの海を日射しが強く照りつける。/あたり前の風景が僕のレンズの中に飛び込んでくる。/黒い犬、道端の老人、馬にまたがる外人、SR7、小便する子供、/昼休みの中学生、バスストップ、看板…。/全てがあたり前の風景。>――この「あたり前」が強烈な拒否の念に裏打ちされていることはもはや言うまでもあるまい。それから30年余を経て「赤いゴーヤー」という、これまたヤマトンチューにはまず味わうことのできない成熟を意味するタイトルを冠して、写真集にまとめたことになる。だとすれば、容易に分かったとも言いにくい写真ということになるけれど、受動性がこのような形で現れるに至る沖縄という土地の独特さについては改めて考えさせられるところがあった。

2004.11.17. パリ1

仕事でパリへ。パリ・フォト (11月11日-14日) には間に合わなかったが、おりしも写真月間の最中だった。今年はフォト・エスパーニャも見られたし、2度も写真フェスティバルに巡り合わせるという運の良さ。リーフレットを見ると、今回はベルリン、パリ、ウィーンの3都市が連携を図り、ヨーロッパ写真月間を標榜している。さらに2006年は少なくともローマ、ブラティスラヴァ、モスクワの三都市が参加するとのこと。1980年始まった写真月間は、パリが主導権を握る形でヨーロッパ全域に拡張を図りつつあるようだ。今回のテーマは「歴史、物語、ドキュメントからフィクションまで」。このところの流行でもあるようだが、もろにフォト・エスパーニャとかぶっている。しかも今後参加予定の都市にマドリッドは入っていない。どうするフォト・エスパーニャ……。それはともかく、この日はオルセー、ジュ・ド・ポーム本館、それからポンピドゥーと大きな美術館を駆け足でハシゴしてみた。以下、次項。

2004.11.17. パリ2

オルセーのメーンは「ニューヨークと近代美術:スティーグリッツとそのサークル 1905-1930」 (10月19日-1月16日) 。アメリカ近代写真の巨人をパリに迎えた本展は、291ギャラリーでの展覧会を、実際の出品作を交えて紹介している。当然のことながらパリ発の前衛美術が頻出するわけで、アメリカ美術・写真がいかに多くをヨーロッパに負っているのかを見せ付ける感がある。こうした文脈のうちに置かれると、あの「エキヴァレント」も多少はそうであるかもしれないにせよ、抽象絵画の枠を出ない代物のごとく見えてしまう、という展覧会。オルセーの注目展はほかに「空気の運動 エティエンヌ・ジュール・マレー、流体の写真」展 (会期はスティーグリッツ展に同じ) 。松浦寿輝著『表象と倒錯』 (筑摩書房) が言う「表象の技師」マレーによる、空気の写真ばかりを並べた展覧会。独特の装置でストライプ状の空気の流れを作り出し、それが装置内に置いた物体にぶつかることで変化し、乱れるさまを執拗にとらえ続けている。会場にはベルクソンのテクストが掲げられ、唯一の別の作品としてカモメの飛翔する模型を使ったゾーエトロープが置かれている。つまり運動と写真の関係について再考しようという展覧会であるらしい。ジュ・ド・ポームは企画展「時の影」 (9月28日-11月28日) を開催していた。どうやら全体のテーマにいう写真のドキュメント性とその変奏を見せようという試みのようで、「ドキュメント/モニュメント」「メディウムの実験」「主題の輝きと悲惨」という三部構成。しかし、これらのタイトルにしても、第一部だけでアジェからルフに至る古今の11人をピックアップするといった顔ぶれにしても、あまりにも広範な話題と作品を扱っているように思われて、どこに焦点を絞り込もうとしているのか、貧弱なあたまではよく分からなかった。ポンピドゥーは回顧展「ベルント&ヒラ・ベッヒャー」 (10月13日-1月3日) 。彼らのタイポロジー作品を特に起承転結もなく、延々と巡らせた展示は、その過激と言って差し支えないであろう退屈さを存分に体感させるという点で、いい回顧展だなと感じた。

