Miyako Ishiuchi/石内 都
“Three Days Exhibition” 2002/03/22 - 2002/03/24 12:00 - 20:00 月曜休 / MON CLOSED

Miyako Ishiuchi

スライドトーク 『始まりとは何か — From Yokosuka を巡って』

本展の特別イベントとして、2002年3月22日に石内 都氏によるスライドトークを行いました。 そのweb収録となります。

まずここでやるきっかけを、一言わせてもらいます。 私はここのギャラリーをあんまりよく知らなくて、小出さんの『赤い線』という展覧会を見に来たのが始めてだったんです。
そして、なぜここでやるかというきっかけになったのが実は西井一夫さんです。たまたま西井一夫さんのお見舞いに行った時に北島さんとあって、帰りが一緒になってしまったんです。それで喫茶店でお茶でも飲まないかと言われて北島さんとお茶を飲んだ時に、one day exhibitionをやらないかという話がありました。ああ、1日ってかっこいいなあと思いましたね。ここはあまり広くないから、1日だけならいいかなっというのが始まりでOKしたんです。1日だとみなさんに脅迫状を送るような感じなので、じゃあウィークエンドの3日間やりましょうということなったんですが…。 ですからここのきっかけを作ったのは西井一夫さんです。彼が私と北島さんを出会あわせたみたいな感じでここに元があります。
今日は、基本的に横須賀関係です。横須賀は大体200枚くらいをみなさんにお見せします。『始まりとは何か』というオーバーなタイトルをつけたんですが、例えば入り口の横須賀ストーリーのプリントは’77年のプリントです。これはあの、松屋の前にあった銀座ニコンサロンに持っていくときのプレゼンテーション用の写 真で、私がきちっと焼いた写真では初めての写真です。

その向い側にあるのが『Mother’s』といって私がこれから中京大学という名古屋にある大学で個展をするんですが、それのプレゼンテーションとして3点展示しました。
私は『1・9・4・7』から身体を撮りはじめますが、今日はその中間のスライドはありません。最初の横須賀の200点と最新作『Mother’s』の10点を中心に見て下さい。



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これは写真集の表紙ですね。木村恒久さんというデザイナ-がデザインしてくれて、私はこれは画面を全部たち落としにしたかったんですね。というのは、映画のノリでどんどんペ-ジをめぐるように、時間的なものを割と意識してたち落としで写 真集を作りました。


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これが初めての個展のDMですけれども、これは私が書き文字で書いています。学生時代はデザイン科にいましたから、割と基本的な平面 のデザインはちょっと知っていたんです。

実は、写真のことよく分からなくて、写真っていうのはフィルムサイズと印画紙サイズが違うってことをこの時初めて分かったんです。これは全部印画紙サイズでプリントしてします。ですから入り口にあるのはあれは、完全に印画紙サイズで、トリミングは1/3くらいしたものですね。写真集は全部この形でやってます。

この時なにを撮りたかったか…。それが私にとっては写真の「撮る」ということよりも、なんだろう…自分の記憶みたいなものが写真を撮ってくと、とどんどん出てきて。この『絶唱・横須賀スト-リ-』の時は、非常に不思議な体験をしましたね。それで、横須賀から出てからもう1回自分の育った街に帰ったわけですけれども、よそ者として横須賀に移って来たということがあって、はっきりどういう差別 か分からないんですけれども、差別されていた。私自身、非常にこの街から傷を受けた感じがすごくあったんです。

横須賀の街を撮るというよりも、なんかこう引っ掛かるものというのかな、なにか心に引っ掛かる風景みたいなものを撮るという感じです。


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これも赤線の街ですね。子供の時にその安浦3丁目という言葉が妙に引っ掛かっていて、なんだか意味が分からない。当然、女が行くところじゃないってこともあって、後から出てくるドブ板通 りというのもそうなんですけれども、なんで行ってはいけないのかということを大人は誰も教えてくれなくて、たぶんやっぱり子供心になんか変な響きの街として印象に残っている。それで、結局カメラを持った時に初めて訪れたわけですよね。


