時評 34 “白” by 上野修

時評 2007.6.22:上野修

「白い紙ほどその物性を想起させるものはない」と、ある装幀家が書いている。
 ならば印画紙はどうか。
 そもそも印画紙は白い紙なのか。

 昔は、印画紙といえばバライタ紙のことで、それしかないのだから、あえてバライタ紙という呼び方もしていなかったように思う。そのバライタ紙も、現在のような作品のための高級厚手のものは、あまり普及してなかった気がする。
 思うとか、気がする、というふうにあいまいなのは、よくわからないまま印画紙を買っていたからだ。
 身近に暗室があった。暗室で遊ぶには印画紙があればいいらしい。カメラ店、というより、カメラ材料店のようなところに行ってみると、いろいろと種類がある。が、種類の意味がまったくわからない。けっきょく買ったのは、値段が安くて、枚数が多く入っているものだった。
 そうした安価な印画紙は、薄手のものだった。少しはコシがあったが、現像液に入れたとたんフニャフニャになってしまって、いったいどう扱えばいいのかわからなくなるような代物だった。もちろんそれほど薄いはずはないが、金魚すくいの薄紙を扱っているような感覚になった。
 乾燥すればもとにもどるかというと、そうではない。洗濯バサミで干しておくと、みごとにクルクルになる。本に挟んだくらいでは、まったくもとにもどらない。窓ガラスにはって乾かすことを試してみた。ぴったりくっついてしまって、どうしようもなくなったものもあったが、なぜか偶然うまくはがせたものには、美しい光沢が生まれていたものもあった。
 カメラも引き伸ばし機もなかったので、ベタ焼きやフォトグラム(という技法は知らなかったが)のようなことをやって遊んでいた。ただ光を当てて真っ黒にしてみた印画紙もあった。逆に、光を当てずに真っ白のままに処理をした印画紙もあった。光沢が生まれた印画紙は、幸か不幸か、真っ白なままの印画紙だった。もともと、どうでもいいものばかりだったので、クルクルやシワシワになった印画紙は捨て、真っ白な印画紙だけとっておいた。

 引き伸ばし機を使って写真を焼くようになった頃、RCペーパーが登場した。樹脂加工してあるこの紙は、処理中も処理後も絶対にフニャフニャにならない。押しがきかないとか、階調が浅いとか、味わいがないとかいわれていた気がするが、あの扱いにくい薄手バライタ紙にくらべれば、はるかに使い勝手がいい。
 樹脂加工された、いかにも人工物のような質感も好きだった。あのペラペラした感じは、複製技術の写真にふさわしいではないか。
 しかし、その後、オリジナルプリントがブームになって、またバライタ紙も使うようになった。作品用のバライタ紙は厚手のもので、現像液に入れてもコシがあって、薄手のものほど処理はたいへんではない。
 だが、乾燥はあいかわらず難しかった。たしか、はじめの頃は、ボードとプリントを接着ティッシュで圧着する、ドライマウントという方法もやっていた。これにオーバーマットをつけて、ブックマットにして作品にするのである。無酸性紙がどうのとかいいながら、ボード・接着ティッシュ・オーバーマットを用意すると、金もかかるし、手間もかかるし、器具もいる。めんどうなので、あっという間にやらなくなった。
 平らなところに置いて、乾燥してカーリングしてきたら裏返す。それを繰り返して、最後に重いもので圧しをかけるなり、プレスするなりして、乾燥していた気がする。平らに乾燥させるのは、焼くのと同じくらい、いや、焼くのより手間がかかった。
 なぜそんなに手間をかけたことをやっていたのだろう。バライタ紙の扱いは、とにかく時間がかかる。一日がかりの仕事になる。手間をかけたものは、いいものであるような気がする。あんがい、そんな単純な理由なのだろうか。
 あるいは、ついこの間まで、いまだ、ここだといっていたのに、こんどは永遠を見つめはじめる、そんなささやかな倒錯を気に入っていたからだろうか。

 RCペーパーのときも、厚手バライタ紙のときも、真っ白のままに印画紙を処理をしたことがある。気まぐれに、というわけではなく、そのときどきで理由はあった。
 ベースの白という色は、印画紙によってちがっている。とくに厚手バライタ紙のなかには、ロットによって感剤の特性がちがうだけでなく、著しく白もちがうものもあった。パッケージに数枚残ったときには、使い道がなくなる。だから、白のチェック用にそのまま定着液に放り込んだ。
 処理が不完全で変色してくる場合にも、真っ白なまま処理した印画紙が一番わかりやすい。処理のチェック用に、暗室作業の最後に、一枚真っ白な印画紙を作っておいたこともある。
 いや、こうして理由を思い出してみると、ほんとうは気まぐれだったのかもしれない。はじめてきちんと最後まで処理できた印画紙が真っ白だったという記憶をなぞるように、真っ白な印画紙を作っていただけのことなのかもしれない。

 作品用のバライタ紙の処理に、とにかく時間がかかるのは、長期保存に耐えるプリントを作るためである。二、三ヶ月間使うだけのプリントなら、適当に処理してもほとんど問題ない。永遠のような未来を想定しながら、最善をつくそうとするから、ひとつひとつの処理に時間がかかる。
 しかし、長期保存に耐えるプリントを作ったところで、それが長期間残るわけではない。物としてのプリントが残るためには、残すという強固な意志がなければならない。どちらかといえば、この意志の方が重要なくらいで、命の続く限りこの意志を持続するのは、生半可なことではないだろう。この生半可でない意志ですら、誰かに引き継がれなければ、そこで終わってしまう。
 話はそれるが、かつて、ある国の写真家の御子孫を訪ねて、貴重な写真を見せてもらったことがある。その御子孫が取り出してきた写真は、大切に巻いて紐でくくって保存してあった。紐をとって平らにすると、フェロがけしてあったのだろうか、光沢のあるそのパリパリとした白黒写真は、ポロポロとひびが広がり、崩れていった。大切にしていたがゆえに、見るために広げると、崩れ落ちてしまう写真。あれは、今までに見た、もっとも美しい写真のひとつだった。
 あの写真を思い出すたび、引き継がれたとしても、保存されるために保存されている写真に、果たしてどれほどの意味があるのかと感じてしまう。

 ところで、ぼくはといえば、長期保存に耐えるはずの処理をしたプリントのほとんどを捨ててしまった。
 なぜなのだろう。
 ひとことでいうなら、単純に用途を終えたからだろう。展示なり何なり、役割を果たしたプリントはもう不要のように思えた。そして、矛盾するようだが、長期保存に耐えるプリントを作ったということそれ自体が目的を満たし、じっさいに長期保存する必要がなくなったような気持ちになったのだ。
 とはいえ、保存のために買った無酸性紙で作られた箱の方は、なかなか捨てられなかった。いや、捨てられなかったのではない。無意味な箱は、捨てる理由がなかったのだ。同じように、真っ白なまま処理した印画紙も捨てる理由がなかった。
 けっきょく、無意味な箱のなかには、さまざまな種類の白い印画紙が束になって残ることになった。

 白い印画紙は、紙なのだろうか。
 あるいはそれは、写真なのか。
 この問いに意味があるのだろうか。あるとすれば、私的なものなのかもしれない。私的な問いであるなら、この問いそのものが、無意味な箱と白い印画紙の束を捨てる意味を生む。
 この文章を書き終えたら、ぼくは箱と白い印画紙を捨てるだろう。