2004.11.20. パリ3

出発前の時間を使って再度、写真関係の展覧会へ。コンシエルジュリーでの「FNACの写真コレクション」展 (10月30日-11月30日) を一通り眺めて、ヨーロッパ写真美術館へ。かなりの本数の展覧会をやっていたが、メーンは「第三の目」展 (11月12日-2月6日) 。要するに心霊写真展である。縁者の霊が仲良く見守ってくれているポートレートだとか、おなじみのエクトプラズムだとかポルターガイストだとか、一通り見ることができて楽しかった。上記マレー展と思い併せると、19世紀末の写真が流れるもの、不定形なもの、ひいては見えざるものの可視化に強い関心を寄せていたことを改めて印象づけられる。写真フェスティバルの面白さというものか。日本でも一柳廣孝編著の充実した論集『心霊写真は語る』 (青弓社) が先ごろ刊行され、前川修、長谷正人が写真論における心霊写真の面白さを説いているのだが、この展覧会も非常に分厚いカタログを作っている。欲しいな…と気持ちが少し動いたが、あまりにも重そうなので断念。

2004.11.20. パリ4

写真月間のリーフレットには載っていないのだが、最後はカルティエ現代美術財団での杉本博司展「与えられたとせよ:大ガラス」 (11月13日-2月27日) 。新しいシリーズ「コンセプチュアル・フォームズ」を見せている。プリントの完成度は高い。入り口に背を向ける形で一点ごとに壁を設け、回り込むと一挙にイメージが立ち並ぶさまが出現する展示も鮮やか。なるほど海外では、このレベルで作品を見せているわけか…と納得。さて、新作は東京大学所蔵の教育用モデルを撮影した二系列の作品で構成されている。複雑な関数の三次元模型の「数学的形態」と、機械の動きを示す模型を撮った「機械的形態」。それをパリでお披露目するにあたって、杉本はタイトルに掲げるデュシャン作品の枠組みを借りる形で展覧会を仕立てている。つまり「数学的形態」を「大ガラス」に言う「花嫁」、「機械的形態」を「独身者」に割り振り、それらをジャン・ヌーヴェルのガラス建築で包み込む、という趣向。会場の一角には、やはり「大ガラス」の東京バージョンを撮影したフィルムそのものをガラスで挟み込んだ作品も置いている。特に面白く感じたのは「独身者」=「機械的形態」という見立て。縮めて言えば「独身者の機械」となるわけだが、その一事をもってデュシャンを論じてしまったのは澁澤龍彦「デュシャンあるいは悪循環」 (初出は81年、西武美術館でのデュシャン展カタログ、現在は『魔法のランプ』=学研M文庫所収) である。探し出して再読してみると、いかにも澁澤好みの<なにものをも生産せず、なんらの有用な成果をも生まない」ことへの偏愛をデュシャンに見出し、それは澁澤流に言うなら申すまでもなく、直線的な時間概念や死を忘却しようとする生の観念への復讐ということにもなるはずだが、なんとなく杉本の仕事にそれに似た精神の傾きをかぎとるのは筆者のみだろうか。ちなみにアーティスト・ステイトメントで杉本は<これらの数理模型と機構モデルは、芸術的な野心を全く持たずに製作されたものだ。そしてその非芸術性が私の芸術的創作意欲を燃やしたのだ。芸術は芸術的野心なしでも可能であり、時としてなしのほうがましである。と言えるからだ>と述べている。内容はともかく、このシニカルでレトリカルな口ぶりは、いま引いてみたエッセーにおける澁澤の結語<ここまで読んできた読者は、あるいはいらいらしながら私に向かって問うかもしれない、そもそもデュシャンの作品には、どんな芸術的思想的もしくは哲学的な意義があるのか、と。それに対して私は答えるだろう、何の意義もないのだ、と。なんの意味もない無償の想像力のたわむれであるからこそ、これほど私たちの心を惹きつけるのだ、と>にもちょっぴり似ていなくもないような。