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ここはドブ板通りですけれども、ここは絶対歩いてはいけないと教わっていました。私が高校時代、ベトナム戦争がすごく大変な時期で、とにかく今はさびれてますが、例えば強姦の記事とかいろんな事件がすごくあったんです。何年か前に沖縄で高校生が強姦された事件がありましたが、横須賀でも散々そういうことがあっても一度も表に出たことがなかったのに、非常に大きな事件として取り上げられた。だからあの事件は私にとっては、ああ、やっといろんなことが表に出てきたんだなという感じがすごくしました。基地の街というのはやっぱり目に見えないいろんなことがいっぱいあるから、現実的に外側から見るのと違うんですよね。ですから私、自分が女性であるということを基地の街から教わったという感じです。

今はもう横須賀はすごく変わってしまって、ひさしぶりにTシャツの「爪」の刺繍をしにドブ板に、3回くらい通 ったんですけれども、ほとんど明るくて、暗闇がなくなっちゃった街になって、地方都市に成り下がってしまったなあという感じがしました。


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ここは横須賀でも田浦というところで、私の高校があった街なんですが、この建物を一角はまだ残っています。本当に小さな街なんだけれど自衛隊の基地があったところで、開発できそうもない、非常になんとも言えない袋小路、不思議な暗いところですけれど、この建物はまだありました。


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ここはですね。この間ドブ板でTシャツの刺繍を作りに行った時に、さっき挨拶した小出さんが絶対この福助ホテルを見たいって言うので、じゃあ行こうということになり、夜になっちゃったんですけれども、夜に行ったことがないから果 たしてやっているのかなあと思いながら行ったんですね。タクシ-乗って行ったら、ああやってますよと運転手さんに言われて。夜初めて見たんですよ。あの福助さん、ちゃんと明かりがついていてやってたんですよね。これはちょっと感動しましたね。 ただ、写真で撮るのと現実は違っていて、彼女もがっかりしたのかもしれないけど、結構こじんまりとしたちっちゃな寂しいホテルなんです。この時は「日本人様大歓迎」と書いてありましたから、元々は米兵相手のホテルだったと思います。

ここは、山口瞳さんの祖母が経営していた遊廓の跡なんですよ。『血族』というあの小説の舞台となった街で、私もここのところを初めて歩いた時に、道幅がすごく広いんですね。なんでこんなところにこんな道幅が広いのかなあと思ったら、昔の遊廓の跡だったんです。この福助さんもその名残りだと思いますね。ドブ板がもっと盛んな頃、ここに将校さんの施設があったみたいで、その時に利用されていたところだと思います。


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これはポスタ-です。これは説明しなくちゃいけないね。「雨ふれ!ヨコスカ」と「コンプレックスな横須賀にシャウトする石内都フォト・アクシデント」はさっき言ったここで展示するきっかけを作ってくれた西井一夫さんのキャッチです。これは木村恒久さんに頼んだ時に、キャッチを西井さんに頼めとかって急に言われて(笑)。それでハイハイって電話して、彼に頼んだら、「雨ふれ!ヨコスカ」って出てきたんですね。これはなんですかって聞いたら、彼は横須賀の原潜闘争に行っていて、その時にいつも雨が降っていた。確かに、私もデモ隊がいる時はいつも雨が降っていたような記憶がありました。「雨ふれ!ヨコスカ」って僕の青春みたいな感じだ、と西井さんがつけてくれたフレ-ズなんです。

それから「コンプレックスな横須賀」というのは実は横須賀の人にとってはすごく嫌な言葉だったらしくて、この展覧会がかなり長い間やっていたんですけれども、街中にたくさんポスタ-を貼ったもんですから、「コンプレックスな横須賀」というのはどういう意味かと抗議の電話なんかもらったりしました。その時のポスターが押し入れの中から本当に未使用で出てきたものですから、今回ここで売ってます。

これが’81年ですから、横須賀の『絶唱・横須賀スト-リ-』から4年経った後です。とにかく横須賀の写 真を横須賀で一度展示したいということと、実は、『絶唱・横須賀スト-リ-』ではドブ板通 りをあんまり撮っていなかったんです。やはり横須賀のドブ板を歩くというのは私にとって非常に恐いことだったし、カメラを持ってもそうだった。


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それでこれはオ-プニングなんですけれども、ドブ板通 りの100坪のキャバレ-を借りました。ここで19日間展示をやったんですけれども、そのために私は銀ラメのドレスを作りました(笑)。この頃はカ-リ-ヘア-だったの。ここはとにかく広いとこだった。


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これはキャバレ-跡の大きなスピ-カ-の上に引き伸ばし機をのせて。それは隣のショップにある引き伸ばし機ですが、それを持ち込んで一晩で焼いたものです。ロ-ルプリントで1m40cmくらいあったかな。だから、真っ暗にしてとにかく穴を全部塞いで、10人くらいに手伝ってもらってこの大きさを一晩で10枚くらい焼いたかな。この時にRCペ-パ-というのを初めて使ったんです。


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とにかく100坪くらいある大きなところだったので、昼間は喫茶店、夜はバ-をやりまして、50人分くらい、それ以上座れる馬蹄形のカウンタ-の大きいのがどんとありました。今ここは駐車場になってます。

この時、荒木さんとか陽子さんとか三木淳さんとか深瀬さん。あとちょうど写 真時代の創刊号の準備中だった末井さん。結構いろんな人が来ましたね。


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これが外の壁なんですけれども、上にみんな泊まってました。

-書いてあったの?

うん、これもう廃虚になってたの。だから電気、水道、ガスを全部一回引きまして、半年借りてたんですよ。どういう風に使ってもよかったので、こういう風にペインティングして。

私ひとりでできなかったものですから、横須賀に住んでいる、写 真をやっている人、映画をやっている人、演劇。後はロックをやっている人達。そういう人達を集めて、昼間と夜イベントをやっていました。カウンターが4つあったのかな。それで200枚展示したんですけれども、全部ペンキで赤い壁に塗りました。


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さっきのポスターですね。こういう風にもうたくさん貼って。


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そう。雨が降ってる! 梅雨時だったっていうこともあったんでよく雨は降ってました。


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ああ! 大島洋さんですね。


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これがキャバレーの中にあった昔の背がすごく高い椅子で、たくさんあったので外に出して、毎日ほとんど宴会をやってました(笑)。


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その時は本当にすぐに撮って、すぐにプリントということをして、すごく面 白い経験をしましたね。撮ってすぐにプリントできるって中々なくて。


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『From YOKOSUKA』の場合はドブ板を中心に撮った写 真です。これは三笠公園の戦艦「三笠」です。


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これはちょうどEMクラブの後ろ側で、今はプリンスホテルができています。もう全然ドブ板も変わっちゃって、いわゆる万国旗みたいなものもほとんどないし、道路が全部タイル張りになってしまって、きれいな街になっちゃった。


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これはね、有名なディッキーさんという似顔絵を描く人で、すごく有名な人だったんです。


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これがEMクラブなんですけれどね。これが基地の外にあったんですけれども、どういうわけかここに入るとドルしか使えなくて、完全に米軍の施設でした。これも91年に取り壊わされたのかな。


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このバー・チェリーというのはとても気に入っていた場所だったんですけれど、ここは汐入という、横須賀中央ともドブ板ともちょっと違う街です。


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これは臨海公園って言いまして、向こうがアメリカの基地なんですけれども、ここも全部整備されてちゃって、ちょっとびっくりしましたね。今年行ったら、もうどこの公園かと間違うほどきれいな公園になってしまってます。