2004.11.29. ソーシャル

「明日を夢見て アメリカ社会を動かしたソーシャル・ドキュメンタリー」展 (11月27日-1月16日、恵比寿/東京都写真美術館) のプレス内覧会。タイトルに言うようなアメリカ写真の系譜を、ジェイコブ・リース、ルイス・ハイン、FSA (ウォーカー・エヴァンズ、ドロシア・ラング、ベン・シャーン) 、ベレニス・アボット、そしてフォト・リーグという5つのハイライトでお目にかけましょう、という展覧会。もとより他の選択肢もあると言えばあるのだろうが、写真史上の名作が並んでいる。シンプルな展示も好ましく、素朴にいいなあと眺める。そのようにして彼らの仕事の美しさを引き出すことによって、例えばアラン・トラクテンバーグ『アメリカ写真を読む』 (白水社) の第四章「カメラ・ワーク/ソーシャル・ワーク」が論じるような、芸術写真/報道写真のさほど簡単ではない関係を、実地に確かめさせる感もある。結局のところ意義のある展覧会だと思った次第なのだが、プレス内覧会の参加者は何とも少なかった。まもなく東京オペラシティアートギャラリーで開かれる「森山 新宿 荒木」展あたりならば、押すな押すなの盛況になるはずだが、それが写真ブームというものか。


2004.12.09. どこでも

エリック『everywhere』 (11月1日、ビジュアルアーツ発行) 。第2回ビジュアルアーツフォトアワード出身者部門の大賞を受賞し、初の写真集刊行となったようである。この香港出身の若き写真家に対しては、一方で元気があっていいよねという称賛があり、他方ではマーティン・パーに似ているとか1980年代の日本でも日中ストロボははやっていたとか、あるいはここでも一度触れたかどうか、リネケ・ダイクストラのビーチ・ポートレートを思い出させる作品がある、といったことも気にはなる。むろん、どうあれ話題になるだけの勢いがあるということには説得されるわけだが、この写真集のタイトル「everywhere」は前者の見解、つまりどこにでも行ける元気さを自任しているニュアンスがある。だとすれば唐突な比較ではあるけれど、不肖・宮嶋こと宮嶋茂樹が「イツデモドコデモダレトデモ」と標榜しながら繰り広げる活動も幾らか思い併せられてもよいのかもしれない。

2004.12.10. 風船

「フルクサス展-芸術から日常へ」 (11月20日-2月20日、さいたま市/うらわ美術館) 。日本でもフルクサス展をやったらいいのに、と思ったこともあり (2003年1012の項) 、期待に胸をふくらませて出かけてみた。まず入り口で、風船を手渡された。胸いっぱいの空気を吹き込んで、あそこに結び付けて下さい、とのこと。見ると、鈴なりになった風船の小山がある。つまり塩見允枝子「エア・イベント」の再演に参加することを求められていたわけだが、近ごろ経験もなく、なかなか風船がふくらまない。しかも不器用で、うまく結び付けるのに難渋する。受付の若い女性たちとガードマンが見つめるなか、たった一人で悪戦苦闘するうちに、当初の期待もなにやら風船のなかに吹き込んでしまったような塩梅で展示を見始めた。本の美術をコレクションしてきた美術館、その開館5周年を記念した展覧会ということで、一つひとつの資料に書誌的な解説がくわしく付され、感心させられた。他方ではオノヨーコのコーナーがあり、はたまたヘンなラケットで卓球をしたりピアノの鍵盤に石を置いてみたり、といった参加型作品の体験コーナーも設けられている。卓球作品はガブリエル・オロスコ「ping-pond」を思い出させもして、なるほどある種の現代アートの源流であるのだなとうなずかされるわけだが、しかし当然ながら、ピンポンとは一人でやることはできない。意を決してピアノに石を置いてみたものの、監視の人たちが見守るなか、ただポーン…と響き渡る音を一人きりで聞く心理的なハードルはいささかならず高く、二つ目でギブアップした。こうした体験を通じて感得させられるのは、フルクサスの作品はどうやら仲間同士、わいわい楽しむ形でないと、けっこうつらいものがあるな…という簡明な事実。逆に言えば、フルクサスのメディアとコミュニケーションの関係だとか、彼らのアートワールドの成り立ち方にかかわる話でもあるわけだが、そういうことを一人しみじみと考えさせてくれる展覧会。ところでこうした参加型の作品はカタログに収録されていない。どうしてなのだろう。