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ここがドブ板で唯一この雰囲気が今でも残っている壁なんですが、黒と白の市松模様の上に一生懸命ペンキを塗り込んで、なにかを隠そうとしているんです。でも絶対見えちゃう。ここには、ドブ板に行くと必ず私は挨拶をしにいきます。必ず写 真を撮って帰る。私にとっては一番ドブ板通りの記念碑的なところで、これはまだあります。


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ここが『From YOKOSUKA』のセカンドニュ-ヨコスカというキャバレー跡だったんですが、このネオンが生きてまして、夕方に毎日スイッチを入れるとジージー音がして、このスイッチを入れるのがすごく楽しかったです。ドブ板のこういう風なネオンがなくなってしまってる。電気代が結構かかかったんですけれど、一番私のその写 真展の空間がドブ板で華やかでした。


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これがドブ板にまだあると思うんですけれど、いつも山口百恵をやっている(笑)、いつも横須賀ストーリーをここに行くと見られるというお店です。これはファイナルコンサートのビデオなんですけれども、今やっているかどうか分かりませんけれど、当時は必ずこのビデオをやっていました。


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これはコインランドリーのテントですね。テントの上に絵が描いてあって。すごくこのマリリン・モンローが好きで、もう今はありませんが、へたくそな絵だったんですけれど非常にインパクトのあるモンローさんでした。


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このコンパXはあります。これはありますからもしよかったら行ってみて下さい。ドブ板には、昔の働いていたお年寄りがまだやっているお店がちょっとあるんですね。ただ、入ると必ず隣に座るって何か注文します。それは大体1000円くらいかな。ビールを頼めばそんなに高くはありません(笑)。


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これが、さっきの壁があった階段ですね。これの途中にあの壁があります。


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はい。これがまだEMクラブがやっていた時ですね。


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これはもう立ち退きがまだ決まってない時かな、やっぱり全然お客さんが来なくって、昼間は閑散としてましたね。


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でですね、これが大きなジャンボデスコ。これはなんとスペルが間違っているんですよ(笑)。これはすごい写 真なんですけれどね、サンタナってあのデスコの字が間違っているって発見した人がいてね。そういえばモEモじゃないなあって(笑)。横須賀っぽいなあと、これは本当にすごい写 真だなって思うんです。ジャンボデスコ(笑)。ディスコじゃなくてデスコ(笑)!


     

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だいたい横須賀の街そのものは、元々日本軍の軍港なわけです。それが戦後のアメリカ軍が入って、まだ自衛隊の基地は隣にありました。すごく狭いところなんですけれど、やはり自衛隊員は多いですよね。さっきの暴走族みたいな人も全員、実は自衛隊員なんです。ですから若い人はみんな自衛隊。横須賀は、男がたむろしているのは自衛隊員だと思った方がいいですね。

実は『From YOKOSUKA』の会場として、このアポロっていうところを借りる予定で、それがここだったんです。それが途中でオーナーが貸してくれなくなった。ここはそんなに広いところではなかったんですけれども、『From YOKOSUKA』の会場の一番の候補は実はこのアポロだったんです。


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ちょうどこの突き当たりのまん中に見えるのが、セカンドニュ-ヨコスカです。これも雨が降ってます。これがちょうど取り壊されるのが決まった時に、足場が組まれて撮りにいった写 真ですが、その後なにが建つのかなと思ったら結局広すぎることもあって、駐車場になってますね。

ちょうど『横須賀ストーリー』からさっきの『From YOKOSUKA』を含めて、’80年から’90年までの『絶唱・横須賀ストーリー』の続編というのかな、そういう形で作った写 真集です。

写真は『From YOKOSUKA』とちょっとだぶっています。この『YOKOSUKA AGAIN』というのは、私は横須賀で横須賀の写 真を発表してしまったから、もう横須賀はそれでいいと思っていたんです。でも中々そうもいかず、ぐずぐずと横須賀を残り火のように撮り進んでました。その10年間分があったので、それはそれでまとめようということでまとめたものです。

それで、 横須賀は防空壕の跡がたくさんありまして、子供の時は、まだ埋まってなかったから中で遊んだりしたんですけれど、今は防空壕は全部塞がれていて、全く1個もありませんね。


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これは横須賀中央駅の裏側にあったボーリング場なんですけど、すごく大きなボーリング場で、今は岡田屋というのが入っています。駅からすぐ見えるところなんですが、ここには昔映画館が2つありました。私はここにいつも映画を見に、高校時代はひとりで追浜からバスに乗って来ていたんです。


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これは自衛隊員です(笑)。
聞いたら少年なんとかっていう学校があるんですよね。自衛隊の高校のようなものがあって、そこの生徒さんです。


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これが取り壊される寸前に中を撮ったシリーズ『EMクラブ』の駐車場に描いてあった絵だったんですけれど、すごく艶かしいんです。ホテルから出てきて、車でふたりで乗っていて、妙な写 真でね。これカラーで撮りたかったなと思います。


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ちょっと反射してますが、あの見えているのはEMクラブです。もうこれは廃虚になって一切立ち入り禁止になっちゃったときで、10年くらい放置されいて、結局もう使いものにならないということで壊されてしまったんです。

私が18歳の時に、このEMクラブに、友達が米兵とつきあっていたということがあって初めて入ったんですけれども、その時の映画館で見たシーンから、トラウマじゃないけれど、なにか写 真に繋がる、それこそ「傷」を負ったんです。それが実はEMクラブの中のシアターなんですね。今日はその写 真は持ってこなかったんですが…


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これは赤線の跡がアパートになってまして、屋号だけが残っていたという不思議なアパートです。


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これも安浦3丁目で私が行くと必ず写 真を撮っていた一番古いところですが、一切なくなってしまいました。というかここの横が海だったんですが、埋め立てられて、海が遠くに行っちゃって、ほとんど風景がめちゃくちゃな状態です。この埋め立てられた先にhide美術館というのができました。


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これはね、不思議な光景だったんですけれども、いつも行く飲み屋の細い路地に自衛隊員50人くらいがみんな泣いているの。不思議にどうしたんだかわからないんだけど、なんか若いやつがみんな泣いていたんです。これは、ちょっと恐い写 真でしたね。確か年末のなにかの集まりで、コンパか何かの流れなんだと思うんですが。


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これもそうです。飲み屋だよ!飲み屋(笑)。なにしてんの、おまえら!みたいな感じでね。すっごい恐い光景にだった。これ、みんな泣いてるんだよ。少年工科学校の何かだと思うんですけれど、みんな10代ですよね。


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これは今、西友ができている、向こう側がアメリカの基地なんですが、ずっとこんな感じで放置されていたんですけれどね。もうこういうあいまいな原っぱみたいな、こういうのが一切なくなっちゃって。この2人が、なんとなく昔の私みたいな感じでひょっと現れたんですよね。


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これがさっきから言っているEMクラブで、夏草がずっと覆いつくしていて、個人ですごくこの空間に入りたかったんですけれどね、お金を払えばどうも入れたらしいんですけれど、とうとう個人ではいるのはできなかった。ここは、もともとは日本軍の施設だったんです。それから米軍が接収して、その後、大蔵省に返還になって、それを横須賀市が買い取って解体したんです。この中に大きなシアターが1個あって、さらに小さな映画館が3つくらいあったかな。それと体育館みたいな大きなディスコがあって、サウナとかそういうのもあって、あとレストランが20か30くらいあったかな。すごく大きな空間でしたね。全部米ドルじゃないと駄 目だったんですよ。