2004.12.15. 物質

川田喜久治作品展「地図」 (12月15日-2月10日、芝浦/PGI) 。代表作「地図」を単独で見せる、実は初めての個展だという。このところデジタル作品を試みていた写真家は今回、高いクオリティーのプラチナ・プリントを仕上げている。特にその強い物質感が目をひく。ご本人から、このシリーズを撮影するため広島に赴いた時、ジャン・デュビュッフェの画集を携えていたこともあった、とうかがった記憶がある。その当時の日本に及ぼした強い影響は多少想像しにくくなったが、デュビュッフェは路上の葉っぱなどをじかに貼り付けるタイプの絵画を試みていた。だとすれば本作品においては、壁のしみをイメージとして提出するというよりも、可能でさえあれば、いわば物質的に移し替えることが夢見られていたはずであって、その意味では宿願が叶ったかのようなプリントという印象があった。

2004.12.16. 中国

「どこへ向かうのか? 天人合一! 中国の若手写真家4人展」 (11月29日-12月24日、銀座/ガーディアン・ガーデン) 。会場に掲げられたキュレーター呉嘉寶の一文によれば、中国では2000年以降、30校の大学に写真学校が設置され、同じく2000年を境に、国際と名の付く地方政府主催の写真フェスティバルが5つも始まったのだとか。たいへんな勢いだ。晋永権、顔長江という人が出品した第一会期 (12月10日まで) は見逃してしまい、第二会期 (13日から) へ。王寧徳、丘 (Qiu) という2人が出品。同じ一文に言う<新聞写真、報道写真、ドキュメンタリー、スナップショット等の総体>のような中国独特の「紀実写真」から踏み出した人たちのようだ。王はみな目を閉じたモデルを使った、シュールでちょっとレトロな雰囲気の組写真。かつてのパルコあたりが、こういう広告写真を使ったとしてもおかしくないかな、などとヘンなことを思ったけれど、しかし、中国にはコマーシャル・フォトという明確なジャンルはあるのかな、とさらに妙な方向に連想が飛んだ。丘のほうはしばしば粒子の荒れた、私的なタッチのモノクロ作品。

2004.12.16. 窓景

中野正貴写真集『東京窓景』 (11月20日、河出書房新社発行) を眺める。2000年、東京の誰もいない街角を狙って撮った写真集『Tokyo Nobody』 (リトルモア) で注目された人。今回もユニークな着想というべきか。あちこちの窓から見た東京の都市風景を、窓を少しだけ入れ込む形で撮っている。それだけのことだが、窓はもとより風景を成り立たせる枠組みにほかならず、それゆえメタ風景ないしは風景論としての風景写真にもなる。総じて圧迫感のあるカットが目立つ。東京の過密度によって、窓という装置そのものがきしみを上げているかのような感じがあるのが見どころか。

2004.12.24. 敷物

東京都写真美術館のアニュアル展「日本の新進作家」の第三弾は「新花論」 (12月25日-2月6日) 。その内覧会。花や植物をモチーフにした作品を、赤崎みま、銅金裕司、櫃田珠実、鬼頭健吾という4作家が出品している。インスタレーション的な作品が多い。前回の「幸福論」と同様、展示構成にも工夫を凝らそうとしたようで、座ってくつろぐためのカラフルな敷物みたいなものが床に置いてあったりもする。ところが作品間の分節が割に緩いためか、こちら側の見方が悪いのか、それが作品の一部なのか会場の造作なのか、よく分からない。聞いてみたら、会場の造作だった。というようなことが気になった展覧会。

2004.12.24. 水鳥

中平卓馬展「なぜ、他ならぬ人間=動物図鑑か??」 (11月26日-12月25日、新川/SHUGOARTS) 。中平の過去と現在ということで言うと、写真イメージ内の等価性を主張した往時の言説とは裏腹に、ここに見る写真にしても、明確な関心の中心を備えており、関心の向かう対象も実は限定的と言ってよい。例えばひらひらするもの、きらきらするもの、そして特権的な被写体の一つは水鳥である。どういうわけか、これらは古代人が畏敬した対象と重なり合っている。そのあたりは土橋寛著『日本語に探る古代信仰 フェティシズムから神道まで』 (中公新書) で読む程度で、なぜそうなるのか立ち入ってみるつもりもないけれど、以前、中平の写真集『hysteric Six』を見た際、ふと若冲の絵を連想したことがある。いまにして思えば、アニミスティックな印象が両者を媒介したのかな、と個人的な疑問が晴れた次第。