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これは劇場のモールですね。金色に塗ってあって


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これは中の小さなシアターです。


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そうですね。ここが友達とその婚約者と3人で映画を見た場所です。これは私にとってひとつ原点みたいな空間なんですけれども、そのときに見た映像となんだろうな、基地の中の映画館ですから、はじめに星条旗がこうたなびくわけですね。そしてアメリカ国歌が鳴ってから映画が上映されるという構造になっているんですけれど、そういうことを知らずに入っちゃったんです。その星条旗を見ていたとき、私はショックを受けましたね。その友達はそれ以後、その婚約者と結婚しましたが、つい10年くらいになるのかな。もう離婚したという便りが来ましたけれども。


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これ映画館の入り口。昔はね、こういう綿がビニールの中につまっていて、非常に表情豊かなドアがあった。


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これはEMクラブの中の時計がひとところに全部かき集められた場所があって。なんかすごく時計がいっぱいごろごろ寝っころがっていて不思議な場所でした。


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これは、ディスコかな。すっごく広くて。このときは電気も一切なかった。確かこれは発電機を借りてきて、照明を当ててました。このときのビデオが実はあって、今日はお見せできないんですが?


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そうですね。これがシアターですね。


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これは私の足なんですけれども、EMクラブの地下に入るところだったかな。アメリカってペンキの文化でね、どんどんペンキは剥がれて、下に落ちて、積もっているんですけれども、このペンキが剥がれた跡がなんか時間が落ちているような気がすごくしました。ああ、こういうふうに時間って目に見えて溜まっているんだなってちょっと思った場所ですね。


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これはビロードがずっと貼ってあって、濃いエンジ色かな。すごく美しい色でしたね。これもシアターの入り口です。この写 真はすごく気に入っていてなんかへんてこりんな感じがして、すごく好きです。


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これもドアですね。これもアメリカ文化のひとつの象徴なんですけれども、非常に手がこんでいて映像的にもすごく美しいものです。


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これも全部取り払っちゃった跡ですが、EMクラブの中のこれはお店の跡ですね。床がもう沈んでいて、これは中に入れなかったんです、落っこちそうで。すごい状態でしたね。


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私にとって、横須賀の中でもこのEMクラブというのがある種の原点。始まりみたいな部分あって、それまで写 真を撮ってなかったら、この解体される前に撮ることはなかったと思うんですね。興味もたぶん湧かなかったと思う

写真って、どんどん記憶がよみがえるみたいなことになるです。例えばそれはプリントをしているときなんですよね。撮っているときはあんまりそういうのは感じないんですが…。これはすごく露光時間が長いってこともあると思う。1枚焼くのに何十分もかかっているということで、いろいろ考えさせられることがある。

だからEMクラブが解体されるというときに、どうしても私の18歳のときの自分の姿をもう1回見に行こうと思って行ったんです。ですから、18で初めて入って、これを撮ったのが’90年ですから、24年後。初めて行ってから、次に壊されるときにいったのが2回目ですね。これは運命的な出会いだったかなという気がします。


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これは中庭がすごく広くて、これもシアターのガラスにうつっている自分を撮ったんですけれど、後ろにいるのは楢橋朝子さんですね、一緒に行ったときです。ここの空間はね、いろいろな人に見てもらいたいということがあって、なるべくいろんな人と一緒に撮りにいったんですけれども、結局’90年に壊されてから、今の横須賀プリンスホテルになってしまいました。

そこに、小出さんがEMクラブの跡どこって言うから連れていきましたね。このプリンスホテルの20階にトップオブヨコスカというレストランがあるんです。もしドブ板に行ったら是非そこに?。360度横須賀が見える仕組みになっていて、横須賀の基地もすべて展望できる。なんともいえない空間なんですけれど、ちょっと面 白いかなと思います。

私にとって横須賀というのは、写真と自分の生き方の方向を決めてくれた街で、今は横須賀に住んでいてありがとうと感謝しています。たぶん、どこの街でもなくて横須賀だったから今の石内都があったんじゃないかなという気がすごくしてます。それは横浜でもないし、東京でもなくて、ちっちゃなちっちゃな基地の街、横須賀、というところだった。
それから私は街を憎んでいたんです。その憎しみが余りにも強かったから逆にもう1回見てみたい、自分の憎悪みたいなものをもう1回追体験しないと、先に進めないという感じをすごく受けていたんですよね。写 真を撮ることはその自分の思い込みが追体験できちゃうんだというような、そういう非常に単純な構造で写 真を始めたみたいなところがありました。今は、またちょっと質が変わっていますけれど、原点は全く変わっていないかもしれないです。



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次にお見せするのが、まだこれは発表していない写真ですけれど、5月に名古屋の中京大学のCスクエアというところで展示しますが、今回3点だけ展示してあります。

これは『Mother’s』と言います。
一見下着なんですけれど、実は母が2000年の12月に亡くなりまして、それから遺品を整理してて、もう山のように下着が出てきて、どういう風に処分していいか分からなくて、とりあえず写 真撮ろうと。写真に撮ってしまえば簡単に捨てられるだろうと軽い気持ちで撮り初めた写 真です。 でも撮っても撮っても次から次へとたんすの奥から山盛りいっぱい出てきて、もうどうしていいか分らない。で、撮ってまたプリントして、撮ってプリントしてっていうので、とりあえず100枚焼いたんです。それで100枚焼いた中で、うーん、そうか。これは私の母の遺品ということより、もっともっとなんか違った意味もあるなあという感じを受けました。

今、これは写真集を作っています。言ってみればこれは母のひとつの皮膚ですね。人間の下着というのは皮膚のひとつの表れ方。下着というのは、外と内のせめぎあいみたいな感じで非常に面 白いものだった。それでこれは古着の下着で、私が母の下着を使うわけにもいかない遺品としてはさびしい物達。最後に残した母の下着。後は化粧品も撮ってます。母が残したものを全て今撮るということで、こういう新作を作ってます。


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これは、母が入院するその日のタクシーに乗るちょっと前に、母は20年前に火傷をして身体の1/3を火傷をして死にそうになっていたんですが、実は火傷じゃない傷があるっていうことに気がついたんです。これは子宮外妊娠の傷なんですけれども、私が小学校2年くらいの時に受けた傷だってことが、母に聞くのを忘れてちゃっていたんですが母が亡くなってから、親戚 のおばさんにそのときの話をちょっと聞いて。ですから「傷」では岡本太郎美術館で発表したものとはこれはちょっと質が違います。


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写真というのは不思議だなと思うんです。山のように積まれた下着というのはなんてこともないんですよね。非常にゴミに近い物なんですけれど、これに光りを当てずに全部逆光で撮って下着の向こうから光りを受ける、光とともに下着をすけて見るということは、別 の世界っていうのかな、今まで経験しなかった新鮮な光りだった。ある種、ファッションとまではいかないですけれども、私にとっては非常に美しいオブジェのような気がします。


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これはDMで使った写真ですけれど、これも実は展示用に作ってあったのですが、小出さんの要望でこれは出さない方がかっこいいんじゃないかと言われて出してません(笑)。

それで、古い下着というのはすごく面白くて、写真集で見ると分かるんですが、その人の着ている人の形がこう出ているわけですね。ですからもう母は中にはいませんが、全て癖がつく。下着というのはこうやってその人の肉体の癖がつくもんだなと改めて分かりました。


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これは母の手作りのエプロンなんですけれども、びっくりしたんですが、実はこの布は私が小学校のときに履いていたスカートだったんです。このスカートの写 真があるんですよね。母は私のスカートを壊してエプロンにしてたんですね。これは涙してしまいましたね。

この新作を5月名古屋の中京大学で発表します。 それでは、これでスライドは終わりにします。


【2002/3/22 photographers' galleryにて】
【2002/3/22 photographers’ galleryにて】