2004.12.25. 超越

奈良原一高写真集『円』 (10月25日、クレオ発行) 。本人いわく<1980年代の終わりに、僕はネフローゼ症候群という珍しい病気にかかって、3年程写真を離れ、肉眼の世界に戻った。すると世界は円形に見えだした>。写真家は身体の失調に根ざす、かなり奇妙にも見えるイメージを少なからず手掛けてきた。その系譜に属するシリーズで、円形のフォーマットによる作品を収める。本書での伊藤俊治による解説「円と写真の宇宙」が指摘するように、カメラが外部化された目なのだとすれば、それを写真家は再び身体化していることになるが、病前の奈良原も当然ながら身体化されたカメラの視角の持ち主であったことを、先の述懐は明らかにしている。さて、生の視角の揺らぎに発したこの円形のフォーマットを考える上で、さしあたり判断すべきことは、それが矩形の拡張なのか、限定であるのかということかもしれない。円は矩形を包含するのか、矩形の内側にあるのか。印象を言えば、むしろ後者のように思われる。つまり矩形のフォーマットがもともとの視角であって、円形の視角はその限定として機能している。そのことによって、円形のフォーマットは四隅に見えざる領域を潜ませ、フレーム内外の明確なしきりを緩ませている。順々に眺めていくと、円の内側に様々な被写体が現れては消えるのを、ゆったりと構えて眺めているかのよう。身体の失調に対しても、なにか人ごとのように淡々と語ってしまうような人なのだが、望遠鏡の視角にも似た円形のフレームを採用することによって、ますますもって不思議な離隔感が漂いだす仕儀となっている。いつだったか写真界の“星の王子さま”という人物評を聞いた記憶があるけれど、確かに何となく、どこか遠くの星から地上のあれこれを不思議そうに眺め渡しているような写真集ではある。

2004.12.28. 沖縄大撮影会

用あって東松照明の沖縄時代についておさらいすべく、東京都写真美術館の図書室で当時の写真雑誌を閲覧する。古い雑誌はやはり見飽きない。この日、最も興味深かったのは「アサヒカメラ」1969年12月号に掲載された、同誌復刊20周年記念「沖縄大撮影会」の記事。見開き2ページのレポートによると、その撮影会は10月26日、沖縄タイムス社、沖縄写真連盟が後押しする形で行われ、東京から特別参加の20人、大阪から来た会員、離島の人、アメリカ人なども交えて、沖縄の撮影会としては空前の千人以上を集めたのだという。同誌はこの年、東松照明を沖縄に特派し、6・7月号で写真と解説を掲載している。いま想像するに、東松を派遣するという政治的な関心が偽りだったのでもなく、さりとて写真界にとって沖縄がいわばフロンティアだったのもまた事実であって、それぞれ並存していたということか。ところで沖縄での大撮影会において、ヤマトから指導に赴いた写真家の筆頭格は木村伊兵衛である。戦前、沖縄を撮影しているのは知られる通り。さきごろ開催された横浜美術館「失楽園 風景表現の近代1870-1945」展 (10月9日-12月12日) のカタログは以下のように指摘する。<沖縄・那覇で撮影した風景は、その後『写真実技大講座 第二巻・小型カメラの写し方・使ひ方』 (1937年) という技法書に収録される。同書に収められるのは、「どの写真もみんな、なにかしら実際の役に立てたもので、例へばドイツの新聞社、アメリカの雑誌社の為に、また国際文化振興会、国際観光局などの仕事に使つたもの」である。同じ一枚の風景が、プロパガンダに使われると同時に、アマチュア向けの技法書にも転用される。戦時下、木村の写し取った風景の政治性は、自作を「報道写真」の中心から絵画主義運動以来の「写真サロン」へと置きなおし、ソフトにアマチュアを教化することに特徴があった>。なかなか手厳しいけれど、それと復帰直前の沖縄で<暑さに弱い木村先生は麦わら帽をかぶって大汗かきかきの指導ぶり>と報告される姿との異同に興味をそそられたというわけ。ちなみに東京国立近代美術館でも「木村伊兵衛展」 (10月9日-12月19日) が開かれたが、そのカタログの年譜は戦前の沖縄行を1936年とし、「那覇の市場」も同年の撮影としている。手元の資料だと1935年とするものが多いのだが。